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White Road -Side A-  作者: 市尾弘那
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第6話(4)

 床には薄いグレーのカーペットが敷いてあって、結局、そこに以前から使っているローテーブルが放置されたままだ。そのうちソファくらいは入れたい気がしてきてはいるのだが、なかなか面倒で踏み切れずにいるので、どうにもがらんとしている感が消えない。

 壁際にテレビボードがあり、その上にテレビとスピーカが乗っている。テレビボードの脇には一応CDラックがあるが、到底そこだけではおさまりきらないので寝室の方にもまだCDラックを置いていた。

 ちなみにドアから入って正面の壁側にはマーシャルのでかいアンプが鎮座していて、定番のテレキャス2本が置かれている。他のギターはみんな寝室だ。当然だが、ここでがんがん鳴らしたりはしていない。

 まあ、無個性な部屋だよな。

「とりあえず、座れば」

 ジャケットを壁にぶら下げたハンガーにかけながら、床に置いてある黒いカバーのかかった四角いクッションを指すと、きょろきょろしていた上原は素直にぺたんと座り込んだ。

「あんまりじろじろ見られると、緊張するんだけど」

「……如月さん見てるわけじゃないもん」

「わかってるよそんなこと。……何か飲む?」

 まさか本当に「はい見たねさようなら」と追い出すわけにもいかないので、一応聞いてみる。上原はこれまた素直に頷いた。

「出してくれんの?」

「出さなくても良い?」

「やだ」

「じゃあ聞くなよ。何飲む?」

「何があるの?」

 続き部屋になっているキッチンに足を踏み入れて、棚を覗き込む。

「コーヒーと紅茶……あと冷蔵庫にビールか。オレンジジュースもあったかな」

 俺のセリフに、上原が吹き出した。……何だよ。

「如月さん、オレンジジュースとか普通に飲むの?」

「あのなあ、いくら俺でも朝からトーストと一緒にビールで一杯とかやんないんですけど」

「そりゃそうかもしれないけど」

「ほら。何にすんだよ」

「如月さんは?」

「俺? ビール」

「じゃあオレンジジュース」

 オレンジジュースをグラスに注いで、自分の分のビールの缶と一緒に持ってリビングに戻る。上原はちょんっとクッションの上に座って眼鏡をテーブルの上においていた。

「ありがとう」

「いいえ」

「綺麗にしてるんだね。如月さん、自分で掃除とかするの?」

「自分でしなきゃ誰がしてくれんの?」

 テーブルを挟んで上原の斜向かいに腰を下ろしながら意地悪く言い返すと、上原はぷっとふくれ面をした。

「知らないよ、そんなプライベート事情まで」

 むくれた顔で言うと、上原はオレンジジュースに手を伸ばした。一口飲んで「おいし」と呟く。

「ねえ、如月さん、何で引っ越したの?」

「……何で?」

「何でってことないけどさ……何でかなあって思って。前に会った時とかそんな話全然してなかったから、何か急っぽいなあとか勝手に思った」

「あ、そう」

 ビールのプルリングをひいて、一口飲む。立ち上がってジャケットのポケットの煙草を探しながら、上原には言ってもいいんだろう、と思った。

 適当に誤魔化すのは簡単だけど、上原には……蓮池と路上でトラブってたのを見られてるし。

「蓮池が」

「ハスイケ?」

「お前と焼肉行った時に会った女の子、いたろ」

「ああ……隣の人」

 元の場所に戻りながら煙草をくわえる。立ったまま火をつけると、俺もクッションに腰を下ろした。灰皿を手近に引き寄せる。

「そう。俺があそこにいたんじゃ、結婚するもしないも決められないんじゃないかと思って。こっちも収入上がったし、まあ……タイミング的には引っ越してもいいんじゃないかと思ったんだよ」

「……」

 上原は複雑な顔をして黙ると、グラスを指先でなぜながら上目遣いに俺を見た。

「あの人のこと、好きじゃなかったの?」

「好きだよ。友達としては。だから俺なりに誠実な態度示したつもりだけど」

「……何でそんなことあたしに言うの」

「お前があの日、怒り狂ってたから」

 俺の言葉に上原は苦笑した。

「ひどいなあ。怒り狂ってなんかないもん。それに……」

 上原が何かを続けようとしたところで、ぶるるぶるるという規則正しい音が聞こえた。携帯の振動音だ。一瞬上原かと思ってそっちを見たが、上原はふるふると顔を横に振った。……俺か。

 再び立ち上がって、ジャケットのポケットに手を突っ込む。着信表示は広瀬だった。

「ちょっとごめん」

 上原に断って煙草を右手の指に挟んだままでキッチンの方へ移動しながら、通話をオンにする。

「はい」

「あ、ヒロセです」

「うん。お疲れ」

「今、だいじょぶですか」

 時々、広瀬からは電話が掛かってくる。

 俺はあんまり電話は好きではないし、そんなに長電話をするわけじゃなく他愛のないことを少し話すだけなんだけれど、嫌だと思ったことは、なかった。

「うん」

 ちらりと上原を見る。上原はCDラックににじりよって中を覗き見ているところだった。その姿がまた小動物みたいで思わず苦笑する。

「あの、噂聞いて……Blowin’だいじょぶかなとかちょっと心配したりしました」

「ああ……」

 広瀬も遠野の件で気にしてくれたらしい。流しに煙草の灰を落としながら頷く。

「大丈夫だよ。ありがとう。……そっち、レコーディングは順調にいってるの」

 広瀬は今、大倉千晶のレコーディングに参加しているはずだ。

「はい。何かわたわたしてるトコもあるですけど。でも楽しいし」

「そう。……ああ、そういえば見たいとか言ってた映画あるじゃん」

「あ、この前の」

「うん。あれ、行ってみる? 今度」

 受話器越しに、広瀬が微かに息を飲むのが聞こえた。

「行くッ行きたいですッ」

「そう? じゃあまあ……またメシでも行く時についでに行ってみようか」

「はいッ」

 言って、少し背後を窺った。上原は何を引っ張り出したのか熱心にCDのライナーノーツを読んでいる。あまり帰すのが遅くなってもまずいよな……。

「じゃあ……また電話するよ」

「あ、はい」

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 通話を切って携帯をポケットにねじこみながらリビングに戻ると、上原がにたーっと笑って俺を見上げる。

「紫乃ちゃんだ」

 ……だからどうしてわかるんだよ。

「やだな、あてられちゃうな、あたしに対応するのと全然違うもんなー」

「……そんなことないだろ」

「ある。ありますー。全然優しいですー。……いつの間に付き合ってんの?」

 CDケースにジャケットを戻しながら言われて、俺は照れ隠しにそれを引っ手繰りながら顔を顰めた。

「別に付き合ってないよ」

 嘘じゃない。

「おっとぉ。じゃあ今進行中ってやつですか。あたしの前でデートに誘うことないのにさ」

「別にそういうわけじゃないけど……」

「いいねえ、若い人はねえ……」

 お前は近所のオバサンか。

「さてと」

 オレンジジュースを飲み干して上原が立ち上がる。

「帰るか?」

「うん。紫乃ちゃんに悪いしー。なんか」

「別に……」

「そうかなあ。あたしが如月さんの部屋いるって知ったら、やっぱ嫌だと思うなあ。だから帰る」

「あ、そう」

 すぐ車に乗るからジャケットはいらないだろう。引き止める理由もないので、俺は煙草とキーだけを手に立ち上がった。上原と部屋を出て駐車場へ向かう。

「いいなあ。あたしも素敵な恋愛がしたいなあ……」

「……すれば」

 そう言えば。

「上原、Stabilisationなんか知ってんの?」

 車に乗り込んでエンジンをかけながら尋ねると、上原は屈託なく頷いた。

「うん。練習とかしてる時にね、芝浦のスタジオで会って。お話したんだ」

「あ、そ」

 それで知ってたのか。Stabilisationには、俺も芝浦のスタジオで一度遭遇している。彼らも良く利用するのだろう。

「池田がえらく上原のこと気に言ってるって噂」

 渋谷へ向けて車を走らせながら言うと、上原は驚いたように目を見開いた。

「まっさかー。池田くんって超ハンサムだよ。あんな人、あたしみたいなの眼中ないと思うけどなあ」

 それっきり上原は黙って車に揺られていた。運転しながら時々ちらりと横目で窺うと、やや俯き気味に窓の外に視線を這わせたまま、時折目元をそっとこすっている。眠いのかもしれない。

 渋谷の道玄坂上まで辿り付き、上原の家の方角へ向かう路地へ入る為にウィンカーをつけたままタイミングを窺っていると、上原がふっと視線をこちらへ向けた。気づいて目線をちらりと向ける。

「どうした? 眠いか?」

「……え? ……ああ、うん……少し」

 心なしか声が掠れている。

「寝てたんじゃないのか?」

「……うん。少し」

 車の流れが途切れたので、俺はハンドルを切って路地に入った。急に辺りが薄暗くなる。渋谷もこの辺まで上がってくると、意外と個人商店が結構あったりする。周辺の会社員目当ての飲食店が多い。神泉駅の踏切を越え、ほんの2〜3分走ると上原をいつも下ろす通りだった。

「帰れるか?」

「やだな、いくつだと思ってるの。……ありがと」

「上原」

「うん?」

 車を降りる為にシートベルトをごそごそと外す仕草を眺めながら、ふと、広瀬と最初に飲みに行った時に上原のことを心配したことを思い出した。口を開く。

「お前、嫌なこととかちゃんと嫌だって言えよ」

「え?」

 シートベルトを外した姿勢のまま、上原がきょとんと目を丸くして俺を見つめた。反射する街灯を映し込んだ瞳が、またきらきらと輝いている。……潤んでる?

「……何の話だっけ」

「何の話ってわけじゃないんだけど。その……変なオヤジにちょっかいだされたりとかさ、多いから。こういう業界って。お前、そういうのはっきり言えなさそうでさ……」

 フロントグラスの向こうの街並みに目を向けたままぼそぼそ言う俺に、上原はくすっと笑って顔を伏せた。

「……心配してくれてるのかな、それは」

「そうだよ」

「……そっか。うん。ありがとう。気をつける」

 助手席のハンドルに手を掛けてドアを開ける。外に出ると、上原は開けたままのドアから中を覗き込むようにして、歯を覗かせて笑った。左上に少し尖った八重歯が見え隠れした。

「如月さんってさ」

「うん」

「口悪いけど、優しいよね」

「口悪いけどは余計だろ……」

「おやすみ」

「おやすみ」

 バタン、とドアが閉められる。弾むように小走りに上原が車から離れていった。そのままその後姿を見送っていると、電柱の下で上原が立ち止まり、振り返る。

 飛び跳ねるように大きく両手を振る上原に片手を振って応えながら、あれ?と思った。

 街灯を映し込んだ、潤んだ瞳――。

(上原……?)

 ……大きく手を振る上原の顔が。

 泣いているように見えたのは、気のせい、だったんだろうか……。











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