第6話(2)
「事実か」
先ほどの俺にように、広田さんが短く尋ねた。表情を動かさずに遠野も短く答える。
「事実です」
「……」
広田さんは深い溜め息をつき、壁に背中を預けて腕を組んだ。後から入ってきた裏仲さんが黙って近くの椅子に腰を下ろす。
「確実な話ではないが、恐らくリークしたのは、近藤サイドの人間だ」
「え?」
視線が広田さんに集まる。遠野だけは身動ぎもせずにじっとしていた。
「まさか……」
「だって、アイドルにとっては致命的じゃないの?」
北条が口を挟んだ。広田さんが冷たい視線を向けながら頷く。
「普通はな。スタッフ関係ではないだろう。恐らく近藤の周囲に、亮くんと近藤の関係を知っていて、近藤を潰したい人間がいるんだろうな」
言って、遠野に視線を向けた。
「まったく、よりによってこんな時期に」
裏仲さんが深い溜め息をひとつ吐き出して、遠野を見た。
「亮くんだって、今がBlowin’にとってどういう時期なのかはわかるだろう」
「……はい」
「この一件で離れるファンが出るのは覚悟した方が良いだろうな」
広田さんの言葉に、俺は微かに反発を覚えた。
俺たちは別にアイドルじゃない。売り物は音楽であって、俺たち本人じゃないだろう。俺たちの音楽が好きなのなら、俺たちの私生活は関係ないはずだし、プライベートで何があったとしてもそれが音楽に反映されて深みが出れば尚良い場合だってある。
ああ、綺麗ごとじゃ片付かないってわかっちゃいるさ。アイドルとごちゃまぜにしているようなファンだって間違いなくいるんだし、知りもしない人間性とやらを見ているファンだっているのかもしれない。けれど。
……それはひどく悔しいことだった。
「ミュージシャンは元々恋愛沙汰で大して叩かれることはないから、本来ならばそんなにしつこく穿り返されることもないだろうが……」
僅かに口調を和らげて広田さんが椅子を引く。腰を下ろして背もたれに背を預けた。藤谷が首を傾げる。
「そうなんですか」
「ミュージシャンと芸人は異性関係破綻してる人も多いからね。いちいち取り沙汰してるときりがない。マスコミだって別に暇なわけじゃないんだ。……ただ、今回は相手が悪かったな」
遠野が無言で顔を上げた。それに応えるように広田さんが視線を返す。
「近藤はアイドルだ。アイドルはそれだけで恋愛を取り沙汰されやすい。加えて、一度消えたはずのアイドルで、数年経った今頃になってブレイクの兆しがある。空白の数年間の間に別のスキャンダルでもあれば、大衆の関心は一気に集まるだろうな」
「……」
製薬会社のCM出演云々……の件を指しているのだろうか。雑誌の文面の終盤を思い出す。今度の仕事を取る為に製薬会社の役員と寝た……というニュアンスの内容だったけれど、もしもあれが事実なのだとしたら遠野は知っていたんだろうか。もし知らなかったんだとすれば、今のショックは計り知れないものがある。大丈夫だろうか。
「しかも亮くんに関して言えば既婚だ。ただでさえアイドルの不倫ネタは面白がられる。このままじゃ終わらないぞ、多分」
「……まだ続く、ってことですか」
北条が口を挟んだ。やや険のある光が瞳に宿っている。
「続くだろうな。近藤をリークした奴が、同期の妬みならこれで済むわけもないだろう。これ以上この件にこちらとしても巻き込まれたくない」
言い切って広田さんが遠野に視線を戻した。
「つらいだろうが、近藤とは終わりにしてくれ」
「……」
「どちらにしても、亮くんだって続けるわけにはいかないだろう。奥さんにだってこれでバレてるんだ」
遠野はゆっくりと掠れた声を押し出した。
「……美月を、見捨てろと言うわけですか」
「当然だ。Blowin’を道連れにする気か!?」
背もたれから体を起こし、広田さんが抑えた声で怒鳴った。
「恋愛をするなと言っているわけじゃない。ただし相手を選べ。亮くんだったら、他にいくらでもいるだろう」
「……」
「君らも、少し落ち着くまでは自重してくれ」
広田さんは遠野から視線を外し、俺たちを見回して告げた。
「この件に関しては事務所で預かる。何か聞かれたら知らぬ存ぜぬで通してもらおう」
そう締め括って裏仲さんに視線を向けた。
「会議だったな」
「ええ」
「じゃあ10時から始めてもらおうか。スタッフは?」
「今とりあえず応接で待機してもらってます」
「そう。了解」
頷いて裏仲さんと共に立ち上がった広田さんは、ドアノブに手を伸ばしながら遠野を振り返った。
「10時まで少し時間がある。奥さんに電話でもしてやったらどうだ」
言い捨てるようにして出て行った後、北条が低く押し殺した声を出した。
「……何、あの言い方」
遠野が無言で視線を向けた。顔に怒りを浮かべ、北条はドアを睨みつけたまま言った。
「相手はいくらでもいるって……そういうものじゃないじゃないの」
「……思音」
「言っとくけど、あたし、怒ってるよ、亮のこと」
ぎろっと睨みつける視線をそのままに北条が遠野を見た。
「凄い怒ってる。何もこんな大切な時期に不倫騒動起こすことないじゃんって思ってるよ、はっきり言って。これで万が一Blowin’潰れたら、亮のこと許さない」
「……」
「けど、広田さんのあの言い方って何? こっちはモノじゃない。恋愛だってするし、代わりはいくらでもいる、こっちがダメならそっちでとっかえてみたいな言い方、頭くる」
「……」
「代わりで良いなら、誰も苦労しないじゃんよ」
「……別に遠野を庇うつもりは毛頭ないんだけど」
テーブルに片手で頬杖をつきながら、俺もぼそっと口を開いて煙草を咥えた。
「俺たちが売ってるのは俺たちじゃなくて音楽で。……私生活で離れるファンとかって、結局どうなんだよ?って思ったりしたんだけど」
大体日本のミュージシャンはその辺、ごちゃまぜにされ過ぎだ。海外なんか見てみろ。ミュージシャンと犯罪者が紙一重の勢いだぞ。……言い過ぎか?
俺と北条の言い分に、遠野が思わず、苦笑を疲れた顔に浮かべる。
「広田さんは、悪役を買って出てくれたわけだから……。言いたくないこと言わせたのは、俺だし。こんなふうになるとは思わなくて……」
視線をテーブルに落として溜め息をつく。
「本当、ごめん」
「……もう、いいですよ」
藤谷が長い金髪をわしゃわしゃとかきまぜながら言った。
「俺らに出来ることは頑張って音楽作ることだけだし」
「それより遠野」
煙草の背を叩いて灰を落としながら視線を向けた。無言で遠野が視線を返す。
「尚香ちゃんに電話とか……しなくて良いのか」
「……」
遠野の妻の名前である。強張ったような表情で遠野は溜め息をついた。
「……やめとく」
「いいのか?」
「電話でするような話じゃない」
それもそうか。
納得して、憔悴した顔つきの遠野の横顔をぼんやりと眺めながら、俺もため息混じりに煙草の煙を吐き出した。
……うまく、まとまってくれればいいんだけどな。
◆ ◇ ◆
結局裏仲さんはバタバタしているし、遠野の精神状態もおぼつかないので今日の仕事は収拾がつかず、ゲネプロも早めに切り上げることになった。帰りに北条とラーメン屋へ行って簡単に夕飯を取り、俺は10時頃には家にいた。
1月にはまたシングルのレコーディングがあるし、曲はほぼ固まっているんだけど直したいところがあったりして、やらなきゃならないことはないわけではないんだが。
(何かな……)
やる気が起きない。
勢い、ビールを片手にぼんやりとテレビを眺める羽目になっている。
(不倫か……)
遠野が不倫していたというのも驚きだが、そんなことよりとにかく、遠野の状態の方が、心配だった。
見た目がああだから誤解されがちだが、遠野と言う男はひどく真面目だったりする。尚香ちゃんを裏切りたくないと思いながら、自分でも止められずにいたのだろう。これまでも多分自分を責め続け、公になった今、周囲はもちろん自分でも自分を一層責めているのではないかと思うと……。
俺から言わせれば、特定の人がいたって他の人に気持ちが揺れるなんていうのは、不謹慎と言われようが良くある話だし、俺自身わからないでもないし、大体真面目な恋愛なら仕方がないからまだともかく、いい加減な気持ちで罪の意識もなく他の異性に手を出す既婚者だって、世の中にはごろごろいるじゃないか。
そう思ってみれば、週刊誌やワイドショーに対する反感が増していく一方だった。大きなお世話だろうが。
(……変な影響が出なければ良いけどな)
Blowin’にしても、遠野にしても。
頼むから、これ以上もう遠野を追い詰めないでやって欲しいと思うけれど、広田さんの言うように近藤潰しなら、これで終わるわけがない。
そんなことをぼんやりと思いながら、見てもいないテレビに視線を向けていると、床に放り出してあった携帯が振動した。仕方なく取り上げる。
(上原……)
着信表示に上原の名前を見つけて、なぜか、微かに動揺した。
「……はい」
通話をオンにすると、街のざわめきが流れ込んできた。どこか外にいるらしい。
「如月さん?」
「うん。どうした?」
「あのう、何してるの?」
「今? 別に。……テレビ見てた」
言いながらテレビの音声を絞る。上原の声が途切れると、再び街のざわめきが耳に流れ込んできた。
「そうなんだ。じゃあ家?」
「うん」
「仕事、もう終わったの?」
「うん」
それについてはあまり多くを語る気にはなれない。短く答える俺に、微かな沈黙の後、上原が吐息をつくように密やかに、言った。
「今から、行っても良い……?」
……待て。
「どこに?」
念の為、確認するように尋ねる。待て待て待て。何を言っているのかわかってるのか? こいつは。
「如月さん家」
「あのなあ……この時間にひとり暮らしの男の部屋に来る気なのか?」
「いけないの?」
「ガキ」
それほど危ない奴だと自分のことを思ったことはないが、あいつ……時々、いやに無防備だし、仕草とか表情とかが、可愛かったり、するし。
……こんなにへこみまくっている状況下、絶対に変な気を起こすことはあり得ない、とは俺には誓えない。
「何よ、それ……」
「大体お前、俺の家なんか知らないだろ」
「うん。でも多分今結構近いトコまで来てるんじゃないかなあ……。だからあとは教えてくれれば、あたし、行くし」
だから何で。
「……俺が行くよ。今ドコにいんの」
「え、悪いよ」
来てもらう方が、俺のその後の精神衛生上悪いんだが。
「お前って、誰にでもこういうことしてんの?」
思わず尋ねる。俺がこれで本当に良からぬことを考えていた場合、どうするんだろうか。あちこちでこんな真似してると、そのうち誰かの餌食になるぞ。
テレビを消して立ち上がると、テーブルの上の鍵をハンガーにかけてあるジャケットのポケットに突っ込んだ。そのまま空いている片手でジャケットを掴む。
「何? こういうことって?」
「……何でもない。で? どこ行けば良いの?」
「ええとねえ……」
上原が告げたのは、本当に俺の家のすぐそばだった。どうやってこんなところまでたどりついたんだろう。
「わかった。すぐ行くから待ってろ」
通話をオフにして、ジャケットに腕を通す。一応携帯をポケットに突っ込んで、俺は部屋を出た。車で行くほどの距離でもない。歩いてマンションを出る。
路地のようになっている細い通りを幾度か曲がると、大きな通りに出る。その入り口の、俺が良くお世話になるコンビニエンスストアの陰に、上原が立っていた。通り過ぎる酔っ払いが物珍しそうに眺めながら通り過ぎる。
「上原」
歩きながら声をかけると、上原はぱっと顔を上げた。Opheriaのシングルのプロモーションで上原の顔がめちゃくちゃ使われまくっていたせいか、眼鏡をちょこんとかけていた。それが妙におかしくて、指先で眼鏡を軽く弾く。