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White Road -Side A-  作者: 市尾弘那
26/58

第6話(1)

 Opheriaのデビューシングルが、とうとう発売された。

 売れ行きは注目するほどでもなかったけれど、ひどいというわけでもなく……どうやら上原のキャラやジャケ写の可愛らしさとその歌声が辛うじて売上を上げている、というところらしい。それなりに忙しくしているのか、事務所で見かけることは、なかった。

 俺の方は相変わらずツアーの準備に追われている。6枚目のシングルもじき発売になるせいで、メディアへの露出なんかも結構多いし、広瀬も、大倉の仕事とOpheriaのサポートに追われているらしかったが、あれから何度か2人で会うことがあった。

 広瀬が俺に抱いてくれている感情は、多分、好意なのだろう……とは思う。

 俺自身も広瀬に対して好感は持っているし、一緒にいて楽しいので、会いたい……ような気もしなくはない。そもそも彼女はその年齢の割りにいろいろな知識や経験が豊富でもあり、話を聞いていると面白くも勉強になりもするのが興味深い。

 けれど正直なところ、これが恋愛感情と呼べるものなのかが、俺にはまだよくわからずにいた。

 仕事の方はと言えば、ぼちぼち、ツアーのゲネプロに入ったりしている。

 今日は午前中に会議を行って、午後からゲネスタへ行く予定になっていた。あくびをしながら事務所の中に足を踏み入れ、癖で時計を見ると、8時50分だった。9時集合予定だから、会議が始まるのは9時半になるだろう。

 どうせそうなるってわかってるのに、ちゃんと来てしまう俺って偉いと言うか哀れと言うか……。

 事務所に入ると、何となく習慣でロビーのソファに広瀬がいないか確かめる。まださすがにいないか……。ミュージシャンにとって9時なんか早朝だ。

 事務所で電話が引っ切り無しに鳴っているのが聞こえ慌しいような気がしたけれど、まっすぐ1階奥の会議室へ向かうべく事務室の前を通り過ぎようとしたところでバンとその扉が勢い良く開けられたので、さすがに俺も驚いた。

 ぎょっとして足を止めると、中から飛び出してきたのは裏仲さんだ。視線は真っ直ぐ俺に向けられている。……嫌だな。中から的確に俺の姿をウォッチして飛び出してきたって感じだよな……。

「……おはようございます」

 とりあえず挨拶なんかしてみると、裏仲さんは構わずに引きつった顔で俺に詰め寄った。

「亮くんは!?」

「は?」

 どうして遠野と一緒に暮らしているわけでもない俺が遠野の行方を把握しているわけがあるだろう。否、ない。こんな早朝から遠野の行方など知っているはずがない。

「……知りませんけど」

「連絡がつかないんだよッ」

「……」

 それは……そういうこともあるだろうけど。子供じゃないんだし……。

「事情が事情だけに家に電話するのもためらわれるし……携帯は全然つながらないし……ッ」

 裏仲さんが何を慌てているのかわからず、俺はぼーっと青ざめた裏仲さんを眺めていた。

「何か、あったんですか」

「如月くん、知ってたの!?」

 だから何が。

「亮くんのことッ」

 ……ここで、「遠野のことは昔から良く知ってます」とか言ったら殴られるんだろうか、やっぱり。

「すみません、俺、裏仲さんの言ってることがさっぱりわからないんですけど」

「だからッ……」

 裏仲さんはどうしてわかってくれないのかというじれったそうな顔をした。……不足しているのは、俺の理解能力なのか裏仲さんの説明なのか、果たしてどちらだろう……。

「亮くんと近藤美月こんどう みつきの不倫疑惑がッ……如月くん、知ってたの!?」

「……」

 ……………………。

「ええええ?」

 あまりに想像の範疇に存在していない事象を提示されて、反応がしばらく遅れた。ぽかんと顔を見たまま沈黙して、それから驚きの言葉を口にする俺の顔を裏仲さんが凝視する。――遠野と近藤美月の不倫疑惑? まさか。

 今ひとつ頭がついていかないまま、脳裏にラジオ局での出来事が蘇る。

 以前……今年の1月に遠野が2週間限定でやっていたパーソナリティで、俺が1度だけ顔を出した時にラジオ局で元アイドルの近藤美月に遭遇した。遠い昔、アイドルに興味のない遠野にしては珍しく彼女のことを「可愛い」などと言っていたから、すっかり嬉しそうな顔をしていたのは確かで、それは俺も覚えていて。……だけど、まさか。

 そうは、思うものの。

 ……遠野に好かれて嬉しくない女の子が、いるだろうか。

「知らなかったんだね……」

「知りません。何でそんな話……どっから……」

「朝から事務所の電話は鳴りっ放しだよ。『週刊サンデーフライ』がすっぱ抜いたらしい。……こっちにはまるで情報がなかったから、止める暇もない」

「……」

 黙って携帯電話を取り出す。遠野の番号を呼び出してコールするが、間もなく音声メッセージが流れた。電源が入っていない、というものだ。短く舌打ちをして通話をオフにする。

 俺もさして人のことは言えないが、遠野は俺以上に携帯電話が嫌いだ。ほとんど使っている姿を見たことがない。以前一度藤谷が「何の為に持ってるんですか」と文句を言ったところ、「周囲の人間への気休め」と言ってのけた男だ。

「とりあえず、遠野が来るのを待つしかないんじゃないですか。遅かれ早かれ、ここに来ることは間違いないんだし。遠野がいないことには騒いでも仕方ないわけだし」

 俺の言葉に裏仲さんは肩を落として息を吐いた。

「……そうするしかないな」

「今、電話は?」

「知らぬ存ぜぬで通してるよ。それしかないだろう。実際知らないんだから」

「……ま、そりゃそうですね」

「もっと早くわかってれば手の打ちようもあったものを……」

 ぼやきながら裏仲さんが事務室に消えていくのを見送り、俺もとりあえず会議室へ向かう。俺が引っ越しをした時、遠野と部屋で交わした会話を思い出した。あの時の遠野は、少し何か思い詰めているような感じがあった。何かを、言いたそうな……。

 それから遠野のかみさんの顔を思い浮かべた。付き合ってる頃から俺も良く知っている。意志の強い大きな瞳。茶色がかった柔かそうな髪。美人で気の強い、しっかり者の彼女のことを遠野は本当に誰よりも大切にしているのを俺は知っている。そしてもちろん、まだ幼い娘のことも。

 俺だって男だから、他の女性に心惹かれる気持ちがわからないわけではないし、別に不倫そのものについては……仕方ない、としか言えない。

 大体、無責任な言い方をすれば、不倫カップルなんてそこら中に溢れているだろう。なぜ、という気持ちもないではないが、いちいち責めるような話でもない。

 それよりも問題なのは、遠野のスキャンダルが今後どう影響していくのかということと、そして遠野自身が何より心配だった。

 ぼんやりと会議室の椅子に座り、テーブルに肘をついて考え込んでいると藤谷が入ってきた。何だかこちらもひどく疲れたような顔をしている。

「……おはよ」

「おはようございます……」

 俺の向かいに位置する椅子に腰を下ろし、テーブルに突っ伏す。その姿勢のままくぐもった声で言った。

「何かあったんですか」

「何で」

「何か事務室ばたばたしてるみたいだから」

「……ああ。それよりお前こそ何かあったの?」

「……何でです?」

「凄いひどい顔してるから」

「ひどい顔って……」

 小さく笑って顔を上げる。その笑顔がまた元気がない感じだった。

「秋の具合が、ちょっと……だいぶ、良くなくて」

「……そうなの?」

「ええ。……ちょっと、身動きとれない感じで。入院するって話で」

「……」

 それは、かなり良くないんじゃないだろうか。それでは藤谷も心配だろう。

「……平気か?」

「まだ、よくわかんないですけど……」

「違うよ、お前」

「俺?」

 あどけない瞳を丸くして、藤谷は体を起こした。

「や、まあ……何とか。それよりどうしたんです? 事務室」

「ああ……」

 答えようかどうしようか悩んでいると、やがて北条が入ってきた。

「おはよー」

「はよ」

「はよっす」

「ねえ、何かあったの?」

「……」

 どうせバレる話ではあるんだし、いつまでも隠すことでもないのだが。大体パブリックには既に週刊誌で暴露されている話なのだ。真実にしろ真実でないにしろ。

 俺がメンバーに隠し立てをすることに意味があるとは思えない。

「遠野が、スキャンダル」

 考えた挙句短く説明する。藤谷も北条も動きが固まった。

「……え!?」

「は!?」

「サンデーフライにスキャンダルすっぱ抜かれたって。それで朝からバタバタしてるらしい」

「ちょちょちょちょっと。スキャンダルって……何よ!?」

 北条がテーブルに両手をついて、こちらに身を乗り出した。俺は自分の背後にある小さな棚から灰皿を1つ抜き取り、振り向きざまに言った。

「不倫疑惑」

「嘘ぉ!?」

「冗談でしょ!?」

「彗介、知ってたの?」

「知らないよ。俺だってさっき来て初耳だ」

 どうして誰も彼もが俺が知っていると思うんだろうか。いちいちそんなこと、報告しあうはずもないだろう。

 言葉を途切らせたところで、廊下の方から複数の声が聞こえてきた。微かに遠野の声が聞こえる。どうやらご到着らしい。

「あ、俺も……」

 立ち上がる俺を見て、つられたように立ち上がりかけた藤谷を制す。

「どうせこっち来るんだから。待ってて」

 言って廊下に出てみると、事務室の前……先ほど俺が捕まったのとほぼ同じ位置で、遠野が裏仲さんにつかまっていた。遠野の顔は見たこともないくらい蒼白で、右手で口元を覆っている。

「とにかく、ツアー会議はいったん保留、この件が先だ。そっち行くから、先に会議室行ってて」

「……はい」

 裏仲さんが事務室に姿を消すと、遠野はそこに立ちすくんだまま俺に視線を向けた。

「事実か?」

 短い問いに、遠野も短く答える。

「……事実だ」

 まじかよ……。

 言葉を失う俺に、遠野はそのまま視線をそらさずに言った。

「……あきれるか?」

「……」

 無言で遠野に近付き、その背中を会議室の方へ押してやる。

「心配してるだけだ」

 ほっと短い息を吐いて歩き出した遠野と会議室に入ると、がたっと藤谷と北条が椅子から立ち上がった。

「どうなってんの!?」

「どういうことですか!?」

 同時に言う。俺は黙って、さっき座ってた椅子に腰を下ろした。煙草を取り出してくわえ、火をつける。遠野は立ったままで頭を下げた。

「ごめん……心配かけて」

「いいから。どうしたのよ」

 北条の声を遮るように、遠野の背後でドアが開いた。広田さんだ。いつもの温和な表情はそこにはなく、まるで兵隊をコマのようにしか思っていない戦地の参謀のように怜悧な光を瞳に浮かべて、こちらを睥睨へいげいした。

 黙ったままで、手に持った雑誌をテーブルに放り出す。見開かれたままの白黒のページには、4枚ほどの写真が斜めに連ねるように掲載されていた。思わず、全員その雑誌を取り囲むように覗き込む。

 写真の1枚目は、近藤美月が遠野のランドローバーから降りたところらしいシーンだった。とは言っても、俺程度の知識では、印刷でつぶれた写真の中の白い帽子を目深に被った女性が本当に近藤美月なのかどうかはわからないし、車に至っては、「確かに遠野と同じ車種のようだ」としか言いようがない。

 2枚目は、車を離れてこちらに向かって歩いてくるところだ。そちらでも、顔ははっきりとわからない。近藤美月らしい女性の背後で、ランドローバーのヘッドライトがハイビームになっていた。

 3枚目は被写体が変わり、こちらは俺から見れば明らかに遠野本人だとわかる写真だった。先ほどとは移動したらしい場所に置かれているランドローバーから降りたところらしく、運転席のドアのすぐ脇に立った遠野の下半身は車に隠れている。

 4枚目は、近藤美月のと同じくこちらに向かって歩いて来る姿で、遠野だということはもはや疑いようがない。ざっと文章に目を通す。

『この日遠野の車で食事に出た2人は、夜10時頃近藤美月の家の近くにやってきた。まず近藤が車を降り、少し離れたところに車を移動した遠野が、後から近藤の部屋があるマンションへと入っていった。

関係者の話では、1月に遠野がラジオのパーソナリティを務めていた頃、たまたま同ラジオ局に出入りしていた近藤と親しくなったと予想される。噂では元々互いが互いのファンだったこともあり、一気に進展したのではないかと見られている。

尚、近藤については昔メロンドリームでアイドルとして売り出したが、一時期姿を消し、この秋放送が開始された製薬会社のCMで再ブレイクを予感させたが、この仕事を取る為に大手製薬会社役員と深い関係を持ったとの話も囁かれており、遠野への接近は音楽界への進出を狙ってのことかと考える人もいる』

 書かれているのはそんな内容だ。……凄いことを書かれているな。

 黙って顔を上げると、遠野は硬い表情でまだ誌面に目を落としていた。文章を読んでいるらしい。視線が終盤に進むにつれ、その顔が強張っていく。






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