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White Road -Side A-  作者: 市尾弘那
22/58

第5話(1)

 8月に入って、写真集が発売されてしまった。

 どういう種類の人間が買うのか、何が嬉しくて買うのか俺にはまったく理解出来ない世界なのだが、しかも写真集週間売上チャートで10位になってしまった。世の中間違ってる。

 アルバムのレコーディングと6枚目のシングルのレコーディングが無事終わり、現在年末のツアーに向けての準備が進められている。先月発売されたシングル『FAKE』が、3週連続1位を取るという驚くべき事態を迎え、メディアの露出率がここへ来て爆発的に上がった。PVの撮影で北海道に行ったりもして、はっきり言って忙しい。前に上原の様子を見にOpheriaのレコーディングを覗き来た時以来、オフがない。

「おはよーございますー」

 ツアー会議の為事務所に来た俺は、その声に顔を上げた。広瀬だった。ロビーのソファで煙草を吸っている。

「ああ……おはよ」

 広瀬とはあれから何度かCDの貸し借りをしていた。

 返す時に「これ好きなら、こういうの好きかも」と自分でチョイスしてきてCDを貸してくれるのだが、それがまた俺も知らないようなえらいマニアックで、けど的確に俺のツボにヒットするアルバムを貸してくれるので、最近では広瀬が貸してくれるCDが楽しみですらある。

 加えて、広瀬はここで煙草を吸っていることが多いので、遭遇率が高く、必然的に口をきく回数が増えていた。

 と言うのも、デビュー前は事務手続きや打合せで事務所に来ることが増えるのだが、会議室でもスタジオでも禁煙ではないものの、スタッフの偉い人なんかに煙草を吸わない人がいたりすると新人としては煙草を吸いにくく遠慮する。俺らのように途中から移籍してきた人間は、正直言って図々しくもなっているので、この限りではないんだが、広瀬なんかは正式メンバーじゃなくサポートだから尚更だろう。その為、勢いロビーで吸うことが増えるのである。

 広瀬は俺に限らず、多分事務所に出入りする多くの人間と遭遇することが多いだろうな。

 そのせいというわけでもないだろうが、広瀬は恐ろしく交流範囲が広いようだ。

 ブレインは、事務所に入り浸るBlowin’みたいなアーティストと、MEDIA DRIVEのようにつかず離れずのアーティスト、そして全くと言って良いほど事務所に寄り付かないCRYのようなタイプとに分かれているようだ。事務所に寄り付かない人間とは、仕事現場でしか遭遇しようがないので親しくなる機会もそれほど多くはなく、必然的に同じ事務所という認識も薄い。

 にも関わらず、広瀬はCRYのサポートキーボーディストの冬間さんや、CRY同様事務所にいるのを見かけたことがないVIRGIN BLUEというテクノ系ユニットなんかとも割と面識がある感じで、既に社交性の低い俺なんかよりは遥かに人間関係を築き上げているように見える。まったく恐れ入る。

「この前借りたの、良かった」

 時計を見ると8時50分だ。打ち合わせは9時からで、もちろんBlowin’の面々が9時なんかに来るはずはないので時間には多分かなり余裕がある。立ったまま煙草に火をつけて俺は広瀬に言った。

「あ、まじですか。ちょっとチョイスパターン変えてみたですけど」

「うん。けど4曲目かな……凄い俺、ツボにハマった。インアウトのギター、凄いかっこいい」

「あれ、4曲目ですか? あたし的に如月さんは6曲目とか勝手に決めてたのに」

「6曲目? ああ……あれも良いけど、無難にまとめた感がない?」

「うー。……絶対Bメロのアルペジオとか、『それは反則じゃ……』って感じしてないですか」

「ああ。Bメロ、反則入ってたね……。『それはナシじゃ……?』って思わず突っ込みそうになった」

 くすくす笑いながらそんなふうに話していると、階段の方で足音が聞こえた。

「あれ、そんなところで和んじゃって」

 広田さんだ。挨拶をすると柔かく返事を返しながら通り過ぎかけて、事務室の前で広田さんが足を止めた。

「そう言えば彗介くん。Opheriaのシングル、サンプルあがったけどもらった?」

「いえ……俺、買うって言ってたんで」

「そう。おいでよ、今聞かせてあげるよ」

「あ、はい」

 名指しされては断れまい。もっとも俺も興味はある。

 広瀬を振り返ると、苦笑いをしていた。

「じゃあ……この前また面白いの見つけたから、今度持ってくるよ」

「あ、はい。楽しみにしてます」

 広田さんの後について事務室に入る。事務室の中はデスクが向かい合わせで8つあり、広田さんのデスクは一番奥にあった。ちなみに現在人がいるデスクは、受付も兼ねている山根さんだけである。

「飛鳥ちゃん、かなり良い感じに仕上がってるよ」

 言って広田さんは自分のデスクの背後に備付けてあるオーディオに、デスクの上のシングルをセットした。

 ジャケット写真は、赤いドレスを着て、俯き口元に微笑みを浮かべた上原だ。顔ははっきりとは見えないアングルで頭の上半分と顔の右半分は切れている。大人っぽく、けれどドレスなんかもデザインは可愛らしい感じで、そのアンバランスさが上原を綺麗で可愛らしく見せていた。

 へえ……雰囲気が、だいぶ変わるものだな……。

「可愛いだろう、この写真」

「……はあ」

 コメントに困り、ジャケットを広田さんのデスクに戻すと同時に、ステレオから音が鳴り出す。

(……)

 ギターのリフとスネアで始まる、アップテンポの曲だ。メロディは悪くない。多分これ、上原の『宿題』になっていた曲だろう。けど。

 ……アレンジがなあ。だっさくないか?

(もったいないなー)

 デモ段階では良い曲だったんだけどな。アレンジががたがたにしてる。誰だよ、このセンスのないアレンジ。

 内心突っ込みつつ、楽曲について今更あれこれ言っても仕方がない。

 対する上原の歌の方はと言えば、別に俺のひいき目ってわけじゃないだろうけど、広田さんの言うようにとても良かった。

 声が耳に残る深みを帯びている。リバーヴの響きがくどくなく、綺麗に上原の声を響かせていた。

「……どうだい」

 曲が終わり、広田さんの手がオーディオを操作してディスクを取り出す。どうだいと言われると、「アレンジだっさいですね」と言うわけにもいかず、コメントに困ったりもするんだが。

「上原、上手くなりましたね」

 楽曲については触れない方向でいこうと心に決め、そう感想を告げた。上原の歌に関してなら、問題のないコメントを言うことが出来る。

「そうだろう。驚くほど上達したからね」

 ディスクをケースに収め、俺の方へ差し出す。

「どうする? 持ってっても良いけど」

「あ……」

 でもな……買うって約束したし。

「や、自分で買いますよ。売上貢献ってことで」

 俺の言葉に広田さんは苦笑した。シングルをデスク上に戻す。

「売上と言えば、『FAKE』、頑張るね」

「ありがとうございます」

「このままだと、売上はまだまだ伸びるよ。アルバムも楽しみだ」

「はい」

「だからと言うわけではないけど……そろそろ、約束を守ろうかと思ってるんだ」

「え?」

 約束?

 その言葉をわかりかねて、俺は目を瞬いた。広田さんがデスクの上を漁り、クリアケースにまとめられた書類の束を俺の前に放り出す。立ったままそれに視線を落とすと、どうやらそれは何かの見取り図のようだった。

「これは……?」

「君たちが移籍する時に、裏仲くんが約束したろう。Blowin’がCRYと共にブレインを支える2本の柱になってくれたら、Blowin’が自由に使えるスタジオをあげるよって」

 あ。

 そう言えばそんな話は確かにあったと遠野に聞いた気はするけど……けど、でも……えええ?

「……まじですか」

「まじだよ。……ま、アーティストも少しずつ増えてきたし、CRYとBlowin’が実際安定した収入を事務所に提供してくれてるからね。費用も出来たから、3階の会議室を潰してレコスタとリハスタを作ることにしたんだ。とは言っても、もう少し資金的な様子を見て……実際着工出来るのは冬くらいなんだけどね。年末に発注すると嫌われるから、多分年始かな。年度終わりには、出来ると思うから……そしたら2階のスタジオ、Blowin’が使っていいよ。もちろん適宜他のアーティストにも貸してあげて欲しいけど」

「あ、それはもちろん……」

 ……凄いな、それ。

 頭を下げて事務室を出る。ロビーにはもう広瀬の姿はなく、俺はやや浮かれた気分のまま、1階奥の会議室へ足を向けた。

 2本の柱。

 CRYと並びたてられるのは、俺としてはかなり光栄だ。まだまだCRYの足元にも及ばないけれど、それでも「ああ、頑張ったんだなあ」という気分になるし、「頑張らなきゃなあ」という気合いも入る。

 気合いが入ると言えば、年末のレコ発ツアーもそうだ。

 今回は、前回よりも更に大きな会場を回ることになっている。俺の中で一番のテーマとしては、ツアーの幕開けとなる東京、日本武道館だった。

 日本武道館と言えば、『武道館』だと言っているにも関わらずロックの聖地である。

 来日する著名ミュージシャンたちがあのステージに立ち、人々が熱狂した。バンドをやっている人間なら、まずは渋谷公会堂……そして、いつかは日本武道館に立ちたいと、一度は思ったことがあるはずだ。俺だって例外ではない。

 Blowin’は、まだ日本武道館に立ったことはない。今回が初だ。憧れ、目指してきたそのステージが今目前にある。考えるだけで、体に震えが走るようなそんな思いだ。事務所が決まった時より、ファーストシングルが出た時より……夢が叶う、という思いが強い。

 会議室に入ると、北条がひとりでぼーっと缶コーヒーを飲みながら雑誌を繰っていた。いるとは思わなかったので驚いた。

「おはよ。いたんだ」

「うん。彗介、遅いじゃん。どうしたの?」

「事務室で広田さんにつかまってて……聞いた?」

「何が?」

 しばらく寝不足を続けていたらしい北条は、最近ようやくそうでもなくなっている。何があったのかは相変わらず聞いてはいないんだけど、元気になってきたのだから良いんだろう。みんないろいろあって大変だよな。

「スタジオ増設するって」

「ここ?」

「うん」

 雑誌に落としていた視線を上げて、切れ長の目をきょとんと見開く。

「何でまた」

「Blowin’が所有権握れるスタジオをあげるよって話あったの、知ってるだろ」

 手近な椅子をひいて腰を下ろす。北条は、あー……と小さく頷いた。

「あったかもね。あれでしょ。2本の柱」

「そうそれ。『FAKE』がヒットになって、何かそんな気になったらしい」

「えーッ。まじで!! あれ、冗談じゃなかったの?」

「さあ。どこまで本気かはわからないけど」

「え、でもそれ、まじなら凄くない?」

「凄いよね。俺も驚いた。……北条、元気んなったじゃん」

「え?」

 肩肘で頬杖をつきながら目線だけ向けると、北条はぴたりと笑いを収めて俺を見つめた。

「結構長いこと元気ない感じだったし。けど相談しろつっても何も言わないからさ。結構心配してた」

「……そ、そう?」

「うん。まあ、恋愛沙汰じゃあ、俺なんか何の参考にもなりゃしないだろうけどさ」

 照れたように長い人差し指で頬をかきながら、首を傾げる。普段男っぽい言動が多いせいか、時々そういうちょっとした仕草がやけに女っぽく見えることがある。

「ま、ね……」

 呟くように言って、雑誌のページの端を指先で折ったり伸ばしたりしながら、北条が口を開いた。

「……好きな人がいて、その人は全くこっちを向いてくれなかったりしてさあ」

「は? ……うん」

 話の展開が読めないまま頷く。とは言っても、俺は恋愛経験自体が少ないので、実はそういう思いをしたことがないのだけど。

「そういう時にさ……他の人に一生懸命になられたりすると、彗介だったら、揺れたりする?」

「一生懸命って、相手がこっちに?」

「そう」

「……どうかなあ」

 経験がないからわからないんだってば。

 けど、どうだろうなあ。俺の性格からすると、一生懸命になられたところで別に変わらないんじゃないかって気がする。俺が誰かを好きな気持ちと、俺を好きになってくれる人の気持ちとは全然別問題って言うか……。

 そう考えて、瀬名と蓮池の姿が頭を過ぎった。

 ……そう。だって俺は、もう会えないとわかっていながら……蓮池の好意を嬉しく思っていながら、結局彼女を見ることは出来なかった。

 俺が瀬名を好きだった気持ちを、蓮池に転換することは、出来なかったんだ。

「……それはそれ、これはこれって気がするな」

「どういう意味?」

「俺のこと一生懸命好きになってくれる人がいようがいまいが、俺自身の気持ちにはあんまり関係がなさそう」

「揺れないんだ」

「……じゃないかな。相手にも寄るのかもしれないけど」

 北条は開いたままだった雑誌を閉じてふうん、とコーヒーを一口すすった。

「そういうことがあったんだ?」

「むかーし付き合ってた人がね。また付き合いたいとか言ってて。いろいろ悩んでた」

 みんな、プライベートがいろいろあるんだな。俺は現状特にこれと言ってプライベートに激動はない。と言うか、ここ数年ない。平和なものだ。あまりに平和すぎてどうかと思う。

「はよー」

「おはよーっす」

 遠野と藤谷が揃って入ってきた。遠野は眠そうに欠伸をしながら頭を掻いている。ファンが見たらどう思うだろう、こんなだらしない姿……。

「亮、眠そうじゃん」

「んー……まあ、ちょっと。遊びすぎ」

 俺のひとつ置いた隣の椅子を引きながら、遠野が苦笑いをして答えた。

「和弘、秋ちゃん元気」

 秋ちゃんと言うのは藤谷の彼女の名前だ。遠野は、藤谷の彼女とはわずかに面識があるようだった。

「元気ですよ。こないだも一緒に海行って。別に泳いだわけじゃなくて、歩いただけですけど」

「いいなあー、何か青春してるって感じだよなー」

「いーじゃないですか。自分は愛する妻と可愛い子供がいるんだから、今更青春するこたないでしょ。たまには青春くらいさせて下さいよ。そんな年でもないけど」

「はいはい」

「今ね、旅行に行こうねって話してるんですよ」

「旅行ー?」

「どこ?」

「や、まだわかんないす。けどほら、秋ってあんまり体が強くないから、あちこち行ったことないみたいで……」






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