第4話(6)
「Blowin’って、凄いって感じで……何か本当は如月さんと到底話するの緊張するって言うか……」
「全然そんなふうに見えないんだけど……」
「え!? ばりばり上がりまくってるですよ、あたし。あたふたしてるって言うか、キョドってるって言うか」
どの辺がだろう……。大体、何で俺相手に緊張しなきゃならないんだろうか。
「やっぱ、Blowin’って、あたしここ来る前から普通にテレビとかで知ってるし。曲とか……かっこいいなあって思ってて……だからやっぱ、びっくりします」
「ああ……そう? ありがとう」
それなりに売れてきて安定してきたような空気感は何となく……感じては来ているんだけれど。仕事も増えたし、売上も伸びているし。
けれど、自覚をすると言うのはなかなか難しいものがあったりして。
俺自身は別に変わるわけではないから、こういう……世間の目の変化、というのは不思議な気がする。
「如月さんって、音楽どんなの聴くですか」
「音楽?」
「好きなアーティストとか、影響受けたとか……そういうの」
短くなった煙草を灰皿に押し付けて、俺は煙を吐きながら視線を宙に彷徨わせた。「これ」という明確なものがあるのだが、かなり古くて更に言えばマニアックなので、知ってる人間に遭遇したことが一度しかない。
「ギタリストで言えば……」
とりあえず、海外のギタリストの名前を3人挙げた。早弾きで有名なイギリスのロックギタリストと、重厚感のあるメロディアスなギターを弾くアメリカのギタリスト、そして渋いサウンドのアメリカのジャズギタリストだ。
「へえ。ジャズとか聴くんですか」
「あんまり聴かないけどさ。嫌いじゃないし、あの人のギターはかっこいいし」
「じゃあ、バンドとかだと……」
煙草の灰を灰皿に落としながら広瀬は有名なイギリスのロックバンドの名前を挙げた。
「うん、そう。そういうの好き。一番影響受けて凄い好きなバンドがあるんだけど、誰も知らないんだよね」
「へえ? 誰ですか」
「多分知らないと思うけど……SPINA FARMっていうイギリスのバンドで。俺が小学生くらいの時かなあ、多分……。今も3年に1回くらいアルバム出るけど、凄いマニアックで情報が全然入ってこないんだけどさ」
「え!? 知ってるです、あたし」
広瀬が目を丸くした。
「え、知ってんの?」
「はい。アルバム持ってますよ。好きで」
「……マニアックな人だね」
何か、凄ぇ、嬉しい。
海外でもマニアックなインディーズバンドなんて、日本では本当に知ってる人は少なくて。
「あたし、昔ホント音楽全然知らなくて。突然これはいかんとか思い立って、ジャンル問わずでCD買い漁ってた時期があるですよ」
「へえ」
「そん時にたまたま入ってて。あたし的にヒットだあって思って、そっからハマってます」
「じゃあアルバム全部持ってたりすんの」
俺の問いに、広瀬は苦笑いを浮かべた。
「もちろん、と言いたいですけど。1つだけどーしても見付からず、未だ幻と化してるアルバムがあります」
「どれ」
広瀬の挙げたタイトルは、SPINA FARMのファーストアルバムで、元々カセットテープで販売されていた物だ。何年か前にCD盤として復刻はしたのだが、プレス枚数そのものが恐ろしく少なく、当然流通も限られ、速攻廃盤と化したのでリアルタイムに入手しようとした俺でさえ入手が困難だった。後から欲しいと思って探しても、見つけることはかなり至難の技だろう。
「あー、あれね……。貸そうか」
「え!?」
「俺、持ってる」
「まじですかッ。……あ、でも、いいんですか」
「何で。別にいいよ。返してくれれば」
「そりゃ返しますけど」
「俺逃したら次に入手してる人間探すのって、凄い困難だと思う」
「貸して下さい」
広瀬はいきなりきちんと背筋を伸ばして、ぺこんと頭を下げた。
「いいよ。どうしようか……Opheriaっていつまでここでレコーディング予定してるの」
「あ、ええと、あと5日の予定で……あたしはずっと来る感じで」
「そう。じゃあどっかで余裕見つけて、俺ここ持ってくるから」
「すみませんー、何かご迷惑……」
「別にいいよそんくらい」
「けど、Blowin’って今、外部スタジオですよね」
申し訳なさそうな上目遣い。広瀬って目がでかいなあ……。
「そうだけど。別に伊豆でやってるとかって話じゃないから平気だよ」
「……い、伊豆って……」
「普通に代官山だから」
「えええええと、じゃあ、是非宜しくお願いしますです」
「承りました」
小さく笑って答える俺に、広瀬がぱっと顔を紅潮させた。その嬉しそうな顔に、本当に好きなんだなと言う気がして、俺も嬉しくなった。
滅多に知っている人のいない、俺の中で最高のアーティスト。
同じものを好きでいてくれる人を見つけたことが、単純に、嬉しかった。
なし崩しに広瀬にCDを貸すことになった俺が、再び事務所を訪れたのは4日後だった。
当然だが俺だって別に暇しているわけではないので、アルバムが最終段階に差し掛かっている現在なかなかふらふらと代官山から新宿まで抜け出る時間がなく、今日の夕方最後のギター録りが終わったので少し時間をもらって出て来たんである。
……ギター録りが終わったったって、オーバーダビングはこの後まだやんなきゃいけないし、別に終了してるわけじゃないんだけど。
「あ、如月さん」
事務所に入るといきなり声をかけられた。MEDIA DRIVEがロビーのソファにたまっている。
「あ、おはよ」
「おはよーざいまーす」
「おはよっす」
「何してんの」
むき出しのまま手に持ったCDで首の辺りを意味もなく叩きながらそちらへ近付く。
「や、打ち合わせあってー。終わったんで、これから渋谷のスタジオ入るんですけど、ちょっと休憩」
「ふうん」
「如月さんは?」
二宮が肩くらいの長さの赤い髪を揺らして尋ねる。大きな目の、目鼻立ちのはっきりした顔をしているのだが、今ひとつ美人と呼ぶには……どうなんだろう。別に俺には関係ないんだけど。明るくて良いんだけど。
「俺は別に……私用」
「あ、如月さん、Opheriaって知ってるんですか?」
西村がソファから体を起こして尋ねる。
「あんまり知らないけど……何で」
あんまりと言うか全然知らないと言うか……上原以外の人間は未だ顔も見たことがない。あるのかもしれないが、それと認識していない。
「Opheriaって可愛いっすよー。俺らここんトコ、上の会議室で会議すること多かったんですけど、Opheriaって上で録ってるじゃないすか。結構みんな可愛くって。特にヴォーカルのちっちゃいコ。髪の短い」
「……」
上原じゃないか。
「如月さんが連れてたコですよね、Opheriaのヴォーカルって」
日澄が切れ長の目を細める。そうだった。上原を連れてきた日に、日澄とは遭遇しているんだった。
「ああ……上原な」
「そう。あのコ、最近可愛くなりましたよね」
「……そう?」
「前に会った時より断然ですよ。隼人が盛り上がってます」
「ふうん……」
最近と言われても、会っていないのでコメントに困る。まあ確かにこの前会った時は、前より随分綺麗になったとは思ったんだけど……。
「Stabilisationが狙ってるとかって話だよね」
ミルクティの缶を指で弾きながら二宮が言った。前にもどこかでそんな噂を耳にしたのを思い出す。
「やっぱ俺と池田くんじゃ、池田くん?」
「そりゃそーでしょ」
「うっそ、まじで」
そんなやり取りを苦笑して聞きながら、俺は階段に向けて歩き出した。
「んじゃ」
「あ、お疲れっすー」
MEDIA DRIVEの声を背中に受けながら階段を上る。何だか上原は密かに若手男性陣の好感を買っているようだ。まだデビュー前だからともかく、デビューしてから変なのに引っかからなければ良いんだけど。
あと2〜3段で上りきる、というところでリハスタのドアが開くのが見えた。広瀬だと助かるんだがと思いつつ見ると、知った顔ではなかった。やや背の高い、ほっそりとしたショートカットの女の子。黒目がちの大きくない目が優しそうだ。Opheriaのメンバーだろうか。
彼女が俺に気がついて頭を下げたので、俺も2階に足を掛けながら頭を下げた。ちょうどいいや、彼女に広瀬を呼んでもらおう。いなければ渡してもらえばいいし……。
「Opheriaの人?」
「あ、はい。おはようございます」
「おはよ。広瀬って、今いる?」
「はい。呼んできましょうか」
「ごめん、お願いしていい?」
「はい」
外側の防音扉を開けたまま、彼女は内側の扉を押し開けて、顔だけスタジオに突っ込んだ。その間に俺もドアのそばまで歩いて行く。窓から中の様子が見えた。
「紫乃ちゃん。Blowin’の如月さん」
名乗ってないんだけどな、俺……。
こうやって見も知らぬ相手が俺の素性を知っていると言うのは、未だ慣れない。
彼女の言葉に反応して、他2人くらいの女の子と何やら床においた譜面か何かを覗き込んでいた広瀬が、ぴょこんと顔を上げるのが見えた。ぱっとこちらを見て、笑顔になる。立ち上がってこちらに向かってくる姿が見えたので、俺は少し窓の位置から体をずらした。
「ありがとう」
呼んでくれた子に礼を言い、彼女が出て行くと後を追うように広瀬が出てきた。
「如月さん」
「お疲れ。今平気だった?」
「はい。全然」
左手に持ったCDを差し出すと、広瀬は丁寧に両手で受け取って顔を輝かせた。
「むき出しで悪いんだけど」
「そんなー。嬉しいですー。……やだな、本物だよ」
……偽物持ってきても仕方ないだろう。
「嬉しいー。ありがとうございますー。ホントはあたしが取りに行くべきなのに、持ってきてもらっちゃってるし。ホントすみません」
「別に。俺、車だし。……返すの、いつでもいいよ」
「ありがとうございますッ」
ぺこんっと勢い良く頭を下げた広瀬は、顔を上げるなり「そうだそうだそうだ」と早口で呟いた。その横を、どこに何をしに出ていたのか、さっきのコがもう戻ってきて中に入って行く。
「あたし、しばらくOpheriaでサポートやることになって」
「え? そうなの?」
「はい。……で、だからあたし、Opheriaのレコーディング終わってもここでまだしばらくお世話になる感じで。だからその、今後も宜しくお願いします」
「あ、はあ、こちらこそ……」
丁寧にきっちり頭を下げられてしまったので、俺もつられて右手を頭にやりながらきっちり頭を下げてしまった。ペースに捲き込まれるな……。
「ああ、じゃあ、俺らももうじきレコーディング終わったら、今度ツアーの会議とかでこっち来ることしょっちゅうあるだろうし。広瀬も事務所いることあるだろうから、まあまた会った時にでも返してくれれば」
「はい」
広瀬が破顔したところで、視界の隅、リハスタの中のレコスタから続いている方のドアが開くのが見えた。上原がリハスタに入ってくる。俺の視線に気がついて、広瀬もつられたように中を見た。
「あ、そう言えばこないだ、飛鳥ちゃんに用事でしたよね。呼んできますか」
「ああ……」
頷きかけて、上原が不意に顔を上げる。目線が合った。驚いたような顔で口を動かしている。こっちに来るかと思ったのだが。
(あれ?)
不意に上原が表情を曇らせた。ぎこちない笑顔を向けて、ぺこんっと頭を下げると元来たスタジオの方へ消えて行く。……なんだ?
「あれ? ……飛鳥ちゃん、行っちゃった」
「……みたいだな」
「……どしたのかな」
困惑したような表情で広瀬が俺を見上げる。そんな顔をされても、俺は何も知らないんだけど。
「さあ。……ま、いいや」
「……いいんですか」
「うん、別に。問題ないってことなんだろ。……じゃあ、俺行くわ。そろそろスタジオ戻んなきゃまずいし」
「あ、はい。ありがとうございました」
広瀬に背を向けて階段を降りる。せっかく上原、タイミング良くいたんだけど……。
俺を見て、上原の表情がふっと曇ったのをぼんやりと思い出した。
(……どうしたんだろう)
問題なくやっているんだったら……それは、それで、良いのだけれど。