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White Road -Side A-  作者: 市尾弘那
20/58

第4話(5)

 恋愛が仕事に及ぼす影響ってのは良し悪しだ。

 恋愛がうまく回っている時は結構仕事なんかも良く回転したりするけど、キツイことがあった時とかは仕事も調子が悪くなっていったりする。

 良ければ良いけど、どうなるかわからないようなそんなギャンブル性の高いものを、Blowin’にとって一番大切なこの時期に持ち込みたくはない。特にこんなメンタルな仕事をしていると、恋愛の精神面に及ぼす影響は顕著だ。出来る曲も出来なくなるし、ギターの音にも悪影響を及ぼすような事態は避けたい。

「Blowin’が、大事な時期だから。恋愛してるどころじゃないって感じで」

「けどさ。……恋愛って、気がついたら始まってるじゃん」

「……」

「厄介だよな……。好きになろうとか、やめようとか……そういうコントロール、いっさい通用しなかったりするからなあ……」

 え?

「凄い頭くることとかあっても、じゃあやめたとかってわけにもいかないし……。始めるとかやめるとか……そういうの自分で決められりゃあもっと楽なんだけどな……」

 ええええ?

 何か偉く、主観的じゃないか? 自嘲的と言うか。

「何があった?」

 横目で遠野を見ると、遠野はややバツの悪そうな顔をした。

「俺さあ……」

「うん」

「……」

「……」

「……やっぱ、何でもないんだけど」

「……」

 まあ、言いたくないなら別にいいんだけどな。何かあったとしたって、子供じゃないんだし自己責任なわけで。いちいち友達に相談するような年でもない。

 プレイヤーとアンプ、スピーカを勝手に積み上げてつないだ遠野は、コンセントを挿して電源を入れると小さく「よし」と呟き、満足げにCDを挿入した。割と古典的なイギリスのロックバンドの聴き慣れたメロディが流れ始める。

「にしても、いよいよケイちゃんたら進退窮まってきたんじゃないの?」

「何で俺が進退窮まんの?」

「追いかけてくれた女の子を放ってたあまりに、ついに彼女候補がみんないなくなっちゃった」

 ……。

「彼女にしたかったんなら、とっくに何らかのアクションしてるよ」

 それに別に俺自身、切羽詰ってるつもりはまるでない。

「果たしてケイちゃんが惚れてる女の子ってのは、誰なんだろうなあ……」

「だからいねっつーのに」

 LRのスピーカの間に座り込んで音を聴いていた遠野が、ふっと顔を上げた。

「何かライブな感じだね」

「フローリングで反射してるからだろ。家具とかそういうのもまだ全然ないんだし。物入れたりしたら、もっとデッドになるだろ」

「……何かさあ……変わってくんだな」

 音楽を聴く、そのままの姿勢で呟いた遠野の声は、スピーカから零れる掠れたシャウトにかき消されそうになった。

「……何が」

 千夏と蓮池のことを思い出して言っているのだろうとわかったが、敢えて尋ねる。先ほど千夏の話に出た、大江や岡井の現状も含まれているだろう。

「みんなさ……前に進んで……状況変わっていなくなったりとか。当たり前なんだけど……変わっていくのが嫌だつったって、俺らだって別に同じじゃないし。止められない流れに乗っちゃってる感じ」

 俺は、はっと息を吐いて目を伏せた。

「仕方ない。俺らの場合は、望んで乗っかってるんだから。……そうじゃなくても変わっていくものがあるんだし、変わっていかないものもあるし」

 ホワイトロード。

 不意にそんな言葉が浮かんだ。……上原の、歌だ。変わっていくもの、変わらないもの。

 続いていく白い道。

 それは、間違いなく人生と言われるもので、自分の手で描き、自分の足で軌跡を描いていく……白い、道。

――変わらずそばにいるよ

 そんなふうに歌った上原のフレーズが浮かんだ。

(変わらず、か……)

 続いていく白い道の上、俺は、遠野は……どんな軌跡を描いていくんだろうか。

 蓮池の泣いているような微笑み、千夏のすねたような表情。

 胸の奥で消えずに残る……瀬名の姿。

 流れ出す、止まったままだった時間。

 でも。

「……でも、悪いことばかりでもないはずだろ」

「え?」

「……変わるからこそ……」

 蓮池も千夏も、幸せの為に東京から出て行くんだから。


          ◆ ◇ ◆


 鍋をやってから遠くないうちに蓮池も千夏も引っ越して行き、俺と遠野は一応見送りなんか行った。元気でやっていってくれれば、それで良いと思う。

 新しい部屋の整理も大分片付き、ちらほら家具なんかも入れ終えた頃、アルバムのレコーディングの合間のオフで俺は事務所に向かっていた。

 レコーディングの方は結構順調で、昨日9曲目が終了したところだ。11月の終わり頃の発売を予定しているので、どうしてもウィンターカラーの曲になるのだが、世間は夏真っ盛りである。季節感ないこと甚だしい。

 それはともかく、俺らとほぼ同じ時期にレコーディングを始めたOpheriaも、何曲録っているのかは知らないが、そろそろレコーディングが終盤に差し掛かっているはずである。上原がゴーストバンドの中でどうしているのか気になったので、少し様子を見に来たのだった。

「……はよーざいます」

 事務所に入ると受付の山根さんと目が合った。

「おはよーございます、如月さん。どおしたんですかー?」

「や、どうしたってわけでもないんだけど……」

 どうしたと聞かれるとひどく困るな……。

「今日Blowin’はオフじゃないでしたっけ」

「あ、はあ。そうなんですけど、ちょっと……」

 適当に答えながら階段を上がって行く。いなかったり忙しそうだったりしたら、それはそれでいいんだけど……。

 Opheriaは、サポートでキーボードをやっていた女の子が急に辞めてしまって、ばたばたしてるらしいと言う話を耳に挟んだ。上原がへこんでたり、大変な思いをしているんじゃないかと少し気になったんだが。

 リハスタに近付き、窓からちょっと様子を窺ってみる。中には3人ほど女の子がいたが、いずれも見知った顔ではなかった。上原はいないのかもしれない。それとも上原が録りなのかな……。

(どうしようかな……)

 別に約束したわけでもないし……帰っても良いんだけど。

 いつまでも覗いていると何だか怪しいので、とりあえず窓から離れて逡巡していると、背後から「あのう」と控えめに声をかけられた。

「え?」

「……中に入りたいなーとか思ってますけど。誰かにご用ですか?」

 慌てて振り返る。どうやら俺がドアに被る位置に立っていた為、中に入ることが出来なかったようだ。謝ろうと口を開きかけて、出てきた言葉が変わった。

「あれ?」

「あ……」

 相手も俺を見て驚いたように目を丸くした。いつだか、ロビーの自販機の前で放心していた女性だ。黒曜石のような瞳。名前、何て言ったっけ……。

「如月さん」

「……お疲れ。ええと……ごめん、何だっけ」

「広瀬です。広瀬紫乃」

 さらり、と髪が肩から滑り落ちた。艶のある綺麗な髪だ。

「そうだ、広瀬……さん」

「ヒロセでいーです。誰かに用事ですか? あたし、呼んできますけど」

「あ、いや……」

 上原が見たところいないので、呼んでもらいようがない。加えて言うと、用事などと言うご大層なことは何もないわけだし。

「大した用じゃないから、いいや。広瀬、何してんの?」

 大倉千晶はいないんじゃないだろーか。

 俺の疑問に広瀬は何だか微妙な表情で答えた。

「あ、やー……大倉さんは、今日は違って。今、Opheriaのサポートで入ってて」

「え? そうなの?」

「はい。……何か、急にキーボードの人いなくなったとかで凄い困ってるみたいで。ここも大倉さんと一緒で何か若い女性のキーボードがいいって話で。レコーディングに関しては別に良かったみたいなんですけど、あたし、手があいてるし……。それで」

「ああ、そうなんだ」

 辞めたサポートキーボーディストの穴埋めが広瀬なのか。確かに年の頃も近いし、大倉のやつもピンチヒッターみたいな感じのようだから、手は空いているんだろう。

「いーんですか? 誰も呼ばなくて」

「ああ、うん。……上原って、今いないよね」

「飛鳥ちゃん?」

 広瀬は言って頷いた。

「飛鳥ちゃん、撮影行ってると思います、今日。何か伝えるですか」

「いや別に……」

 顎に手を当てて、人差し指で掻く。撮影でいないのか……まあいいや。

「それじゃ……」

 言って俺は階段を降りた。広瀬の「お疲れ様です」という声を背中に受けながら踊り場に下りる。このまま帰るのもむなしいような気がして、自販機でコーヒーを買うとロビーのソファに腰を下ろした。

 ポケットを漁って煙草を取り出す。ローテーブルの上に放り出して缶コーヒーのプルリングを引いていると、2階の方から「お疲れー」という明るい声がした。続いて階段を降りてくる足音。

「ありゃ。如月さん」

 さっき上で別れたばかりの広瀬だ。ロビーでぼーっとしている俺の姿を認めて、階段の途中で足を止めた。

「ああ……もう帰るの?」

「はい」

 答えながら階段を降りてくる。

「昨夜の12時くらいからキーボードのオーバーダビングやってて……さっき、終わったから、とりあえず一度帰って休ませてもらおうかなと」

「そうなんだ。お疲れ。Opheriaのレコーディング、結構進んでるの?」

 言いながら煙草のパッケージを漁る。煙草を1本取り出すと、つられたように広瀬も肩にかけたリュックを床に下ろして俺のそばで立ち止まった。

「もうじき終わりって感じです」

 言って浮かべた笑顔がひどく元気がないように見えて、少し気にかかった。いや、全然知ってるわけじゃないから、本当に元気がないのかどうかは知らないが。

「何か憔悴してる感じだね」

「え?」

「徹夜明けのせいかもしれないけど」

 ライターで煙草に火をつける。広瀬は何も言わず、黒曜石のような瞳を俺に向けていた。

「あは。ちょっとプライベートで疲れてる感じです、どっちかって言うと。……あたしも一緒にもくもくして良いですか」

 ……もくもく。

「どうぞ……」

 広瀬が、床に置いたリュックのポケットから煙草を取り出した。緑色のパッケージから、メンソールの煙草を取り出して咥える。

「広瀬って、いつからキーボードやってるの?」

「ええと……鍵盤という話なら、3歳からです」

 生粋の鍵盤屋さん、というやつだろうか。

「凄いね」

「でも、ホントはヴォーカルです」

「え? バンドやってんの?」

「はい。たまたま、楽器屋さんのデモンストレーションで広田さんに拾ってもらって、今キーボードのお手伝いしてるですけど、ヴォーカリストだったりします」

「ああ、そうなんだ」

 煙草の灰を落としてコーヒーを一口飲んだ。それから立ちっ放しの広瀬に、向かいのソファを勧める。

「座れば? ……別に俺ん家じゃないけど」

「あ、すみません」

 広瀬が腰を下ろすのと入れ違いに、俺はポケットに手を突っ込みながら立ち上がった。せっかくだから何か飲み物を奢ってあげよう。

「何飲む」

「え? あ、そそそそそんなッ……。大丈夫ですよ」

 あたふたと言う広瀬に俺は少し肩を竦めて見せた。

「ひとりで飲んでるのも味気ない。……どれ」

「あ、あ、あ、じゃあええとええと……オ、オレンジジュースで……」

 言われた通りオレンジジュースを買う。

「何か健康的な朝って感じだよね」

「ありがとうございます」

 広瀬にオレンジジュースを渡してやると、元いた場所に座り直して置きっ放しの煙草を取り上げた。

「如月さん、飛鳥ちゃんと仲良しですか?」

 プシュッとオレンジジュースの缶を開けながら広瀬が問う。その言い方に苦笑した。

「仲良しって言うわけじゃないけど……。引きずり込んだのが俺だから。……だからちょっと気になって」

「ひきずりこんだ? Opheriaに?」

「うん……広田さんに紹介したの、俺だからさ」

「元々友達だったですか」

「や、俺の前のバイト先にいて……たまたまって言うか。別に大して知ってる間柄でもなかったんだけど」

「けど、たまたま如月さんと知り合いっていうのも、何か凄い感じですけど」

「え? 何で」

 そりゃあ俺にだって、「たまたま知り合い」な人間くらいいるだろう……。

「だって、如月さん、凄いから」

 凄いの意味を図りかねるんだが。

 困惑顔の俺に、広瀬は、うーんと顰め面をして考えるように言った。






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