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White Road -Side A-  作者: 市尾弘那
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第1話(1)

 カララン、とドアベルが鳴って中に入る。

 ダークブラウンの木製のカウンターの向こうに、見慣れたマスターの姿があった。

 元々どこか大手企業の社長を務めていたというマスターは、今でも威風堂々としていてかっこいい。だが、俺の友人の遠野亮とおの あきらの結婚式をここでやった時は、神父の真似事をするなどお茶目な一面を披露してくれたものだ。

「いらっしゃ……何だ、ケイちゃんじゃないか」

「お久しぶりです」

 俺は口元を綻ばせて、店の中に足を踏み入れた。

 3ヶ月前までは、俺はここ『EXIT』と言う喫茶店でバイトをしていた。

 20歳になる前から働いていたから、かれこれ7年半くらい勤めていただろうか。当時から完っ全な金髪だった俺を、良くもまあ雇ってくれたものだと思う。

 俺がギタリストを務めるバンドBlowinが所属事務所を移籍したことで仕事が俄然に忙しくなり、何とか音楽だけでも食っていけるようになりそうだったので、俺はここのバイトを辞めたのだった。

「相変わらず閑散としてますね」

 苦笑しながら、カウンターの一席に腰を下ろす。

 ダークブラウンのウッドで統一された店内は落ち着いた雰囲気で、場所も駅からそう遠くはなく悪くはないのだが、どうにも客に恵まれない。マスターが老後の道楽として始めたのでなければ、とっくに閉店していただろう。

「そう言うなよ。これでも可愛い店員を目当てに、少しはお客さんが増えたんだぞ?」

「可愛い店員?」

 俺はさして大きくない目を丸くした。……どこにも姿はないようだ。

「今、ちょうどおつかいに行ってもらってるんだ」

 言ってマスターは、俺の前にアイスコーヒーを置いた。猫舌の俺は、ホットドリンクがあまり得意ではない。7年半も一緒にいれば、当然マスターはその辺を熟知している。

「俺の後に入れたのは女の子?」

「そう。別嬪さんだぞ」

「悪かったね、俺は客を呼べなくて」

 ミルクだけをアイスコーヒーに流し込みながら苦笑いをすると、マスターは豪快に笑った。

「ケイちゃんは愛想さえ良きゃあなあ。女の子の客が増えたのに」

 反論しようとしたところで、再びドアが開いた。カラランという音に、長年働いてきた経験で条件反射的に反応してしまう。喉まで出かかった「いらっしゃいませ」を飲み込んで顔を向けると、小柄な女の子が入って来たところだった。マスターが笑顔を向ける。

「戻りましたー」

 全体的に小柄で、あまり女性らしい起伏に富んでいるとは言えない。その華奢な体に、カットソーとジーンズをラフに身につけている。顎くらいの長さにシャギーが入った髪。

「ああ、おかえり」

「あ、いらっしゃいま……せえええええええ?」

「……」

 彼女が『可愛い店員』なのだろう。

 とは、思うのだが。

「……どうした?」

 店に戻ってくるなり、客を見て後半のセリフが裏返ったとあればマスターでなくても驚く。俺だって驚く。何だ何だ?

「き、如月彗介きさらぎ けいすけ

 しかもフルネームでいきなり初対面の人間を呼び捨てにするのは、どうかと思うんだけど。

 そんなふうに思いながらあきれていると、不意にその顔に見覚えがあることに気がついた。気が付きはしたのだが、一体いつどこでどのように遭遇した顔なのかが思い出せない。

「知り合いなのかい?」

 マスターが俺に問う。どう答えたものか、言葉に詰まった。知ってるみたいな気はするけれど、覚えてないからやはり知らないと言っても過言ではないでしょう、とはなかなか言いにくい。

「あ、ひどい。覚えてない」

 彼女は俺の表情を読んで、抗議しながら店の中に入って来た。どん、とカウンターの上に両手で抱えてきた荷物を置く。マスターがそれを困惑した顔で受け取ると、中身をごそごそと冷蔵庫へ移し替え始めた。

「アスカさんはお元気ですか?」

「は!?」

 思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。アスカ?

「あの時のタクシー代とギターの修理代、お返しします」

 その言葉で、数年前の出来事が脳裏にフラッシュバックした。

 青山通り、歩道橋、ギターに入ったヒビ……『アスカ』。

「歩道橋転落女」

 ぼそりと呟くと、『アスカ』はあの時のようにがくりと首を項垂れた。

「……そういう認識?」

「他に認識のしようがない」

「一応覚えてたんだ」

「あの出来事そのものは忘れようがない。歩道橋をあんなダイナミックな降り方する人間を見たのは、後にも先にもあの時だけだし」

「……降りないってば、あんなふうに。意地悪ね」

 特に他意も悪意もないのだが。

「思い出したのか?」

「はあ、まあ一応は」

 カウンター下の小型冷蔵庫の前に屈み込んでいたマスターが、口を挟む。

「この人何年か前のクリスマスの日に、歩道橋の上から降って来たんですよ、俺めがけて」

「めがけてないですってば」

「何だ? 自殺癖でもあったのかい? 飛鳥ちゃんは」

「ないですってば……」

 何だか間違った認識が広がっていくような気がする……と呟きながら、『アスカ』はようやくエプロンを身につけて店員らしく身支度を整えた。

「あれ? でも何で俺の名前、知ってんの?」

 アイスコーヒーに向き直って一口飲んでから、そのことに気がつく。

 あの時俺は、いっさい名乗ったりしていないはずだ。名乗るような場面でもなかったし。

 『アスカ』は、ちらりと俺に横目で視線を流すと、どこか動揺したように微かに顔を赤らめてからぼそぼそと答えた。

「……Blowin’」

 なぬ?

「良く知ってるな、そんなの」

「そんなのってねえ……」

 こう言っては何だが、Blowin’は別に売れてるバンドではない。移籍前の事務所ではたいした仕事もせず、当然大してプロモーションもされずに終わったのだ。

 移籍後、ついこの前発売されたシングルのプロモーションを今の事務所が積極的に打ち出してくれたので、ようやくシングルのCMでその名前を耳にすることが出来る程度である。テレビなどの露出は、今のところいっさいない。俺のことを知るには、雑誌がせいぜいと言ったところだろう。

「だって、たまたま雑誌見ててびっくりしちゃったんだもの。……で、何でBlowin’の如月彗介がこんなところにいるの?」

 観葉植物に水をやりながら言った『アスカ』の言葉に、マスターが口を挟んだ。

「こんなところはないだろう……。ケイちゃんは、飛鳥ちゃんの前にここでウェイターをやってたんだよ。ケイちゃんが辞めて、人がいなくなったから、飛鳥ちゃんに入ってもらったんだ」

「へえ!! そうなんですか?」

 それからマスターは俺に向き直った。

「彼女は上原飛鳥ちゃんと言ってね、今高校3年生なんだ」

「え? 高校生?」

 それじゃあ昼間は、今はマスターだけなのだろうか。そんな俺の疑問を読んで、マスターは肩を竦めた。

「平日の昼間はもうひとり、別のコが入ってるよ。ケイちゃんみたいな感じの男の子でね」

「……俺みたいってどんなんです?」

「ぶすっとしててね」

 あのなあ。

 新しく客が店に入ってきて、上原は水とおしぼりを持ってそちらへ向かった。2人連れのサラリーマン風の男性だ。マスターが冷蔵庫を閉じて立ち上がりながら、俺に問う。

「仕事はどうだい?」

「まあまあです。何か今更、ようやくスタートラインに立った感じですけどね」

「そうか。大変かい」

「うーん……もっと忙しくて大変になれれば良いなあとは思ってますよ」

 煙草を取り出して咥えながらそう答えると、マスターはうんうんと頷いた。……ああ、そうだ。俺は隣のストゥールに放り出してあったショルダーバッグを掴んで、中を漁った。

「マスター、ホットツー」

「あいよ」

 1枚のCDを取り出して、マスターに差し出す。ホットコーヒーをカップに注ぎながら、マスターが目を丸くした。

「何だい」

「この前出たシングル」

「えッ聴きたいッ」

 コーヒーを受け取りにこちらへ戻ってきていた上原が、突然脇から口を挟んだ。お前には言ってないんだけど。

「何だ、くれるのか」

「マスターにはお世話になってるから。良かったらもらって下さい」

「ありがとう」

 完全に聞き流された上原が、ややむくれながらカップをトレンチに乗せて客席に去って行くと、マスターは俺の手からCDを受け取ってしみじみと眺めた。

 ジャケット写真は、ヴォーカルの遠野だ。俺がバイトしている間、四六時中ここにやってきていた遠野はもちろん、ベースの北条思音ほうじょう ことねと出会ったのもここだし、ドラムの藤谷和弘も遠野の結婚式の際にマスターと会っている。つまりマスターは、ウチのメンバー全員を知っている。

「お。これ、亮くん?」

「そう」

「こうしてるとプロみたいじゃないか」

 ……プロになったんですけど。

「ね、かけちゃ駄目ですか?」

 戻って来た上原が、しつこく食い下がった。喫茶店でジャパニーズロックをBGMにかけるのは、あまり趣味が良いとは言いにくいんじゃないだろうか……。

「飛鳥ちゃん、これ聴いた?」

「聴きました。ってか、持ってます」

 え。

「嘘」

 驚いて俺が問い返すと、上原はふふんと偉そうに胸の前で腕を組んだ。

「褒めて下さい」

「ありがとう」

 知り合いでもなく、自発的に買ってくれた人間にお目にかかるのは初めてだ。

「ちなみに、その前のアルバムとかも持ってます。アルバム1枚とシングル2枚。あってる?」

「……あってる」

 凄い。何者なんだ、上原。

 マスターも驚いたように上原を見遣った。自分の分と上原の分のコーヒーをカップに注ぎながら、口髭を撫で付ける。

「何だ、飛鳥ちゃんはケイちゃんのバンド好きなのかい」

「好きって言うか……好きです」

 何だそりゃ。

 もごもごと答えて、上原は、はは……と笑った。

「何で買う気になんてなったの。Blowin’なんて」

「べ、別に……」

 どこに隠す必要があるのかはわからないが、軽く口篭って上原は言葉を濁した。教えてくれても良いと思うんだけど……まあ、いいけど……。

「どうだい、ケイちゃんのバンドは」

 言って、マスターがカップをひとつ、上原の前に押し出す。上原は礼を言って受け取りながら、俺の隣をひとつ空けたストゥールに腰を下ろした。

「いいですよ。曲がかっこよくて」

 Blowin’の作曲を担当しているのは、9割俺である。やはり素直に嬉しい。

「演奏うまいし。でも、Blowin’ってみんなゴーイングマイウェイって感じの演奏しますよね」

 後半のセリフは俺に向けて、上原が言った。

「それって、まとまりがないとか言わないか?」

「そうとも言うかもしれないけど」

「バンドとしてひどく問題じゃないか」

「……ええと、オチとしてはちゃんとまとまってるから、良いんじゃないですか」






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