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White Road -Side A-  作者: 市尾弘那
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第4話(2)

「じゃあせっかくだから、何か歌ってよ」

「は!?」

 ふと思いついてそんなふうに言うと、上原は目をむいた。

「やだよッ恥ずかしいッ」

「……歌を商売道具にして食っていこうとしてる人間が人前で歌うのを恥ずかしがってどうする?」

「人前で歌うのは良いの!! 如月さんの前で歌うのが恥ずかしいって言ってんじゃん」

「……それは、俺は人の範疇に所属してないという挑戦と受け止めるけど」

「受け止めないでよ」

 何だか、いつもこんなやりとりをしてしまっているような気がする……。

 俯いてぶつぶつ言っていた上原は、やがて観念したように大きく息を吐いた。

「……じゃあ、アルバム曲で一番気に入ってる奴……歌う」

「うん。聞かせてよ」

「……」

 上原の顔が微かに朱に染まった。何だ?

 俺の困惑に気がついたのか気がついていないのか、上原は姿勢を正して深く息を吸い込んだ。ので、ともかくも上原の歌を聴かせてもらうべく、壁に背中を預けて上原を見つめる。何だろう。短い期間なのに……何だか本当に綺麗になったよな。そういう年頃なんだろうか。

 ゆっくりと呼吸を繰り返し、瞳を閉じると、「ホワイトロード」と呟いて上原はそっと歌いだした。


     柔らかな癖のないあなたの髪に そっと触れてみる

     少し伸びたかな 

     あたしの気持ちに気がついていないよね そっと胸の奥

     いつの間にか芽生えたこの想い

     いつか 伝えられたら


     不器用な態度のその裏に 優しさがつまってるの 知ってる

     夢を追いかけるその瞳 いつでも前を向いているその姿が……


     出会ったあの日の偶然 あなたはもう忘れちゃったかな

     クリスマスの夜 不意に神様がくれたあなたとの運命

     あの日から多分 あなたのことが好きだった

     舞い散る雪の花びらの軌跡 これから築いていく未来を

     あなたとともに 歩いていきたい そう願ってるよ

     降り積もる想い出の上に この白い道を……



     変わらないその仕草と 変わってくみんなの夢と

     共に見ていた世界を今も見つめる瞳探して


     いつまでも同じじゃいられないと 寂しさがつまってるの 知ってる

     ねえ あたしがいるよ 変わらずにそばにいると誓えるのに


     走り抜けた日々の思い いつかきっと話してくれるかな

     年の差の分 大人びたあなたとの距離に不安もあるけど

     これからもきっと あなたのことが好きだよ

     あなたと出会えたこの奇跡 巡り会えたからこそ

     悲しい夜も 輝く朝も 全て始まった

     

     出会ったあの日の偶然 あなたはもう忘れちゃったかな

     クリスマスの夜 不意に神様がくれたあなたとの運命

     あの日から多分 あなたのことが好きだった

     舞い散る雪の花びらの軌跡 これから築いていく未来を

     あなたとともに 歩いていきたい そう願ってるよ

     降り積もる想い出の上に この白い道を……


     どこまでも続く真っ白なこの道の軌跡を……


     

 ……驚いた。

 俺は軽く目を見張って、上原の歌声を聴いていた。上原の上達は、俺の想像以上だった。ライブハウスで歌っていたあの頃とは既に別物だ。この数ヶ月でこれほどに伸びるものなのか。

「……どうだった」

 何をそれほど照れているのか、恥ずかしそうに手を頬にあてながらもぞもぞと言われて、俺は我に返った。

「凄い。俺、驚いた」

「……」

「凄い、良かった」

「……ほんと?」

 拍子抜けしたような表情をしていた上原は、やがて嬉しそうに首を傾げた。

「うん。驚いた。こんなに上手くなるとは思わなかった」

「ひどいなあ」

 くすくすと苦笑して手を後ろで組むと、俺から視線を外しながら呟くように言う。

「でも、如月さんに褒められると、嬉しいな」

「何で?」

「何でって……別に、褒められれば嬉しいじゃないよ……」

「そりゃそうだけど」

 だったら俺って指定することないだろうと思うんだけど……まあいいけど。

「曲、作ってるの?」

「あ、ううん……もう、違う人が作ってくれてて。そのうち……いつかまた、自分で作ったの歌わせてもらえばいいなあとは思ってるけど……」

「そうだな」

「うん。けど、この曲だけ凄い……『あ、あたしだ』とか思って……好きで。気持ち込められるから……」

「ふうん?」

 とは言っても上原の歌声とメロディにばかり耳がいっていて、歌詞の方は俺はそんなにちゃんと聞いてたわけではないのでコメントが難しい。とりあえず、ありがちと言えばありがちな恋愛の歌だったような気がする。

 ……恋愛の歌か……。

「そういうやつが、いるんだ」

「え?」

「気持ちを伝えたい、みたいな」

 そういう歌だったよな? 合ってるよな……?

 違ったらどうしようなどと不届きなことを思いつつ尋ねると、上原はこくんと頷いた。

「……いる」

「へえ」

 答えながら、微かに胸の奥が音を立てた。何だろう……少し、寂しい、ような。

 娘が嫁に行く父親のような心境だろうか。……あほか。俺はまだ27だぞ。

「じゃ、届くように頑張って歌うんだな」

「……うん」

 ドアに向かって今度こそ歩き出した俺の背中を追いかけるように上原が言った。

「サンプル、出来たらもらってくれる?」

 おう、と言いかけてやめる。微かに顔だけで振り返って、俺は微笑んだ。

「買うよ」

 1枚でも多く、Opheriaの――上原の、実績に、繋がるように。


          ◆ ◇ ◆


 ……新しい部屋が決まってしまった。

 本気で引っ越そうと決意を固めたのが、6月。

 アルバムのレコーディングを続けながら、とりあえず裏仲さんに相談してみた俺に対する答えはこうだった。

「如月くん、引っ越すの? やっと引っ越す気になってくれたんだー」

 ……やっとって?

「僕もいいかげん、言おうと思ってたんだよね。ミュージシャンなんて商売柄、変なのに好かれることも多いんだから、あんな安全性の低いアパートはそろそろやめてって」

「……」

 そんなこと考えてたのか。

「でも、俺、別に場所変えるだけで、そんなに部屋のランクって言うか……そういうの変えるつもりないんですけど」

 ぼそりと言うと、裏仲さんは身を乗り出した。

「何言ってるの、駄目だよ!! オートロックくらいはついてるとこにしてくれないと。大体、ウチのアーティストたちは認識が低いよその辺り。Blowin’は今や人気バンドと言って差し支えないところまで来てるんだよ? なのに亮くんは平気でふらふら電車乗ろうとしたりするし」

 人気バンド……ってほどでもないと思うんだが。

 ありありと顔にそう書いてあったらしく、裏仲さんは俺に人差し指を突きつけた。

「ほら。また『そんなことないだろ』って顔してる。自覚が足りないんだよ自覚が。まったく。決めた。僕が如月くんの住むマンションを探してあげる。如月くんに任せておくとどうせろくでもないところ決めてくるから」

 そして言うが早いか、2週間後には物件を見つけ出し、連れて行かれ、契約を交わし、3週間後には引っ越す羽目になっていた。仕事の早さにあきれ返る。

 蓮池には、引っ越す1週間くらい前に、一応話に行った。黙って俺が引っ越すと言う話を聞いていた蓮池は、そっか、と寂しそうに笑っていた。

「……わたしのせい?」

 ぽつりと聞いたその声はひどく儚くて、掠れていた。

「まさか。……少し、名前が売れてきたから。セキュリティ高いところに引っ越せって事務所に半強制されて」

 嘘ではないだろう。

「蓮池も、もっとちゃんとしたところ住んだ方が良いよ。危ないし……もう……何かあっても、俺、助けてやれるかわかんないし」

 俺の言葉に、蓮池は短く頷いた。結婚するとか、引っ越すとか、それきり会っていないからどうすることにするのかまでは俺は知らない。

 新しい部屋は自信満々でオススメされただけあって、以前の住居とはあらゆる意味で比較にならなかった。12階建てマンションの8階の角部屋で、見晴らしは良いし日当たりも良い。洋間が2つあり、広いリビングとキッチンがついている。当然、金額も以前とは比較にならない。

 そんなわけで、新居に引越しをしたのは7月の頭のことだった。

 とは言っても、それほど激しく場所を移動したわけではない。前は新宿7丁目に住んでいたのを、5丁目に移っただけである。元々狭いアパートに住んでいたせいでろくに家具があったわけでもないし、この際だからいろいろ新しく買うことにしたので引越しの荷物はまるでない。大体俺はベッドすら持っていなかった。

(買い物にでも行こうかなあ……)

 アルバムレコーディングの合間のオフに引越しを完了した俺は、午前中からあらゆる手続きを済ませ、ダンボールだけの部屋の中でカップラーメンを食べながらそう思った。

 一応、引っ越すに際して手伝ってくれると言う人もいるにはいたんだが、手伝ってもらうほど、運ばなきゃならない物も、しなきゃならないこともあるわけではない。結局ひとりで全てを終えてしまった。

 カップラーメンを空にして捨てると、車のキーを片手に立ち上がる。何にしても、まともな冷蔵庫とベッドと洗濯機くらいはさっさと買わなければ様にならないだろう。

 そもそも冷蔵庫は1メートルくらいの小型冷蔵庫しか持ってなかったし、洗濯機は置く場所がなかったので持っていない。ベッドだって置く場所はなかったから布団だったし、ベッドを買う以上古びた煎餅布団では何かこう……冴えないじゃないか……。

 それにこういう空間である以上、やっぱりテーブルなんかあるべきなんだろうか。別に今すぐじゃなくて良いけど、追い追いテレビボードだの、そういう家具も買った方が良いかもしれない。……金がかかって嫌だな。何せ貧乏生活が長かったもので、慣れない。

 エレベーターで居住者用駐車場に降りる。ここに引っ越して良かったところと言えば、駐車場がついていることだった。これはやっぱり、便利と言える。地下駐車場なので、車上荒らしにあったりもしないだろうし。

 車に乗ってエンジンをかけた状態で、どこへ行こうか少し悩んだ。あんまり馬鹿みたいに高いのは嫌だしな……かと言って、こういうのはケチるとろくなことにならない。大体、まともに家具なんか買ったことないから、よくわかんないんだよな……。

 ……。

 いいや、とりあえず『EXIT』でも行ってマスターに引っ越したことを言って来よう。

 車で『EXIT』に向かい、適当に駐車する。中に入ると、客が2組ほどいた。ちらりとそちらに目を向けて、カウンターに座る。

「いらっしゃい」

「久しぶりです」

 3月に来て以来、しばらく来ていなかったから4ヶ月ぶりくらいになる。カウンターの隅の方に、ひっそりと平泉が立っているのが見えた。俺の視線に気がついて、ぺこりと頭を下げる。

「上原の代わりの人は雇ったんですか」

 マスターが用意してくれたアイスコーヒーを受け取りながら尋ねると、マスターは軽く肩を竦めた。

「とりあえずシンちゃんが土日も入ってくれることになってね。一応それで蹴りがついてるよ。……飛鳥ちゃんは? 元気にやってるかい」

「さあ?」

 俺も5月頃、事務所のスタジオで会ったきりなので良くは知らない。あれきり事務所に行く用事があるわけでもないし。

「さあって……冷たいなあ。同じ事務所なんだろう?」

「会わないし」

「そういうもんかい?」

「そういうもん」

 すみませーん、という声がした。窓際でひとりで来ていた女性客だ。マスターがカウンターの内側から返事をして、顔を上げる。

「お水、もらっていいですか」

 平泉がウォーターポットを片手にテーブルへ行くのを何となく視界の隅で眺めながら、俺は口を開いた。

「マスター、俺、引っ越したんです」

「え? いつ」

「や、今日」

「……そりゃまた新しいネタだなあ」






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