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White Road -Side A-  作者: 市尾弘那
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第4話(1)

 見慣れない人がいる。

 事務所に入ろうとした俺は、自動販売機の前でぼーっとしている人を見てそう思った。

 そりゃあ別にこの事務所に出入りする人間、所属している人間全てを把握しているわけではないので別段不思議でもないんでもないのだが、何となく……異質な感じの女性だったので。

 別に、変な意味ではない。ただ、所属アーティストと言うには垢抜けないと言うか普通っぽい感じで、スタッフと言うにはアーティスティックな空気感で、どちらともつかない。

 背中の中ほどまで届きそうなさらさらの黒髪を下ろしっ放しにしている。Tシャツの上に薄いグレーのパーカーを引っ掛け、下は洗いざらしのジーンズというラフな服装だ。年の頃は……ハタチくらいだろうか。上原とさほど変わらない年頃に見える。

 Opheriaのメンバーだろうか。

 一瞬、そう思った。結局俺は未だに、Opheriaのフルメンバーを見たことがない。

 彼女が煙草の自販機を見つめたままぼーっとしているので、その自販機を使用したい俺も勢いその場で立ちすくむ羽目になった。声をかけようか迷っていると、幸い彼女の方が自発的に我に返ってくれたようだ。俺の気配に振り返る。

 黒曜石のような目をしていた。輝きを放つ、黒。少し目尻が上がり気味の大きな瞳が、俺を見つめる。

「あ……ごごごめんなさい」

 そんなにどもらなくても。

「いや別に……買うの?」

「あ、買おうかなって思ってて……けど何か、ちょっとぼうっとしてたって言うか……」

 言いながら彼女は、あたふたと握り締めたままの財布から小銭をつまみ出した。自販機に押し込んでボタンを押す。

「お待たせしました」

 取り出し口から煙草を取り出して、彼女は大慌てで俺に自販機の前を譲った。何か……独特な空気を放つコだ。

「……どうも」

 千円札を自販機に押し込んで、2個まとめ買いのボタンを押していると、自販機を離れて歩き出した彼女がロビーのソファの前でまたもぼーっと立ちすくんでいるのが目に入った。……何をしておるのだろうか。

 目的の煙草のボタンを押し、ごとんごとんと煙草が落ちてくる音を聞きながら彼女を見守ってしまう。

「……どうしたの?」

 思わず声をかけると、彼女は困ったように首を傾げるような仕草をしてから、俺を振り返った。

「あのう……」

「は?」

「ここ、煙草吸って良いですか?」

「へ?」

 煙草を取り出して1つをジーンズのポケットに押し込むと、もう1つのセロファンを剥がしながらそちらへ足を向ける。

「ここ、煙草吸ったりとかしても、平気ですか?」

「ああ、平気だけど……」

 言いながら俺は1本取り出してくわえると、火をつけた。何だろう、新人さん?

「新しい人?」

 尋ねると、彼女も煙草のパッケージのセロファンをはがして1本取り出した。火をつけて一口吸ってから、小さく「ど、どうだろう……」と呟く。

「ええと、新しい人と言えると思います」

「……そう?」

「はい。ただヒロセ……あ、広瀬紫乃です」

「……如月です」

 成り行きで自己紹介なんかする羽目になりながら、彼女の言葉の続きを待つ。

「ただ、ヒロセは所属アーティストさんとか、そういうのでは、ないですけど」

「はあ……スタッフさん?」

「ええと、大倉さんのバックです」

 スタジオミュージシャン、だろうか。大倉さんと言うのは多分、この事務所で唯一のアイドルである大倉千晶のことだろう。

「随分若いけど、スタジオミュージシャンなの?」

 煙草の背を叩いて灰を落としながら尋ねると、広瀬は眉根に皺を寄せて深刻な顔をした。

「スタジオミュージシャン……」

「……違うの?」

「多分違うと思います。ええと、バイトみたいなもんで」

「バイト?」

 バイトでスタジオミュージシャン……まあ、いないこともないけど……。

 どうも彼女はまだ業界慣れしていない感じで、本人も自分の立場をよく認識していない雰囲気だった。

「何か大倉さんのバックのキーボーディストさんが急病で入院しちゃったとかで。でも大倉さんはどうしても若い女の子のキーボーディストじゃないとイヤだって話で、で、たまたまお願いされたです」

 ……。

「たまたまねえ……」

 煙を吐き出しながら苦笑した。まあ、サポートで入るミュージシャンならそれなりの腕はなきゃいけないし、詳しくはわからないけど、多分時間もあまりないんだろう。で、若い女の子でルックスもまずくなく、時間のあるそこそこ腕の良いキーボーディストと言えば、そうそう都合良くごろごろしてないだろうし、無理矢理拉致されたと言うことなのだろうか。

「いつからいるの?」

「えと、3月くらいからで……あ、でもほとんど外のスタジオ行ってたりして、あんましここは来たことがなくて」

「ふうん。今日はどうしたの?」

「一応、大倉さんのライブが先月終わって、お給料出るから取りにおいでって言われて」

「ああ、じゃあ終わったんだ」

「終わったは終わったですけど……。でもまた大倉さんのライブあるからおいでとか言われて、だからよくわかんないです」

「ふうん」

 なぜ俺はこんなところでのんびりと立ち話をしているんだろう、と思いつつ煙草を灰皿に放り込む。

「Blowin’って大倉さんと同じ事務所なんですね」

「え? ああ、うん……」

 どうやら一応俺がBlowin’だとはわかっていたらしい。こういう時ふと「ああ、売れてるのかなあ」と思ったりして嬉しいような落ち着かないような気分になる。

「それじゃ……お疲れ」

「あ、お疲れ様です」

 広瀬を置いて階段を上がる。現在Blowin’は3rdアルバム『TERMINAL』のレコーディング中なのだが、今回レコーディングは外のレコーディングスタジオを借りて行っていた。と言うのも、現在Opheriaがデビューシングル及びその後に発売を予定しているアルバムのレコーディングに取り掛かるという話で、事務所内のレコスタを押さえているからである。

 なので実はこのところ、事務所の方にはほとんど顔を出していない。今日来たのも結構久しぶりだったりする。アルバムのレコーディングが終わるまで、しばらく事務所に来ることはないかもしれない。

 階段を上がりながら、どうしようかな……と考えた。

 リハスタに忘れ物を取りに来たのだが、レコスタを使用している時は大概、隣のリハスタが控室代わりのようになっていることが多い。レコーディングを進めながら、途中で変えたいところを試してみたり練習したりすることが可能だからだ。

 とすれば今、リハスタは十中八九Opheriaの控室化しているということで、つまり……女の子しかいないとわかっているリハスタというのは、非常に入りにくいような気がする。

 別に控室代わりと言ったって、着替えとかするわけではないんだから構いやしないのだろうが。

 どうしようかななどと思いながら、とりあえずリハスタの小窓の前に立ってみた。使用状況が見えるよう、リハスタ・レコスタ共に、廊下に面して幅1メートルほどの窓が取り付けてある。もちろん防音構造になっていて、合わせガラスが使用されている。

 中を覗いて、俺はあれ?と首を傾げた。えーと……人が……いないな……。

 誰かのリュックが床に転がっているので、使ってはいるのだろうが……Opheriaって5人になるんじゃないのか? にしてはあまりに荷物の数が……。

 こういう中途半端な状態だとは思わなかったので入ったものか悩んでいると、レコーディングスタジオから直接つながっているドアが開いた。……上原だ。

 こうして考えると久しぶりに会う。焼肉以来だから……3ヶ月ぶりくらいになるだろうか。ふっと顔を上げた上原は、俺に気付きぎょっとしたように体を引いた。それから何か口を動かしながらこちらに走ってくる。

「如月さんッ」

 防音扉を押し開けて、上原が飛び出してきた。顔が嬉しそうに輝いている。いつも思うが、上原は俺に会う時にとても嬉しそうな顔をしてくれるので、何となく俺も嬉しい。

「久しぶり」

「どおしたのー!?」

 少し髪が伸びただろうか。スタイリストさんがちゃんと目を光らせているのか、以前よりお洒落な感じになっていた。何だか……綺麗になったような気がする。

「や、ちょっとここに忘れ物したみたいで見に来たんだけど……」

「忘れ物? 何? 見て来てあげる」

「カポ」

「かぽ?」

「カポタスト……つってもわかんないか。えっと、こんくらいのギターにくっつける金具っつーか……」

 どう言やいいんだ? 大体お前、アコギ弾くだろう。何で知らないんだよ。

「Blowin’のロゴシール貼ってある」

「んー、見てみる……ってか入れば?」

「いいの?」

「いいよ、あたしだけだし……」

 だからどうして上原だけなんだ?

 お言葉に甘えてとりあえず中に入る。壁に寄せられているギターアンプに歩み寄って、その後ろ側を覗いてみた。……あった。案の定、アンプの上に乗せて、落として、気がつかずに帰ったんだろう。別にカポはこれしか持ってないわけでもないんだけど……。

「あった?」

「あった」

 カポを右手におさめて振り返る。それから小さく微笑みかけた。

「元気にやってるか?」

「あ、うん。……何とか、って感じかな……」

「ふうん? でもレコーディングに入ったってことは、広田さんのオッケー出たんじゃないの」

「……オッケーとはちょっと言えないんだけど」

「広田さんがプロデュースするの?」

 俺の問いに上原はかぶりを振った。

「ううん。フリーのプロデューサーで……崎山さんって人」

「そうなんだ」

 ともかくも、元気そうで安心した。今の表情を見る限りでは、それほどつらそうな様子ではない。気になったところで、俺はあんまり自分から連絡を取るのが得意ではないので……大体、上原の連絡先って以前かかってきた家電しかわからないし。

 とくれば、非常に連絡は取り難い。偶然会えた時に様子を見るしか、上原の様子を知る手段が俺にはなかった。

「何で他のメンバー、いないの?」

「あー……」

 きょろっと辺りに視線を這わせながら問うと、上原は少しバツが悪そうな顔をした。

「あのねえ……ここだけの話なんだけど……」

「うん?」

「Opheria、みんな演奏下手で。一応それらしくなるよう練習とかは凄いしてて頑張ってるんだけど……その、まだどうにもなんない感じで、でももうレコーディング入らないと間に合わないから……」

 ゴースト使うみたい、と上原は続けた。……おいおいおいおいおい。

「……まじ?」

「うん……。あたしだけは別の人に歌ってもらうわけにはいかないし……何か、情けない話なんだけど」

 確かに。

 はっきり言えば、俺の最も嫌いなパターンではある。広田さんに抗議をしたい。何て情けない状態なんだ。

 が、下手なのはOpheriaが悪いわけではないだろうし、無理矢理急仕立てでお膳立てしている事務所サイドに問題があるだろう。まさにアイドルバンドだ。演奏するフリをして可愛らしく立っていればそれで良いというわけか? ライブなんかでもゴーストが裏で演奏して当て振りにするんじゃないだろうな……。

 言葉を失った俺に、上原は情けなさそうな申し訳なさそうな顔で上目遣いに見上げた。

「……駄目なやつって、思ってる?」

「え? 上原を?」

「うん」

「何で? 別に上原が悪いわけじゃないんじゃないの。……それより、上原に悪かったなと思ってる。どっちかって言うと」

「え? どうして?」

 どうしてって……。

 そんな売り方するって知ってたら、上原を紹介なんかしなかったのに……。

「何かお前可哀想じゃん。実力ないバンドで、飾り物のヴォーカルやらされる感じで」

「あ、あたしは……別に……」

 上原はふるふると首を横に振った。前より伸びた前髪が動きにあわせて揺れる。

「チャンス、もらえて良かったって思ってるし……これからみんなで頑張って、最初は中身空っぽの駄目バンドでも、みんなで一緒に頑張って行ければいいなって思ってて……」

「……」

「だから、大丈夫」

 でも、これほど中身がないものが今の時代売れるだろうか。一瞬なら売れるかもしれないけれど、一発屋とかそんなふうになってはいかないだろうか。そんな先のことを心配していても仕方ないのはわかっているんだけど。そんなこと、俺たちのバンドだってわかったもんじゃないんだし。

「そうか……なら、良いんだけど」

「うん。大丈夫。あたし、頑張れるよ」

「嫌なこととか、困ってることとか……ないか?」

 何だか上原に申し訳なく、左手で口元を覆うようにしながら上原を見下ろすと、上原の顔が輝いた。

「心配してくれるの?」

「そりゃ……引きずり込んだの、俺だし……」

「ありがとう。ないよ、大丈夫」

「……なら、まあ……いいんだけど」

 それから俺はドアの方へ戻りかけて、足を止めた。

「あ、ごめん。何だか時間とらせちゃって」

「平気。今ね、ギターの人が遅れてて……待ち時間で暇だから、声出そうかなって思ってただけだから。如月さんこそ平気なの?」

「俺は平気。事務所寄ってくって言ってあるし。今頃藤谷がドラム録ってんじゃないか」

「そうなんだ」

 ウチのレコーディングは、曲作った段階で俺が簡単にデモを作って、全員でアレンジした後に長谷川さんが更にアレンジを加えつつプリプロを作る。レコーディングは、プリプロを聴きながら音を上書きしていくような形になるわけだ。これまでの経験では、長谷川さんのプリプロは作曲者である俺の意図と大きく外れることはないので、ほぼ信頼している。






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