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White Road -Side A-  作者: 市尾弘那
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第3話(4)

「家でさあ……落ち着いて仕事出来なくてさあ……」

 人差し指で頬をつついて煙でわっかを作りながら遠野がぼやく。

「俺が帰ると由依が寝てるわけじゃん? あんましバタバタ出来ないし、ましてCD鳴らすだのギター鳴らすだのってわけにいかないし。部屋借りようかなーとか考えたり」

「部屋ねえ……」

「収入少しは上がったし」

 先行ってるよー、という裏仲さんの声に片手をあげて応えると、遠野はますますソファに深く腰を落とした。おいおい、落ち着いてどうするんだよ。

「お、いいね。1枚いいかな」

 ぼーっと遠野と考え込んでいると、不意にそんな声がした。俺の現在のストレスの元、カメラマンの木島さんだ。カシャっと軽い音がしてシャッターが切られる。

 何を血迷ったか、8月頃に写真集を出すなどというたわけた話が持ち上がり、現在カメラマンの木島さんがちょくちょく現れては撮影を強いられているのだ。もちろん、『日常のワンシーン』的なもののみならず、ちゃんとした撮影も強いられるわけで、笑えだの視線はこっちだのと指示を下される。苦痛以外の何物でもない。

 俺はミュージシャンなのに、なぜ写真集などという音と無関係なシロモノを出さなければならない?というのが俺の素朴な疑問である。

 木島さんはこの後のゲネスタにも来るらしく……ああ、嫌だ。別に彼が悪いわけではないんだが。

「……何だよ」

 くっくっと体を折り曲げて笑う遠野の脛に蹴りを入れる。それを避けながら遠野は、尚も笑い募った。

「だって。すげえ嫌そうな顔してんだもん」

「嫌なんだよ」

「しょーがねーじゃん。これもファンサービスだって言うんだから」

 断固として断りたいが、広田さんや裏仲さんにそこまで意見出来る権力は俺にはない。いつかもっとでかくなった頃には、必ずそんな話は蹴ってやると心に誓っている。

「……行くか」

 煙草を灰皿に放り込んで、遠野が立ち上がった。俺も立ち上がって、ドアに向けて歩き出す。

「ふぁ〜。気持ち良いなあ……」

 駐車場で別れてそれぞれの車に乗り込んだ。来月には渋谷の公会堂で2Daysのライブがある。現在そのゲネプロと曲作りとスタジオ入りと写真集撮影が平行して行われている状態だ。

 ついでに言えば、2月の後半に発売された4枚目のシングル『Sand Castle』が、苦しみ抜いた成果か、最高4位を記録してくれたおかげで、テレビの収録や雑誌の取材がこのところ増えた。CMのタイアップがついた効果も相当あるだろう。しばらくは10位以内をうろうろしてくれて、Blowin’は軌道に乗ってきたと言える。……と、思う。俺は内側から見ているので、はっきりとはわからないんだけど。

 上原とは、焼肉に行って以来会っていない。事務所には来ているのだろうが、俺自身別に四六時中ロビーにいるわけではないし、事務所にいないことも多々あるのでどうやらすれ違っているようである。

 どんな状態なのか気にならないわけではないが、あまり必要以上に気にかけるのもどうかと思って広田さんにも特に打診はしていなかった。大体、俺が心配しなきゃならない間柄でもない。

 そんなことを思いながら芝浦へ向けて車を走らせていると、ふと不動産屋が目についた。

(やっぱり、引っ越した方がいいんだろうな……)

 ぼんやりと自分の古びたアパートの部屋を思い出す。実はこの間も、上原を送って部屋に帰った時にそんなことを考えた。

 今のアパートにはもう結構長い。ハタチになる年の1月に越してきたから、かれこれもう9年ほどだろうか。10年近い歳月をあの部屋で過ごしていることになる。

 治安が良いとは言えない新宿の一角にあり、老朽化の激しい汚いアパートだ。まさしくボロアパートという形容がふさわしいが、とりたてて不満があるわけではないので、何だかいついてしまった。

 だが、到底若い女性がひとり暮らしをするようなアパートではない。

 信号待ちでサイドブレーキを引きながら、蓮池の泣き顔を思い出す。

 俺のそばにいたいという一心で、仕事もなく友達もいない東京へ静岡から飛び出してきた蓮池が、あんな汚いアパートにい続けるのも、ひとえに俺があそこに住み続けているからだ。そして俺があそこにいる限り彼女はあそこを離れないだろうし、俺の隣に住み続ける以上は俺への気持ちを捨てきれないんじゃないだろうか。どうして俺みたいな取り立てて面白みのない人間にそこまで固執するのかは理解不能だけど、とにかく蓮池の気持ちだけは良くわかっている。

 信号が青に変わり、再びアクセルをゆっくりと踏み込みながら小さく息を吐いた。

 蓮池の為にも、俺はあそこを離れるべきだ。あれほど俺を想ってくれている彼女に俺が出来ることは、彼女の為にも離れてやること――あの日、そんなふうに考えた。

 決して、蓮池の気持ちが嬉しくないわけじゃない。俺という存在をあれほど明け透けに肯定してくれる存在が心強くないわけがない。

 けれど、応えてやる心積もりがない以上、その好意の恩恵だけを甘受するのは俺自身のエゴでしかないし、彼女だってこのままではいっかな先には進めないだろう。

 もちろんこれまで蓮池には俺の意思表示は何度もしているはずだし、その上での現状はあくまで彼女の意志なのだから別に俺がそこまで考える必要もない……むしろ余計であるのかもしれないけど、あれほど取り乱して思い詰めているのを見てしまうと、放っておくのはひどく卑怯なことのような気がした。

(どうして、俺なんだろうな……)

 俺が蓮池には振り向かないことを、重々知っているはずなのに。

 ゲネスタの駐車場に車を入れる。中に入るとロビーに藤谷がひとりで座っていた。

「他は?」

「何かメシ食うとか言って、2階の喫茶行ってますよ」

「お前何してんの?」

「一応彗介さん待ってたんですけど」

「そうなの? さんきゅ。俺、最後?」

「です」

 藤谷と並んで螺旋階段を上がる。このゲネスタの2階には簡単な食事が取れる喫茶室のようなものがついている。社食代わりでもないだろうけど、結構スタジオの人間も利用するしアーティストの利用も多いらしい。背の低いガラスの仕切りの向こうに遠野たちの姿を見つけて、そちらへ歩み寄る。

「おはようございます」

「おはようございますー」

 他の何人かの利用者に声をかけながらカウンターに近付き、アイスコーヒーをもらった。藤谷もコーヒーのカップを受け取っている。

「彗介と和弘、食わないの?」

「いらない」

「俺もいいっす」

 もごもごとピラフを食いながら尋ねた遠野に答えて、俺と藤谷も空いている席に腰を下ろした。サウンドプロデューサーの長谷川さんと裏仲さんも、コーヒーカップを手に遠野の向かいに腰を下ろしている。北条は遠野の隣だ。

「『FAKE』、やっぱラストやめないか」

「そう? 新曲発表はラストの方が良くない?」

「最後、やっぱ『message』の方が良いような気がして……長谷川さん、どう思います?」

「そうだなあ……」

 長谷川さんが腕を組んだところで、その後ろ……ガラスの仕切りの向こう側の螺旋階段を降りてくる何人かの姿が目に入った。GROBALだ。3人編成で、以前仕事で顔をあわせたことがある。

 休憩らしく、ぞろぞろとこちらへ向かって歩いて来るのをぼんやりと眺めていると、キーボードの大江一彦とギターの山根次朗に挟まれるようにして歩いていたヴォーカルの木村奈央が、俺の視線に気が付いて手を振った。

「彗介、お疲れーッ」

 別に走ってこなくて良いんだが。

「お疲れ」

「お疲れ様ですー」

 他の人たちにも挨拶をしながら、木村が俺のそばに駆け寄ってきた。北条に向かってにっこりと微笑む。

「おはよう、北条さん」

「おはよ」

 それに対し北条もにっこりと笑顔で応じた。なぜか空気が寒いのは俺だけなのだろうか。

「休憩?」

「そんなとこ」

 そのまま手近な椅子を引き寄せて俺の隣に座り込もうとした木村に、大江がカウンターから声をかけた。

「奈央、何飲む」

「レスカー」

「あいよ」

 山根もこちらに向かって目顔で挨拶をすると、そのままカウンターの椅子を引いて腰を下ろした。

「来月の渋谷?」

 ピラフをすくう遠野の手元を物欲しげに眺めながら、木村が問う。遠野がスプーンを口元に近づけてやると、ぱくんと口を開けてスプーンにかじりついた。

「そう。GROBALは」

「ウチは別にー。ただの練習だよ。今度パソコンのCM出ることになってねー。それの曲作りとかあってー」

「ふうん」

 ピラフを空にした遠野が煙草をくわえる。つられて俺も煙草のパッケージを玩びながら先ほどの話に戻ろうと長谷川さんに向き直りかけると、大江がレモンスカッシュを運んできた。木村に渡すと、俺たちに頭を下げて自分はカウンターへ戻って行く。

「ブレイン、新しいアーティスト入れたんだって?」

「え?」

 遠野が首を傾げる。

「さあ? 新しい人っていつの間にかいるから、よくわかんないよ」

「何か池田くんが、めっちゃタイプとかって騒いでたよ」

 俺はコメントを控えたまま、Stabilisationの池田の整った顔を思い浮かべた。

 上原のことじゃあないだろうな。……まさか。

 ……別に、良いんだけど。

「池田くんって誰です?」

 両手で頬杖をついた姿勢で藤谷が尋ねた。遠野が答える。

「Stabilisationだろ。キーボードの方。グランド系の顔したの、いるじゃん」

 そう言うお前も人のことは言えない。

「ああ……。へえ、じゃあ女性アーティスト? アイドルか何か?」

「まさか」

「けど大倉さんいるじゃないすか、ウチ」

「あれは彼女が特殊なんじゃないの……ああ、彗介」

「……え?」

 何となくぼーっと話の成り行きを聞いていたので、突然呼ばれて驚く。

「お前、何か知ってる女の子、広田さんに紹介するとかしないとか言ってたんじゃん? それじゃないの?」

「さあ」

「さあって……したんだろ」

「えーッ。彗介が連れて来たの!? どんな関係!? どんなコ!?」

 途端木村ががばっと立ち上がって詰め寄った。どんな関係と聞かれても。

「別に……知り合いだよただの。広田さんに紹介してくれって言われたから連れてっただけで、その後どうしたかは俺ほとんど知らないし」

「知り合いって?」

 火が点いたままの煙草の先で、灰皿の中の灰をなぞりながら遠野が首を傾げた。

「『EXIT』の俺の後輩」

「あれ? でも俺、前一度だけ行ったけど、何か彗介みたいなのがいたぜ」

 ……彗介みたいなのってのは何なんだよ。

「2人入れたんだよ」

「そうなんだ。そんなにいらなくない? あの店」

「そう言うなよ……」

「何? 何? 話が見えないッ」

 じれったそうに頭を振る木村に遠野が説明しようと口を開きかけたが、それより先に裏仲さんの声が割って入った。

「亮くん、そろそろ始めよう」

「あ、はい」

「んじゃな、木村。またな」

「うー……」

 木村に別れを告げて立ち上がる。ごちそうさまでした、とスタッフに挨拶をして、ぞろぞろと喫茶室を出た足を階段に向けながら、俺はぼんやりと上原を思い出していた。

 池田となんて、どこで会う機会があったのかな……。

 そう思ってから、Opheriaは上原の他に3人、サポートキーボードを入れて4人の女の子がいることに気がつく。そうだった。何も一足飛びに上原のことだとは限らないんだった。

 頑張ってるんだろうか。ボイトレや練習がつらくて泣いてたりしないだろうな。あるいは他のメンバーやスタッフとうまくいかないとか……。

 そんなふうに心配が胸を過ぎったが、上原の笑顔を思い出して大丈夫か、と思い直した。

 上原は、人の懐に飛び込むのが上手い。人間関係はきっと上手くこなしていくだろう。そう、少なくとも俺なんかよりはずっとその辺りは心配ないはずだ。

 元気に頑張っているのなら、良いのだけれど……。











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