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White Road -Side A-  作者: 市尾弘那
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第2話(5)

 結果、アレンジをする度「どれも違う」「こんなイメージじゃない」ということの繰り返しだ。先に進まずに、ひたすら同じ場所で足踏みをしている。

 コード譜を取り出して、俺は座り込んだまま睨みつけた。土台としては、かなりのものが出来ているはず。あとはこれをいかに味を引き出すべく調理するかだけなんだ。

 なのに、その形が、見えない。

 ……胃液が、喉元まで駆け上がる。吐き気がする。仕事中に、堪えきれずにトイレで吐き戻したことも、度々だった。けれど吐くものなど、大して胃袋に入っているわけじゃない。

(――しっかりしろよ)

 吐いてる場合じゃ、ないだろ……。

 胃液を無理矢理飲み下しながら譜面を睨みつけて考え込んでいる間に、メンバーが揃ってアレンジ作業が始まった。

「……違う」

 低く言って、指を止める。つられたように他の音も止まった。何だろう。こうじゃない。何が違う?

「藤谷、スネアのアプローチ、変えてみてくれるか」

「いいすよ」

「じゃあ……Aメロの2回し目……いや、頭から」

 もう一度繰り返し。テツさんのキーボードの音色。ベースの展開、遠野の声、そしてギターのカッティング。ドラム――違う。やっぱり違うんだ。何だろう。スネアじゃなくて? リズム……タイミング?

 音が頭をぐるぐる回って、また胃が痛くなってくる。もうずっと、こんな状態だ。

 音がつかめず、見えなくなって、そして……イライラしてくる。

 こんなんで良いのか? 大丈夫なのか? もっともっともっと……違う形が。

――これを掴み損ねたら、Blowin'が。

「藤谷、違う」

 もうこれで何度目かわからない。

 先ほどから俺と藤谷の間の空気が、どんどん一触即発のようになっていくのがわかった。俺の声がひどく尖っていることも、自分で気が付いている。藤谷もいらいらしたような視線を俺に返してきた。

「じゃあどうすればいいんですか。わっかんないっすよ、それじゃ」

「そんなもん、俺が指示するようなことか?」

 駄目だ、違う。

「彗介さんには彗介さんのやりたい音があるから、そうやって言うんでしょーが。だったらそれを明確に言わなきゃ全然伝わんないですよ、俺にッ」

 ……わかってる。わかってるんだ。

 俺がちゃんと言えていない。俺がちゃんと伝えられていない。

 わかっている。なのに、止められない。感情が、コントロール出来ない。

 胃が、ひどくむかむかして、頭が鈍く重い痛みを発していた。また喉元に胃液が駆け上がって、無理矢理飲み込んだ俺の口からキツイ言葉が飛び出した。

「いちいち言わなきゃわかんないドラマーなのかよッ」

 そうじゃない……わかってるのに。

「彗介ッ」

 俺の言葉にかっとなったように、藤谷ががたっと立ち上がる。その反動で、ハイハットがスタンドごと倒れた。盛大な、耳をつんざくような音の中、藤谷を俺の視界から遮るように遠野が割り込む。俺より背の高い遠野がそこに立つと、俺の位置からは藤谷の姿が見えなくなる。

「……ちょっと休憩しよう」

 遠野の言葉に俺は唇を噛んだ。高まったイライラと焦燥感をもはや自分でもどう処理して良いのかわからず、俺はスタジオを言葉もなく出て行った。胃が、痛い。頭が重い。……音が、遠い。

 階段を降りてロビーの壁に左肩を預ける。こみ上げてくる吐き気と戦いながら、俺はぎゅっと目を瞑った。……こんなんじゃ駄目だ。出来上がらない。曲が、出来上がらない。

 俺が、Blowin’を、駄目にしてしまう。

 ……それは、かつて感じたことのないプレッシャーだった。次のシングル『FAKE』、そしてその次のシングル、アルバム。

 曲が、出てこない。

「彗介」

 背後で気配がした。遠野だ。俺は振り返らず、そのままの姿勢でいた。

「なーに、ピリピリしてんの? あれじゃあ、和弘だってついてけない」

「……悪い」

 声が掠れた。わかってる。藤谷は悪くないんだ。遠野の気配を背中に感じて、俺は吐き出していた。

「……俺、焦ってる」

「え?」

 訝しむような声が問い返す。俺は繰り返した。

「凄ぇ、焦ってるみたい……」

「焦ってるって……」

「曲が、思うように出来ない」

 気を落ち着けるように、はあっと溜め息にも似た深い息を吐き出して、俺は肩を落とした。閉じたままだった目を開ける。飛び込んで来た壁を見つめながら、口を開いた。

「『FAKE』のアレンジが進まない。自分の作り上げたい形が見えない。この先も、曲が出てこない。このまま、出てこなかったら、どうすればいーんだ……?」

「……」

「アルバムまでに出るシングルが、凄い責任重いのわかってんのに。……だから、何か凄ぇ……焦ってる」

 言葉にしてみると、それがまた俺を追い詰めた。ぐらぐらする頭で、もう一度ぎゅっと瞳を閉じる。

 肩を押し当てた壁の冷たさと、背後の遠野の気配だけを感じて黙っている俺の背中で、同じく黙ったままだった遠野の気配が、不意につかつかという足音とともに近付いてきた。

 そして。

「うわ」

 思いも寄らない衝撃を背中に受けて、思い切り前方へつんのめる。

「な……」

 ……蹴りやがったな? お前。

「何……」

「ばああああああっか」

 抗議をしようと振り返った俺の目の前で、蹴った張本人は、偉そうに両手をポケットに突っ込んだままふんぞり返るように俺を見つめていた。思わず言葉が出ない。

「……」

「Blowin’は、お前だけじゃないんだぜ」

「……そりゃ……そうだけど」

「全員で、作ってんだ。別にお前ひとりの責任じゃないのなんか、当たり前だろ?」

「……」

 ……それは、そうだけど。

 そうなんだけど。

 だけど、俺が、Blowin’を潰すんじゃないかって……。

「……藤谷に、謝んなきゃ」

 まだ痛む胃を片手で押さえながら、それだけ辛うじて言う。遠野がうん、と屈託なく頷いた。

「ま、せっかく出てきたんだから、ちょいと休憩してこーぜ」

 わざとか天性か、あっけらかんとした口調で言って遠野が自動販売機に近付いた。コインを2枚押し込んでコーヒーを2本買うと、1本をこちらへ放る。咄嗟にそれを受け止めている間に、遠野はさっさとソファに腰を下ろして長い足を組んだ。煙草をくわえるのを見て、俺も小さく息をつき、遠野に倣う。

「……お前がコケる時は、俺もコケるんだぜ」

 不意に、何の前触れもなく遠野が低く呟くように言った。突き刺さる言葉。俺は驚いて目を見張った。

「別に、お前がひとりでコケるわけじゃない。俺も一緒にコケるんだ。そしたらまた、やり直せばいーだろ。……俺は彗介がいれば、何度でもやり直せる」

「……遠野」

 ひとりでコケるわけじゃない……。

 見開いたまま遠野を見つめる俺の目を、微かに怒ったような色を浮かべて遠野が見返す。

 それをしばらく黙って見ていた俺は、やがて、小さな笑いが零れた。

 まったく……。

 どうしてこいつは、こうも端的に俺の欲しい言葉を知っているんだろう。

 元々2人で始めた、Blowin’。

 コケる時はひとりじゃないし、俺がコケる時は必ず遠野がそこにいる。

 だから……だからこそ。

――遠野をコケさすわけには、いかないじゃないか。

「それに、俺はコケると思ってないしね」

 不意に遠野は口調を変えて冗談ぽく言った。煙草の灰を灰皿に落としながら、俺に視線を向ける。

「だって俺は、お前がコケると思ってないから。お前はやれるって知ってるから」

 こんなにもシンプルに、けれど確実に自分を楽にしてくれる存在がいることが信じられない。他にこれほど自分を救ってくれる存在を、俺は知らない。

「……俺は俺なんか信じられないよ」

 胸の中で重たく燻っていたプレッシャーがふわりと溶け始めたのを感じ、俺は呟くように言った。

 俺は、俺なんか信じられない。出来ることなんか大してない。けれど。

「彗介」

「でも、お前がそう言うんだから、きっと俺にはやれちゃうんだな」

 俺以上に俺を知り、俺以上に俺を信じてくれる存在。そいつが言うなら、信じられるし、やらなきゃならないだろう。

 それは、プレッシャーでは、なくて。

 ……応えたいという、気持ち。

「やるっきゃないじゃんなぁ……」

「どうせ、やめられねーんだから、やるしかねーだろ」

 遠野が、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべて俺を見る。その言葉と顔に、思わず俺も小さく吹き出した。

「……うん」

「さあて。戻るべか」

 遠野が立ち上がって、俺を促す。

 そうだな……あんまり戻りが遅いと、藤谷たちも気を揉むだろう。頷いて立ち上がった俺も煙草を灰皿に放り込んでスタジオへ戻ると、ふてくされたような何とも言えない表情で藤谷がドラムセットに座っていた。北条は淡々とした表情でベースを鳴らしている。

「藤谷」

 何はともあれ、まずは謝罪だ。

 悪いのは明らかに俺。……追い詰まって、精神的余裕の欠如している俺だ。

「悪かった」

「え!?」

「俺が、悪い。言葉全然足りてない……って言うか、うまく、伝えられてなくて」

「あ、いや、その」

 頭を下げると、藤谷があたふたと立ち上がる。その様子を見て、俺の後方で遠野が笑ってるのが気配でわかった。……何笑ってんだよ。

「やだな、顔上げて下さいよ」

 言われて顔を上げると、藤谷が困ったような顔で、俺とは違うややふっくらした柔かそうな頬を撫でた。

「あの、俺こそその……彗介さんがピリピリしてるって言うか、ストレスたまってんなってわかってて……本当は心配してたはずだったんですけど。俺、単細胞だからついかっとしちゃって、悪かったと思ってて……」

 藤谷ってこういうところ、可愛いやつだよな……。

 思わず吹き出した俺に、藤谷は驚いたように目をむいた。

「な、何で笑うんですか」

「いや別に……。藤谷って素直だよなあと思って」

「……馬鹿にしてるんすか?」

「してないよ」

「それ、謝ってる人の態度として間違ってるような気がする……」

 ごにょごにょ言っている藤谷はとりあえず置いといて、それから俺は全員に聞こえるように言った。

 態勢を、立て直さなきゃ。

 このままじゃあきっと、ぐちゃぐちゃしているだけで話が進まない。俺の頭の整理が、出来ていない。

「曲を、整理したい」

「ほいほい」

「何か俺、正直頭とっ散らかって曲があんまちゃんと見えてないって言うか……。ちょっとイチからアレンジ整理していきたいから……いったん、ミーティング、させて」

「おっけ。んじゃさ、ちょっと徹底的に話し合いして構成改めよーぜ」

 とりあえずコード譜を片手に、車座のようになって集まる。遠野のおかげで、気持ちはかなり安定して来ていた。

「イントロはとりあえず……まんまストレートで良い?」

「これさあ、実は何気にサビが結構くるから……頭に持ってきた方が良いんじゃないかなあ」

「C’?」

「そう。ひと回しかな。フルじゃなくて。で、Aメロ入るトコ、短く全部カッティングって感じで、ダダダダッダダダダッダダダダッ……タタ〜って行けばいんじゃないの」

「したらさ、和弘、ここフロアタムをメインで入ろうよ」

「は?それ変ですよ」

「じゃなくて。こっち。その後のAメロ入る……」

「あ、こっちっすか?」

「そうそう。ここここ」

 ……なぜだろう。急に上手く回り始めたような気がする。

 今なら、メンバーの言うことも理解が出来るし、すんなりと音が形になるのが見えた。吐き気もとりあえずのところは収まったし、重い頭痛もいつの間にか消えている。そのことに気づき、俺は小さくひとりで苦笑した。

 何だか……ひどく簡単なことに気が付かなかったみたいで。そんな自分がおかしくて。

「何笑ってんの」

 不気味そうに北条が俺を横目で見る。

「や、別に……」

 そこからの作業は、ひどく順調だった。

 もちろん、アレンジそのものが突然それほどスムーズに行ったわけじゃない。

 けれど、焦燥感に追われている感じがなくなったせいか、いつものペースを取り戻せたようだった。

 ミーティングを8時頃まで音出ししながら進め、ラジオ放送のある遠野がいったん席を外したものの、ラジオ終了後にまた戻ってきて結局4時半頃までぶっ通しでハマりこんでしまった。

 苦しいのではなく、夢中になってしまったというのが正しい。明日と言うか今日の昼過ぎにまたスタジオに集まることを決めていったん解散した後、俺は明け方の誰もいない道路を家に向けて車を走らせながら、小さな欠伸を噛み殺した。

 肩の荷が、少しだけ、軽くなった気がした。











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