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White Road -Side A-  作者: 市尾弘那
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プロローグ

 その時俺は少し浮き足立って、珍しく雪のちらつく表参道付近の青山通りを急いでいた。

 人と待ち合わせを約束した青山のカフェまで、あと10分ほどでつくという場所で、反対側へ渡るために歩道橋へ近付く。階段の裏側から近付いたので、回り込むような形で階段に足をかけようとして、俺は異質な物を目にしてぎょっとした。動きが止まる。

 次の瞬間、俺は自分が目にしたものが何だったのか、今どういう事態に陥っているのかをはっきり把握できぬままに全身に衝撃を受けて、後ろに吹っ飛んだ。肩にかけたギターケースが俺ごと地面に激突する羽目になってガン、と鈍い音を立てる。

 幸い頭は打たなかったようだが、地面に咄嗟についた手の平と、したたかに打ち付けた腰が痛かった。

 状況を把握する為、顰め面をしながら身を起こす。

 そこで、俺の胸に倒れ掛かるようにして女の子が倒れていることに気がついた。俺が体を起こすのに引き摺られて、彼女も体を起こす。何が起きたのかわからないという顔をしているのは、お互い様だった。

 察するに、歩道橋の下り階段でつま先でも引っ掛けて前のめりに転落しているところに、俺が突然現れて激突し、2人して地面に転がり込むハメになったというのが妥当な線だろうか。

 そんなことを考えていると、彼女はようやく事態を把握したようにさほど大きくない目を見開いた。

「ご、ごめんなさい、大丈夫!?」

 慌てて問い掛けたその声はまだ幼い。顔に残るあどけなさからしても、多分中学生――下手をすると小学生だろうか。可愛らしいと言えなくもない顔立ちをしている。前髪に、ちらちらと舞い散る雪がついていた。

「……あんまり。随分変わった降り方するみたいだけど」

 俺の言葉に、彼女は興奮したように怒鳴った。

「降りたんじゃないわよ落ちてたのッ。あんな降り方してたら命がいくつあったってたんないじゃないッ」

「そりゃ失礼。怪我は?」

「ん、と……」

 少女はきょろきょろと自分の身辺を見回してから、首を傾げた。

「多分……ないと思う」

「そう……げ」

 とりあえずお互い怪我らしい怪我はなさそうなことに安心して頷いた俺は、衝撃の事実に気がついた。俺の尻の下のこの感触は、間違いでなければ俺と彼女の体重及び重力の影響をもろに一身に浴びて地面に激突したはずの、ギターである。

 しかも、散々迷いに迷ってローンを組んで、昨日購入したばかりのシロモノだった。勢い俺は青ざめてギターケースを引き寄せ、中を開けた。

「……」

「……あらぁ」

 一緒になって覗き込んだ少女が、小さくため息をもらした。思うほど無残な姿にはなっていなかったものの、そのボディには決して小さいとは言えない裂傷が生じている。まだ1度もライブでお目にかけていないギターとあっては、ショックも一入ひとしおだった。

「あのぅ……」

「……」

「ごめんなさい、あの、全面的にアスカが悪いです。だからあの、弁償します」

 アスカ?

 どうやらこの少女はアスカと言うらしい。俺が現在ベタ惚れしている女と同じ名前とあっては、怒る気も削がれてしまう。

「ホントに弁償してくれるの?」

「も、もちろん!!」

 俺の両足の間に座り込んだままの少女は、真剣な顔で頷いた。

「23万だけど」

「え!?」

 嘘ではない。

「しかも昨日買ったばっかりなんだけど」

「……」

「まあ、修理で済むだろうから、2〜3万だろうけどね」

 最後の俺の言葉に、『アスカ』は全身脱力したようにがくっと頭を垂れた。

「先に言って!!そういうことは!!」

「ま、いいよ。自分で何とかするから」

 『アスカ』から金はとれないし、とひとりごち、それから立ち上がってジーンズの汚れを叩くとギターケースを肩にかけ直した。歩道橋の階段の真下で座り込んでいる俺たちを、行き過ぎる人がじろじろ見ている。一応『アスカ』に手を差し伸べた。

「立てる?」

「うん……あ、痛ッ」

 素直に俺の手につかまりながら立ち上がりかけた『アスカ』は突然叫ぶと、ぺたんと座り直してしまった。

「え?どこか怪我してた?」

 まあ、あれだけ豪快に吹っ飛んで来て、傷ひとつないと言えば嘘だろう、やっぱり。

 地面に座り込み直してしまった『アスカ』の前に片膝をついて屈み込みながら尋ねると、『アスカ』は涙目になって頷いた。

「足、痛くて立ち上がれない」

「うーん……」

 骨折でもしていたらコトだ。とりあえず病院へ連れて行かなくてはならないだろう。俺は全くの赤の他人なのだが、しかも待ち合わせで急いでいるのだが、人情としてはここで放り出すわけにはいかない。

 仕方ないな……。

 立ち上がってタクシーを止めると、『アスカ』のそばに戻ってそっと立ち上がらせる。歩けるかどうかわからないので、とりあえずタクシーまで俺が抱きかかえて連れて行った。小柄で華奢なので軽い。

「この辺、外科ってありますか?」

 俺は青山だの表参道だのという上品な地域にはほとんど来ないので、この辺りは詳しくない。タクシーの運転手に尋ねると、運転手は興味深そうにこちらに身を乗り出して来た。

「病院? どうしたの?」

「ちょっと歩道橋で転んで」

「あ、そう。大丈夫? 近いほうが良ければ、ここからちょっと行ったところに青山第一外科ってのがあるけど」

「じゃあそこでお願いします」

 タクシーが走り出す。俺は一体何をしておるのだろうという気分になったところで、『アスカ』が俺の袖をちょいちょいと引っ張った。

「あの、ありがとう」

「は?」

「あなたがあそこにいたから、あたし、激突出来て助かったんだと思うの。だから、ありがとう」

 ……礼の言われ方が何かおかしいと思うのは俺だけなのだろうか。

「はあ」

 他に何と答えて良いのかわからず、それだけ返すと、ややして中規模くらいの病院の前で止められたタクシーを下りる。

 なし崩しにそのまま『アスカ』の診察が終わるまで付き合う羽目になり、『アスカ』が診察室を出たのは待ち合わせの時間を1時間近くオーバーした頃だった。精算する持ち合わせも保険証もない『アスカ』は親に連絡を取り、そのままそこで迎えを待つことになったので、ようやく俺は、待ち合わせに向かうべく立ち上がる。

「じゃあ俺行くから」

「あ、うん、ありがとう。あの、タクシー代とギター……」

「いいよそんなの。どうせ金ないだろ」

 どっかの大金持ちの御令嬢とか言うんなら話は別だが。

 もちろんそんなことはないらしく、『アスカ』はぐっと押し黙った。

「あ、じゃあ出世払い……」

 どうやって払うんだよ?

 呆れて無言のままちらりと時計を見た俺に、目敏く『アスカ』が首を傾げる。

「何か予定があったの?」

「え? ああ、うん、まあ……」

 はっきりと告げて責任を感じさせることもないだろう。『アスカ』に悪意があったわけではない。

 けれど、少女とはいえ女の勘とは恐ろしいもので、『アスカ』はソファに座ったまま上目遣いで言った。

「デートだ?」

「……」

「ごめんね。……彼女の名前が『アスカ』さんなの?」

 しかもさっきの独り言をしっかり聞かれていたらしかった。

 返答に窮して、俺は軽く肩をすくめた。

「いつでも俺が下でクッションになるわけじゃないんだから、今度からもうちょっとましな降り方にするんだな」

 言って肩越しに手を振ると、俺は病院の出入り口へ向かった。

「あのッ、ありがとうッ。気を付けてッ」

 一方的な災厄に巻き込まれないように、という意味ならこれほど無意味な言葉もないだろう。

 思わず苦笑して、俺は、背を向けたまま答えた。

「そっちこそ」


 それが、全ての始まりだった。











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