8 兄のしたこと
私はロジーナを強引にソファに座らせてから、自分もその隣に落ち着いて話を聞く態勢になった。
私とオリビアを捕らえた直後、騎士団を率いたフロリアン兄上が王宮を占拠した。
兄上は王宮にいた皆を集めて私がクレメンスではなくコルネリアだと暴露した。
私の姿がないことで兄上の言葉を疑う声も上がったが、私のメイドであるゾフィに皆の前で証言させて信用を得た。
おそらくゾフィは脅されて仕方なくそうしたのだろうから赦してやってほしいとロジーナは頭を下げたが、私も同じ意見だ。彼女はもとはクレメンスのメイドだったが、この6年は私に誠実に仕えてくれていた。
さらに兄上が自分が王太子になると宣言すると、その場はかなり紛糾した。
それは陛下が決めること、だが陛下の安否がわからぬのに王太子まで不在は拙い、それならマティアスのほうが、といった感じに。
結局その場を収めたのは宰相だった。陛下が戻られるまでは第一王子である兄上を代理とし、皆がひとつに纏まるべきだと説いたのだ。
その後、クレメンス派の者たちから賛意が上がり、とりあえずはとマティアス派も頷いたらしい。
気になったのは騎士団のことだ。
陛下の視察には近衛に加えて騎士も護衛としてついていったため、騎士団は通常の3分の2ほどの人数になっていた。
その割に、王宮にいる騎士の数が多い気がした。もちろん、ロジーナから聞いた印象ではあるのだが。
「そういえば、騎士なのに騎士らしくない方がいらっしゃいました」
「どういうことだ?」
「髪がボサボサだったり、無精髭が生えていたりする方をちらほらとお見かけしました」
我が国の騎士たちは騎士であることに誇りを持ち、常に身を正している者ばかりだ。そんなだらしない格好の者が何人もいるなど確かにおかしい。
私は考えを纏めようと視線を動かし、そのうちに自分が着ているドレスが目に入って、ふいに庭園で感じた違和感を思い出した。
「そうか。あの者たちも身に合わぬ服を着ていたんだ」
騎士たちにはひとりひとりの体に合う騎士服が支給される。それを一分の隙もなくカッチリ着るのが正統な騎士だ。
私たちを捕らえた騎士が着ていたのは、倉庫に眠っていたものを引っ張り出してきたか、あるいはどこかで急遽作ったものだろう。
つまり、騎士団に偽者が混じっていることになる。誰かの私兵か、街で募ったのか。
「まあ、答えがわかったところで仕方ないな」
騎士団はまとめて兄上についたのだ。庭園で私の護衛をしていた者たちだって、今頃は仲間たちと行動を共にしているに違いない。
「オリビアはどこにいるんだ?」
私の問いにロジーナは首を振った。
「わかりません。姫様と同じ方へ連れて行かれたと思うのですが……」
「そうか」
オリビアのことは、とりあえず兄上の言葉を信じるしかなさそうだ。
「では、他の皆は?」
「フロリアン殿下の命で、それぞれの仕事に戻っております」
「政が滞って困るのは民だからな。宰相の判断は正しい」
私がしていた政務は兄上に引き継がれるのだろう。兄上が不慣れでも、レオンハルトたちがいれば何とかしてくれるはずだ。
だが、再び回り出した王宮の歯車から取り残されたことが、王太子の役目を中途半端に置いてきてしまったことが無性に悔しかった。
王女コルネリアでは、もうこの国のために何もできないのだろうか?
その夜は、やはりどこからか用意された女性用の寝巻を身につけた。
ロジーナは彼女の部屋に返した。本人はだいぶ渋ったが。
私の部屋の外では騎士たちが不寝番をしているようだった。
久しぶりにコルネリアの寝台に入った。
目を閉じても様々なことを考えてしまい、なかなか眠れそうにないと思ったが、疲れていたせいかいつの間にか眠りに落ちていた。
朝になり、ロジーナが部屋にやって来た。また彼女の顔を見れて安堵した。
ドレスは例の灰色のしか着られるものがなかったので、またそれを身につけた。私が脱いだ王太子の服もすでに部屋にはなかった。
私はやるべきこともなく、陛下と母上の無事のご帰還と国の平穏を祈った。
それから、部屋の状態を6年前の記憶と照らし合わせて確認して回った。やはりほぼ変わらないような気がした。
引き出しなどから思わぬ懐かしいものを見つけることもあった。
昼前になり、ようやくオリビアの消息が知れた。
伝えてきたのはオリビア自身。彼女が私の部屋を訪れたのだ。
「オリビア」
彼女の姿を目にして、私は思わずソファから立ち上がった。
オリビアは私を見ると曖昧な表情を浮かべた。無理に笑おうとして失敗したような。いつもより顔色が悪く、疲労が窺えた。
「コルネリア殿下、ご無事で良かったです」
「オリビアこそ、居場所がわからず心配していた」
オリビアは俯いた。
「申し訳ありません」
「いや、謝るのは私だ。オリビアを巻き込んですまなかった」
オリビアは首を振ってから、さらに俯いた。
「私は、フロリアン様の婚約者になりました」
私が次の言葉を発せるまでに時間がかかった。
「大丈夫、だ。まだ陛下のお許しがないのだから、取り消せる」
オリビアは再び首を振った。
「もう無理です。昨夜、私はフロリアン様を受け入れてしまいました」
その意味は私にも理解できた。あまりのことに呆然とした。
「まさか、兄上が、そんなことを……? すまない、本当にすまない、オリビア」
オリビアがゆっくりと顔を上げた。頬を濡らして今度こそ笑ってみせる姿が痛ましかった。
「コルネリア殿下が悪いのではありません。それに、強引なことをされたわけでもありません。あの方に大切にすると言われて、決心したのは私です」
「だが、私がいつまでもオリビアに甘えたりせずに婚約を解消していれば、こんなことにはならなかった」
「あなたの秘密を知っていて側にいたのも私です。ですが、今後はあなたをお助けすることはできません。フロリアン様との結婚を幸せなものにするために努めます」
「オリビア……」
私には、それ以上の言葉は出てこなかった。
オリビアは涙を拭って言った。
「そろそろフロリアン様のところに戻らないとなりません。ですが、その前にコルネリア殿下にお伝えしなければならないことがもう一つあります。実は、私以外にも殿下の秘密を知っている方がおりました」
私は目を見開いた。
「……いったい誰が?」
「レオンハルト様です」
「レオンハルト?」
「少し前、私に対して知っていると仄めかしたのです。今まで黙っていて申し訳ありませんでした。レオンハルト様ならコルネリア殿下を害すようなことはなさらないと思ったので。ですが今回のこと、レオンハルト様があなたを裏切ってフロリアン様にお話ししたのではないでしょうか?」
衝撃で、世界が歪んだように見えた。