7 合わぬドレス
あれはまだ5歳か6歳だった頃。
私はよくひとりで庭園に出ていた。正確には必ずメイドの誰かしらがついて来てくれたのだが。
庭園ではたいていフロリアン兄上に会った。兄上の側にはメイドもおらず、本当にひとりだった。
だが兄上にそんなことを気にする様子はなく、しゃがみ込んで木の枝で地面を掘り返したり、昆虫を観察したりしていた。
兄上は私に気づくと声をかけてくれた。
「おいで、コルネリア」
「兄上、今日は何してるの?」
私はそう訊きながら兄上に近寄り、しばらく兄上の土遊びを眺めたり、一緒に蟻の行列を追いかけたりするのが常だった。
特に会話を交わすわけでもないが、兄上が私を邪険にすることはなく、隣にいて安心できる相手だった。
「僕といるって正妃様が知ったら怒られるんじゃないか?」
一度だけ、兄上にそう訊かれた。
その頃には私も妃同士の確執をぼんやりとは理解しはじめていたが、母上から兄上について何かを言われたことはなかった。そもそも、母上は私に話しかけたりしないのだから。
「母上は私のことなんてどうでもいいの」
私がどこで誰と何をしているかなんて母上はこれっぽっちも関心がない。例え怒りの感情でも向けてほしいのに。
「そうか」
兄上の短い言葉からその胸の内を読むことなど、私には無理だった。
当時すでに、兄上の母エルダ様は寝台の中で過ごしている時間が長かったらしい。
それでも体調の良い日には、庭園まで兄上を迎えにやって来た。
「フロリアン」
エルダ様の声が聞こえると、兄上はそれまでしていた作業を放り出してそちらに駆けて行った。おそらくは、私の存在も頭の中から抜け落ちていただろう。
「母上」
兄上の伸ばした手が土で汚れていても、エルダ様は躊躇うことなくその手を握った。
腰を屈めて兄上に目線の高さを合わせ優しく微笑むエルダ様と、エルダ様に無邪気に戯れつく兄上の姿に、私の幼い胸は痛みを覚えた。
「コルネリア様、戻って一緒におやつでもいかがですか?」
エルダ様の問いに、私はいつも首を振った。
自分がふたりの間に割り込んでも、あの幸せそうな光景の異物になるだけだとわかっていた。
「私は、まだ、ここに」
「では私たちは先に失礼いたします。あまり遅くなられませんように」
エルダ様は私にも柔らかい笑顔のまま頭を下げてから、兄上とともに王宮のほうへと歩き出した。
私はふたりの背中から目を離せぬまま、その場に立ち尽くした。
その年の冬の初めにエルダ様が亡くなった。
それからは庭園で兄上に会っても声をかけてもらえなくなった。兄上はただ私に冷たい視線を向けてから、足早に去っていった。
やがて庭園で兄上の姿を見ることもなくなった。
昔に思いを馳せていると、再び扉が叩かれた。
それに応じると、今度部屋に入って来たのはロジーナだった。
ロジーナは私が物心ついた時には側にいたメイドだ。
庭園で私が男たちに捕らわれた際も居合わせていたので、彼女の無事な姿に私は心底ホッとした。
ロジーナは目に涙を浮かべながら私を見つめ、深々と頭を下げた。
「姫様、申し訳ございませんでした」
つい先ほどまで同じ相手から「王太子殿下」と呼ばれていたので、昔のように「姫様」と呼ばれるのは何ともこそばゆい気持ちだった。
たが、そこにロジーナの6年間の様々な思いが込められているのを感じた。
「頭を上げてくれ。謝ることはない。ずっと私の側にいてくれてありがとう、ロジーナ」
「姫様」
ロジーナは顔は上げたものの、ボロボロと泣き出した。私はソファから立ち上がって、彼女を抱きしめた。
少したってから落ち着いたロジーナに聞けば、兄上から私を用意したドレスに着替えさせるよう言われて来たということだった。
よく見れば、部屋の隅にそれらしき箱が置かれていた。
箱を開けて中を確認したロジーナは目を吊り上げた。
「できましたよ」
不機嫌を隠さない声でそう言ったロジーナに促されて姿見の前に立つと、その中には私自身が6年振りに見るドレス姿のコルネリアがいた。
「まったく似合わないな」
私は溜息を吐きながら肩上までしかない髪の毛に触れた。
「絶対にお髪が短いせいではなく、ドレスのほうの問題です。どなたが選んだのか存じ上げませんが、色も大きさも姫様にまったく合っておりません」
ロジーナはさらに腹立たしそうに言った。
ドレスは灰色だった。囚人に相応しいものをと選んだのだろうか。こんな色のドレスをよく探したものだと感心するような地味さだ。
しかも、大きすぎてあちこちがおかしな風によれて、何ともみっともない。
「男を女装させるためのドレスとでも思ったのだろう」
私は自嘲交じりに言ったが、ロジーナは「ああ」と頷いた。
「王太子殿下の姿をなさった姫様は実際より大きく見えましたから、勘違いしたのかもしれませんね」
「私が大きく見えた?」
私は首を傾げた。
6年間、いくら男の格好をしていても、私の体は女としてしか成長してはくれなかった。
背は女としては高いほうだが、男ばかりの中にいればかなり小柄に見えたはず。特に、一番近くにいたクレメンスが頭一つ分は身長差があるのだ。
手足だって細い。一応、最低限は剣術や馬術の手ほどきを受けたのだが、まったく筋肉がつかなかった。
体型をごまかすため体に布を巻きつけたり、胸当てをつけたりもしていた。あれはあれで辛かったが、コルセットよりは楽だったのかもしれないと、今初めて気づいた。
「ええ、姫様はとてもご立派でしたよ」
ロジーナは感慨深げに呟いてから、尋ねてきた。
「お髪はどういたしましょうか?」
「このままでいい」
私は鏡に背を向けて、ロジーナに向き合った。
「それよりも、今の外の状況を教えてくれ。ロジーナが知っていることをできるだけ詳しく」
「わかりました」
頷いたロジーナの顔に、どこか寂しそうな色が浮かんだ。