4 婚約者(レオンハルト)
私がコルネリアと婚約したのは、完全に政略によるものだった。
第一王子フロリアン殿下の亡き生母は平民出身だった。
そのため、正妃エーリカ様が産んだ第二王子クレメンス殿下が王太子に選ばれた。
しかし、側室ヘレナ様が産んだ第三王子マティアス殿下を王太子にしたい者も少なからずいた。
エーリカ様は隣国を後ろ盾に持つものの、国内に限ればその影響力は少々弱い。一方、マティアス殿下の生母ヘレナ様は国内でも有力なアーノルト侯爵家の出身ということが背景にあった。
宰相である私の父はクレメンス派で、その嫡男の私は早くから4歳下のクレメンス殿下の側に置かれた。
クレメンス殿下の王太子としての立場を盤石にするため、アーノルト家に対抗できる力を持つ貴族とのさらなる繋がりが求められたのは自然な流れだった。
クレメンス殿下の婚約者にはテニエス侯爵家のオリビア嬢が据えられ、私はクレメンス殿下と同腹のコルネリアの婚約者に選ばれた。
どうせ父の決めた相手と結婚するのだと考えていた私は、この婚約に何の感慨も抱かなかった。
溌剌として、時には我儘とも生意気とも感じるほどに真っ直ぐな気性のクレメンス殿下は、多くの者を惹きつけた。
その弟と同じ黄金色の髪と碧玉の瞳を持ち、顔立ちもよく似ていながら、コルネリアは良く言えば物静かで控えめ、悪く言えば地味で陰気な王女だった。
だが、婚約が決まってきちんと向き合うようになると、コルネリアに対するそんな印象はすぐに崩れた。
それまではコルネリアに会うのはクレメンス殿下も一緒の時ばかりだった。そのせいか、婚約者として初めてふたりで顔を合わせた時、コルネリアは竦んだように硬い表情をしていた。
しかし、私が義務的に渡した花束にコルネリアは目を丸くし、「ありがとうございます」と笑顔を見せた。それは花などよりもよほど清らかで美しかった。
私はコルネリアを笑わせることが婚約者の役目と思い定め、彼女のもとに通うようになった。生涯を共にするのだから関係が良いに越したことはないはずだ。
もともと毎日のように王宮に上がりクレメンス殿下の側についていたのだから、大した労力ではなかったのだが。
コルネリアの私室の居間で一緒に茶を飲むか、庭園を散策することが多かった。
初めの頃、コルネリアは私の数歩後ろを歩きたがった。
「殿下、私の隣に並ぶのはそんなに嫌ですか?」
私が訊くと、コルネリアは慌てた様子で首を振った。
「いえ、レオンハルト様の隣が嫌などということは決してありません」
「では、ここに来てください」
私が自分の真横を手で示すと、コルネリアはおずおずと私の側に寄った。
私はコルネリアがまた離れぬよう、その手を取って再び歩き出した。しばらくして彼女の顔を窺うと、恥ずかしそうに頬を染めて口元を綻ばせていた。
その横顔に、私は呼びかけた。
「コルネリア」
コルネリアは驚いたように私を見上げた。いくら婚約者とはいえ、許可も得ずに王女を呼び捨てにしたのだから当然かもしれない。
だが、彼女の名を呼びたくなったのだ。
「私にそう呼ばれるのは嫌ですか?」
コルネリアは今度も首を振った。
「嫌ではありません」
「それは良かった」
コルネリアの頬がさらに朱を濃くした。
共に過ごす時間が重なるにつれ、コルネリアは自ら私の横に並んで歩くようになり、笑顔と言葉数が増えていった。
結局のところ、コルネリアの陰気で地味な性格は彼女生来のものではなく、彼女の母親である正妃エーリカ様によって作られたものだったのだろう。
エーリカ様は隣国の王女として生まれた。
隣国は我が国に較べて女性の立場が弱いらしい。そんな国でエーリカ様は「女は慎ましやかに、男を立てること」などと当たり前に言われて育ったのだろう。
エーリカ様が生国と我が国の価値観の違いに気づいていなかったわけがない。むしろエーリカ様はそれを認めたうえで、生国流を自分の娘にも押しつけたのだ。
エーリカ様の愛情がクレメンス殿下に大きく偏っていることは傍目にも明らかだった。
国王陛下がそれを諫める様子はなかった。おそらく気づいてさえいなかった。陛下は子どもに興味がない方なのだ。
そんなコルネリアの境遇を知っていたので、自分が彼女を気にかけるのは同情ゆえだと思っていた。
最初に流行病の噂を聞いてからそれが都中に拡まるまで、あっという間だった。
私は父から外出を禁止された。直後にクレメンス殿下とコルネリアが病に罹ったと聞かされた。
父が望んでいたのは、ただクレメンス殿下の回復だった。クレメンス派の皆が同じだっただろう。
クレメンス殿下が亡くなればマティアス殿下が王太子になり、マティアス派に今後の宮廷の主導権を奪われるのだから。
だが、私が願うのは私自身の欲求が満たされることだけだった。
もう一度コルネリアに会いたい、と。
一週間後、クレメンス殿下が持ち直したという情報のついでのように、コルネリアの訃報が届いた。
私はせめて彼女の顔を見たいと望んだが、流行病で死んだコルネリアの遺体はすでに埋葬された後だった。彼女がもうどこにもいないという事実を、私はとても受け入れられなかった。
気づけば自室でひとりになり、私は泣いていた。
そうして、ようやく理解した。自分がどんなにコルネリアを愛しく思っていたのかを。
もっと彼女にしてあげられることがあったはずなのに、ひとりで死なせてしまった。後悔をしても遅すぎた。
私も同じ病で死にたいと思ったが、流行病は急速に沈静化していった。まるでコルネリアが生贄になったようだと思った。
半月ほどたち、私は久しぶりに王宮に上がった。
クレメンス殿下との再会は、庭園を指定された。
近づいてくるクレメンス殿下の黄金色の髪が目に入った時、喪失感に胸が痛んで咄嗟に視線を逸らした。
私の前に立ったクレメンス殿下に臣下の礼をとってから顔を上げ、間近にその顔を見た瞬間、私は喉元まで出かかった名を呑み込んだ。
それが私自身のためだったのか、彼女のためだったのか、あるいは父たちクレメンス派のためだったのかは自分でもよくわからない。
わかったのは、叶えられたのは父たちの望みではなく、私の願いだったことだ。
クレメンス殿下と同じ黄金色の髪と碧玉の瞳、よく似た顔立ち。だが、見間違えるはずがない。
王太子クレメンスの形をして私の前に現れたのは、死んだはずのコルネリアだった。