3 事故、そして事件
陛下の留守3日目にその知らせは届いた。私の執務室まで伝えに来たのは、レオンハルトの父である宰相だった。
「視察先で陛下の乗られた馬車が事故に遭い、陛下がお怪我をされたとのことにございます」
私は咄嗟に椅子から立ち上がったものの、言葉を発することはできなかった。周囲にいた者たちも息を呑んだ。
その中で、レオンハルトが冷静に尋ねた。
「お怪我はどの程度なのですか? 重いのでしょうか?」
「まだそこまではわからぬ」
「正妃様はご一緒だったのですか?」
「予定ではそのはずだが、詳しいことは……」
結局、何もわからないようなものだった。私の頭に最悪の状況が思い浮かんだ。
もしも陛下が戻らなければ、王太子の私が即位することになる。私にーー偽物のクレメンスに、国王が務まるのか?
「殿下、このことはまだ公表すべきではありません。お知らせするのはマティアス殿下とヘレナ様、マリアンネ様、それから大臣たちまででよろしいでしょうか?」
了承を伝えようとして、ふと気づいた。
「兄上にはお知らせしないのか?」
「フロリアン殿下は、ご所在のわからぬことも多いので、お知らせできるかどうか」
「そうだな。おまえに任せる」
宰相が部屋を出て行くと、レオンハルトが立ち上がり私の側まで歩いてきた。
「殿下、あなたは陛下の留守を任されているのです。動揺してはいけません。この先どのようなことになろうとも、今までどおり私が……、我々がお側であなたを支えます」
レオンハルトの表情はいつもと変わらぬ仏頂面のままで、私の心を落ち着かせた。
「ああ、信頼している」
私の答えに頷くと、レオンハルトは自分の机に戻った。私も座りなおした。
陛下と母上を連れて行かないでくれと、心の中でクレメンスに願いながら。
しばらくして、珍しくマティアスがやって来た。その表情には不安が滲んでいた。
クレメンスとは1歳違いで、普段何かと比較される異母弟が、私を頼ってくれたのかと思うと素直に嬉しかった。
私はマティアスに向かいきっぱりと言った。
「陛下はきっとご無事だ。何もなかったようなお顔で戻られるに決まっている」
マティアスではなく自分自身に言い聞かせているような気もした。
「はい、そうですよね」
マティアスも自身を励ますように頷いた。
その後は大臣たちが入れ替わり立ち替わり私のもとを訪れ、私は概ねマティアスにかけたのと同様の言葉を繰り返した。
翌日になっても続報が届かず、私はジリジリとしながら政務をこなしていた。
昼過ぎになって、オリビアが姿を見せた。
こんな時でもつい横目でレオンハルトの眉を確かめると、いつもより大きく動いて見えた。
オリビアに誘われて、私たちは庭園に出た。
オリビアは普段どおりに見えた。彼女の父は大臣のひとりだが、まだ陛下の事故のことは聞かされていないのだろうと思った。
しかし、並んで歩きはじめると、オリビアは少し離れた場所からこちらを見守っている従者やメイド、護衛たちのほうを気にする様子になった。いつもより大きく距離を取り、彼らからは木の陰になる場所で立ち止まった。
「陛下のこと、お聞きいたしました。ご心痛でしょう」
「心配してくれてありがとう。だが、大丈夫だ」
「詳しい情報が入って来たのですか?」
「それはまだだが、陛下はきっとご無事に戻られる」
「はい、私もそう信じます」
私を労わるようなオリビアの微笑みに、心が少し軽くなったようだった。私もマティアスや皆の前で笑ってみせるべきだったのかもしれないと思った。
いや、やはりそういうことは王太子の役目ではないだろう。例え王女のままだったとしても、私には笑顔で誰かを安心させることなど無理だったかもしれないが。
そんな風に考えに耽っていた時間は大して長くなかったはずだ。
「クレメンス殿下」
オリビアの叫び声で我に返り、彼女の視線の先を振り返ると同時に、私の首元に刃があてられた。
再びオリビアを見れば、彼女も同じ状況だ。いつの間にか、私たちの周囲には4人の人間がいた。
離れた場所からメイドの悲鳴や、護衛の怒鳴り声が聞こえた。しかし、すでに王太子の生死を握られている状況で、彼らは下手に動けないだろう。
その中で、不思議と私は落ち着いた声を出せた。
「おまえたちは何者だ?」
その問いへの答えはなかった。
私に剣を向けている人物は顔と頭を布で覆っていて、その間からわずかに目が覗くだけだが、その体格から男であるのは間違いない。他の3人も同じだ。
身に纏っている濃灰色の服は騎士団の制服だが、何か違和感があった。
「用があるのは私だろう。彼女は放してやってくれ」
男たちはしばらく視線を交わし合っていたが、やがてオリビアに向けられていた剣が下がった。
だが、私がホッとしかけた時、男のひとりが素早く動いたかと思うと次の瞬間にはオリビアの体が傾き、男の腕に抱きとめられた。
目を瞠った私がオリビアの名を呼ぶより早く、別の男の拳が私の鳩尾を打ち、私の意識も闇に沈んでいった。