29 最後の役目(フロリアン)
俺の望みを叶えてくれた父上に頭を下げてから、レオンハルトに確認した。
「執務室に残してきたやつらは無事だろうな?」
「縛りあげましたが、大きな怪我はさせていないはずです」
「それならいい。誰か、行ってくれ」
工夫たちに声をかけると、3人ほどが謁見の間から駆け出ていった。
彼らと入れ替わるように、部屋の入り口に人影が現れた。
「どういうことですか? 私を王太子妃にすると仰ったではありませんか」
男たちを掻き分けて現れたオリビアは周囲には目もくれず、険しい顔で俺に詰め寄ってきた。
まだこいつが残っていたんだった。
「王太子妃になりたいのかと訊いたら、俺の側にいたいだけだと答えなかったか?」
「な……、ですが、あなたは……」
掴みかかりそうな勢いのオリビアに、玉座から父上が呼びかけた。
「オリビア・テニウス、そなたも貴族籍からその名を永久に抹消する。平民として生きるのは大変であろうが、フロリアンと助け合い、仲睦まじく暮らしていくがよい」
「父上、まさか私にこの女と一緒になれと仰るのですか?」
俺は思わず父上に尋ねた。オリビアも慌てた様子で言った。
「お待ちくださいませ。なぜ私まで平民にならなければならないのでございますか? 私はフロリアン殿下に無理やり巻き込まれただけですのに」
「おまえたちは以前から想い合い、夫婦になる約束を交わしていたのではないのか?」
なぜ父上がそんな勘違いをしたのだ。
俺は愕然として吐き捨てた。
「誰がこんな女と。勘弁してください」
「兄上、それは無責任ではありませんか。すでにオリビアとは夫婦同然の関係になったのでしょう?」
コルネリアがそう言ってから、自分が何を口にしたか初めて気づいたというように気まずそうな表情になった。
コルネリアまで俺とオリビアの関係を勘違いしているなら、その理由は明らかだった。
コルネリアを傷つけるために吐いた嘘で自分が恥を掻くとは、まったく馬鹿なやつだ。
「何だ、せっかく隠しておいてやるつもりだったのに、すでに知られているのか」
俺が言うと、オリビアは目を剥いた。
「何を言うのですか。はっきり否定してください」
「おまえがコルネリアに話してしまったんだろ。考えなしに動くおまえらしいが」
「考えなしはあなたですわ。全部私に任せて、何もせずに頷くばかりで」
そこまで口を滑らせるオリビアに、呆れるしかない。
「それは、今回のことを主導したのはフロリアンではなくそなただという意味か?」
父上から冷静に問われ、オリビアは蒼ざめた。
「まったく愚かだな。黙っていれば貴族の娘のままでいられる可能性も残っていただろうに、自ら墓穴を掘るとは」
もっとも、俺との関係を疑われた今となっては、どちらにせよ貴族に嫁ぐのは難しいだろうが。
「どうするんだ? おまえひとりで平民として暮らすことはできまい。何なら俺が面倒を見てやってもいいぞ。もちろん、家事やら何やらをしてもらうがな」
情けをかけてやったつもりだったのに、オリビアは俺をキッと睨みつけた。
「冗談ではありませわ。なぜ私がそんなことをしなければなりませんの?」
「ならば、せいぜいメイドを雇えるくらい金持ちの相手を見つけて結婚するんだな。おまえの外見なら、中身はどうでもいいと考えてくれる奇特な人間もいるかもしれない」
「私は王太子妃から国母になるべき人間ですわ。庶民などと結婚できるはずがありません」
まだそんなことを口にするオリビアに溜息が漏れた。
「おまえはまだわからないのか? ただ椅子に座ることだけが目的で座ってから果たすべき役割を知らない者は、座ることなど許されない。6年半も王太子の婚約者として妃教育を受け、側でコルネリアの姿も見ていたくせに、本当に何も身につけなかったんだな。で、この国が次に王太子妃を求めるのはだいぶ先になりそうだが、それを待つのか? 絶対に選ばれないのに? それとも、おまえなんかを妃にしてくれる奇特な国を探すつもりか?」
「どうしてあなたなんかにそこまで言われなければなりませんの? あなたは私のことをお好きなはずでしょう」
青筋を立てているオリビアの言葉を聞いて、気づけば俺は声をあげて笑っていた。
「それこそ冗談はやめてくれ。俺はこう見えて平民の女たちには人気があるんだ。素直で優しい女をいくらでも選べるのに、よりによっておまえなんかに惚れるはずがない」
次の瞬間、オリビアの平手が俺の頬を打った。
「私を騙したのね」
「おまえが物事を自分の都合の良いようにしか見てないだけだろ」
「おい、リアンがやられてるぞ。守ってやらなくていいのか?」
「騎士ごっこはもう終わったかと思ったが」
「痴話喧嘩にまで首を突っ込む必要はないだろ」
「だな」
後ろでごちゃごちゃと勝手なことを言う声は無視して、俺は左手でオリビアが振り切った右手を、右手でオリビアの顎を掴んだ。
驚いてどうにか逃れようと身を捩るオリビアを引き寄せ、強引に口づけた。
たっぷりと時間をかけて口内を蹂躙してから解放してやると、顔を真っ赤にしたオリビアが潤んだ瞳で俺を睨んできた。
「こんなところで何をするの」
「そうそう。おまえが可愛いのは、そうやって俺に翻弄されて顔を赤くしてる時くらいだ」
俺の言葉にオリビアはさらに眦をきつくした。
「あなたなんかに可愛いと言われて、今さら私が喜ぶとでも思っていますの?」
「最後までおめでたいやつだな。何で俺がおまえを喜ばせてやらないとならないんだよ。これからおまえが少しでも男を喜ばせて良い結婚相手を捕まえられるよう、わざわざ教えてやったんだ。せいぜい頑張れよ。じゃあな」
俺はオリビアから目を逸らすと唖然としている父上にもう一度礼をし、オリビアに負けぬくらい顔を赤くしたコルネリアには頷いてみせてから出口へと歩き出した。
「何だ、本当に連れて行かないのか?」
横に並んだパウロが言った。
「連れて行くわけないだろ。そんなことより、俺は宿無しになったから、しばらくおまえの家に置いてくれ」
「メルケル様に頼めよ」
「そのためには、師匠に全部話さなければならないだろ」
「どうせそのうち暴露るぞ」
「……明日、話す。今夜は泊めろ」
「仕方ねえな」
謁見の間を出るまで背後からの視線は感じていたが、俺は振り向かなかった。




