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17 兄の名代

 執務室には大臣や文官たちも顔を出した。

 私の姿を一目見るなり瞠目する者、ポカンと口を開ける者、固まる者など反応は様々で、ほとんどは私を何と呼ぶか迷っている様子だった。

 ともかく、それぞれが新しい案件を持ち込み、あるいは私たちが済ませたものを回収して帰っていった。


 一方で、執務室の仕事は皆が普段の感覚を取り戻し、さらにマティアスがいることで順調に進んでいると言えた。

 皆で意見を出し合う場面でも、マティアスの存在が刺激になっているようだ。

 お茶を差し入れた効果か、マティアスの側近たちも部屋を出入りし始めた。


 ふとした瞬間に顔を上げれば、執務室が見渡せた。もう何年も見続けてきた光景だ。

 政務は大変なことばかりだが、すべてをひとりで担うわけではない。私がクレメンスだろうとコルネリアだろうと関係なくこうして助けてくれる者たちは、レオンハルト以外にもたくさんいた。

 その事実のあまりの心強さに泣きたくなるが、泣いている暇はなかった。


 ふいに、この部屋の新しい主になると宣言したはずの人のことを思い出した。


「兄上はいらっしゃらないな」


 すぐにマティアスが口を開いた。


「まだご存じないのでしょう」


「このことを知って兄上の耳に入れる者くらいいるだろう」


「そうしたくても、兄上がどこにいるかわからないのですよ」


「そのどなたかは直接ここに来ないのですか?」


 側近の疑問にはレオンハルトが答えた。


「まだフロリアン殿下につくと公言するには早いと考えているのではないか」


「日和見をしているわけか。では、このままなし崩しで元の状態に戻るということは?」


「それはさすがにないな」


 その時、騎士の声が扉の外から聞こえた。


「申し上げます。フロリアン殿下の名代としてオリビア・テニエス嬢がお越しにございます」


 皆が一斉に顔を上げて、視線を交わし合った。

 オリビアが兄上の婚約者になったことはすでに知っていたようだ。


「フロリアン殿下が捕まらなくて痺れを切らしたようですね」


 レオンハルトが冷え冷えとした声でそう言った。


 私は入室の許可を出すと、オリビアを迎えるために立ち上がった。

 私以外の者はそれぞれの仕事に集中しているように再び視線を書類に落としていたが、部屋の空気に先ほどまではなかった緊張感が漂っていた。


 やって来たオリビアも強張った表情をしていた。オリビアは私の姿を認めるといつもどおりの美しい礼をした。

 オリビアの様子をジッと観察していた私は、頭を下げる直前に彼女が苦々しい表情をしたのを見逃さなかった。

 しかし、次に顔を上げたオリビアは、辛い気持ちを押し隠して微笑んでみせる健気な令嬢そのものに見えた。


 私はオリビアにソファを勧めてから、その向かいに腰を下ろした。


「兄上の名代ということだけど、用件は?」


 私は穏やかな声を心掛けた。


「おわかりでしょう。コルネリア殿下が勝手にお部屋を出てこんなことをなさっていると知り、フロリアン様はたいへんご立腹なさっています」


 オリビアは辛そうな表情を見せた。


「それなら、なぜ兄上がご自身でここにいらっしゃらない?」


「フロリアン様にはやらなければならないことがたくさんあってお忙しいのです」


「兄上は私と代わると仰ったのに、いったいどこで何をなさっていらっしゃるのだ?」


「私も詳しいことは存じあげません。お願いですから、今すぐお部屋にお戻りください」


「それはできない。オリビアなら理解しているだろう。私たちの仕事はこの国の行く末と民の生活のためにあり、どんな理由でも放置は許されない。それなのに私は兄上の言葉を信じて部屋に篭り、1日半も政務に穴を開けてしまった。兄上がここに来て政務をなさらないなら、これからも私がやらねばならない」


「フロリアン様の命を無視したらどんな目に遭うか。コルネリア殿下はそれが恐ろしくはないのですか? きっとここにいらっしゃる皆様にも類が及びます」


 必死な顔で言い募るオリビアと向き合ううちに、哀しくなってきた。

 おそらくオリビアは兄上に会って相談することもできずに、自分の意思でここに来た。となれば、オリビアの口にしているのは彼女自身による遠回しな脅し文句だ。

 ーー側近や弟を巻き込みたくなければ大人しい囚人でいろ。


「ここにいるのは、兄上が王太子になられたとしても役に立つ者ばかりだ。罰するよりも上手く利用すべきだと、オリビアから兄上に申し上げてほしい」


「私が?」


「私よりオリビアの言うことのほうが兄上は聞いてくださるだろう。政務に関してもオリビアから頼んでくれないか? あるいは、オリビアが兄上の代わりに政務を担ってくれるならそれでも構わない」


「なぜ私がそんなことまで……」


 オリビアの声が微かに震えた。


「兄上の妃になるオリビアの責務だ。幸い、オリビアはそのための教育も受けてきたはず」


「フロリアン様のお許しもなくそんなことはできません」


「そんなことではない。我が国にとって重要なことだ。今すぐ兄上と話をしてきてくれ。その間、私はここを動かない」


 オリビアはしばらく何かを考える様子だったが、大きく息を吐くとどこか冷めた表情に変わった。


「もうすぐ国を追われる身で国のためを語るなど、虚しくはありませんか? フロリアン様があなたを隣国に嫁がせるおつもりであることはご存知ですよね?」


 私は思わず眉を顰めた。何となくレオンハルトの耳には入れないほうがいいだろうと思って黙っていたのに。

 案の定、部屋の空気が冷たくなったが、気づかなかったことにした。


「それも、兄上に考え直すように言ってくれ」


「生涯を牢獄で過ごすことになってもよろしいのですか?」


「国を出るよりはずっといい」


 オリビアが目を見開いた。


「クレメンスを名乗っていたとはいえ、私はこの国の王太子だったのだ。王位継承権も持っている。そんな人間を国外に出せば、他国に我が国の内政に干渉するきっかけを与えかねない。国内の常に監視できる場所に置くべきだ。そのくらいの覚悟はできている」


「そんな覚悟は要らないでしょう。私がいるのですから。あなたが国を出るならお伴しますし、監視役も務めますよ」


 いつの間に席を離れたのか、すぐ傍からレオンハルトの声がして、私は恐る恐るそちらを見上げた。

 私を見下ろすレオンハルトの顔には笑みが浮かんでいたが、目は笑っていなかった。その目が次にはオリビアを見据えた。


「レオンハルト様、何を仰っているのですか?」


「お忘れですか? コルネリアの婚約者は私です。嫁ぎ先を探していただく必要はまったくありません」


「ですが、フロリアン様が……」


「私たちの婚約は6年半前に陛下が決められたもの。その後、解消はされておりませんので、今でも正式な関係です。クレメンス殿下とあなたの婚約も解消されてはいないようですが、残念ながらクレメンス殿下はお亡くなりになっていますから、フロリアン殿下と勝手に結んだ婚約はおそらく認められるでしょう。おめでとうございます」


 レオンハルトの少しも心のこもらない祝福の言葉に、オリビアは顔を引き攣らせて立ち上がった。


「すべてフロリアン様にご報告いたします」


 それだけ言うと、オリビアは礼をせずに部屋を出ていった。

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