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16 執務室へ

 レオンハルトは私を腕の中から解放すると同時に、表情を引き締めた。

 私も気持ちを切り替えたが、いざ執務室に向かうとなると足が竦んだ。初めてクレメンスの姿で人前に立った時を思い出した。


「コルネリア」


 レオンハルトが差し出した手に自分の手を重ねると、少し気持ちが楽になった。あの時とは違い、私の隣を歩いてくれる人がいる。


 そうして、レオンハルトの手で扉は呆気なく開かれ、私は6年振りにコルネリアとして部屋の外へ出た。


 途端に、私を取り囲んだのは私付きのメイドたちだった。

 彼女たちはまず私の無事を確認し、それからドレス姿を褒めそやした。


 手を繋いでいなければ弾き出されていたに違いないレオンハルトがわずかに眉を寄せた。

 私も今まで見たことのないメイドたちの勢いに少々たじろいでいると、ロジーナが手のひらを二度打ち合わせた。

 ロジーナはいつの間にか部屋の中から消えていた。私たちに気を使ってくれたのだろう。


「姫様はこれからご政務に向かわれるのですよ。あなたたちが邪魔をしてどうするの」


 ロジーナの言葉でメイドたちが口を閉ざし、私を囲む輪が少しだけ広がった。


「皆、心配をかけた。それから、今までありがとう」


 メイドたちの顔を見回すと、ひとりだけ一歩引いて立っていることに気づいた。ゾフィだ。

 ゾフィは私の視線に気づくと頭を下げた。


「コルネリア殿下、申し訳ありませんでした」


「ゾフィ、辛い役回りをさせて悪かった。何か非道なことはされていないか? 怪我は?」


 顔を上げたゾフィの目から涙が落ちた。


「私は、大丈夫ですが……」


「ゾフィが気に病むことは何もない。そもそも私がクレメンスを名乗り続けることに無理があったのだ。もう偽る必要がなくなったと思えば気持ちが軽い」


 もちろん別の不安はあるものの、それはこの場でゾフィやメイドたちに告げる必要のないことだ。


 部屋の前には、5人の騎士も立っていた。

 私がそちらに近寄ると、彼らは一斉に礼をとった。私がクレメンスだった時と変わらぬ態度だ。


「此度は面倒に巻き込んですまない」


 私が声をかけると、最も体格の良い騎士が笑みを浮かべて答えた。騎士団の副団長だ。


「いえ、王太子殿下をお守りするという名誉ある任をいただき光栄にございます」


 当然のように「王太子」と呼ばれて、背筋が伸びた。


 レオンハルトと副団長は何やら目で会話をしていた。その様子からは、レオンハルトの言っていた伝手以上の信頼関係が窺えた。


 レオンハルトの視線が副団長から私へと移った。


「参りましょう」


 メイドたちに見送られ、騎士たちに前後を守られる形で私とレオンハルトは歩き出した。




 執務室に着くと、騎士たちを扉の外に残して私はレオンハルトとともに中へ入った。

 そこには私の側近たち、さらに弟の姿もあった。


「マティアス、なぜここにいる?」


「レオンハルトから姉上が政務に戻ると聞いて来たのです。私は姉上にお仕えするとお約束しましたから」


「おまえの執務室のほうは?」


「とりあえず側近たちだけでも何とかなりますし、すぐそこですから問題があれば呼びに来ます。こちらのほうが大変な状態なのは間違いありません」


 確かに、私の机の上には書類が山と積まれていた。一昨日、オリビアに誘われて執務室を後にした時より高く。


「マティアス殿下の仰るとおりです」


「おふたりとも何をのんびりなさっているのですか。早く仕事してください」


 私の側近たちが恨みがましい声で急かした。

 私が初めてコルネリアとしてこの場にいることは溜まった政務の脇に押しやられたようだ。


 私は拍子抜けしながらも座り慣れた王太子の席に着いた。

 レオンハルトが新しく増えていた書類の束を自分の机に運んでいったので、私はその下から現れた中途になっていた仕事に取り掛かった。


 大した時間がたたぬうちに、レオンハルトが再び立ち上がり、新しい仕事の書類をマティアスと側近たちに割り振っていった。最後に私の前にも置かれた。


「殿下、これは急ぎでお願いします」


 私は手元の書類から目を上げてレオンハルトの顔を見上げた。視線が合ったのは一瞬で、レオンハルトはさっさと自分の机に戻っていった。

 執務室では今までどおり仏頂面で「殿下」と呼ぶのだなと思い、ホッとするのにどこか物足りない気分になった。




 いつもの時間にメイドたちがお茶を淹れにやって来たので、私たちは仕事の手を止めてソファに移動した。

 テーブルの真ん中に置かれた焼菓子は心なしか普段より豪勢だ。


「噂には聞いていましたが、姉上の部屋には本当にお茶の時間があるのですね」


 マティアスが感心したように言った。


「きちんと休むのも大事なことだ。マティアスの執務室にも届けてやってくれ」


 弟に周囲の過保護っぷりを知られるのが恥ずかしくてそう言うと、メイドのひとりが「畏まりました」とすぐに執務室を出ていった。


「お気遣いありがとうございます」


 マティアスは嬉しそうに菓子に手を伸ばした。

 結局、マティアスは呼ばれずとも自分の執務室との間を何往復かしていた。疲れているはずだ。


「それにしても、今日の姉上は素敵なドレスをお召しで美しいですね」


 私はドキリとして隣にいるレオンハルトを横目で窺ったが、彼は仕事中と変わらぬ表情でカップを口に運んでいた。


「今だから言いますが、昨日のドレスはまるで囚人服のようでした。わざわざあのようなものを姉上に着せるなど、兄上はやることが小さいです」


 私自身も同じ感想を抱いたので苦笑しつつ、「そんなことを口にするな」とマティアスを諌めた。


「おそらくフロリアン殿下が選んだのではないと思いますが」


 ポツリと不快そうに呟いたレオンハルトの眉が動いたのを見て、彼が誰を思い浮かべたのかは理解できたが、私にはやはり受け入れ難かった。


「ですが、そのお姿だとやはり殿下は女性にしか見えませんね。疑ったことは何度もありましたが」


 側近の言葉に私は目を瞠った。


「疑っていたのか?」


「疑いたくもなりますよ。お綺麗だし、体は細いし。だけど、本当にそうならレオンハルトが知らないはずがないので、迂闊なことを口にすれば殺されるに違いないと黙っていたんです」


 私は物騒な冗談だと思ったが、他の側近たちが同意するように頷き、レオンハルトも「それは賢明だったな」などと口にした。


「私も、今朝はレオンハルトが騎士の格好をしていたので、この騒動に乗じて姉上のために私を殺しに来たのかと思いました」


 マティアスまでニヤリと笑いながらそんなことを言った。


「忠義に厚い側近をお持ちだと思っていましたが、それだけではなかったのですね」


 私には見えていなかったものが、他からは見えていたのだろうか。どんなふうに?


 再びレオンハルトに視線を向けると今度は目が合った。だがすぐにその仏頂面が距離を詰めてきて、私の耳元に口を寄せた。


「コルネリア、そんな顔をしても今はお預けですよ」


 それだけ囁いて元の位置に戻ったレオンハルトに言葉の意味を尋ねるより早く、彼に政務の再開を促された。

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