15 笑顔と涙
私にドレスを着付けながら、ロジーナが言った。
「姫様のためにドレスをご用意なさっていらっしゃったということは、レオンハルト様は以前からご存知だったのですね」
ちなみに、他の2箱からもそれぞれ水色と緑色のドレスが出てきていた。
「ああ、初めから気づかれていたようだ」
「ご婚約者が性を偽って王太子殿下になられるなど、気が気ではなかったでしょうね」
おそらく気が気でなかったのはロジーナも同じだろう。
メイドたちは母上の手前、私をクレメンスとして扱っていたが、それでも彼女たちが気にかけ常に心を配ってくれていたのはコルネリアに対してだ。
ロジーナたちは私を「姫様」とか「コルネリア殿下」とは呼べない代わりに、「クレメンス殿下」と呼ぶこともしなかった。「王太子殿下」あるいはただ「殿下」だった。
そう言えば、レオンハルトに「クレメンス殿下」と呼ばれたこともなかった。
レオンハルトも私が何をしているか理解したうえで、黙って側で支えてくれていたのだ。おそらくは様々な感情をあの仏頂面の下に隠して。
それなのに、気づいていないと思い込んで拗ねていた私はまったく愚かだった。
「姫様、できましたよ」
ロジーナは私を姿見の前へと促したが、私はそれを直視することができなかった。
2日前まで当たり前に男性の形をしていた私に、華やかなドレスは不相応な気がした。
だが、ロジーナは嬉しそうに言った。
「とてもよくお似合いです。せっかくですから、今日はお髪も整えましょう」
「ああ、そうだな、頼む」
ロジーナは久しぶりのはずなのに、テキパキと手を動かしていった。横髪を編み込んで後ろで纏めてくれたので、髪の毛の短さが誤魔化された。
ようやく決心し、今度こそ姿見を覗いて目を瞠った。そこには紛れもなく18歳の王女コルネリアがいた。
「本当にお綺麗になられて……」
ロジーナが感慨深げに呟き、涙ぐんだ。
「ありがとう、ロジーナ。ロジーナたちには本当に感謝している」
私がそう言うと、ロジーナは泣き笑いの表情になった。
レオンハルトが部屋に戻ってきたのは、私が朝食を終え、その食器が下げられてからだった。
私がソファから立ち上がって出迎えると、レオンハルトは目を見開いて私の姿をじっと見つめた。私は落ち着かずに彼から視線を逸らした。
いつまでたってもレオンハルトが無言のままなので、私は居た堪れなくなった。
「せっかく用意してくれたのに、すまない。髪は短いし、女性らしい振る舞いもできない私が着ても様にならないだろう」
「いえ、よく似合っています」
「レオンハルト様、それだけですか? 姫様に見惚れていらっしゃったのでしょうに」
ロジーナの恨みがましい言葉に私はあたふたとしたが、レオンハルトは笑って頷いた。
「申し訳ありません。あまりの美しさに目を奪われておりました。どこか苦しいとか、着心地が悪いところはありませんか?」
「大丈夫だ、です」
「目測だけでサイズを伝えたので心配でしたが、それなら良かった。色々片付いたら微調整させましょう」
「ありがとう、ございます、レオンハルト、様」
せめてレオンハルトに対する言葉使いを昔に戻そうと思ったものの、すぐには上手くいきそうになかった。
レオンハルトは何も言わないが、気づいているのは間違いない。目が可笑しそうに笑っていた。
レオンハルトも寝室で着替えを済ませた。
見慣れた文官姿に戻った彼に、何となく安堵を覚えて気持ちが緩んだ。
「やっと笑った」
レオンハルトがポツリとそう口にしたので、私は目を瞬いた。
「私は笑っていなかったか?」
「この6年、私が目にしたのは作り笑いばかりでした」
「そうか……」
レオンハルトが私と同じようなことを思っていたとは考えてもみなかった。
「ところで、これからどうするつもりだ?」
「とりあえずは政務を再開しましょう。夜中に言ったとおり、あなたがすべきことはこれまでと何も変わりません」
「ここから出るのか?」
「フロリアン殿下が気づかれれば何かなさるかもしれませんが、その時はその時です。私や皆が側におります。陛下も予定を早めて本日中にはご帰還なさるはずですから、あなたは堂々とそれをお迎えしてください」
私はレオンハルトを見上げてしっかりと頷いてみせた。レオンハルトも私をまっすぐに見つめていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「コルネリア、約束してください。この先、あなたの気持ちが変わっても、あるいは別の理由でも、私に黙ってひとりで姿を消さないでください。もしも女王になどなりたくないと思ったら、必ず私に打ち明けてください。そうすれば私があなたを攫ってどこへでも逃げますから、私を置いてここからいなくならないでください」
レオンハルトらしくない縋るような視線に戸惑い、私はあまり深く考えずに答えた。
「安心しろ。私はおまえのように身軽ではないから、ひとりで姿を消すことなどできない」
レオンハルトの視線がスッと冷えた。
「何も告げぬまま、私の前から永遠に消えようとしたのはどなたです?」
レオンハルトの声はわずかに震えていて、私は息を呑んだ。
「大切にしたかった婚約者を失った者の気持ちがあなたにわかりますか? 生きて目の前にいる相手から『私は死んだ』と駄目押しされた者の気持ちは?」
私は6年前に自分が彼にしてしまったことをようやく理解した。
「すまなかった」
目頭が熱くなり、必死に眉間に力を込めた。
「私の死を悲しんでくれる人がいるなんて思わなかった。あの嘘が誰かを傷つけるなんて」
レオンハルトが目を瞠り、それから顔を歪めた。
「申し訳ありませんでした。あなたを責めるようなことを言うつもりはなかったのに」
私は首を振った。
「おまえは言いたいことを言ってくれ。私は何もわかっていないんだ」
「それなら、私の前ではそんな風に泣くのを我慢しないでください」
レオンハルトが手を伸ばして、私の眉間にそっと触れた。驚いてビクリと体が跳ねたせいで目から水滴が落ちた。
一度流れ出したものは止められず、後から後から溢れてきた。
「ここで、気の済むまで泣いてください」
レオンハルトに抱き寄せられるまま、私は彼の胸に顔を押しつけた。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
「もういいんです。あなたは生きてここにいるんですから」
レオンハルトの手が、宥めるように私の背を撫でた。
「ですが、あなたが死んだら号泣する人間がいることは覚えておいてください」
「号泣? レオンハルトが?」
思わず顔を上げてレオンハルトを見つめた。
「……いえ、ロジーナたちです」
「ああ、何だ」
レオンハルトは苦笑しながら、服の袖で私の頬をそっと拭った。
「コルネリア、言葉使いを戻す必要はありませんよ。私はあなたの声で『レオンハルト』と呼ばれるのが好きです。服も男装のほうが体に馴染んでいて楽ならそれで構いません。時々はドレス姿も見せてほしいですが。髪の毛だって無理に伸ばさなくても良いです。髪の長さにあなたの美しさは少しも左右されませんから」
レオンハルトは女王になれと言いながら、私を堕落させるつもりなのだろうか。
「レオンハルト、あまり私を甘やかすな」
「このくらい甘やかすうちに入りません。だいたい、私はずっと我慢していたんです。あなたを甘やかすことも、触れることも、名を呼ぶことも。もういいでしょう、コルネリア?」
今度はレオンハルトの手のひらに頬を撫でられて、体が震えた。
嫌なのではない。むしろ逆で、だから困る。




