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10 夜明け前に

 私は執務室の机に向かい、政務に関する書類を読んでいた。

 部屋にはレオンハルトや側近たちもいて、それぞれに割り振られた仕事をしていた。時おり、他の文官たちの出入りがあって、そのたびに机の上の書類が増えた。


 それは私にとってありふれた日常の光景だったが、途中で夢を見ているのだと気がついた。なぜなら……。


「コルネリア、こちらも急ぎでお願いします」


 レオンハルトがいつもの仏頂面で私の前に書類を置きながら、そう言ったからだ。


「私はコルネリアではない。クレメンスだ」


 私がレオンハルトを見上げて訂正すると、彼は眉を顰めてこちらを睨んだ。


「馬鹿なことを言ってないで早くしてください、コルネリア」


「だから、クレメンスだ」


 私が繰り返すと、レオンハルトは呆れたように溜息を吐いて、再び口を開いた。


 夢はそこで、唐突に終わった。




「コルネリア、起きてください」


 体を揺すられる感覚で覚醒し、私は目を開いた。


 ランプの明かりに照らされて、夢の中で見ていたのと同じ顔が、夢の中よりずっと近い場所に浮かんで見えた。


「レオンハルト」


 無意識に彼の名を口にし、しばし彼の顔を見つめた後でようやく意識がはっきりとして、私は跳ね起きた。


「レオンハルト、おまえ、どうして……?」


 寝台の傍に立って私のほうへ身を屈めていたレオンハルトは、姿勢を正して一歩下がると頭を下げた。


「こんな時間にこんな場所へ押しかけて申し訳ありません。ですが、明るくなってからでは何かと面倒なので、失礼は承知のうえで参りました」


「……兄上の命か?」


 胸の前あたりで掛布団をぎゅっと握り締めて訊くと、レオンハルトはジロリと私を見下ろした。


「なぜ私がフロリアン殿下の命を受けると思うんですか」


「なぜって、おまえは私がクレメンスではないと知って、兄上についたのだろう?」


「はあ? あなたは私の言葉を忘れたのですか?」


 何のことかわからずに首を傾げると、レオンハルトのいつも不機嫌そうな顔が、本当に不機嫌な顔になった。6年も側にいたおかげで気づけてしまった。


「『この先どのようなことになろうとも、今までどおり私がお側であなたを支えます』。ほんの3日前だったはずですが」


「それは、覚えている」


「では、ご自身が何と答えたかは?」


「……『信頼している』」


「私は本心から申しましたが、あなたは違ったわけですね」


 私は言葉に詰まった。

 あの時は本心で口にしたが、翌日に状況が急変してそんなやり取りをしたことなどすっかり頭から抜けていたのだ。


 とは言え、一方的に責められるのは理不尽な気がした。


「ずっと側にいたおまえが何も言わずに姿を眩ませば、不安になるのは当然だろう」


 言葉にしてしまってから自覚した。レオンハルトが自分の側からいなくなって、私は不安だったのだ。

 目頭が熱くなるのを感じ慌てて眉間に力を入れたが、レオンハルトにはやはり気づかれたのかもしれない。彼の表情と声がいくぶん柔らかくなった。


「確かにそうですね。その点については申し訳ありませんでした」


「それに、おまえは私がクレメンスでないことを知っていたとオリビアから聞いて……」


 オリビアの名を出した途端、レオンハルトの纏う空気が一気に冷えたように感じて、私はハッとした。

 私がクレメンスでないと明らかになれば、レオンハルトはオリビアと結婚することだってできたはずだったのに、兄上に横から奪われる形になったのだ。レオンハルトはもうそのことを知っていたのだろう。

 嫉妬のあまりレオンハルトの気持ちを知っていながら何もしなかったことに罪悪感を覚え、胸が痛んだ。


 謝ろうと口を開いたが、レオンハルトのほうが早かった。


「やはりあの女ですか」


「……え?」


「あの女に私が裏切ったと言われて、そのまま信じたのでしょう?」


「そ、れは……」


「どう考えても、私よりずっと怪しい人間がいるではないですか」


 私は目を瞬いた。


「あの時、あなたを庭園に誘い出し、護衛たちから離れた場所まで導き、近くに隠れていた似非騎士たちがあなたの首に剣を突きつける直前まで黙って見ていた人間ですよ」


「まさか、オリビアのことを言っているのか? オリビアだって奴らに殴られて、それに無理矢理兄上の婚約者にさせられたんだぞ」


「実際に殴られたところを見たのですか?」


 私は自分が気を失う直前の光景を思い出した。


「いや、間にいた男の陰になって見えなかったが」


「演技ですね」


 レオンハルトはきっぱりと断定した。


「それから、婚約はおそらくあの女のほうからフロリアン殿下に持ちかけたことですよ。もちろん、一昨日より以前に」


 ここまでくれば、レオンハルトのオリビアへの想いが私の勘違いだったことは理解できた。むしろ、レオンハルトがオリビアを心良く思ってはいないらしいことも。


 だが、私は思わず声を荒げた。


「適当なことを言うな。どうしてオリビアがそんなことをするんだ」


「国母になりたかったのでしょう」


 レオンハルトはあっさり言った。


「それなら、あのまま私と結婚すれば良かったではないか」


「あなたと結婚して将来王妃になったとしてもお世嗣ぎは産めませんから、本当の意味での国母になれません。だから、もともとあの女は他の男と子を作ってあなたの子だと偽るつもりだったのです」


「そんなことをすれば、他の誰が気づかなくても私が気づくではないか」


「気づいたところで、あなたの秘密と引き換えになったとしても、自分の子ではないと明言できましたか? あるいは、あの女に愛する男との間にできた子だとでも言われれば、あなたは守ってやろうとするのではありませんか?」


「だとしても、世嗣ぎにはしない」


「あなたがそう思っていても、周囲は違うでしょう。あなたが国王になり、子が王太子にさえなってしまえば、あとはあなたを処分して子を即位させるだけです」


 さすがに血の気が引いた。


「レオンハルト、おまえは本当にそんな怖しいことをオリビアが考えていたと言うのか?」


「相手となる男を物色していたことはわかっています。ゆえに、『あなたが殿下の妃になっても絶対にお子が出来ないことは私もわかっている』と釘を刺しておきました」


「……それでオリビアはおまえも私の正体を知っていると気づき、私ではなく兄上の妃になることにしたのか」


「そういうことです」


「だが、やはり信じられない」


 レオンハルトが呆れたように溜息を吐いた。ちょうど、夢の中で最後に見たのと同じ表情だ。


「なぜあの女が一目であなたがクレメンス殿下ではないと気づいたかわかりますか?」


「それだけクレメンスとの仲が睦まじかったということだろう」


「いいえ、逆です。クレメンス殿下は婚約してすぐにあの女の本性に気づいて、毛嫌いしていらっしゃいました。生きておられれば婚約はとっくに解消されていたはずです。あなたがあの女に蛇蝎を見るような目を向けなかったから、別人だと暴露たんですよ」


 予想もできなかった理由に、私はしばし呆気にとられた。

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