1 王太子の秘密
よろしくお願いいたします。
最近、オリビアが姿を見せると、レオンハルトの表情が変わる。
と言っても、わずかに眉が動く程度なのだが。
そもそもレオンハルトの顔はいつも不機嫌そうな仏頂面で固定されている。目の前にいるのが国王陛下でも、彼の父である宰相でも、大臣たちでも、もちろん私でもそれは崩れない。
そんなレオンハルトがオリビアに対してだけ反応を見せるのは、彼女が特別な存在だということなのだろう。
私とオリビアは3か月後には結婚する予定だ。今さらそれは覆されない。
私にとってオリビアとふたりきりで過ごす時間は貴重だ。その時だけは、少しだけ本当の自分を出せる。
オリビアもそれをわかっていて、しばし私に会いに来てくれる。
それでもレオンハルトの様子に私の気持ちは波立ち、オリビアのいない場で私は彼に問うた。
「レオンハルト、いいかげんおまえも婚約者を決めたらどうだ?」
レオンハルトの眉間に皺が寄った。
レオンハルトはこの6年で同じようなことを様々な相手から何十回と言われてきたはず。私もすでに何度目か覚えていない。
レオンハルトはすでに21歳で、本来ならとっくに妻を迎えていてもおかしくないのだ。
彼の答えもいつもと同じだった。
「私はコルネリア殿下以外の相手と婚約も結婚もするつもりはありません」
「コルネリアが死んでもう6年だ。そろそろいいだろう」
コルネリアを隠れ蓑にするくらいならさっさと結婚してしまえと、八つ当たりのように思ったが、決して声には出せなかった。
「殿下がそのようなことを仰るとは、心外です」
レオンハルトの眉間の皺が増えた。
コルネリアは国王陛下の第一王女であり、兄弟姉妹の中では王太子クレメンスーーつまり私と唯一母を同じくする姉だった。ちなみに母は陛下の正妃だ。
6年前、この国は流行病に襲われ、子どもと老人を中心に多くの死者が出た。
私たち姉弟もその病に罹った。そして、誰の意志による結果なのか、コルネリアが死に、クレメンスが生き残った。
何日も熱にうなされた後にようやく意識がはっきりした私に、涙ながらにそれを告げたのは母上だった。
「クレメンス、おまえの目が覚めて本当に良かった。コルネリアは助からなかったのよ」
私はあまりの衝撃に呆然として、しばらくは声も出せなかった。
床払いし、レオンハルトと再会した時のこともよく覚えている。
私に臣下の礼をしたレオンハルトには、憔悴が窺えた。目が合うと、レオンハルトは何かを堪えるような表情になった。
「心配をかけた」
「いえ、ご無事で何よりです」
「コルネリアのことは聞いたな?」
レオンハルトは少しの間の後で、私に尋ねた。
「コルネリア殿下は本当に亡くなったのですか?」
その問いに答えるには、苦しみを伴った。だからこそ、私は淡々とレオンハルトに告げた。
「そうだ。コルネリアは死んだ」
「そうですか」
レオンハルトはさらにコルネリアの話題を続けるかと思ったが、彼が口を開く様子はなかった。
「おまえには今後も私に仕えてほしい」
「もちろん、そのつもりです」
レオンハルトは再び礼をした。
レオンハルトとコルネリアの婚約期間は半年足らずだった。レオンハルトにとっては所詮、陛下と宰相に命じられた政略結婚でしかなったのだろう。
婚約者より、側近として仕える王太子のほうが彼には重要な存在だったようだ。その時はそう考えた。
しかし、半年たっても1年たっても、レオンハルトは新しい婚約を結ばなかった。自分の婚約者はコルネリアだけだと言って。
ベルツ侯爵家の嫡男である彼が結婚しないなどあるまじきことだ。
私は宰相にも尋ねた。
「レオンハルトの新しい婚約者を決めなくてよいのか?」
宰相は苦笑した。
「そんなことをしたら騎士になると脅されました」
それは普通の文官なら戯言と受け流せる言葉だが、レオンハルトの口から出たとしたら冗談に聞こえない。
レオンハルトは忙しい仕事の合間のわずかな時間に騎士団に出入りして、剣術の訓練を受けているらしい。私の護衛を務める騎士たちによると、彼の腕はかなりのもので、騎士になっても十分やっていけるとか。
「我が家にはあれの弟たちもおりますので、どうにかなるでしょう。殿下がお気になさる必要はございません」
宰相は嫡男の我儘を笑って許すような人間だったかと私は訝しんだが、それ以上突っ込んでは訊かなかった。
つい先日まで、コルネリアを想い続けるようなレオンハルトの言葉に、私は悦びを覚えていた。
レオンハルトがコルネリアには見せていた柔らかい笑みを、親しみを感じる「コルネリア」という呼び声を思い出して。
だが同時に、怒りや哀しみ、あるいは憎しみといった負の感情も抱き続けてきた。
そこまでの強い想いがあるのなら、おまえはなぜ自分の目の前にいる私がコルネリアだということにまったく気づかないのだ。
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