ルナ外伝 ~月の約束~ 6
賢者ベントス。
教養のあるコーゴーに属す戦士であれば、その名の意味を知っていて当然だ。
5000年前、ゴーユの民を皆殺しにするために神に創られた10人の神の分身体の総称である。
だがその10人の内の1人が裏切り、9人は〝死神〟ベイル・ペプガールによって1人残らず木っ端微塵に壊滅した。
そう、木っ端微塵にだ。
ゴーユ神話という限りなく事実が記されている(事実だという明確な根拠は無いが)書籍では、木っ端微塵だと描かれてある。
修復など不可能、それこそ蘇生なんて言わずもがな、この世に2度と存在する事など無いと思われていた────
「バカな……そんな……」
「……あり得ない……」
「うん、別に信じてもらわなくていい、この世に存在しているのは厳然たる事実ではなく、個人の自分勝手な解釈による主観……要するに〝世界〟だ──
──だからたとえボクが君達に「ボクは賢者ベントスです」と言っても、君達が認めなければ君達の解釈でボクは永遠に賢者ベントスにはなり得ない──
──つまりボクが自分の存在を「こう」だと説いても、君達が「そう」だと認めなければ、この世にエイウェルという名の賢者ベントスは存在しなくなるから……自己紹介が無駄になる」
結論を言えば、エイウェルは「ちゃんと名乗ったのに否定してんじゃねぇぞクソガキが」という思考を、優しく遠回しに罵声を浴びせた、らしい。
「あ~この遠回しエセ哲学やっぱり疲れるわ~、やめよう、普通にクソガキって言おう」
エイウェルが思っているほど、ルナとフリードはそのド直球な罵声を真に受けられる心理状態では無い。
圧倒的な戦力差──コーゴーが誇る若手最有望株、最も特等聖戦士に近い聖戦士の1人であるルナであっても、認めざるを得ない厳然たる事実が目の前に降臨していた。
賢者ベントス、その名だけで一体いくつの村を堕とせるだろう……いくつの街を堕とせるだろう……いくつの国を堕とせるだろう……。
もしかしたら世界の1つだって堕とせるかもしれない。
世界に存在する全ての生命体の頂点に君臨する〝人類〟を超える、神の手に直接創られた〝分身体〟。
結局はそう……どれだけ理性的だって、悩む事考える事が出来る唯一の生命体だって、異物のように脳裏に転がっていた本能は残されているのだなと、その理性を使って理解する。
────無理だ、勝てない。
生き物の定義とは至って単純だ。
喰うか、喰われるか。
「……どうだルナ……」
「……2億7420万32通りの未来を見た……」
いつもより明らかに数が多い……通常ならぱ100通り程度なのだが、敵の強さが高ければ高いほど凄まじい数の未来を視た。
まして億を超えるなど異常事態も異常事態、ルナがそれだけの数の未来を僅かな時間、それも想像を絶する恐怖と対峙しながら視た事はさすがだと拍手を送りたくなる。
だがそれでも、世界の真理の全てを解読出来そうにも思える脳のフル回転を持ってして、ルナは再度確認した。
「勝ち筋は0……これから起こる如何なる奇跡でも、俺達が奴に勝てるきっかけにならない……」
フリードはもはや恐怖を飛び越した感情の高ぶりに笑ってしまう。
「だろうね」
一言、エイウェルが呟くと両腕を大きく広げ、余裕綽々な笑みのまま次々と言葉を列ねる。
「まずこの異様な空間はボクの呪力〝自空間〟で作られたボクの1番好きな風景だもちろん次元は切り離されてるからどんな奇跡も起きはしない──
──あとボクは完全に復活した訳じゃないから本来の力の半分ほどしか出せないこれは君達目線からの唯一の弱点と言ってもいい──
──さらにさらにボクの方からは一切攻撃をしない勝手に攻めてきて勝手に疲弊した瞬間を狙って喰らうこれは戦闘じゃない狩りだ故に攻撃は選択肢に存在しない──
──そして君達が1番知りたい情報はここに来た食糧達の安否だね? 安心してくれ全員もれなく喰ったから確認の必要は無いよかったな~手間が省けて──
──これ以外に欲しい情報があれば何でも言ってくれもちろん答えられる質問は限られているがボク自身の事ならば遠慮なく答えられるよ」
どこで息継ぎをしているのか分からないほどに早口で、そして聞き取りやすいように抑揚がキチンと付けられている。
ルナもフリードも既に諦めている、こんなにも舐めきった態度をとられて反骨心を持つ事も無い。
そもそも人が本来絶対に届かない場所で生きている存在だ、まして被害者は全員死んでいるというのだから個人的なやる気も起きない。
さらに言えばこの2人を喰らえばここから離れるのだから、人々のためにこの2人が犠牲となればそれで任務は達成された事となる。
だがルナは、ルナだけは違った。
絶望しかなく、心は完全に折られ、希望も奇跡も絶たれ、すがりつく現実逃避すら消されたこの状況で、ルナの震えは止まった。
ルナにとっては初めての経験だった……未来をどれだけ視ても勝ち筋は無い、全くの0という事が。
つまりルナは呪力を持ってから初めて、未知の状況下に置かれているのだ。
そしてルナは未知を恐れなかった、結果は視えたがそこに希望が見えなかった訳では無い、諦める理由は無いと己を鼓舞した。
一体どうしてこんなにも笑っていられるのだろう、何故この状況下で楽しいという感覚を抱いたのだろう。
それはルナが、未知は恐怖ではなく希望だという認識をしているからに他ならない。
再び剣を強く握り締める、スキだらけなのにスキの無いエイウェルを睨み付ける、口角は上がったまま。
そしてルナはある1つの決断をし、そのあまりに無責任な決断をフリードに押し付けた。
「俺が相手しておく、だからお前は何としてでも……逃げろ!!!」




