アリシアとキューちゃん
アリシアは王宮から、ルブラーンから、ハロドックの助太刀もあり何とか脱出した。
何とか追っ手を振り切り、雨により流れの速くなった川のおかげもあり山を降りられ、ベイルとラルフェウに出会う。
一時は追っ手により捕らえられるも、ベイルとラルフェウの力により助けられ、共に船で冒険の旅に出て丸一日が経った。
あれ以降ベイルはずっと眠り続け、起きる気配はさらさらない…まだラルフェウとの距離感も分からず、上手く会話が出来ない。
そんな中、心に少し余裕が出来た昼頃、どこでも使っていいと言われて適当に選んだ部屋のベッドの上で、ふととある疑問が湧く。
「……何で私……あんなに走れたんだろ……」
まず疑問に思わない方がおかしい、ろくに運動などせず、軟禁状態にあった少女が、武装を施していたとはいえ、兵士に追いかけっこでいい勝負をしたのだ。
今だって、船内をぐるっと1周回るちょっとした探検を徒歩でしたところなのに、まあまあ疲れている。
体も弱く最低限の教養しか得られなかったため、とにかく人として無力である自分のあの走力……。
今走ってもあんな風には走れない……必死だったから、故の火事場の馬鹿力的なものなのか……謎だ……。
※ ※ ※ ※ ※
「……美味しくなかったですか?」
「え?……あ……うん」
相変わらずラルフェウの料理は、見た目は最悪、野菜炒めをどうすればこのぬめりのある物体Zにしてしまうのか……もはや職人の域だ。
なのに普通に食べられる……可も無く不可も無い、文句は無いがこれといって特徴の無い味だ、しかしアリシアにとってその味は革命のようにも思えた。
「そ……そうですか……すみません」
「……あ!違う!美味しいよ!」
「……なら良いんですが……」
アリシアが大きな声を上げるのは昨日の助けを求めた時以来…そもそもほとんど話さないので、それだけ褒めてくれたと思い込んだラルフェウは、びっくりと同時に喜びを覚える。
軟禁状態での料理はレパートリーこそ多く、飽きはこなかったが楽しみでも何でも無い、味も基本的に美味しくない、従者と会話する事は日に数回あったが全てよそよそしく、近寄ってくんなと言われなくても伝わってくる。
ご飯も美味しい上に積極的にコミュニケーションを図ってきてくれ、優しい声と表情を見せてくれるので、喜びよりも戸惑いの方が大きかった。
「アリシアさん」
「は……はい……」
「困った事や相談事は何でも僕に言ってください……微力ながら手伝いますよ」
またこの笑顔だ……あの時助けられてから、この笑顔を見ると、絶対に大丈夫な確信を持ってしまう……。
絶対なんて無い、それは鳥籠の中での15年間で痛感した……あどけない小さな希望すらも無慈悲に握りつぶすあの場所で、なんて希望を持てばいいのだろうか。
そんな絶望の中で、月光に大きく、あまりにも眩しい希望を携え颯爽と現れた男に、今まで何度も夢に見た……外の世界を見るという希望を、おとぎ話のような大きな困難など皆無なまま叶えてくれた。
ハロドック・グラエル……いつの日にかまた会えると信じて、今度こそちゃんとお礼を言うために、この名前は忘れない。
「……あ……えっと……その……ラ」
「あれ、キューちゃんとは呼んでくれないんですか?」
自分から言っておいて冷静になると小っ恥ずかしくなったその呼び名をあえて言わずラルフェウの名前を呼ぼうとしたが、恐ろしい反射神経で疑問を呈する。
自分で呼んだのが恥ずかしくて、と言えば言われた側であるラルフェウからすればたまったものじゃない、きっと怒っている……アリシアは縮こまり言葉が出なくなり、食べる手を止めてうつむいてしまった。
「あ……すみません……えっと……呼び方なんて何でもいいですよ、僕だと分かるならばそれで」
……これもきっと地雷だ……アリシアにはラルフェウの言葉が気を遣っているものか、本当の意味での優しさなのか、分からなくなっている。
仮に怒りを表に出していないだけで、もしそうならそれでもいい……無責任だと言ってくれ、落ち込んでも私の言葉を受け止めてくれ、自分勝手にしか話せない私に失望してくれ……。
当たって砕けろと言わんばかりにアリシアは目を瞑り、ルブラーンから抜け出す事と考えれば楽なものだと己を変に鼓舞して、本心を口でちゃんと伝える。
「───その……キューちゃんっていうの恥ずかしいから……ごめんなさい!!」
何てこと無い、普通の疑問に対する普通の返答。
そんな言葉すら、並べるためになけなしの勇気を振り絞らなくてはならない。
人との対話に対する恐怖心が、従者達の険しい表情が脳裏にチラつくその行為が、怯えにより踏み出せずに立ち止まらせ、自分への優しさと偽り、殻を破らせてくれない。
怖い……ラルフェウはハロドックと並ぶ救世主の1人だ、いやベイルもそうなんだけど。
怖い……そんなラルフェウが相手であっても、ラルフェウは人なので怒りもするし、まして自分が相手なら情け容赦なく言葉を連ねるだろう。
「そうだったんですか……」
どうして……希望をくれたのに、こんな暗い方暗い方へとしか考えが及べないのか……。
「分かりました、なら無理しなくて大丈夫ですよ?」
「……え……」
「別に、無理を押し付けたりはしません……確かに、唯一無二な呼び名だったので少々残念ですが、それはアリシアさんの自由なので、何度も言いますが強要はしません」
物体Zと化した野菜炒めを完食し、アリシアと同様に本心を連ねるラルフェウの言葉は、何故か本心だと聞いて理解出来た。
聞いて……というよりは、表情から読み取れた……ラルフェウはアリシアの目を見て、迷いの無い真剣な表情で話したのだ。
これを疑ってはダメだ……だとしたらラルフェウは本当に自分を責めるつもりは無いし、怒ってもいない……その事に、心底ホッとした。
甘え方がよく分からないが、質問はいくらしてもラルフェウとなら気軽に話せるかもしれない……。
───信じるって、心強い。
「でも、その気になれたら是非ともキューちゃんと呼んでください……他でも無い、アリシアさんから言われる事が嬉しいんです」
眩しすぎた、世の中にはこんな人もいるんだという希望が、自分がきっかけの出来事を素直に嬉しいと言ってくれる事が、正午の日差しが、何もかもが眩しすぎた。
「……怒ってない?……」
聞くのも野暮だろうが、どうしても聞いて安心したい、もう少し、ラルフェウ・ロマノフ……いや、キューちゃんと話したい。
「もちろん怒ってません……ははは、だとしたらどれだけ器が小さいんですか僕は」
笑い飛ばしてくれた……その笑顔を見る度に、私もいつの間にか笑っている……変に入っていた力を抜かせてくれる……こんな2人だけの時間がとっても心地良い……。
「ねぇキューちゃん」
「はい」
「私……あの山を降りる時、兵士に追いつかれなかったんだけど……何であんなに走れたのかな……」
「え、分かりません」
「え?」
※ ※ ※ ※ ※
「という訳だ、今回の継承者にはあえて試練を与えて乗り越えさせる」
「大丈夫なのかそれ?」
人間界に2つある諸島の1つ、セタカルド諸島のさらに向こう側の海底に存在する球体、エーギルの結界によって球体が造られているその中に、土や植物、文明に人が住んでいる。
その存在を誰も知らない、都市伝説にすら記されない深海の孤島、サン・ラピヌ・シ・ソノ。
そこの長でありエーギルの結界を張る張本人の、うさぎの見た目ながら二足歩行で見た目以外は人と変わらない、うさちゃん。
そのうさちゃんはアリシアとラルフェウが船内で話している同時刻、島の中央に位置する芝生広場でピクニックをするみたいに、1人の長身の男と座って会話をしている。
この男こそが、アリシアをルブラーンから抜け出させ、自由と希望を与えた、ハロドック・グラエルその人だ。
「大丈夫って?」
「その娘は、兵士から逃げられる足を持っていないだろ」
「問題ねぇ、〝贈与吸収〟で魔力を与えた」
「……それは、魔人族以外なら体力を与えるだけだろう?走る速さは変わらなくないか?」
「俺のは変わるのー、俺は自分に巡る魔力を、自分から切り離しても操作出来る……未だかつて魔人族では俺含めて3人しか達せていない、魔力の本質を見極めるという域だ」
「嘘くさい」
「何でだよ!!」
思わず立ち上がるハロドックに、うさちゃんは疑いの目を向ける。
残念ながらこれは本当だ……ハロドックは不死身故に、誰よりも長い年月を過ごしてきた、その上で何百年、何千年かかったか忘れたらしいがかなりの長い時間をかけて身につけた極限の域だ。
「……試すだなんて、マナクリナのような事を……」
「つまりそういうこった……あいつは、アリシアには……マナクリナと同じ、覚醒の兆しがある……これでベイルがしくじれば……
───俺はベイルを殺す」
この言葉を言った瞬間だけハロドックの放つオーラにはうさちゃんも身の毛がよだつ殺気を込められており、その眼差しは憎む仇を見る時の、殺意に満ちた眼差しだった。
「……相変わらずだな」
「契約なんだからしゃーねーだろ、よし、別の話題に切り替えよう」
「例えば?」
「〝ピーーーーーーーーーーーーーーーーーー〟とか」
「……何故ほとんど謎の音が入るような事を真面目に言えるんだ……〝狂犬〟とはそういう意味ではないだろ……」