第3話 召喚術
「もーらいっ!」
「あー! カインド兄ちゃんっ! またトーチが俺のご飯とった!!!」
「こらこらっ、横取りしちゃダメだろ。 ほら、兄ちゃんの分やるから我慢しろ。」
「ねぇねぇっアニキ! アニキのかっこいい話もっと聞かせてよ!」
「そうかそうか聞きたいかっ! それではこの俺、誇り高き戦士ルフネス様の武勲を語って進ぜよう!」
「馬鹿ね、ルフネス兄さんの話は八割嘘よ。」
「チミティお兄ちゃん、あのねあのねっ! 可愛いお花が咲いたんだよっ!」
「ほ、本当かい? それはよかったね、今度僕にも見せて欲しいな……。」
「ですからリージェンスお兄さま、ここの詠唱をあえて区切ることでですね……」
「いや、しかしだなインテ、それをしてしまうと全体の詠唱の絡まりが解けて威力が二割ほども……。」
町のはずれのボロの家の前に置かれた大きな机の上には焼いただけの肉と野菜と言った無骨な料理が並べられ、それをつつきながらそれぞれが思い思いに喋りあかしていた。
机の上に置かれたランタンの灯りから逃れるように影で美しい黒毛の狼が丸まり座り込んでいる。
コトリ
その目の前に皿と熱く切られた肉が置かれ、傷だらけの男が笑った。
ストラは一口で肉を頬張ると何度か顎と上下して咀嚼し、首を傾けて胃に流し込む。
少し獣臭いが美味かった。
ソルジが満足そうに笑うと後ろでストラ兄ちゃんのお肉大きかった!ずるいと声がした。
なんだかえらく懐かしい気がする。こんなやりとりを前にも見たような覚えがある。
ランタンの光に照らされて映し出されたボロの家には少年少女たちの伸びた影が照らされてユラリと揺れた。
ああ、この家も随分と変わってしまった。
男しかいなかったこの家に今では少女も混ざっている。いつ壊れてもおかしくないボロの家はあちこちを木の板でツギハギされておりその跡が見えた。
レイブリーが死んだとしても絶えず世界は回り続ける。感情がおいてけぼりのままに少年たちは生きるためにまた魔獣の首を追った。
血の繋がりはなかった。みんな、居場所なんてなくてソルジに拾われた孤独だった男達。一緒に自分たちの帰る場所を作ろうとして家族の真似事をしていつの間にか本当の兄弟よりもよっぽだお互いを思って愛していただろう。
涙を流すことは許されなかった。
置いていかれてしまうから。残酷に過ぎ去る時は男たちを決して赦しはしない。
なんとか笑っていつもどおりに騒いだ。
皆が眠る頃、俺はもう一人分の飯を食うのが日課になっていた。
耐えて、耐えて、いつまで続くのだろうか。
それでも少年らは立ち続けた。決して折れることはなかった。
それでも、世界は歩みを止めない。足場が崩れ落ちて崖が広がってゆく。
走って、走って逃げて……それでも一人、二人とまた減っていく。
誇り高き戦士たちは涙を流さない。ただいつもと同じように騒いで夜に息を噛み殺して瞼をギュッと結んだ。
「家を修理するぞ! ついでにちょっと大きくもしてな!」
朝飯を食った後にソルジは立ち上がるとみんなに向かってそう言った。
「誰か木の板持ってきてくれないかな?」
「だ、誰かネジ余ってないかな……?」
「この角度で取り付ければあるいは……。」
「つーか、オヤジは俺らに雑用させてどこいってるわけー? ズルくね?」
カンカンと木が打ち付けられる音がする。俺はそれを木の陰でただ眺めていた。
ずっと変わっていないと思っていたのは願望で、家ははじめの時よりずっとボロく今にも崩れ落ちてしまいそうになっていた。
皆、一心不乱に作業に取り組んだ。埃まみれになっても気にせず汗を袖で拭って続けた。一度手を止めてしまったもうダメになってしまうかもしれない。きっと彼らはそれが怖かったんだろう。
空に青色に赤のグラデーションがかかる頃、ソルジは家へ戻ってきた。
その足元には何人もの少年と少女がいた。
「ここが今日からお前らの家だ。」
ボロの服の胸のあたりをギュッと握り締めていた。
男たちが初めて俺と戦った時と同じぐらいの年だ。
頬に青い痣があった。髪が全部抜け落ちていた。歯が溶けて黒ずんでいた。
「ッッッ……。えっと……今日から君たちのお兄ちゃんになるのかな? カインドって言うんだ。よろしく。」
膝を折って同じ目線になってカインドは笑ってみせた。少年も少女も怯えて身を引いた。
「もう、レイブリーたちの飯は用意しないでいい。この子達に分けてやる。」
「オヤジはっ! オヤジは卑怯だっ! 減ったら補充して……俺たちはコマじゃないんだよッ!!!!」
ソルジの言葉を聞いて、ルフネスは苦しそうに叫んだ。まるで世界から空気が消えてしまったかのような実に苦しそうに短に息を吸ってはいた。
乾いた破裂音がしてルフネスの頬が赤くなった。リージェンスは俯いていて顔が見えなかった。
ルフネスは何かを言おうとして、そのまま苦虫を口いっぱいに押し込められた、そんな顔をして家の中へと入っていった。
チミティはどうすればいいのか分からず二人を交互に見てオロオロしていた。
その夜、俺は男たちと共に寝た。俺が腰を下ろすとルフネスが毛に体を預けて眠った。
部屋の中は新しい木の匂いがして、もうあの懐かしい匂いはしなかった。
それでもやはり星は流れる。
風が吹いて矢が飛んできた。背に何本も刺さって血が垂れる。それでも歩みを止めることなど出来ない。
ただ死んでしまわぬように進むことしかできないのだ。
ああ……愛しき戦士たちよ。誇り高き戦士たちよ。お前たちはどうすれば救われる。
家族は増えていく。ソルジが連れてくるたびに皆優しく迎え入れた。
それなのに家の明かりが大きくなることはない。前より騒がしくなることはない。
身を寄せ合って傷を舐め合い慰め合った。孤独であるよりも皆で立ち上がることを選んだ。その選択は時が経てば経つほどに重くのしかかる。
ただいつまでも変わらないように見えるその家はなんて残酷なんだろうと思った。
綺麗な満月が雲一つない夜空に浮かび上がっていた。
「久しぶりに、手合わせしないか。」
ソルジは俺にそう言って歩き出した。俺は静かにその後を追った
ソルジは剣を抜いて盾を構えた。ストラは向かい合ったまま静かに後退し闇夜に姿を溶け込ませる。
静寂が続き、ソルジの背中に冷たい汗が流れた。先に動いたのは意外にもソルジだった。
盾を構えてまま真っ直ぐに駆ける。それを見てストラは足に強化の魔法をかける。
ただの二回地面を蹴ってくの時の軌道を描いてソルジの後ろへ回り込む。最後にもう一度地面を蹴ってソルジのうなじに牙を向けた。
それを察知して剣先を上に向けるとソルジはそのまま裏拳を放ちストラを飛ばした。
空中では踏みとどまることもできず大きく吹き飛んだ。
もう一度距離が空いた。横っ腹に生じた衝撃がまだ残っていて少しよろけた。
間髪入れずにソルジは走り出していた。
形成を整えなくては。
そう思った瞬間にソルジの姿が消えた。黒い毛を持つわけでもない人が姿を消すだなんて不可能だというのにそれでもやはりどこにも見えない。
この時、ソルジは勝利を確信していた。しかし剣はストラの身にまで届かなかった。
全力で振るったはずの剣がはじかれて右手が浮いた。巨大な体が人の体に覆い被さり関節が軋んだ。
失った左目の死角に入り込んだはずだった。それをまさか読まれているとは。
範囲に制限のある強化魔法をピンポイントで合わせられたソルジはとうとう負けを認めずにはいられない。
この日、ストラは始めて主に勝ったのだった。
俺が降りるとストラは俺の目を見つめた。黒い真珠のような瞳はどこまでも澄んでいた。
いつの間にか顔にはシワが増え髪も髭も白く染まっている。体の傷は前より濃くより多くなった。
俺はいつの間にか強くなった。お前はいつの間にか弱くなった。
「約束だ。召喚獣の契約を切ろう。」
俺を縛り付けていた糸がプツリと切れた。なにか不思議な感覚だった。もう俺をつなぎ止めるものは何もない。
ようやくかつてと同じになって、ああ、懐かしい。
どこか浮いていて今にでも風に吹かれ飛び去ってしまいそうだ。
俺はただ、まっすぐソルジの目を見た。
「いいのか?」
言葉は交わせなくても伝わってくれた。
「再契約だ。俺に力を、子供たちに力を貸してくれ。生きろ。そして子供たちを、あの場所を守るんだ。」
ああ、なんて――
「俺がもしも死んだら……子供達に契約を譲渡する。相手はストラ、お前が決めろ。」
なんて嫌な役目だ。
次の日、ハンター達は討伐に向かった。
ソルジは振り返らなかった。ただ手をひらひらと振って言ってくるといった。
俺はこの時、事の顛末を既に知っていたような気がする。
家に着いたとき、張り裂けた背中からはもう流れる血すら残っていなかった。
穏やかな死に顔だった。痛かっただろうに、その顔はどこか笑ってるようだった。
自分を庇ったんだと女が言った。まったく泣く奴があるか。
ソルジの背中はやはり戦士の、男の背中だった。
その夜、子供たちに寄り添った。俺の毛に顔をうずめて濡らした。みんなが泣いていた。ハンターになった連中でさえ涙を流していた。
ずっとこらえていたはずなのに。
ああ、大丈夫だ。怖くない。俺がこの家を守るから。俺がお前たちを守るから。
ハンターも子供たちもみんな変わらなかった。ただ無邪気に泣いて、泣きつかれてやがて眠った。
立ち上がるとぼろの床が軋んだ。静かに抜け出すと風に乗った血の匂いを感じた。
ああ、よかった。まだ残ってる。
俺は駆けた。血の匂いを辿り、ひたすらに森の奥へと入り込んだ。
グルルルルルルゥゥゥゥ
自分でも気づかぬほど自然に俺は唸り、憎しみを怒りを向けていた。
森の中で地に濡れた巨大な熊がいた。紫の毛皮に赤黒いシミが付いていた。嫌なぐらいアイツの匂いがした。
いつもどおりに姿を消して、地面を蹴ると首元に飛びかかる。
一瞬で終わらせてやる。ああ、殺してやるとも。
余りにも遠く、牙は届かない。
吹き飛ばされた体が痺れて立ち上がるのもやっとだ。
爪は防いでも殴られた衝撃までは受け止められない。熊は二足から四足に戻してゆったりと俺の方へ向かった。
死んでもいいと思った。ここで逃げるぐらいなら終わってしまいたかった。
「生きろ。そして子供たちを、あの場所を守るんだ。」
脳で言葉が響いた。
自分の意識とは関係なく足が動いた。俺は尻尾を巻いて逃げ出していた。
契約がそうはさせなかった。
主の敵に背を向けて無様に生き足掻いていた。
お前は死んで尚、俺に命令するというのか。お前は死んでまだ俺を自分の召還獣だと呼んでくれるのか。
ああ、嫌だ。
月が見えた。
まん丸でどこまでも黄色く俺を照らした。
アオオオオオォォォォォォォォォォォ
召喚獣として俺は初めて吠えた。悲しいのか悔しいのか。
俺にはもはやわからなかった。
ただ。
なんて嫌な役目だろうか。
ああ―――なんて嫌な仕事だ。
すみません!毎日投稿って言っていましたがこれは無理だと悟りました……。
投稿頻度は週に2、3になるかもです。出来るだけ頑張るのでよろしければこれからもどうぞよしなにお願いします!