第1話 誇り高き黒狼
キンッと甲高い音がする
飛びかかった俺に対して目の前の男は即座に反応して剣を振るった。俺はそれを牙で噛み付いて受け止める。
構わず男が振りきろうと力を込めて太い腕に血管が浮き上がった。だがその程度の力じゃまだ足りない。
俺は自分の重さを真っ直ぐに乗せて押し込むと男に覆いかぶさる。そのまま首を振って剣を奪い取り投げ捨てればあとは簡単だった。
首元へと牙を充てがうだけでいい。
「わー! 降参だ降参! マイッタって!」
男の悲鳴を聞いて俺は男の上から立ち退いた。男は立ち上がると背中の砂を落とし、押さえつけられてついた肘の傷を擦った。
「イチチ、また勝てなかったや。」
男はいつもの癖で鼻の下を擦ってにこやかに笑った。当たり前だ、お前程度が俺に勝てる訳などない。
俺はそいつに背を向け、宿舎へ足を向けた。
追いかける足音は聞こえてこなかった。
ああ、コイツのことだ。どうせバカみたいに深くお辞儀をしているのだろう。いつものことだ、見なくても直角に曲がった姿が重い浮かぶ。
ああ―――なんて嫌な仕事だ。
「俺に力を貸せっ! 誇り高く、力ある戦士よっ!」
俺を呼ぶ声は重く力強く、どこまでも響きわたるようだった。俺はその声に広く、傷だらけの背中を見た。男の、戦士の背中だ。
この誇り高い男は召喚獣として俺にどんな誇り高い役目を与えるのだろうと思った。
だから俺は召喚獣になった。男と契約を交わしてやった。
男は俺にソルジと名乗った。
男の手は傷だらけだった。初めて見たソイツの背中を俺はなぜか知っているような気がした。デカく、刻まれた傷の数だけ男の強さが浮き上がる。腰に付けた円状の盾とロングソードは持ち手がひどく擦れていてその男の日常を物語った。
ソルジが俺を連れてきた場所にはガキが集まっていた。
「黒い毛並みに……大きな体、プラウドウルフ……。」
誰かがポツリと呟いた。
俺の姿を見て腰を抜かすヤツ、肩に剣を乗せて粋がるヤツ、腰が引けて怯えながらそれでもいっちょまえに剣を前に構えるヤツ、いろんな奴がいた。ざっと見て十人はいただろう。
薄汚いガキどもだった。ボロの服は土だらけで長さが足りず肘も膝も飛び出ていた。肌は黄色く染まって汗の臭いを撒き散らす。
歳はバラついているのか身長は不揃いだった。かと言って少年と呼ぶほどのやつもおらず皆、二桁はあるだろう。だがどのガキも共通してやせ細り、骨と皮しかなくとても美味そうには見えなかった。
どちらにしろだ、ソイツらの全員が俺にとっては取るに足らない相手だった。それは、一人であろうと全員同時であろうと変わらないほどに。
まったく、侮辱されたものだ。このような赤子で俺の腕を試そうなどと。
「はじめッッッッッ!!!」
ソルジの叫び声と共に地を蹴り、風と共に駆ける。剣を構えることもせずに調子づいていたガキの腹に頭突きを決めて吹き飛ばす。
反応もできず、受身も取れずに吹き飛ばされたガキは地面に叩きつけられて唾を撒き散らす。
もう立ち上がることはできないだろう。
すると後ろで、気が動転したガキが目を瞑ったまま剣を振りあげて俺のもとへ走ってきた。瞼も上げずにどうやって狙いを定めるのか。臆病者め。
ただ、尻尾を振って終わりだった。
口から息のすべてが漏れて、剣を落としてあっけなく吹き飛んだ。
また俺は駆けた。魔法を使う必要さえなかった。
剣を捨てて逃げ出す奴がいた。
盾を構えてなんとか受け止めようとする奴がいた。
それも全てが、ただぶつかればそれだけで吹き飛んで腹を押さえ、立ち上がることはなかった。
辛うじて剣を振るって来た奴もいたが、それも頭を振って払えばそれで終わりだ。衝撃が届くことさえない。
すぐに残りのガキは一人になった。
立ち向かうことも逃げることもできない臆病者だ。
内股になって足を震わせて剣の先をこちらへ向ける。
瞳は泳いで今にも涙がこぼれそうだった。フン、つまらない。
静かに歩み寄りガキの目の前で足を止めた。
「うわあああああああああああ!」
半ば狂乱じみた叫び声とともにガキは剣を振り下ろした。
俺は動かなかった。ただその剣を受け入れた。
それでもやはり刃が俺の身に届くことはない。剣を弾き飛ばされ宙をくるくると回り落ちる夕日と重なって赤く照らし出された。
音と共にはるか後方で剣が地面へと突き刺さった。
ガキはそれを見て腰を抜かし、あろう事か地面に黄色の染みを作った。獲物の首を折った時と同じ匂いがあたりに広がった。
終わりだ。ガキの首元に俺は牙を充てがいゆっくりと食い込ませる。
弾力ある肌がヘコみ反発してプクりと赤い水の玉を浮かび上がらせた。
「ヤメろっっっっっ! そこまでだ。」
ソルジの静止の声が聞こえた。何を馬鹿な事を言う。仕留めた獲物の命を奪わない狩人がどこにいる。
俺は命令に背いてそのまま牙を喰い込ませようと顎に力を込めた。しかし、血が噴き出す瞬間はとうとう訪れなかった。
そうか、これが契約か。
ソルジは俺の口からガキを救い出すとよくやったと頭を撫でた。一体何を言っているんだ。なんだコレは。一体何の茶番だというのだ。
「ストラ。」
ソルジは立ち上がり、俺に向き合うとその黒い真珠のような瞳を向けて口を開き、召喚術師として初めて俺の名を呼んだ。
俺はいままで狩人として誇り高く生きてきた。逃げたことも獲物を逃したことさえタダの一度もない。
乾ききった風が駆けて、俺の毛を揺らす。空は既に朱色に染まり始めていた。
この男は俺に一体どれだけ誇り高い仕事を与えるのだ。
「お前にはこいつらの訓練相手、教官になってもらう。」
その時、俺の世界から音が消えた。視界がボヤけ、どうやっても焦点が上手く定められない。
俺が召喚獣になるために与えらた仕事は教官などというクソくだらない役目だった。
少し短めになりますが新しい話です!