第4話 召喚獣
季節は移ろいゆく。それは家も、人も、俺でさえ。
逃れることはできない。目を背けてはいけない。
「ほいよ、アニキ。」
いつものように俺の前には厚く切った肉が置かれた。後ろからはずるいと言う声が聞こえた。
契約は何度引き継がれただろう。ただいつの間にかソルジという男が存在した証はいつの間にか俺とこの家のみになっていた。
俺には狩猟に出かけるハンターたちを止めることはできない。代わりになってやることもできない。ただ帰りを待って夕焼けを眺めるだけだ。
俺に出来ることは何があるだろうか。全力でガキどもの相手をしてやる。ただのそれだけだ。
なんてちっぽけなんだろうか。一体それでどれだけが救えた。
消えていってしまった戦士たちをもう数えることはできない。なぜ夜空に星はこんなにも浮かびあがるのだろうか。
太陽のように笑ったあの娘も、いたずらばっかりだったあのバカも、どこまでも勇敢で優しくて怯えていたお前も、そして……ああ、一体どこにいると言うんだ。
終わりは等しく訪れる。それが望まぬ形であっても望む形であっても。
それでも、この家にはまだ明かりが灯されて続けている。受け継がれ、誰もがそれを背負うと覚悟している。
無駄じゃなかった。俺にとってはそれが一番だ。
同じように救った。傷だらけのガキどもは歯の欠けた口を開けて笑い声を上げている。ただそれだけのために俺たちは生きている。
それでいい。それで十分だろう。
いったいどれだけの魔獣を討伐しただろうか。無数の犠牲を払った。
町を守るためにの脅威となる魔獣を倒してどれだけの命を救ったか。だがこの家を見る目は変わらなかった。
町のはずれの身代わり人形屋敷。それがこの家に着いた蔑称だった。
誰からも必要とされなくて、人にもなりきれなかった人形を集めて盾にして魔獣を狩る汚らわしい連中。
町を歩けば後ろ指を指されて道に唾を吐きつけられた。
お前たちにいったい何がわかる。命を捨てたお前らがどうして命を拾い、守るこいつらを悪く言える。なぜお前らなんかが戦士たちの思いを簡単に捨ててられる。
ハンターとなった戦士たちはそれでも兄妹が守れればそれでいいと誇り高く偉大に笑ってみせた。
歪んだ認識と悪意は変わらないままに過ぎて、ある日家の前には籠が置かれていた。
中に入っていたのは赤ん坊だった。
この家を人の廃棄場所と勘違いしたゴミと変わらぬ母親が捨てていった。
自分の足で立つこともままならない赤子をいったいどうやって育てるというのだ。
苦虫を噛みつぶして、それでもいままで見捨ててきた存在だった。一から育ててやる余裕なんてない。ずっと面倒をみていられるほど時間なんてない。
育てられるわけがないと声が上がった。見捨てられないと声が上がった。みんな同じように拳を握り締めていた。
その時の俺の主は優しい男だった。ハンターとしての技量が優れているワケではない。それでもみんなを率いて歩いて行ける強さを持った男だった。
「ザファー、どうすんだよ……。」
ザファーはそっと籠から赤ん坊を抱き上げると育てるといった。
優しい、温かい目をしていた。狩りが大変になろうとそれでも面倒を見るといった。
「僕はこの場所に救われた。僕だって全部を救うだなんて甘ったれたことを言うつもりはない。それでも目の前の一人ぐらい救ってやりたい。」
その言葉を否定する奴はいなかった。できるワケがなかった。誰しもが救ってやりたいと願っていたのだから。
だからこそ、その思いと戦っていた。
ザファーは俺の下まできて頼むよ、にいさんとそう言った。
頼まれたものの人でない俺にできることなんてたかがしれている。
かえって小さい連中の方がよく働いていたように思う。
俺がしたのは精々一緒に寝てやるぐらい。それでも横で何度も泣き声を聞いてるうちに腹がへったやら、漏らしただとかそんな程度にはわかるようになった。
だから俺はそれを小さい連中に伝えた。
小さい連中だって家を愛していた。自分と同じように誰かを救いたいと願っていた。だから、落とさないようにと大事に抱いて、泣く姿にオロオロしながらそれでもなんとか頑張った。
案外すぐにハンターたちの手助けもいらなくなって小さな連中だけで面倒を見きれるようになった。
家にはいつもの騒々しさに泣き声まで加わってより一層騒がしくなった。
案外、変わったのはそれぐらいのことだった。
「ほらー、お姉ちゃんはここだよー。頑張ってドルチ!」
「流石は俺の弟! 俺に似てたくましい、もうこんなに歩けるようになるとは!」
「うるさいわよ、おもらしバカ。あんたなんかに似たら一生歩くこともできないわよ。」
「あっだぶっ。」
ずっと親指をしゃぶっていたドルチもすぐに大きくなって歩けるようにまでなった。
ドルチは……
「あぶっ! う、うぎゃああああああああああああああああ。」
「あっ! ほら、大丈夫大丈夫だよー。痛くない痛くない。」
泣き虫だった。案外早くハイハイもアンヨも覚えて根性があると思えば、周りに誰もいなくなって一人になるとすぐに泣く弱虫小僧。
その度に俺に抱きつくと両手で毛を引っ張って顔をうずめた。
俺の毛はいつも鼻水まみれで、ドルチいつの間にか泣きつかれて寝ていた。
本当によく泣く奴だった。ようやく歩けるようになったからって兄や姉と手をつないでバカみたいに笑いながら次には石に躓いてバカみたいに泣いた。
泣いて泣いて、その分笑って。
本当に泣き虫で弱虫なやつだった。
「ぱっぱっ!」
俺の尻尾はドルチのお気に入りだった。振り回してやると左右に追っかけてなんとかつかもうとした。
泣き虫のドルチはすぐに俺にしがみついてまた毛を濡らして、弱虫のドルチはいつも俺と一緒に寝た。
あろう事か初めて喋った言葉がパパだった。そんな俺とドルチを見てガキどもは笑いながらにからかった。
俺でさえ似合わないとそう思った。
立てるようになったドルチは次に剣を持った。普通の子ならまだ棒付きキャンディーでも握って舐めまわしている頃の事だ。
木で作った軽くて小さな剣をしっかり握って兄や姉の真似をして健気に振るった。
それを見たガキどもは辛そうでもあって、どこか嬉しそうでもあった。俺と同じようにドルチの存在が誇りだと皆思うようになっていたのだろう。
俺は肉を噛みジュースにしてドルチに飲ませた。
なんとか飲み込むとドルチはぱっぱっと言って笑うのだった。
しっかり食っていっぱい動けばみるみるうちに大きくなって筋肉もつく。町のガキがカブトムシに虫取り網を振り下ろしている頃にドルチは本物の短剣を俺に振り下ろしていた。
俺は毎回避けて後ろから優しく小突いた。ドルチは頭から地面に突っ込んで泥だらけの顔を俺の腹に埋めて泣いた。
それでも次の日もまた次の日も剣を振って突いた。
「いてー! 手加減してくれよ、オヤジ」
「うっ……いたいっよっ。」
「男なんだからすぐ泣かないでよねドルチ。あなたが一番の先輩なのに、はぁ」
人の時は恐ろしいほど早く進んだ。ドルチは大きくなると俺をオヤジと呼んだ。新しく入ったガキ共も真似して俺をオヤジと呼んだ。
なんと歯がゆかった。やっぱり上の連中がそれを見てニヤニヤと笑っていた。それでも俺は悪い気はしなかった。
ただ、その言葉を聞くたびに俺はソルジの顔を思い出した。
夜になると家の前に灯りが灯される。いつもと同じようなやり取りをして騒がしく過ごして一日の終わりを祝う。
お前の大切なものはきっとなくならない。確かに受け継がれている。
俺は決まってその影で丸まって、夜空に語りかけていた。
答えはやはり帰ってこなかった。暗闇の中で星が光り続けていた。
朝になるとハンター達は武器を持つ。ガキどもは洗濯をして洗い物をして、その後に俺に武器を向ける。
俺に出来ることはただ全力で相手をすることだけだった。丁寧に丁寧に死の恐怖を与えた。
丁寧に丁寧に自信というやつをへし折ってより慎重に、より大胆に戦えるように。
力で敵わなければ策を練った。策がで至らなければ力を蓄えた。そうやってガキどもは強くなった。
少しずつハンターとして大きくなっていった。新しいガキどもが入れば兄となって姉となったし、時には父にも母にもなった。
大きな家族は愛し合ってただ生きようと必死に前を見続けた。
やはり俺に出来るのは大したことなんてなくて、何度も全力で相手をした。
どんな敵にあっても死なないように生き延びられるように、殺せるように。
俺は高度な魔法を使えない。魔獣の身でありながら使えるのはただの一つ、強化魔法のみ。だがそれは俺にとっての誇りでもあった。
特徴がなく最も単純であったからこそどんな魔獣にもなってみせた。ハンターたちが持って帰った技術、知識の全てを見て聞いた。
幾度となくガキどもと向き合えばその全てで戦い方を変える。そうすればガキどもも戦い方を変えて、ただ死ぬその瞬間まで思考を止めず生きるのを諦めなかった。
首に牙を充てた。顔が顎に収まった。体を乗せて押しつぶそうとした。
小便を漏らして臭くなった分だけ鋭く研ぎ澄まされていった。
ハンター達は強くなり続けた。それでも死が途切れることはない。
魔獣を狩るには人の力はあまりに弱すぎた。この世界の理不尽はどこまで行っても離してくれない。
家族が死んで、死んで、とうとうドルチはハンターとなった。
俺にとってはまだまだガキだった。ハンターと呼ぶにはまだ足りない。そう叫びたかった。空気が消えて喉からは細く空気が漏れた。
俺はそれ以上、何もできなかった。
傷だらけになって、俺のもとで泣いて夜を超えた。それでもみんなの前では笑うようになっていて、狩りに出てまた傷を作る。
ガキどもに兄として振舞って、誰より怯えているはずなのにそれでも気高くあろうとした。
いつの間にかドルチの背中は大きくなっていた。
俺とドルチは契約を果たす。
もはや何度目か、数えることはとうに諦めていた。
「オヤジ……。」
ドルチはどこか不安そうな目で俺を見た。少し潤んで、夜の光を反射していた。
俺はドルチの瞳に映る俺を見た。そこには真珠のような黒い瞳が見えた。
そうか、そこにいたか。
どうりで見つからないわけだ。
その夜、ドルチは俺に抱きついて眠った。俺は抱きしめるように丸くなって眠った。
ドルチがまた新しい子を引き連れて、そしてハンターたちと狩猟に向かう。
あの時の違和感はいつの間に消えていたのだろうか。
その背中はやはり偉大な戦士の背中だった。俺が仕える星の背中だ。
ただ感謝する。俺に誇り高くあれることを。今はもう恥じることはない。
家族と共に生きる強さを否定できるわけがない。鍛え上げることを誇りに思うのはいつの間にか当然となった。
満月の夜だった。
ドルチは俺のもとへ来た。腰には柄が磨り減ったロングソードと丸い盾を付けていた。
剣が抜かれれば俺は駆けた。冷たい風が生まれ体を通り過ぎていく。
最大速度の突撃は盾で後ろに流される。闇夜に姿を溶け込ませた。強化魔法に強弱をつけることで進行方向をブレさせてジグザグに迫る。
それも見切ってまっすぐに剣が振り下ろされた。
実に鋭い一撃だった。
ガキンッ
甲高い音がして、牙と刃とがぶつかると火花が散って二人を赤く照らしだす。
すぐにお互い後ろへ飛んで距離を取った。
静かに、静かに時がながれる。風に揺られ擦れる草の根に自分の心臓の音が重なって聞こえただろう。
ストラはそれさえも消してしまうほどに小さく息をする。
ゆったりと足を出し、緩やかに加速した。最高速度に至れば速度を下げ、上げて何重にも速度を変えることで残像を生み、自分を重ねる。
時間差を生みながら真っ直ぐに進むストラがドルチには突然目の前に現れたように見えるだろう。
ドルチは俺の視界から消えた。
ああ、そうか。
ドルチの剣はやはり届かず大きくはねた。
俺はそのまま体を回して尻尾で左に居るドルチを打った。
大きく吹き飛ばされたドルチはそのまま仰向けになって空を見ていた。
「はは、やっぱりオヤジには勝てないや。」
弱虫で泣き虫のドルチはもう泣かなかった。いつの間にか一番強くなっていた。
お前なら俺を倒してくれると思っていたのに。それでもやはり至らない。
一体、いつ終わるのだろうか。俺はまだ契約を続ける。それが俺が俺自身にかした使命だ。
ドルチを囲って夜を過ごす。体重をあずけたドルチの体温が伝わって温かい。
夜風が黒毛を揺らしながら通り過ぎていく。空は澄んで冷たく光る。満月を覆うものは何もなく模様が浮かび上がった。
俺はそれをただ眺めて、朝が訪れる。
月と代わりに顔を出す太陽が藍色の空に赤のグラデーションを載せる。
朝露に湿った風が心地よい。
ドルチは見慣れたロングソードと丸い盾を腰につけた。
振り返らず俺に背を向けると手をヒラヒラと振った。
そうか、お前も言ってしまうのか。
ああ、なんて―――なんて―――
嫌な仕事だ。
少し蛇足っぽいですが黒狼プラウドウルフ編の最後になります!
エピローグ的な感じで楽しんでいただけたなら嬉しいです。
次はもう一度閑話をはさんでまた新しい話に行きたいと思います。
今週中にあと2話は上がると思うのでよろしくお願いします!