デスぺラードその四 『赤鬼』と呼ばれた、少女趣味なマッチョ③
………
……
蔵の中には俺と摩央ねえの二人で入った。
どうやらこの蔵はまったく使われていなかったらしく、赤鬼たちのねぐらとして使われているようだ。
立派な不法占拠だが、船の件もあるから今は目をつむっておこう。
薄暗い蔵の中を、明かりも灯さず一直線に進んでいく赤鬼。
「さあ、こっちだ! ついてこい!」
まるで我が家のように振舞っている彼の背中に向かって、
――元いた時代だったら、即逮捕なんだぞ!
と、心の中で口を尖らせた。
しかし今ここで彼と対立してしまったら、港に運ばれてきた食材を手に入れられなくなってしまうだろう。
そうなれば結菜との約束が果てせない……。
俺は言いたいことをぐっと腹に収め、黙ったまま赤い背中についていったのだった。
………
……
時間にしてものの2、3分といったところだろうか。
俺たちは蔵の一番奥までやってきた。
暗がりの中、目をこらすと小さな引き戸が見える。
赤鬼はその前で足を止めると、にんまりと笑みを浮かべたのだった。
「ここが俺の部屋だ! 俺は独り身だからこの部屋は誰も通したことはねえ。だが今日は特別に通してやろう!」
――だ、か、ら! この蔵にいること自体が違法なのに、『自分の部屋』を勝手に作るなー!
もういい加減、ツッコミをいれてもよさそうな気がしてきたぞ。
次何かあったら、絶対に言ってやろう。
――ここはお前の家ではない! 好き勝手しすぎだ!!
と……。
そう覚悟を決めて、部屋の中に一歩踏み入れた瞬間だった――
とんでもない光景を目の当たりにしたのである!
「なんじゃこりゃああ!!」
摩央ねえが「銃で撃たれたのを今さら気付いたかのような」低い声で叫んだ。
もし彼女が声を上げていなかったら、俺がまったく同じ言葉を口にしていたはずだ。
いや……。
俺はすでに声すら出せないくらいに度肝を抜かれてしまっていたから、それは無理だ……。
「ん? どうした?」
赤鬼がきょとんとした顔でこちらを見てくる。
その四角い顔に向かって、摩央ねえが唾を飛ばした。
「こ、こ、こいつらは何だ!?」
「がはは! 見て分からんのか!? 『辻が花』ではないか! がはは!」
「『辻が花』なのは見れば分かる! なんで『おっさん』のあんたが、こんな多くの……」
『辻が花』とは、安土桃山時代だけで流行した着物の染め方のこと。
西洋のトレンドを取り入れ、朱色や金色などきらびやかな色づかいが特徴的だ。
かつては徳川家康や豊臣秀吉も『辻が花』の小袖を愛して、よく羽織っていたらしい。
だから『辻が花』がこの部屋に所せましと並べられているところまでは、まあ許せる。
しかし、問題はそれらの小袖の模様とサイズだ。
なんと、全てが花や小鳥など『可愛らしい模様』ばかり!
しかもサイズは通常の半分以下……つまり『少女サイズ』ではないか!
つまり『少女用の可愛らしい着物』が部屋の至るところに並べられているのだ。
『独り身』のおっさんの部屋に――
「なんでって言われてもなあ……」
いかついガタイをした赤鬼が小首をかしげて考え込む。
そしてしばらくした後、弾む声で答えたのだった……。
「だって可愛いんだもん!」
「ぐはあああああっ!!」
摩央ねえが腹を抑えてうつ伏せになる。
「摩央ねえ!!」
俺は急いで彼女の背中をさすりながら、きりっと赤鬼を睨みつけた。
そして強い口調で言った。
「これは『罠』か!? 俺たちを心から攻めるための罠なのか!?」
「罠とは失敬な! せっかく誰も通したことがない俺の秘密の部屋に入れてやったのにぃ! し、しどいっ!」
涙を流さんばかりに、袖の端を噛みながら悔しがっている赤鬼。
俺はなおも気を失っている摩央ねえを看病しながら、赤鬼に問いかける。
「待て、待て! 本気なのか!? 本気でこれが『お前の趣味』なのかあ!?」
すると赤鬼は胸を張りながら答えたのだった……。
「がはは! 当たり前だ! 可愛いものなら何でも集めるのがこの『居初 又次郎』の趣味だ! がはははっ!」
と――
これが俺と『居初 又次郎』との出会いであった。
『赤鬼』と呼ばれた、少女趣味なマッチョ。
彼もまた『絶望した人』であり、この城の『デスぺラード』としてやってきた一人だったとは――
「これは『かんざし』を集めた箱! ほれほれ、可愛いだろう? がはは!」
………
……
摩央ねえが意識を取り戻したのは、しばらく経ってからだった。
なおも訝しむ摩央ねえを落ち着かせたところで、赤鬼について話を聞くことにした。
「俺は『居初 又次郎』。堅田衆の一人じゃ!」
こう切り出した彼は、淡々とした口調で語りだしたのだった――
堅田衆とは、琵琶湖の水運と問屋を支配した地侍と商人、そして農民の集団のこと。
琵琶湖の南方にある「堅田」という場所で自治を行っていたらしい。
その中でも地侍たちは「湖族」と呼ばれ、船を何隻も所有していたというから驚きだ。
簡単に言えば、琵琶湖版の「海賊」みたいなものなのかな。
彼らは湖と共に平和に暮らしていた。
しかし、そんな彼らの平和に、手を伸ばしてきたのは……。
『魔王』だった――
「織田信長……」
居初 又次郎の顔が、真っ赤に染まる。
殺気が帯びた彼の顔をちらりと見ただけで、ぞっと背筋が凍りつく。
――どうやら相当深い恨みがあるようだが、いったい何があったのだろうか……?
ただその答えは彼の話で痛いほど、よく理解することになる。
「あの野郎は俺たち堅田衆を引き裂きはじめた。容赦ない脅しでな」
彼いわく、織田信長は地侍と商人たちの間を引き裂き、堅田衆が自滅するのを謀ったというのだ。
――余についてこい。さもなくば……滅せよ。
その脅しに屈するように、居初 又次郎をはじめ数人の湖族が織田信長側につかざるを得なくなった。
彼は率先して織田信長に恭順することで、商人たちも含め、堅田衆の安泰を保証してくれると踏んでいたのだ。
だが、その考えは甘かった……。
次に織田信長の口から出てきたのは、無慈悲な命令だった……。
――貴様らの手で『堅田』を攻め落とせ。
「うそ……」
摩央ねえが顔を青くした。
聞いているだけで胸が張り裂けそうになるのは、きっと彼女も俺と同じだったのだろう。
居初 又次郎は、目に涙を浮かべながら先を続けた。
「俺たちは逆らえなかった。だから攻め込んださ……。かつて同じ釜の飯を食った仲間が住む堅田をな……」
それも堅田衆の未来永劫の安泰を手に入れるため。
彼らは自分の身を切る痛みを覚えながら、仲間たちに刃を向けたのだ。
――又次郎でねえか!? どうしてお前が!? ぎゃああああ!!
まさか仲間の槍で命を落とすとは思ってもいなかったのだろう。
堅田の人々はほぼ無抵抗に、次々と命を落としていった。
攻める方も攻められる方も血の涙を流した。
それはまさに『地獄』以外のなにものでもなかっただろう。
想像すら拒む悲惨を極めた同士討ちに、俺は完全に言葉を失っていた。
だが、彼にとって本当の『地獄』が待ち受けていたのは、この先だったのである。
それは彼らが深くまで攻め入ったその時だった。
「俺は見たんだよ……。目付けでやってきた織田家の武将の一人が、ニヤリと笑ってその場を立ち去っていくのを……」
「それってもしかして……」
「ああ……。はめられたのさ。織田信長の野郎にな……!」
「そんな……」
なんといつの間にか朝倉・本願寺の大軍が、彼らをぐるりと取り囲んでいたのだ。
なぜ朝倉・本願寺が織田軍の堅田侵攻を事前に察知していたのか……。
織田軍の堅田侵攻の情報が、何者かによって漏らされていたとしか考えられない。
その情報の出所は果たしてどこだったのか……。
居初 又次郎は、『織田信長』以外に考えられないと断言した。
「朝倉、本願寺と言えば、織田信長の敵じゃないか!?」
それを聞いて、摩央ねえが驚愕の声をあげた。
しかし居初 又次郎は首を横に振った。
「織田信長は『魔王』だ……。利用するものなら『敵』すら利用する……」
「くっ……! ゲス野郎め!」
怒りに震えた摩央ねえが舌うちをした。
俺は怒りよりも、ただ織田信長の冷血なやり方に恐怖し、言葉を失った。
そしてもう一つ、俺の背筋を凍らせたのは『目の前の現実』であった。
――裏切って、裏切られて……そうして幾千もの人々が犠牲になっていく……。これが現実。これが『戦国時代』なんだ……。
そんな俺たちを交互に見比べながら、居初 又次郎は続けた。
――援軍はまだか! 信長様からの援軍はこないというのかああああ!?
わずか1000の織田軍に対して、朝倉・本願寺の連合軍は数万。
絶望と恐怖の中、居初 又次郎は数人のお供を引き連れて無我夢中に走った。
聞こえてくる仲間たちの断末魔の叫び声。
足元に転がる友人の亡骸。
「助けて!」と泣き叫ぶ子どもたち。
そういったものから顔をそらしながら、彼は必死に前へ前へと突き進んでいったのである。
そうしてついに視界が開けた。
目の前に広がていたのは……。
雄大な湖だった――
何もなかったかのように静かにうねる湖面を見て、自然と涙が滝のように流れる。
「うああああああああ!!」
彼は慟哭した。しかし泣き叫んでいる暇などない。
周囲のお供に支えられながら、岸につないであった船に乗り込んで戦場から脱出した。
そして、ようやく我に返った彼の目に映ったのは、敵味方に分かれた仲間たちの血で黒く染まっていた故郷であった――
一部始終を聞き終え、ただ首を横に振り、涙を流す俺。
その涙は「怖い」とか「哀しい」とか、そういった単語では片付けられない感情の波に押しだされて流れたものだ。
摩央ねえが俺の頬を、手ぬぐいでそっと拭いてくれたところで、俺はようやく気を取り直した。
「……その後、あいつは朝倉家と和睦しやがった」
「つまり戦はただ堅田衆の弱体化とともに終結した……ということだな」
居初 又次郎は大きくうなずいた。
「ひでえ……許せない……」
摩央ねえがふるふると拳を震わせている。
俺は彼女の手にそっと自分の手を重ねたことで、落ち着くよう促した。
それは同時に俺自身の嵐のような心持ちも収めたかったのだと思う。
彼女の手のぬくもりに、確かな安らぎを俺は感じていた。
居初 又次郎もまた、自分の感情を飲み込むように、顔色をもと通りに戻して続けた。
「ああ、許せねえよ。だが、今の俺は一隻の丸子船と数人のお供。それしかねえ。まさに『絶望』のまま、湖をさまよい続けたさ。そんな時だ、この城の港を見つけたのは……」
琵琶湖を航行できそうにない船を何隻も停泊させ、ガランとして隙だらけの港に漂着すると、彼はそこを拠点にすることに決めた。
もとから港にいた人々は彼らを受け入れ、そして施した。
街の人々は居初 又次郎のことを『赤鬼』と呼んで怖がったが、港で暮らす人々は、城主の言いつけをしっかり守って彼らの世話をし続けたのだ。
――困っている者には施しを与えよ。善を与えれば善で返ってくるのが世のならわしであるから。
それが『絶望からの守護者』、城尾 護からのお達しだったそうだ。
「俺がそんなことを……?」
もちろん身に覚えなどあるはずもなく、目を丸くするしかない。
すると居初 又次郎が背中をバンバンと叩きながら大声で笑った。
「がははは! お殿様は謙虚だのう! がははは!」
一方の摩央ねえは、首を横に振ってため息をついている。
「護、そういう格好のつけ方は、おなごにすぐバレるからやめた方がいい」
「ちょっ! そういうつもりじゃねえし! それにどうして俺が摩央ねえの前で格好つけなきゃなんねえんだよ!」
「護……。いい加減、素直になっていいんだよ。お姉さんのこと、好きなんだろう? 護の気持ちには答えられないけど」
「ば、ば、ば、馬鹿を言うな!! この嫁き遅れ鬼ババアめ!」
「ああ!? なんだとこの野郎! やるのか!? ごらあ!」
「がははは! お主ら愉快だのう! ますます気に入ったぜ! がははは!!」
それまでの暗い雰囲気が一変してなごやかなものに包まれる。
いつの間にか摩央ねえの顔にも笑みが戻ってきたのを見て、なぜかほっと心が和らいだ。
そして居初 又次郎が快活な声で続けた。
「せめてこの港を活気あるものにしてやりてえな! そう思ってな。それが『使えない船の破壊』だったわけだ」
彼の心意気に胸を打たれ、思わず深いため息が出てしまう。
「はあ……。そんな事情も知らずに俺はいきなり彼に刀を向けただなんて……。恥ずかしいったらありゃしない」
しかし彼はそんな俺の背中をバンバンと叩きながら、笑い飛ばしてくれたのだった。
「細けえことは、気にしてくださんな! 感謝しなきゃなんねえのは、俺たちの方なんだからよ! まあ、だからこうして俺の部屋に招待したってわけだ! がははは!」
その言葉を聞いて、俺と摩央ねえは目を見合せる。
――この部屋に招待されて、むしろ『罰』かと思ったぜ。
二人とも考えていることが同じだったのだろう。
「あはははは!」
「なっははは!」
と俺たちの口からも自然と笑い声が出てくる。
目の前で大きな口を開けて、心の底から愉快そうに笑う『赤鬼』を見て、俺は思った。
地獄を見た彼が、少しでも前向きに生きていけたなら、それでいい。
そして茶々と同じようにこの城で『希望』を見いだせたならば、これ以上の喜びはないじゃないか。
偉そうに聞こえるかもしれないが、本心からそう思っている自分がいる。
ただ、笑い声をあげていないと、その本音が顔に出てしまいそうで怖かった。
だってそんな恥ずかしいことを摩央ねえに知られたら、またどこでいじられるか知ったことではない。
だから俺は目の前の二人が笑い終えるまで、声を張り上げ続けていたのだった――
………
……
しばらく三人で笑い合ったところで、俺は肝心な願いを告げた。
そう、茶々たちの饗応のことである。
すると彼は分厚い胸をドンと叩いた。
「がはは! そんなことくらいなら任せておけ! ちょっと待ってろ! 門吉を連れてくるから!」
「門吉?」
もちろん初耳の名だ。
そして、これが俺と門吉という少年が出会うきっかけとなった。
彼こそが、この時代に来て初めての『友』となる人であったのだが――