デスペラードその三 兄が『魔王』の、ロリコンをこじらせたイケメン青年①
◇◇
御殿とは、その城のあるじ……つまり城主やその家族が暮らしている建物のことだ。
千鬼城の御殿は「二の丸」と呼ばれる建物のすぐそばに建てられており、そのため「二の丸御殿」と呼ばれている。
なお「本丸」はすぐ近くの山の頂上にある。
だから「本丸御殿」にしてしまっては、山での暮らしを強いられることになってしまう。
城下街へ遊びに行くのに、わざわざ山の登り下りをしなくちゃいけないなんて嫌だ。
ということで、平地にある「二の丸」のそばに作ったのだった。
千鬼城の二の丸御殿の部屋数は30。畳だけで700枚以上は張られている広大で豪華絢爛な建物だ。
客間……すなわち大広間もまた広々とした空間で、金色の襖には著名な画家が書いたとされる龍と虎の絵……。
……という設定にしてジロラマを作った訳だが、驚くべきことにそれらがすべて余すことなく再現されているではないか。
しかも、『じい』についても俺が作ったフィギュアに瓜二つだ。
だが70歳というところまで設定したのはいいが、肝心の名前をつけ忘れていたのを思い出した。
うむ、仕方ない。
彼のことは、これからも『じい』で通すとしよう。
きっと彼もその方が楽に違いない。
あの歳で名前を与えられても、覚えるのに苦労するだけだろうから……。
さて、今俺は客間に城主として座っている。
そしてその部屋には、摩央ねえ、結菜、じいの他に、客としてやってきている『茶々』と、その付添いのイケメンな青年もいる。
この二人だけは、俺の作ったジオラマの世界の住人ではないということになるな。
なんだか不思議な感覚だ。
俺が未だに頭の整理に一生懸命になっている一方。
目鼻立ちのくっきりしたイケメン青年は、顔を真っ赤にして唾を飛ばした。
「と、と、とりあえず! そこから離れなされ! ハァハァ……」
声が上ずっている。
どうやら激しく動揺しているようだ。
しかしどうも気になる……。
なぜ最後の「ハァハァ」が妙にエロいのだろうか……。
「いやじゃ! わらわはここがいいんだもん!!」
座っている俺の膝の上から、幼女の甲高い声がこだました。
茶々だ。
今、彼女は俺の膝の上にちょこんと座っているのである。
「ねぇ、おじちゃぁん。ここにいてもいいでしょ?」
ちらりと俺の顔を下から覗き込んでくる茶々。
潤んだ大きな瞳と、桃色のふっくらしたほっぺを見れば、誰でもこう答えるだろう。
「ああ、もちろんさ!」
と……。
ぱあっと顔を太陽のような笑顔に変えた茶々が俺に抱きつく。
「わーい! わらわ、嬉しいょ!」
するとイケメン青年の顔が歪んだ。
「ぐぬっ! 羨ましい」
顔をそらしながら小声でつぶやいたのは、周囲に聞こえぬようにしたからだろうが、ばっちりと俺の耳には入ってきている。
いったい何が羨ましいんだろう……?
怪訝そうな顔で彼のことを覗き込むと、彼は慌てて手を振って話題を変えてきた。
「そ、そ、それに、もう帰らないと、『兄上』に叱られてしまいます!! ハァハァ」
青年は、相変わらず気持ち悪い息遣いで、『兄上』におびえたような声をあげる。
まさか彼の兄が『魔王』でもないだろうに、おおげさな……。
「いやじゃ! わらわはずーっとここにいるって決めたのじゃ!」
「ずっとって……。まさか、その男とずっと一緒におられるつもりか!?」
「そうじゃ! それの何が悪いんじゃ!」
「ぐぬっ……。言われたいっ! 俺も『一緒にいたい!』と言われてみたいっ!」
その一言を聞いて俺は確信した。
このイケメンは、ロリコンだ!
しかもかなりこじらしたロリコンに違いない!
……となると、彼と茶々を一緒に帰してはマズい!
もしかしたら帰りの道中で、茶々が彼に襲われるかもしれない。
そこで俺は心に決めた。
どうにかしてこのイケメン青年だけを帰そうと――
「ごっほん! あのー、ちょっとよろしいかな?」
「むむっ!? 城尾殿は黙っていてくだされ! 今はそれがしと茶々様の二人っきりの時間なのですから! ハァハァ!」
「しかしですねー。こうして彼女も嫌がってますし、あまりしつこいと嫌われてしまいますぞ」
「ぐぬっ! それだけはいけませぬ! それだけは……ああ……」
イケメン青年はまるでこの世の終わりかのような困った顔になる。
なんだか弱い者いじめをしているようで気が引けてくるが、ここで折れてはダメだ!
しかし次の瞬間、思いもよらぬところから声が聞こえてきたのだった。
「護! あんたは黙ってなさい! これ以上彼を傷けるようなら、この城尾 摩央が許さないわよ!」
うげっ! なんで摩央ねえが彼の肩を持つんだ!?
しかしその疑問はすぐに解けた。
イケメン青年が摩央ねえの方を向いて、爽やかな笑顔で一礼する。
「摩央殿と申すのか。かたじけない。恩にきります」
摩央ねえは嬉しそうに体をくねらせる。
そして、口元を抑えて顔を赤くしながら言った。
「いえ、いいんですよー。うふふ」
何が「うふふ」だ!
いつもは大きな口を開けて「なっははは!」と笑うじゃねえか!
ぐぬぬっ……。
これではイケメン青年だけを追い出すことは難しくなってしまったじゃないか。
摩央ねえのドヤ顔を見た途端に、無性にむしゃくしゃしてきた。
そこで俺は、一計をめぐらすことにした。
「……この面食いめ。顔ばっかりで選ぶからいつも男で失敗するんだ」
「ああっ!? なんか言ったか!? ごらぁっ!?」
引っかかった!
これぞ、挑発の計!
外面だけは抜群にいい摩央ねえの本性を、もののみごとに引き出したわけだ。
その本性を前にして、イケメン青年の顔が固まっている。
すると、彼女ははっとして、甲高い声でわざとらしく高笑いし始めた。
「おっほほほ。ここ『千鬼城』は千の鬼が住まう城。か弱いわらわの体は、いつも鬼に乗っ取られてしまうのです! ああ、早くわらわを守ってくれるたくましい夫が欲しいものじゃ! おっほほほ!」
取り繕ってももう遅いのは、ドン引きしたイケメン青年の様子を見れば一目瞭然だ。
(てめえ……。あとで覚えてろよ!)
と、摩央ねえの視線が槍のように突き刺してくる。
前の時代の俺であれば、下半身がひゅんとなってしまっただろう。
しかし、今の俺にはその視線を受け流す余裕があった。
なぜなら敵に深く攻め込まれた場合を考えて、千鬼城には隠れ場所や隠し通路を至るところに用意してあるからだ。
いかに摩央ねえが無双の槍で俺に襲いかかってこようとも、彼女の前に姿を現わさなければいい。
俺がニヤニヤしながら、摩央ねえを見ていたところで、ようやくイケメン青年が声を上げた。
「千の鬼が住む城ということならば、これ以上の長居は無用でございます! さあ、もう岐阜へ帰りますぞ! ただの見物だから、『兄上』もここへ来るのを許してくれたのですから!」
「嫌じゃ! わらわはおじちゃぁんと一緒にいたんのじゃぁ!」
「わがままは許しませぬ! 『兄上』の逆鱗に触れたら、それこそ一大事なのは、茶々殿もよくご存じでしょうに!」
さっきからちらちらと『兄上』という言葉を使ってくるな。
しかもそのたびに、無邪気な茶々の顔に影が落ちている。
俺はいてもたってもいられなくなり、彼に問いかけた。
「ところで、お主の『兄上』とはいったいどなたのことなのだろうか?」
しかしその言葉の直後、驚くべきことが起こったのだ。
――ガタッ!
なんと部屋にいた全員が腰を抜かしてしまったではないか!
幼女の茶々ですら「何を言ってるのょ」って顔で俺を見つめている。
なんだ? なんだ?
俺だけのけ者にした冷たい空気は。
俺は静まり返ってしまった場をなごませるように、大きな声で笑い飛ばした。
「あはははは! その『兄上』とやらが『魔王』でないなら、そう怖がる必要もないだろ! あははっ!」
しかし……。
顔を真っ青にしたイケメン青年は、震える声で驚愕の事実を口にしてきたのだった――
「……わが兄上は、『魔王』なのです……」
「へっ?」
まったく意味が分からずに目が点となる俺。
だって、異世界でもあるまいし、こんなところに『魔王』なんているわけ……。
……と、口にしようとしたその瞬間だった。
全身に電撃が走ったかのような衝撃を覚えたのは――
「まさか、お主の『兄上』は……本当にあの魔王なのか!?」
彼はゴクリと唾を飲み込んだ後、ゆっくりとうなずいた。
そして俺がめまいを覚える中、ようやく彼は名乗ったのだった。
「我が兄上は自らを『第六天魔王』と名乗りしお方……。その名も『織田 信長』。それがしはその弟の、織田 長益でございます」
このロリコンをこじらせたイケメン青年は、織田信長の弟。
織田 長益だったのか……。
後に「有楽斎」という名で知られることになるれっきとした戦国武将の一人だ。
しかし彼の前半生は、信長の弟にも関わらず、ほとんど知られていないらしい。
もしかしたら『こじれた性癖』のせいかもしれないな。
いらぬ邪推をしていたところで、長益の口から低い声が発せられた。
「これ以上、茶々殿をお引き留めされるというなら、この城は兄上に弓を引くことになりますぞ」
「そ、そんな……」
ぞくりと背筋が凍りついたのも無理はない。
あの織田信長が敵になる……。
有名な逸話では、比叡山を焼き討ちし、兵だけでなく女子供も皆殺しにしたというではないか。
圧倒的な軍事力と残虐さをあわせ持つ、まさに戦国時代の魔王だ。
そんな奴を相手にしたら、この城も城下町も焼かれてしまう……。
地獄のような未来を想像していたのは、俺だけではないようだ。
結菜やじいも顔を真っ青にしている。
そしてあの摩央ねえですら、顔を引きつらせているのだから、この時代の『織田信長』がいかにヤバイ奴かがよく分かる。
俺の恐怖がうつったのか、膝の上の茶々が大泣きを始めた。
「いやあああだぁ!! 帰りたくないのぉー! 怖いのぉ!! うあああああん!!」
その場の全員が、言葉を失ってしまっている中、いつまでも茶々の泣き声だけが響き渡っていたのだった――