デスぺラードその二 かたくておっきいのをこよなく愛する幼女②
◇◇
それからどれくらいたっただろうか。
ようやく意識が戻ってきたかと思うと、遠くの方から聞き慣れた声が聞こえてきた――
「おい! 護! おい! 起きろって! 姉ちゃんの言うことが聞けないっていうのか!?」
ダメだ。その声に反応して目をさましたら、ろくなことにならない。
体が勝手に拒否反応を起こし、俺は目を開けなかった。
……が、それが失敗だった。
――ビタァァァン!!
と派手な炸裂音が響いたかと思うと、右の頬に焼けるような痛みが走ったのである。
「いてええええ!!」
思わず飛び起きると、目の前には眠そうな目で俺を見つめる少女の顔。
結菜だ。隣には摩央ねえもいる。
しかしいつもと様子が違うのは、二人とも和服姿であることからも明らかだった。
結菜の着物姿なんていつぶりだろうか。
えらく大人びて見える結菜の姿に、頬の痛みも忘れてしまうくらいドキドキと胸が高鳴る。
思わず見とれていると、彼女は淡々とした口調で言った。
「……覚醒。護、今日は客が来る。早く着替えて」
「えっ? 客? 着替える?」
俺が目を丸くすると、結菜と違って軽装の和服姿が妙に似合っている摩央ねえが眉をひそめた。
「……ったく、何を寝ぼけたこと言ってんだよ。今日の客を呼び寄せたのは、護、お前だって聞いたぜ」
「俺が客を家に呼んだって? そんなのあるわけないだろ。そもそも、ここはどこなんだよ?」
そうなのだ。
まわりのどこを見ても、まったく見覚えがない。
すると摩央ねえが、さらりと驚くべきことを告げたのだった。
「はあ? ここは近江国高島郡だろ? 結菜ちゃんの張り手で頭がおかしくなっちゃったのか?」
「近江国……。って琵琶湖の? 滋賀県?」
俺の言葉に摩央ねえと結菜が目を見合わせる。
「……意味不明。『びわこ』『しがけん』ってなに?」
「もともと頭のおかしい奴とは思っていたが、ここまでとは……。医者でも呼ぶか?」
「いやいや! 訳わかんないのはこっちだし! なんで俺だけおかしいってことになるんだよ! 摩央ねえと結菜の方がおかしくなっちまったんじゃないか? 妙に溶け込んでるし」
「はあ? もう付き合いきれん。早く着替えろよ。大事な客なんだろ? 待たせるなんて無礼は姉ちゃんが許さないからね」
ちらりと立て掛けてある服に目をやる。
そこには鮮やかな空色をした和服があった。
着たこともなければ、見たことすらないような気品のある高級そうな着物だ。
俺にあれを着ろだって……?
一体全体、本当にどうなってしまったんだ……?
……と、その時だった。
ドタドタと勢い良く廊下を駆ける音が響いてきたかと思うと、目の前に茶色の着物を着た白髪の男が現れたのである。
「とのぉぉぉぉ!! 殿! 来られましたぞ!」
堀の深い濃い顔をした老人が、慌てた表情で俺に向かって大きな声をあげる。
「殿? 俺のこと?」
「なにを寝ぼけておられるか!? 殿は、この千鬼城の城主であり、『絶望からの守護者』の異名を持つ、城尾 護様ではござらぬか!」
「な、なんじゃそりゃあ!!?」
くわっと目を見開き、目の前の三人を交互に見比べる。
俺は期待してたんだ。
――はいっ! ドッキリでしたあ! やーい、護が引っ掛かったあ!
という摩央ねえの悪ノリを……。
しかし、そんな俺の淡い期待はみごとに裏切られた。
三人は何の反応を示すことなく、冷たい目で俺を見つめていたのだから……。
「……」
「……」
「……」
凍えるような沈黙に耐えきれなくなり、「ごほん」と咳払いをする。
そして立て掛けてあった着物を羽織ると、それっぽい口調で老人に告げたのだった。
「じいよ! 準備は整った! 客のもとへ案内いたせ!」
「じい? はて? わしのことですかな?」
きょとんとしながら自分を指差している老人。
どうやら当てずっぽうで『じい』と呼んでみたのだが、あっさりと外れてしまったらしい。
しかし、もう後戻りはできない。
まったく状況は分からないが、こうなったらなるようになるしかないのだ!
「ええい! 今日からお主は『じい』ということじゃ! いいから行くぞ!」
三人が怪訝そうな顔をしている中、俺は大股で廊下を歩きはじめた。
すると背中から結菜の声が聞こえてきた。
「……錯誤。護、そっちは厠。客間は逆」
冷ややかな視線が俺の背中に浴びせられているのが、痛いほどよく分かる。
声に出さずとも、
――こいつ、本当に頭がおかしくなっちゃったのか?
という言葉が俺の心にグサグサと突き刺さってきた。
俺はちらりと背後を振りかえりながら口を尖らせた。
「俺はトイレに行きたいの!」
涙目で強がるが、三人の視線はなおも冷たい。
摩央ねえがいつになく優しい顔で、一歩だけ近寄ってくる。
その様子はまるで「痛い子」を見ているようで、余計に俺の心は傷ついた。
「護……。『といれ』ってなんだ? お前が前から行きたがっていた遊郭のことか?」
「はあ!? トイレはトイレだろ!」
「だから、それが何なのか、しっかり姉ちゃんに説明してみな! 何をしに行くところなんだ? どうせ卑猥なことをするんだろ? あんなことや、こんなことを!」
「か、勘違いするな! そんなことを純な男子高校生がトイレでするか!」
「だんしこうこうせい……。なんだそれは? おい、お前……。本当に医者に診てもらえ。これは姉ちゃんからの命令だ」
摩央ねえが真剣な顔つきで俺の右腕に手を伸ばす。
後ろの結菜は心配そうな目で俺を見つめていた。
もう本当にどうなってんだよ……。
着ている服は和服だし、滋賀県のことを近江国って言ってるし、千鬼城で暮らしてるらしいし、その上、言葉の意味が通じない……。
「これじゃあ、まるで戦国時代にタイムスリップしたみたいじゃねえか!!」
……と、叫んだ瞬間だった……。
電撃が走ったかのような衝撃を覚えたのは……。
「まさか……。彼女は言ったよな。『元の世界』に戻るって……。もしかして彼女の元の世界ってのは……」
「おいおい……。何をぶつぶつ言ってるんだよ? さあ、客前に立つ前に早く医者のところへ行くぞ」
摩央ねえが俺の腕をぐいっと引っ張る。
しかし俺はその手を振り払うと、じいに向けて大きな声で問いかけた。
「じい!! 今日の客の名を教えてくれ!」
「はっ! ちゃちゃ様とその付き添いとうかがっております!」
俺の気迫に押されたように、鋭い声で返してきたじい。
そんな彼に俺はさらに質問をぶつけた。
「では、殺されたという彼女の父親の名を申せ!」
「はっ! 浅井 長政殿でございます!」
浅井 長政だと!?
やっぱりそうだ!
『ちゃちゃ』とは、あの『茶々』だ!
……となれば、彼女の父親を殺した張本人は……。
「じい! では浅井殿を手にかけた者の名を申せ!」
「そ、それは畏れ多くも……」
「いいから! 申せ!」
戸惑うじいに、強くはっぱをかける。
すると彼は小さな声で告げたのだった。
「織田 信長……殿でございます」
織田信長――
言わずと知れた戦国時代の英傑だ。
やはりそうだ!
俺は本当に戦国時代にタイムスリップしてしまったのだ……!
しかも千鬼城とともに!
「おじちゃぁあん!!」
待ちきれなくなってしまったのだろう。
夢の中で出会った幼女が、廊下の向こうから駆けてくる。
朱色の着物をきたその幼女の名は『浅井 茶々』。
後の『天下人』豊臣 秀吉の妻にして、『淀殿』と呼ばれるようになる人だ。
彼女は成人してからも「かたくておっきいお城」をこよなく愛し、その象徴である『大坂城』と運命を共にすることになる。
そして、彼女の父、浅井長政は1573年に義理の兄である織田信長に攻められて命を落とした。
彼女が4歳の時のことだ。
それまで彼女は小谷城という近江国のお城に住んでいた。
琵琶湖……当時では淡海の東岸に位置する小谷城。千鬼城は西岸にある設定だが、どうやら小さく見えていたんだろうな。
浅井長政が殺された後は、伯父にあたる織田信長のもとで暮らしていたらしいが、彼女にしてみれば父の仇に囚われたも同然だろう。
だから俺と千鬼城を頼ってきてくれたのか……。
こちらに一生懸命駆け寄ってくる彼女は、とても絶望しているようには思えない、満面の笑みだ。
きっと彼女は分かっているんだ。
夢の中で出会った『おじちゃぁん』が今、目の前にやってきたことを。
そして、そのことに希望を感じているに違いない。
ならば俺がきっちりと応えてやる。
その決意を高らかに口にした。
「約束通り、茶々を守りにきたぞ!!」
と――
こうして千鬼城に、二人目の『デスぺラード』が現れた。
かたくておっきなアレをこよなく愛する幼女こと、茶々。
彼女の出現が後に千鬼城にとって過酷な運命を強いることは、いかに鈍感な俺でも容易に想像がつく。
なぜなら彼女はあの織田信長の姪なんだから――
だが……。
「おじちゃぁん! だいしゅき!!」
今は、このひまわりのような笑顔を前に、暗い未来のことを考えるなんて、不粋ってもんだよな。




