【幕間】おじちゃぁんを励ますのじゃ! ②
――ドタドタドタッ!
静かな中奥に、慌ただしく廊下を駆ける音が響き渡る。
その音は城尾護のいる城主の間の前で止まると、次の瞬間には襖が勢い良く開かれていた。
「おじちゃぁん! お願いがあるのだょ!」
挨拶もなく部屋に飛び込んできた茶々。
仕事中の護と伊予丸の二人は、目を丸くして彼女の方へ視線を向けた。
そして伊予丸が膝を進めると、茶々を優しく諭し始めた。
「茶々様。殿は今お忙しいゆえ、また後ほど……」
「いや、大丈夫だ。茶々、どうしたんだい?」
護は伊予丸を制して、茶々と向き合う。
その顔はやはり元気がない。視線を合わせていてもどこか上の空だ。
茶々は気持ちをあらたにすると、大きな声で願いごとを告げたのだった。
「わらわは千鬼城の本丸を見てみたいのじゃ! 明日、連れていっておくれょ」
………
……
茶々と織田長益の立てた「おじちゃぁんを励ます作戦」は次の通りだった。
まず茶々が護に「裏山の山頂にある千鬼城の本丸を見たいから連れていってくれ」と懇願する。
だが指定された待ち合わせ場所に彼女は現れず、代わりに母親のお市の方がやってくる。
そうして本丸までの道のりを二人きりで過ごせば、きっと二人に特別な感情が芽生えるに違いない。
しかし、肝心の初めのところから計画はとん挫しかけていた。
護が茶々の願いに対して、なかなか首を縦に振ろうとはしなかったのだ。
乗り気がしないということもあろうが、それ以上に政務に忙しい毎日を送っているというのが実情だ。
なぜならこの頃より、城内で暮らしたいという農民や侍たちが、ぼちぼちやってくるようになっていたからだ。
彼らの身分をあらため、敵国の間者ではないことをはっきりさせてから、働く場所や住む場所を手配する。
それを手配するための決裁は、すべて護の仕事なのである。
「いやーだ! わらわは行きたいの! おじちゃぁんと一緒じゃなきゃ、嫌なのー!!」
――自分の代わりにじいをお供に。
と提案した護だったが、手足をばたばたさせて駄々をこねる茶々を前にして、ついに観念した。
「分かったよ。そこまで言うなら、明日連れていってあげるよ」
「わーい! わらわは嬉しいょ! おじちゃぁん、だいしゅき!!」
がしっと抱きついてきた茶々を受け止めた後、優しく彼女を引き離した護は、苦笑いを浮かべながら、彼女を部屋の外まで送っていったのだった。
………
……
翌日――
晴天に恵まれてはいるが、じっと立っていると凍えてしまうほどに寒いこの日。
二の丸御殿を出て、本丸に向かう門で茶々と待ち合わせをした護であったが、現れたのは彼女の母であるお市の方であった。
「お待たせして、申し訳ございませぬ」
護は茶々がいないことをいぶかしく思いながらも、お市の方に頭を下げてから問いかけた。
「いえ、大丈夫です。それよりも茶々殿は?」
「ええ、実は急用ができたとのことで、先に本丸に行って待っていて欲しいというのです」
四歳児が「急用」とは、何とも怪しい言い訳だ。
護はとっさに裏があると踏んで、お市の方にたずねた。
「はあ……。ならば日をあらためた方がよろしいのではないでしょうか?」
「いえ、茶々が言うに、必ず後から行くから、わらわと城尾殿の二人きりで先を行ってください、と……」
「ふむ……さようですか……」
正直言って、あまり乗り気はしない護。
それが顔に出ていたのか、お市の方が申し訳なさそうに言った。
「城尾殿、茶々には私から言い聞かせておきますので、今日はもう御戻りくださいませ」
護は彼女の細い声に、かえって胸に痛みを覚えた。
そして茶々の意図を、うっすらと理解し始めていたのだ。
――きっとお市の方は、夫の浅井長政が亡くなってから塞ぎこむことが多かったのだろう。だから茶々は、俺にお市の方を励まして欲しくて二人きりにしたに違いない。
それは明らかな勘違いであったが、結果的には茶々の思惑通りになった。
「いえ、せっかく良い天気ですから、このまま二人で本丸まで散策と行きましょう。いかがでしょうか?」
「ええ、城尾殿がよろしければ、わらわは御一緒いたしたく存じます」
ニコリと微笑むお市の方。
透き通った白い肌を日の光が眩しく照らしている。
あまりの美しさに、顔を真っ赤にした護は、それを彼女に覚られないようにくるりと背を向けた。
「では、ついてきてください」
「はい、分かりました」
こうして二人きりの本丸への散歩が始まった。
護は早くなった動悸を抑えるのに必死で、ろくな会話もできずに前を歩いていったのだった。
そして、そんな二人を大きな木の影から見つめていた二人。
ひとりは言わずもがな、茶々である。
「ふふ、うまくいったのじゃ!」
そしてもう一人は、織田長益……のはずだった。
しかし彼はこの場にはいなかった。
その代わり、茶々のお供として彼女の背後に立っていたのは……。
結菜だった。
いつも通りの眠そうな目を護とお市の方に向けている彼女。
しかし、その奥にいつもとは異なる、悲しみを携えているのを、他人はおろか彼女自身も気付いていなかったのである。




