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デスペラードその五 不幸をまといし絶世の美女 ⑥

◇◇


 千鬼城の城壁の上。すなわち歩廊ほきょうには大勢の兵が雨の中で待機していた。

 霧がかっているとはいえ、第一の橋まではどうにか見通せる。

 よって、小さな影が一団となって駆けていくのも確認できていた。

 それが味方であることも当然分かっていたのだ。

 

 だから彼らの背後に迫る、およそ二千の軍勢に対し、自慢の投石隊は動けないでいた。

 

 言うまでもなく、敵に石の雨を降らせれば、同時に味方の頭も打ち砕くことになるからだ。

 

「おのれぇぇ!! 卑怯者めぇぇぇ!!」


 真紅の甲冑に身を包んだ城尾摩央が歯ぎしりして悔しがる。

 彼女は今、守備兵たちの大将として、指揮にあたっていたのだ。

 

 こうなれば大手門で迎え撃つより他ない。

 

「いくぞ!! 門で迎撃だ!!」


 兵長たちにそう命じた城尾摩央は、鬼の形相のまま、その場をあとにしたのだった――

 

 

………

……


――もっと速く! もっと! もっと!


 門吉は何度も心にそう言い聞かせながら、駆け続けていた。

 彼は第一の橋を渡りきったところから茶々をおぶっている。

 はじめこそ彼女は嫌がったが、お市の方と松右衛門を先頭とする一団に引き離されつつあったので、仕方なく門吉に従ったのであった。

 

 背中から迫る織田軍との距離はみるみるうちに狭まっているのが分かる。

 だが、この時点で彼はふと疑問に思っていた。

 

 

――なぜ追いついてこないのだろう……?



 彼の「敵襲!」の一言から始まった必死の逃亡であったが、皆の足を考えれば、とっくに追いつかれてもおかしくない。

 だが、もはやその理由に頭を回している余裕など、微塵も残されていなかった。

 ようやく前の集団に追いついたところで、幅の広い第二の橋に差し掛かる。

 それを渡ってしまえば、城門はすぐ目の前だ。

 

「頑張れ! もうすぐだ! 頑張れ!!」


 城門の向こうから味方の声が聞こえてきた。

 きっと門吉の親友であり、この城の城主でもある城尾護の姿もどこかにあるに違いない。

 

 冷たい雨は、火照った体にあたった途端に、湯気となって蒸発していく。

 心臓は破裂しそうなくらいにバクバクと音を立て、汗とも雨ともよだれともつかぬ液体で、全身はぬめっていた。

 

 それでもすぐそこにある『希望』に、門吉の心はまったく折れていない。

 

 そしてその時はやってきたのだ。

 第二の橋を渡りきろうとしたその時……。

 

 奥行きのある城門の先に、一人の人物がこちらに向かって大声をあげているその姿をとらえたのである。

 

 

「城尾さまあああああ!!」


「おじちゃあああああん!!」



 ほぼ同時に門吉と茶々は叫んだ。

 

 

「おおおおおおい!! こっちだ!!」



 彼らの『希望』、城尾護もまた彼らをしっかりとその目にとらえて、大きな声で呼びかけてきた。

 自然と活力が体中をみなぎる。

 

「うわあああああ!!」


 門吉は溢れ出た気迫を声に変えて、第二の橋を駆けていった。

 既に先頭を行く松右衛門らは橋を渡り終え、城門の前に広がっている『馬出し』と呼ばれる空ぼりと簡易的な柵に囲まれた広場が見えてくる。

 

 馬出しは真正面から突破することはできないので、一行は右手から回り込むことにした。

 そうして全員が一体となって右を向いた瞬間だった――

 

 

――うおおおおおお!!



 と、先にも増して大きな喊声があがったかと思うと、すぐ背後まで迫っていた織田軍の兵たちが、ぐんと加速してきたではないか。

 

「まずい! 追いつかれるぞ!!」


 松右衛門が叫ぶ。

 しかし門吉は先も感じた疑問と、まったく同じものを再び感じていたのだ。

 

 どうして今になって、追いつこうとしてきているのか……。

 

 ふと織田軍の兵たちに目をやる。

 その瞬間。彼は気付いたのだ……。

 

 

 織田軍の兵たちが、自分たちを見ていないことに……。

 

 

 彼らが凝視していたもの。

 それは、千鬼城の大手門だった――

 

 

「狙いは城門の突破!! 私たちを囮として大手門を突き抜けるつもりです!!」



 門吉は肺がちぎれてしまうのではないかと思うくらいに、限界まで声を張り上げて叫んだ。

 無論、前を行く松右衛門の耳にもしっかりと届いた。

 

「ならば、食い止めるしかねえだろ!!」


「どこで!?」


「城門の通路!! あそこしかねえ! おい! 左兵衛さへえ!! 一緒に行くぞ!!」


「おうっ!!」

 

 松右衛門は、仲間の一人である左兵衛という15の少年とともに、一団の先頭へ踊り出ると、一気に加速して二人で城門の方へ突き進んでいった。

 

 既に織田軍の一部は最後尾にいる門吉と茶々に追いつき、さらに追い抜こうとしている。

 やはり門吉の予想通りに、彼らには一瞥もくれずに、兵たちは松右衛門と左兵衛を追うように城門へと急いでいった。

 

 普段から港で荷物を上げ下げしていた少年たちの手足は、彼らを疾風に変えるくらいに鍛えられている。

 城門の端までやってくると、彼らはそこで立ち止まった。

 

 城門の通路は2人が並べば、わずかな隙しかなく、甲冑を着た兵がその脇を通り抜けるのは無理だ。

 つまり敵兵を食い止めるには、もはやここしか残されていなかったのである。

 

「左兵衛!! ここで食い止めるぞ!!」


「おうっ!」



 松右衛門も左兵衛も刀など持ったことは一度たりともない。

 それでもこの任務のために城尾護から持たされた一振りを抜き身にして構えた。

 

 先頭を行く織田兵は長槍を持たぬ軽装の兵。

 彼らも腰に差した刀を抜くと、松右衛門たちへ斬り込んでいった。

 

――キイイイイン!!


 雨の音を裂くように高い金属音がこだます。

 どうにか一太刀目を食い止めた二人だったが、大きく態勢を崩してしまった。

 

「ぐぬっ」


 松右衛門は二歩後ろへ下がり、刀を構えなおそうと試みる。

 しかし左兵衛は手足がしびれてしまったのか、その場で棒立ちとなってしまった。

 そこに三人目の織田兵が容赦なく斜めに斬り込んできた。

 

――グシュッ!


 皮膚と肉が切り裂かれる鈍い音がすると、したたる雨が赤く染まる。

 

 

「左兵衛!!」


「いてええええええ!! ぐああああ!!」



 強烈な叫び声をあげながら左兵衛は崩れ落ちていった。

 

「てめええ!!」


 松右衛門は刀にありったけの力をこめると、通路に殺到してきた三人の織田兵に突っ込んでいく。

 

――キンッ!

――ズン!


 しかし百戦錬磨の織田兵はあっさりと彼の必殺の剣を受け流すと、残りの二人が松右衛門の首と喉に刀を突き立てた。

 

 激しい痛みと熱が松右衛門を襲う。

 しかし彼は諦めなかった。

 

 諦める訳にはいかなかった。

 

 

「とおれえええええ!!!」



 彼は三人の織田兵に覆いかぶさると、すぐ背後までやってきた門吉たちに向かって叫んだ。

 

 松右衛門の必死の体当たりで、通路にわずかな隙が生じ、お市の方をはじめ、次々と一団が通り過ぎていく。

 そうして最後に門吉が通過したところで、高い天井から城尾摩央の声が雷鳴のごとく響いてきた。

 

 

「今だ!! 第一格子門!! 落とせ!!」



――ガラガラガラ!! ドシャンッ!!



 これは、千鬼城の大手門の仕掛けの一つ。

 『落とし格子ごうし』。

 一般的な日本の城の城門にはない仕掛けで、鉄製で格子状の門が隠されており、それが落とされたのだ。

 

 これにより追撃してくる織田兵たちの侵入が止まった。

 それでも既に十人以上の織田兵が城門の通路に突入していたのである。

 すると今度は茂助が隙を塞ぐように松右衛門の横に並んできたのだった。

 

 門吉が立ち止まり、茂助に声をかける。

 

 

「茂助!! お前!!」


「へへっ。最後くらいかっこつけさせてくれよ」


「駄目だ! 死んじゃ駄目だ!!」


「うるせえ!! 早く行け!! うおおおお!!」



 茂助はそれ以上、門吉にはかまわずに、既に事切れた松右衛門に代わって、織田兵に玉砕の突撃をしていく。

 織田兵たちは、茂助に幾重もの凶刃を突き立てていった。

 

――ドサッ……。


 既に走り出した門吉の背後で、茂吉が声もあげずに倒れ込んだ音が耳に入ってきた。

 

「もすけええええええ!!」


 門吉は泣き叫びながら、それでも通路を前へ前へと駆けていく。

 

 もうすぐだ。

 もうすぐ『希望』へたどり着くんだ。

 

 その一心だった。

 

 気付けば5人の少年のうち、残りは門吉ともう一人、五郎なる者のみ。

 五郎は門吉よりも一つ上で、いつも兄代わりとなって面倒を見てくれていた者だ。

 

 彼らの前には江姫を抱えたお市の方、初姫を抱えた侍女の二人が必死に駆けている。


 そして五郎もまた、途中で門吉を待ち構えていたかのように立ち止まっていた。

 

 

「五郎さん……?」


「行け、門吉。あとは頼んだぞ」


「だめだ……。嫌だ……」



 口ではそう漏らしながらも、体は勝手に五郎を置いて前へ行く。

 背中にいる茶々を守る、その使命感が仲間を置き去りにする無情な選択を、無意識のうちに取っていた。


 そんな自分が憎い。

 苦しい。

 

「うわあああああ!!」


 胸のうちに広がる黒い雲を振り払うかのように、門吉は叫んだ。

 背中の茶々が、彼を掴む手をわずかに強くした。

 

 そして、もがき苦しむ門吉に対して、小さな声でささやいてきたのだった。

 

 

「門吉。大丈夫だょ。千鬼城は、絶望を受け入れてくれるお城だから。きっと門吉の絶望も受け入れてくれるから。大丈夫だょ」



 その言葉を耳にした瞬間に、門吉の中で何かが弾けた。

 

 

「絶望を受け入れる……城」


 

 それは裏を返せばこうなるではないか……。

 

 

 『希望を与える城』

 

 

 と――

 

 

――ドドドドッ!



 足音の地響きがすぐ側まで迫ってくる。既に五郎もこの世の人でなくなったのだろう。

 前方に大きく開かれた城門の終わりが、はっきりと見えている。

 

 その先に立っている、『希望の象徴』、城尾護。

 

 親友の彼がこちらに向かって叫ぶ姿もとらえている。

 

 

 しかし……。

 

 

 そのわずかな距離でさえも、もはや到達するのは不可能であるのは明白だった――

 

 

「私も……。『希望』になれるでしょうか? おっかあ」



 ついにその場で立ち止まった門吉。

 素早く茶々を下ろすと、自分でも驚くほど柔らかな声で彼女に話しかけた。

 

 

「ここからは一人で走るんだ。いいね」



 茶々が大粒の涙を流しながら、懸命に首を横に振る。

 しかし、彼女を口で説得する暇など、最初から残されていなかった。

 

 侍女と初の二人を先に行かせたお市の方が、茶々が来るのを先で待っている。

 

 門吉は茶々の背中をぐいっと押し、お市の方の方へ走らせた後、ちらりと親子の先にいる人物に顔を向けた。

 

 門吉が立ち止まったことに顔を青くしている城尾護が目に入る。

 

――そんなお顔……。城尾様には似合いません。


 心に残っている親友の顔は、いつも笑顔。

 だからもう一度、笑顔を見せておくれ。


 彼は祈りを込めて、ニコリと微笑んだ。

 そして天井裏にいるであろう城尾摩央と兵たちに向かって叫んだのだった。

 

 

「お市様たちが城へ入り次第、門を落としてください!!」



 千鬼城の大手門は、入り口にも出口にも『落とし格子』が仕掛けられている。

 既に入り口の格子は落とされた。

 つまり出口の格子が落とされた瞬間に、門吉は十人の織田兵たちの中に一人で取り残されることになってしまうのだ。

 

 

「そんなことできるかあああ!」



 城尾護の叫び声が門吉の涙腺を容赦なく刺激する。

 しかし、彼は涙を見せなかった。

 

 涙は『希望』には似合わないから。

 

 彼は精一杯の笑みを浮かべた。


「さようなら……」


 くるりと振り返り、視界を織田兵へと向ける。

 もうあと三歩というところまで彼らは迫っていた。

 

 それでも彼は冷静だった。

 懐に手を忍ばせると、小さなものを取り出した。

 

 それを城尾護に見せるように左手に持って高く掲げたのだ。

 

 

 それは……。

 

 

 永遠の友情の証……。

 

 

 

 折り鶴だった――

 

 

 

「ずっとぉぉぉぉ!! 友でいてくだされええええ!!」



――ガシャンッ!!



 お市の方らが城内に入った歓声にまぎれるように、落とし格子が落とされた音が響き渡る。

 

 その瞬間……。

 

 門吉の命は『絶望』となった。


 

 しかし彼は『デスぺラード』になることはなかったのだ。



 なぜなら彼の心は『希望』で満ち溢れていたのだから――

 

 

 

 人生は美しい。だが、儚い。

 ならば『希望』に満ち溢れた生き様で彩りたいものだ。

 門吉の人生は果たしてどうであったのか。

 

 それは死を目前にしてもなお輝かせていた瞳と、清々しい笑顔を見れば一目瞭然だろう。


 親友を思い、母を感じ、親代わりの男に感謝をしながら彼は両手を大きく広げた。



「おっかあ……。私は『幸せ』でした!」


 その一言を最期に、 門吉の体に無数の刃が突き刺さる。

 その直後――

 

 

「うてええええええい!!」



 天井裏で行方を見守っていた城尾摩央の大号令が城門の通路に響き渡った。

 

 

――ドドドドドドッ!



 天井にある無数の『殺人孔さつじんこう』という小さな穴から、一斉に鉄砲が火を吹く。

 まさに鉄砲玉の雨を食った十人の織田兵は、なすすべなく城門の出口の手前で物言わぬ亡骸となった。

 

 そして城門の中の織田兵が一掃されると、城尾軍は間髪入れずに城壁の上からの反撃を開始。

 だが、今回の織田軍はその反撃を予想していたかのように、まったく被害を出すことなく退却していったのだった。

 

 城壁の上に立って、逃げ去っていく織田軍を睨みつける城尾摩央。

 すると彼女の目に一人の兜武者の姿が目に入った。

 

 彼こそ、今回の戦の総大将、竹中半兵衛であった。

 

 血なまぐさい戦場に似合わぬ清廉なたたずまい。

 しかし細くて長いその瞳の奥に、彼女は凄惨せいさんな野心を感じとっていた。

 彼女は青年にすさまじい眼光を浴びせながらつぶやいた。

 

 

「心を持たぬもののけめ。この城尾摩央が、必ずや成敗してくれよう」



 一方城の外で彼女の眼光に気付いたその青年は、口元に冷酷な笑みを浮かべて小さな声で返したのだった。

 

 

「ふふふ。面白い。中から壊してくれようか、それとも外から壊してくれようか。いずれにしても壊しがいのある城……。そして『人』だ」



 互いに耳に入らぬと知っていながらも、そう声に出すと、二人とも背を向けてその場を立ち去る。

 そのわずか四半刻後には、城の周りは何事もなかったかのように、静けさを取り戻していたのだった。

 

 

 第二次千鬼城の戦いは、こうして幕を閉じた。

 城尾護にとっては無二の親友を亡くすという、敗北とも言えるほど、心に深い傷を負ったこの戦い。

 

 織田家の犠牲者はおよそ10名。

 一方の城尾家は5名。

 

 お市の方、茶々、初、江の4人が無事に入城したことを加えれば、城尾家の完全勝利と言えるだろう。

 


――織田信長を2度も撃退した城。


 

 この名声はまたたく間に畿内はおろか全国へと広がっていった。


 そして戦に敗れた大将や国を追われた兵士、さらには田畑を失った農民、大火にあった商人など、あらゆる『デスペラード』たちが千鬼城へ向けて歩き始めたのだ。


 しかし彼らの中には千鬼城の存在をさらに危うくする者も存在しているのだが……。



 それはまた別の話――



 

 第一章 完


 

 



ここまでお読みいただき、まことにありがとうございます。

諸事情あり、今後は少しだけ更新ペースが落ちてしまうと思います。

申し訳ございません。


この後は一度、幕間を挟み、様々なデスペラードたちが登場していく予定です。

どなたかリクエストがございましたら、感想欄等でお知らせいただけると幸いです。


今後もよろしくお願い申し上げます。


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◇◇ 作 品 紹 介 ◇◇

【書籍化作品】念願の戦国時代へタイムスリップしたら、なんと豊臣秀頼だった!この先どうなっちゃうの!?
太閤を継ぐ者 逆境からはじまる豊臣秀頼への転生ライフ
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