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デスペラードその五 不幸をまといし絶世の美女 ②

◇◇


 羽柴秀吉が茶々に会わせたい人物を、明日連れてくると告げてきた、その日の夜――

 

 奥向きの縁側から見上げた空には不思議な色をした月が浮かんでいた。

 

「赤い月って初めて見たなぁ」


 うっとりとしながら月を眺めていると、誰かの足音が聞こえてきた。

 そちらに目を向けると、結菜の姿があった。

 月夜に浮かび上がるように美しいたたずまい。

 小さくてふっくらした唇が赤い月の光に反射してさらにつやっぽく目に映っている。

 

 

――月が綺麗ですね。



 とある文豪は「I love you」をそう翻訳したと言われている。

 うむ、今こそそれを実践する時!

 俺は静かにたたずむ彼女に向かって口を開いた。

 

 

「つ、つ、月が綺麗でふ……」

「……不吉。赤い月は不幸の予兆」


「へっ?」



 思いの外鋭い結菜の口調に、思わず目が丸くなる。

 そんな俺に彼女は真面目な顔で告げてきたのだった。


 

「警戒! 護、何か不幸が来るかもしれない。気をつけて!」



 そんなに不幸、不幸と連呼されるとフラグとしか言いようがない。

 なんだ? なんのフラグだ!?

 

 摩央ねえにいびられるのか!?

 摩央ねえにビンタされるのか!?

 摩央ねえに恥ずかしい過去を暴露されるのか!?

 

 どんな不幸が待ちうけているかてんで分からない。

 しかし確実なことが一つだけある。

 

 俺の不幸に絡んでくるのは……

 

 摩央ねえ、ということだ!


 

「俺、明日は摩央ねえに近寄らないようにするよ。忠告ありがとな」



 そうして俺は、少しでも彼女と距離を置こうと中奥の城主の間で一夜を明かすことにしたのだった――

 

 

………

……


 翌日。羽柴秀吉との会見の場――



「なに、あれ? すっごく感じ悪いんですけど」



 摩央ねえの凍えるような小声が耳に入ってくるが、俺は右から左へとその音を受け流していた。

 いつもなら俺の隣に座るはずの彼女だが、今はじいのそばに座ってもらっている。

 摩央ねえの不機嫌なオーラをまともに受けているじい。

 今にも失神寸前とばかりに顔が青ざめているが、勘忍しておくれ、と心の中でエールを送る。

 

 

 ちなみに俺は部屋の最も奥にある上座、摩央ねえは最も襖に近い下座にそれぞれ座っている。

 距離にして大股で20歩はあるだろう。


――ふふふ。これだけ離れていれば、俺に悪さはできまい。


 いや、俺だって「赤い月」くらいなら、ここまで極端なことはしなかっただろう。

 

 しかし、朝から「はしが折れる」わ、「お皿が急に割れる」わ、「城下町の犬たちが一斉に遠吠えする」わと、「不吉な予兆」とされることが、これでもかというくらいに起こったのだ。

 

 絶対に摩央ねえが、何かしてくるに違いない!!

 もはや予感は確信に変わっていた。

 

 こうして織田家からの二回目の使者として、羽柴秀吉ら一行を迎え入れる時を迎えた。

 だが、その最後尾にいる人物が目に入った途端、俺は気付いたのだ。

 


 大きな勘違いをしていたことに――

 

 

――ミャアオ。



 妖艶な猫の鳴き声につられるように、その人物に視線が吸い込まれていく。

 漆黒の着物に身を包み、その足元を横切ったのは「不吉の象徴」である黒猫。

 

 彼女が一歩歩けば犬が吠え、庭には「不吉な花」、彼岸花がつぼみを開く。

 

 透き通るような真っ白な肌に、色のない瞳。

 まさに薄幸の佳人を絵に描いたかのような美女……。

 

 

「こちら! 織田信長様の妹君でございます!」



 羽柴秀吉の突き抜けるような大声とともに、部屋に入ってきたその人こそ……。

 

 

 『不幸をまといし絶世の美女』こと『お市の方』であった――

 

 

 そう……。

 昨晩からの「不吉の予兆」はすべて、彼女の来訪によってもたらされてものだったのだ……。

 

 

「茶々は……? 茶々がおらぬではないか……」



 きょろきょろと周囲を見渡して、愛娘を探すお市の方。

 しかし茶々はここにいるはずもない。

 なぜなら彼女は結菜らに連れられて、港で門吉や又次郎たちと過ごしているのだから……。

 

 

「またわらわは『幸せ』を奪れましたか……。ふふ」



 まるで『不幸』が当たり前かのような乾いた笑み。

 その笑みすら見惚れてしまうほどに美しい。

 

 ぼーっと鼻の下を伸ばしながらお市の方を見つめている俺……そして羽柴秀吉。

 

 そんな俺たちを白い目で見ていた摩央ねえと織田長益の二人が、ボソリとつぶやく。

 

「結菜ちゃんに言いつけてやる」

「おね殿(秀吉の妻)に言いつけておきましょう」


 その声を聞いた瞬間に、俺と秀吉はピンと背筋を伸ばして、互いに顔を見合わせた。

 

「や、やあ、羽柴殿! では早速始めるとしようではないか!」


「そ、そうじゃのう! わしらは『真面目』に話し合いのことしか考えておらぬからのう!」


「もちろんですとも! 何を言いつけるか知らないが、俺たちの勇姿をきちんと話しておいて欲しいものだ!」


「そうじゃ、そうじゃ!」


 白々しい俺たちの会話が、虚しく大広間に響き渡る。

 しかし摩央ねえと織田長益は無表情のままだ。

 しばらく気まずい沈黙が流れた……。

 

 そこに再びお市の方のか細い声が聞こえてきた。

 

 

「そこにおるのは長益ではないか。お主とここで会えるなんて、こんなわらわにも幸運があるものですね」


「それがしも嬉しゅうございます」



 ちなみにお市の方と織田長益は兄妹で、しかも同い年の26歳。

 

 見つめ合う二人。

 美しい兄妹愛を示すようにキラキラと輝く二人の様子に、思わずため息が出てしまった。

 

 イケメンと美女が互いに視線を交差させるシーンというのは、どうしてこうも絵になるのだろうか。

 そして織田長益がニコッと笑顔を見せたところで、それまで物悲しそうな表情だったお市の方が、嬉しそうに頬を染めた。

 

「き、綺麗だ……」

「お美しいのう……」


 俺と秀吉の二人がほぼ同時に言葉を漏らした。

 ……と、その瞬間だった。

 

――ダアアアアアン!!


 というけたたましい音と共に立ち上がったのは摩央ねえだった。

 夜叉のような顔つきの彼女は、獅子のごとく咆哮を上げた。

 

 

「この卑猥侍ひわいざむらいども!! いい加減にしないか!! 今は両家にとって生死をかけた大事な話し合いの場であろう!! 緊張感が足りぬ! 真面目にやれ! 真面目に!!」


「ひゃっ!」

「は、はいっ!」


………

……


 ……と、ヒステリックな摩央ねえの視線におびえながら俺と秀吉の二人は話し合いを始めた。

 途中、

 

「あんなに怒らなくてもいいのうにのう……」

「嫉妬ですよ。女の嫉妬ほど怖いものはございません」

「なるほどのう。城尾殿も御苦労されておられるのですなあ」

「そういう羽柴殿も家に帰れば怖い奥方がお待ちなのでは?」

「お互いにおなごには苦労しているということじゃなあ」


 とひそひそ話をしようものなら、

 

「ごらあ! こっちに聞こえとるんじゃあ! 食われてえのかあ!? ああ!?」


 と、雷のような怒声が飛ばされてくるから、世間話すらまともにできたものではない。

 

 結局、俺たちの会談は余計な脱線もせずに、淡々と進んでいった。



――信長様は千鬼城の開城を求められておる。応じてはもらえんじゃろうか?


――それは城尾家に対し、無条件で織田家の軍門に降れ、ということですかな?


――城尾殿。時勢を見誤ってはなりませんぞ。もはや天下を治めるに値する御方は織田信長様の他におりますまい。じゃが、それを良しとしない輩もまだ多いのも事実。それらの不届き者どもが、いつこの城に近付いてくるかも知れませぬ。そうなる前に、穏便に事を進めることこそ、万民のためと思うのじゃが、いかがであろうか。


――穏便に? そうおっしゃるならなぜ佐久間殿がわが方へ兵を向けたのか? 佐久間殿も羽柴殿も、織田殿にこう言いつけされておられるだけでは? 『千鬼城を落としてこい。手段は問わぬ』と。


――だとしたら、いかがするというのじゃ?


――城尾家と千鬼城の安堵、および茶々殿をここに留めおくことをお約束いただけるなら、お話を進めましょう。織田殿からのその旨を記した書状がなければ、これ以上話すことはございません。



 もちろん織田信長が俺たちにとって都合が良すぎる書状など書くはずもない。

 秀吉は二度、三度と首を横に振ると、にわかに席を立った。

 

 

「後悔しても、手遅れになってしまいますぞ。それでもよろしいのじゃな?」



 俺は彼に対して小さくうなずいてから、大きな声を上げた。

 

 

「お客様がお帰りだ! 見送りの支度をいたせ!」



 こうして二回目の羽柴秀吉との会談も物別れに終わった。

 部屋にやってきた順番に立ち去っていく織田家の人々。

 一行を見送るため、じいと織田長益の二人が彼らに連れ添っていく。

 最後にお市の方の侍女が襖の外へ出て行ったのを見届けて、俺もまた部屋を後にしたのだった――

 

 

 しかし、この日はこれで終わりではなかった。

 

 城主の間に戻るやいなや、なんと摩央ねえがたずねてきたのだ!


 彼女は、俺の許しもなくずかずかと部屋の中へと侵入してくる。

 その様子は、元いた時代の彼女にそっくりだ。

 

 ……となると、無表情で目を細めている、あの顔つきは『危険』すぎる。

 なぜなら摩央ねえが、本気で怒っている時は、鬼のような形相ではなく、今のような無表情となるからだ。

 

 まずい! まずい! まずい!

 

 朝から不自然なほどに距離を置かれたのを怒っているに違いない。

 

 さっと周囲を見回すがこの部屋に逃げ道は見当たらない。

 獰猛な猫に追い詰められてしまったか弱いネズミというのは、今の心持ちなのだろう。

 

 全身が汗にまみれ、目は泳ぐ。

 そしていよいよ彼女との距離が刀一本分まで近寄ったところで俺はついに諦めたのだった……。

 

――やはり不吉な予感は当たってしまったのだ! 無念!!


 そう心で叫びながら目をつむったその時……。

 はらりと、足元に紙が置かれた音と感触がしたのである。

 

「へっ?」

 

 素っ頓狂な声をあげてから、ゆっくりと目を開ける。

 すると一通の書状が目に入ってきた。

 

「これは……?」


 その書状を手に取り、摩央ねえの顔に視線を移す。

 どうやら彼女の怒りの矛先は俺ではなく、この書状のようだ。

 彼女は相変わらず無表情のまま、しかしその声は怒りのこもった低い声で言ったのだった。

 

 

「茶々殿への密書さ」


「密書? 4歳の子どもに対して、秘密の手紙だって? いったい誰から……」



 俺は書状を裏返して送り主の名前を確認する。

 ……その瞬間、俺の全身に電撃のような衝撃が走った。

 

 

「お市の方……。そんな……」


「お市の方の侍女が、『城尾家の人々には内緒で茶々殿に直接お渡しください』と、当家の侍女に手渡したそうだ。だが、相手にとっては運悪く、それは私の侍女でな。何かあったら私に報せるようにきつく言い付けてある。だから茶々殿に届けられる前に、密書がここにある訳だ」


「ちなみに中は見たのか?」


「ああ、もちろん。『今日はお会いできず悲しい。また近いうちに会いにきますからね』だとよ」


「たったそれだけか……」


「馬鹿もん! たったそれだけだから余計にたちが悪いんじゃないか! この文を茶々が知ったらどうなると思う?」



 そう問われた直後、俺の顔から血の気が引いていくのが自分でもよく分かった。

 そして俺が何か言い出す前に、摩央ねえは怒りに声を震わせながら言った。

 

 

「母が来るのを知っていて自分を港へ遠ざけた、と気付くだろう。そうすれば護と茶々殿の間には修復できない亀裂が入る」


「そして、信頼していた俺に裏切られ、悲しむ茶々を目の前にした織田長益もまた、俺を見限る」


「ああ、そうなれば彼は密かに織田軍とつながり、城への侵入を手助けするだろうよ」


「仮に今回の書状のことが彼女に知れなかったとしても、同じことを何度も繰り返してくるに違いない。隠せば隠すほど、どつぼにはまっていくという訳か……。これもすべて千鬼城を攻略するための演出なのだな」


「目的を達成するためなら、親子の情愛すら『武器』に変える……。極悪非道のくそったれめ!」



 外から崩すのが難しければ、内側から崩す……。

 攻城戦の常套手段には違いない。

 しかし、純粋な親子の絆を利用するなんて、そんなことが許されるものなのだろうか……。

 

 心と頭の整理がつかず、何も言い出せない俺をよそに、摩央ねえは襖の方へ向かって歩きはじめた。

 

 

「摩央ねえ! どこへ行くの!?」



 俺の問いかけに、ぴたりと彼女の足が止まる。

 そして顔だけちらりとこちらに向けて言った。

 

 

「決まってるだろ。港だよ。長益殿と一緒にな」


「港……。ってまさか……」



 俺が驚きを隠せない一方で、ついに怒りを爆発させた摩央ねえは、部屋が震えるほどの大声で続けたのだった。

 

 

「こうなったら茶々殿に選んでもらうしかねえだろ!! 母を取るか、千鬼城を取るか!!」



 と――

 




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◇◇ 作 品 紹 介 ◇◇

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