【幕間】変わらないもの
◇◇
第一次千鬼城の戦いが終わってからしばらく経った。
織田軍の追撃もなく、激しい戦が嘘のように平穏な時を俺たちは過ごしている。
しかし戦が終わっても、その後処理は数日間に渡って行われた。
織田軍の亡骸を処理し、近くの寺で供養する。
大量に落ちている石を拾い集める。
そして、彼らが持っていた武器や防具を回収し、加工や修理を施して再利用する。
これらを城尾家の兵たちが全員総出で行っていたようだ。
「ようだ」としたのは俺が実際にそれに加わっていないからだ。
とてもじゃないがゴロゴロ転がっている死体の後始末の様子を見るなんてことはできない。
――情けないなぁ。そんなんじゃ結菜ちゃんや茶々殿に笑われるぞ!
と、現場の監督から帰ってきた摩央ねえは苦笑いしていたが、こればかりは一生涯できないと自信を持って言える。
それに結菜は、きっと俺が死体を見るのを怖がっても馬鹿になんてしない。
……しかし、そう心の中で反論したところで、一つの疑念が黒い雲のようにわきだした。
果たして結菜が馬鹿にしないと、言い切れるのだろうか――
ここにいる結菜や摩央ねえは、俺が作った『模型』であることは間違いない。
もっと言えば、俺自身も『模型』なのかもしれない。
その『模型』たちが元いた時代と同じ思考や性格であるなんて、どこにも保証はないのだ。
目の前の結菜は俺の知っている結菜ではないことは、じゅうぶんにありえる。
いや、むしろ『全く同一人物である』となぜ言えるのだろう。
もし結菜が俺の知らない結菜だったとしたら……。
俺は彼女に対して、どう接したらいいのだろうか――
………
……
ようやく戦後処理が落ち着いたので、俺は茶々との約束を果たすことにした。
つまり今日は、彼女と港へお出かけなのだ。
「おじちゃぁん! 準備できたょ! 早く行こうょ!!」
茶々の元気な声が二の丸御殿の中奥に響いてきた。
俺はそばにいる伊予丸に「では、いってくる」と一声かけると、城主の間を出た。
その直後、廊下を勢い良く駆けてきた茶々が思いっきりダイブしてきた。
――ボフッ!
と、俺がしっかりと受け止めると、彼女は嬉しそうに抱きついてきた。
くりっとした大きな瞳と、柔らかそうなふっくらした頬、そしてさらさらな前髪。
それらを輝かせながら俺をじっと見つめる茶々。
俺は笑みを漏らしながら言った。
「おまたせ。じゃあ、港へ行こうか」
「うん!」
視線を前に向けるとそこには結菜の姿もある。
いつもと違って軽装なのは、彼女もまた港へ同行することになっているからだ。
「……期待。お出かけ。すごく楽しみ」
いつも通りの淡々とした口調とは裏腹に、頬がかすかに紅く染まっていた。
この仕草も俺の知っている結菜と何ら変わりはない。
『熟語マニア』の彼女だが、意外と出かけるのが好きなのだ。
長期の連休のたびに、電車に乗って大きな街へ二人で出かけたのが、今となっては懐かしく感じる。
この時代の結菜もそこは同じなのだと思えただけで、ほっとしている自分が、少しおかしい。
自然と笑顔となり、結菜の顔を見つめていると、遠くから『邪魔』が入ってきた。
「おう! 待たせたな! なっははは!」
「おまたせいたしました。きょ、きょ、今日は茶々殿と甘い時を過ごせると聞いて、感謝感激でございます! ハァハァ」
そう……やってきたのは摩央ねえと織田長益の二人。
彼女らも一緒に港へ行くことになっているのだ。
――護が茶々殿や結菜ちゃんに卑猥なことをしないか、姉ちゃんがしっかり見てやらなくちゃな!
――お、お出かけならば『お供』を命じられているそれがしも行かねば、『兄上』に叱られてしまいます! ハァハァ!
……だそうだ。
もっとも、俺に拒む理由などあるはずもなく、渋々受け入れたというわけだ。
げんなりしている俺から離れた茶々が右手を大きく掲げる。
そして暗くなりかけた俺の心のもやもやを吹き飛ばすような快活な声をあげてきたのだった。
「しゅっぱぁぁつ!」
「おおっ!!」
摩央ねえが即座に返事をし、結菜と織田長益の二人も笑顔になる。
まあ、みんなが楽しそうなら、それはそれでいいか。
そう思い直し、俺も茶々に負けないくらい元気な声で号令をかけたのだった。
「よしっ! じゃあ、行こう!!」
………
……
城下町に出てからの茶々のはしゃぎようは、それはもう尋常ではなかった。
「あー! この櫛も欲しいょ! ねえ、長益どのぉ! わらわに買ってょ!」
「は、はい! もちろんでございます! そ、それを使えばお美しい髪がさらに美しく……ああ、なんてことだ! ハァハァ」
なにかちょっとでも気になるものがあれば、織田長益に無心し、彼もそれに無抵抗で応えている。
自然と彼の両手には茶々にせがまれて購入したもので埋められていった。
仮にも『織田信長』の弟なのに……。
彼の姿を見ていると、ため息しか出てこない。
だが当の本人はむしろ喜んでいるようにしか見えないから、口を出すのははばかられた。
それでも4歳のうちから甘やかしていると、ろくな大人にならないのは目に見えている。
ここは俺がビシっと言ってやるか。
そう思って口を開こうとした時だった。
俺の袖がクイクイと引っ張られたのだ。
「ん? どうした?」
俺が視線を引っ張った人の方へ向けると、そこには上目遣いをした摩央ねえの姿があった。
「げっ!」
嫌な予感しかしないから、一歩離れようとするが、摩央ねえの恐ろしい力は俺を逃さない。
そして俺と視線があったところで、甘ったるい声を出してきたのだった。
「わらわもこの金色の下緒が欲しいょ。買ってょ。卑猥侍のおじちゃぁん」
「……」
何も返さずにただ冷たい視線を摩央ねえに向け続ける俺。
そんな俺に対して、摩央ねえは無言でみぞおちにきつい一発をかましてきたのだった。
――ドゴンッ!
「ぐはっ! ……なんでだよ……? 何も言わなかったのに……」
涙目で訴える俺に、摩央ねえは腕を組んで答えた。
「そういう時は、黙って贈り物をするのが優しさってもんでしょ。指導よ。感謝しなさい」
理不尽だ。理不尽すぎる。
と言い返せるはずもなく、けっきょく下緒と呼ばれる、刀を結ぶ紐を買わされることになってしまった。
くっそ……。いつかギャフンと言わせてやる。
心の中でぶつくさと呟きながら、お勘定へ向かう。
するとその途中で結菜がじっと何かを見つめているのに気づいた。
彼女が手にしているものを、そっと覗いてみると、それは一冊の本だった。
「結菜。それ気になるのか?」
彼女は恥ずかしそうにコクリとうなずく。
わずかに潤んだ瞳。
桃色の頬。
もの悲しげな表情。
そして、なにかを言いたげな小さな唇……。
それら全てが俺の目を通じて、脳裏に焼き付けられた瞬間。
俺のまぶたの裏で何かが弾け飛んだ。
そして、ようやく気づいたんだ。
ああ、ここにいる結菜は、やっぱり俺が大好きな結菜なんだ、って――
だって、元いた時代で一緒に出かけた時と、まったく同じ表情をしているのだから……。
――結菜? どうしたの? 急に立ち止まっちゃって。
――……残念。この本欲しいけど、お金が足りない。
――じゃあ、二人のお金を合わせよう! そしたら買えるだろ!
――徒爾。護の買いたい模型が買えなくなっちゃう……。
――気にするなよ! 俺もたまには本を読みたいんだ。一緒に買ったら、次に読ませてくれよ!
本のタイトルは『この一冊で完璧! 難解二字熟語辞典』だったけ。
お会計を終えてこちらに駆けてきた時の結菜の笑顔を、俺は一生忘れない。
透き通った喜びだけを映した、桜のようなあの笑顔を――
だから俺はこう声をかけたんだ。
「結菜! その本、俺も読んでみたいから、一緒に買わないか?」
結菜が驚いたように目を丸くして、俺を見つめている。
うん、やっぱり思った通りだ。
「感激! 護、私嬉しい!」
彼女はあの時と同じ、はにかんだ笑顔になったんだ――
………
……
こうして俺たちのお出かけは和やかな雰囲気のまま続き、そして日が暮れる前には二の丸御殿に帰ってきた。
途中で居初又次郎のコーディネートによって茶々が可愛らしい小袖を着た際に、織田長益が鼻血を流しながら失神してしまったこと以外は、さしたるトラブルもなく皆ずっと笑顔だった。
なによりも俺にとっては、『変わらぬもの』を見いだせたことは、この時代で生きていく上でとても大きな支えになるだろう。
この先、俺は元の時代に戻れるのかすら定かではない。
もう二度と元の時代の結菜や摩央ねえに会えないかもしれない。
それでもこの世界にいる彼女たちが何一つ変わらぬ笑顔を俺に向けてくれるなら……。
俺は何とかやっていけそうな気したんだ。




