第一次千鬼城の戦い ③
◇◇
凱旋丸に到着した俺は、早速敵である織田軍の状況を聞いた。
どうやら千鬼城の城壁に沿って流れる安曇川よりもさらに南に本陣を構えているらしい。
まだ攻めかかってくるには時間がありそうだ。
さらに千鬼城の北側には一兵もいないとのこと。
千鬼城には南北二箇所の大手門があり、南を『大手門』、北を『北大手門』としている。
もっとも『北大手門』にかかる橋は跳ね橋となっており、橋を上げてしまえば、攻め込むのは難しい。
それを敵もよく知っていると見える。
俺は念のため、数人の物見(偵察をする兵のこと)を北大手門に送った上で、跳ね橋を上げて交通を遮断することにした。
そして残りの兵は大手門から左右に伸びた城壁の頂部で「歩廊」を呼ばれる場所で待機させることにした。
この「歩廊」は、西洋の城塞に見られる廊下のことだ。
俺は縄張りや建物の多くは『和式』を取り入れた一方で、城壁や城門については積極的に『洋式』を取り入れていた。
そのうちの一つが「歩廊」だったのである。
そこでは敵の動きがつぶさに確認できるだけでなく、鉄砲や弓を使った攻撃も可能だ。
左右へ自在に動き回れるので、城壁をよじ登ってこようとする敵兵への対処もできる。
さらに俺がこだわったのは城だけではない。
兵たちの『模型』に関する『設定』にも工夫をこらしたのだ。
彼らはみな、敵が城門に接近してきたとなれば、いつでも戦闘態勢が取れるように訓練されている。
また、数人の指揮官たちについては、適切な指示が出せるような『設定』にした。
つまり総大将である俺は何もしなくてもよい『設定』なのだ。
自分でも「ご都合主義すぎる」とは思う。
しかし戦争の「せ」の字も知らない男子高校生が、いきなり戦国時代に送りこまれたところで、いったい何ができるだろうか。
もっとも戦争に限った話ではない。
政治や家臣団の取りまとめ、そして御殿での生活……。
何を取ってみても、まともにできる自信はない。
できるとすれば昨晩のように、和紙を使った模型作りで人を喜ばせることくらいだ。
こんなことになるなら、もう少し料理を覚えたり、最低限のサバイバル術を身につけておくんだったな。
活かせることがあるとすれば、歴史マニアの担任から聞かされ続けた戦国武将たちの知識くらいなものか……。
だが後悔先に立たずだ。
もう今の自分で必死こいて城を守り抜くしかないのである。
………
……
兵たちがみなはけたところで、凱旋丸に残ったのは、俺と摩央ねえを含めた数人となった。
そこで俺たちは凱旋丸に仮設の本陣を造り、戦況を見守ることにした。
戦況を見るなら歩廊まで登った方がいいのではないかと思われるが、そうしなかったのは理由がある。
それは織田軍に送った「和平の使者」が帰ってくるのを待っていたからだ。
白い幕で囲われた本陣の中で落ち着くと、隣の椅子に腰かけた摩央ねえが問いかけてきた。
「織田がここを攻めてくる理由は、やっぱり茶々殿なのかしら。もしそうだとしたら、随分と『用意』がいいものね」
俺はちらりと摩央ねえの顔を見る。
ほぼ無表情。突然攻め込まれたにも関わらず、驚きも怒りも感じられない。
恐らく彼女もまた、織田信長が何を考えて茶々をここに送りこんできたのか、分かったのだろう。
俺は淡々とした口調で答えた。
「ああ、そうだと思う。日が落ちるまでに茶々と長益殿が千鬼城を去らなかった場合、『行動』へ移すようにしていたんじゃないかな」
「……となると、すぐ近くの坂本城あたりに兵を集めていたことになるわね。まるで『千鬼城攻めを確実に予定していた』みたい」
「あはは。俺は彼の『罠』にまんまとはまってしまったということだ」
俺が軽く笑い飛ばすと、摩央ねえは目を細めて俺を見てきた。
そして低い声で問いかけてきたのだった。
「……その『罠』も、敵と通じている……って考えたことある?」
彼女の言葉にさっと顔から血の気が引く。
だが、次の瞬間にはぐわっと胸の中が沸騰し、気付けば荒々しい口調で言い返していた。
「摩央ねえは茶々を疑っているというのか!? わずか4歳で父親を殺されて、傷ついた心で必死に助けを求めてきた彼女を悪者扱いにするつもりなのか!!」
がたりと立ち上がった俺に、摩央ねえは冷ややかな瞳を向けている。
さらに、手をひらひらさせて俺に落ち着くよう促してきた。
そして俺が再び椅子に腰かけたところで、変わらぬ低い声で続けたのだった。
「私だってあんな小さな子に疑いの目を向けたくない。でも純真な子どもだからこそ、誰かに騙され、利用されてしまうことだってあるものさ。現に彼女がここに来たのだって、彼女自身が根回ししたからではないだろうからね。彼女自身も気付かぬうちに、何者かの傀儡になっている恐れを忘れちゃだめよ」
「……それでも俺は茶々を信じる……」
俺が腕を組んで口を固く結んだのを見て、摩央ねえは小さな笑みを浮かべた。
「ふふ。護は相変わらず頑固で真っ直ぐね」
「ふんっ! 仕方ないだろ! この性格は自分でもどうにもならないんだから!」
「ええ、分かってるわ。……それに私は嫌いじゃないわよ。護のその性格」
「えっ……?」
意外すぎる言葉に固まってしまった俺。
一方の摩央ねえは見たこともないような優しい顔で微笑みかけてくれている。
なんだ? なんなんだこの胸のドキドキは……!?
ありえない展開に戸惑い続ける俺に、摩央ねえは小さな声で言ったのだった。
「あと、あんまり茶々殿に入れ込みすぎない方がいいと思うわよ」
「どうして?」
「ふふ、だって護と茶々殿が仲良し過ぎると、結菜ちゃんはいい思いをしないでしょ」
今度は別の意味で体が熱くなっていった。
いたずらっぽく笑っている摩央ねえに対して、俺は口を開いた。
「えっ? それってつまり結菜は俺のことを……」
……と、その時だった。
「申し上げます!! 使者の御方が戻ってまいりました! お通ししてよろしいでしょうか!」
と、幕の外から大声が響いてきたのだった。
………
……
その使者は俺の前までやってくると、ガクリと肩を落とした。
俺は相手の返答を聞く前に、使者へ話しかけた。
「御苦労さまです。ところでなぜ戻ってきたのでしょう? そのまま織田家の陣中に居座ることもできただろうに。当主の『弟』であれば……」
そう。和平の使者は織田長益だったのだ。
――茶々殿に対して岐阜へ帰るよう、城尾家で説得するので、しばらく待って欲しい。決して、茶々殿を人質にとったわけではない、そう信長殿に伝えてくれないだろうか?
と、伝言を頼んで彼を織田軍の陣へと送り込んだ。
もちろん信長からの返答は、『No』であるのは分かってのことだ。
ではなぜ無駄な使者を送ったのか。
それは織田長益に『織田』への帰還の機会を与えたかったからだ。
彼は茶々の付添いでこの城に入っただけだ。
にもかかわらず織田の敵側の陣営に身を置かせるのは忍びないし、万が一戦闘中に寝返ったりしたら、それこそ一大事。
だから建前をつけることで安全に織田家へ戻るきっかけを作ったわけだ。
だが、彼は戻ってきた。
その理由を質問したわけだが、彼は首を横に振ると、穏やかな口調で問い返してきた。
「もし結菜殿が茶々殿と同じ立場だとしたら、城尾殿はいかがしましょう?」
俺は目を丸くして、出すべき言葉を失う。
その様子を見た彼は「ふっ」と笑みをこぼしながら続けた。
「つまりはそういうことです」
と……。
そこに爽やかな風が通りすぎ、彼の垂れた前髪をさらさらと揺らす。
彼はその髪をかきあげながら、登りかけた太陽に向かって微笑んだ。
「……『愛は力』ですな」
さすがイケメン。
こういうセリフを言わせると、すごく様になる。
俺の隣にいる摩央ねえなんか、目がハートになってるじゃねえか。
しかし、俺の口から漏れ出たのは、素直な感情だった。
「幼子に対して『愛』とか……。まじで気持ち悪いんですけど」
だがこの何気ない本音が悪魔の手を動かした。
――スパアアアアアン!!
「ぎゃっ!!」
後頭部に稲妻が落ちたかのような衝撃が走ると、俺は前のめりに倒れていく。
そして意識を完全に失う前に衝撃を与えた悪魔の手の正体が目に飛び込んできたのだった。
「ま、摩央ねえ……め……」
きっと織田長益は摩央ねえが俺に食らわせた一撃に気づいていないのだろう。
それくらい巧妙かつ高速の手刀だった。
「し、城尾殿!? いかがなされたのか!?」
「長益様に無礼なことをほざいたから、罰があたっただけですわ! おほほ!」
………
……
さて、悠長に意識を失っている場合ではない。
既に両軍は睨みあって、一触即発の雰囲気が漂っているのだ。
特に和平の使者が立ち去ったとなれば、敵はすぐにでも突撃してきかねない。
俺は摩央ねえの強烈な張り手によって、意識を取り戻した。
すると耳に飛び込んできたのは、織田長益のぶつぶつと呟く声だった。
「ああ、これでそれがしも兄上の敵になってしまったのか……」
「いや、これも茶々殿への愛を貫くためだ!」
「ああ、でも兄上を怒らせてしまった。もうだめだ……」
「いや、茶々殿への愛があれば、いかなる困難も乗り越えられる!」
うむ。どうやら『兄への恐怖』と『幼女への愛』の狭間をさまよっているらしい。
これで正式に彼も『デスぺラード』の仲間入りってことでいいだろう。
おめでとう、と声をかけてあげたいが、今はそっとしておいた方がよさそうだ。
「その上、佐久間殿からは『言い訳は無用! 城尾家はもはや織田家にとって敵じゃ!』とはっきり言われてしまうし……。ああ、なんてことだ」
「ふむふむ、織田家の反応は想定内だ」
しかしどうも何かが引っ掛かる……。
しばらく考え込むと、その違和感の正体がふと浮き上がってきたのだった。
「ん? 待ってくれ? 『佐久間殿』と言ったか? なぜ『信長殿』ではないのだ?」
「え? なぜと申されましても……。兄上は今、長島の一揆勢を相手に忙しくしておりますゆえ。こちらには来ておりませぬ」
「な、なんだってええええ!?」
俺はてっきり織田信長が自ら大軍を率いて城を取り囲ってくるとばかり思っていた。
しかし、どうやらそうではないらしい。
となると知りたいのは敵軍の全容だ。
確か凱旋丸に俺が到着した時の報告によれば、織田軍の総勢3000だった。
「物見を呼んでくれ!」
ほどなくして一人の若い兵が俺の前までやってくると、織田軍の兵力について報告してきた。
「申し上げます! 敵兵は全部でおよそ3000!」
「援軍が来る様子はあるか!?」
「いえ、いっさいございません! 敵軍は徐々に接近しておりますので、間もなく一斉に突撃してくるものと思われます!」
「なんと……」
愕然とする俺に、織田長益が顔を青くして恐る恐る問いかけてくる。
「と、ところで千鬼城の兵はいかほどなのでしょう……?」
言葉を失っている俺に代わって、摩央ねえがはっきりした口調で即答した。
「300ですわ」
「さ、さんびゃくぅ!? たったそれだけで3000を相手になさろうと思っておられるのか!? あわわ……。これはもう本当に終わりかもしれぬ……。ああ……。茶々殿。あの世で一緒になりましょうぞ……」
もはや失神寸前といった様子で虚空を見上げている織田長益。
彼の絶望も普通に考えれば分からなくもない。
しかし……。
俺は怒りに震えていた。
「ふざけやがって……。千鬼城を相手に『信長不在の上、たった3000』で攻めてくるなんて……」
それまで顔を真っ青にしていた織田長益が、眉をひそめた。
「へっ? 城尾殿、それはどういう意味ですかな?」
俺は、彼の問いかけには答えず、歯ぎしりしながらつぶやいたのだった。
「賭けてもいい。織田軍は大手門に近付くことすらできずに退却するはずだ……」
と――




