第一次千鬼城の戦い ②
◇◇
――織田軍、襲来!
その一報はまたたく間に城内に広がった。
二の丸御殿の奥向もにわかに騒がしくなり、慌ただしく人々が右往左往しはじめている。
そんな中、俺は伊予丸とともに中奥に移った。
そして城主の間に入り、彼の手によって、甲冑を着せてもらっていたのだった。
テレビでは何度か見たことがあったが、実際に着るのはもちろん初めてだ。
椅子に座っていてもその重量感に背中が丸まりそうになってしまう。
しかしその度に伊予丸が、きりっとした顔をこちらに向けてくる。
彼を見ると自然と背筋が伸びるから不思議なものだ。
「着付けが終わりました。では、殿。いってらっしゃいませ!」
「うむ……。ってどこに行くのだ?」
ガクッと伊予丸の膝が崩れる。
しかし彼は小さな唇を緩ませて言った。
「殿は私を試されておられるのですね! 火急の時にも常に冷静に物事を考えられるのか、と」
ここは調子を合わせておいた方がよさそうだ。
「う、うむ。その通りじゃ! では、伊予丸。答えよ。俺はどこへ行ったらよい?」
「はっ! 凱旋丸でございます! お味方もそこで勢揃いいたします!」
「凱旋丸か……」
俺は自分で作ったジオラマのうち、二の丸付近の構造を思い起こした。
凱旋丸は千鬼城の中で最も大きな広場だ。
敵が攻め込んできた場合、そこで全ての城兵と家臣たちを集めて、士気を鼓舞するように作ったのである。
まさか本当にここで全員集合することになるなんて、想像すらしていなかったぜ……。
「わたしくの役目はここまでです。大広間までいけば摩央様がお待ちでしょう。そこまではお一人でお願いいたします!」
伊予丸の力強い言葉に後押しされるように、俺は立ち上がった。
「殿の出陣です!」
伊予丸が大声をあげると、閉じていた襖がすっと開いた。
俺は彼に対して小さく一礼すると大股で部屋を出る。
ここまでは大丈夫だったんだ。
しかしまだ薄暗い廊下へ一歩足を踏み入れた瞬間に、俺の体に異変が生じたのだった――
――ガクッ……。
肩に強烈な重みを感じたかと思うと、まったく力が入らなくなってしまったのだ。
膝ががくがくと笑っている。
ひんやりした空気にも関わらず、全身汗まみれだ。
どうしてしまったんだろう、なんて考えるまでもない。
怖いのだ……。
それまでは起きてすぐに着替えさせられてと息つく暇さえなかったから、何も感じなかった。
しかし、いざこうして甲冑姿で歩きはじめると、堰止めていた水が溢れ出るように、恐怖心がぶわっと押し寄せてきたのだ。
膝だけじゃない。
唇も両手も、いや俺の全てが小刻みに震えている。
これから血で血を洗う戦争が待っているんだ……。
怖くない方がおかしいだろ。
そばに寄ってきた伊予丸が心配そうに見上げてくる。
しかし彼は俺の恐怖を取り除く術を知らないようだ。
ただ黙ったまま、俺を見つめていた。
「俺、戦なんてできないよ……」
どうしようもない恐怖に、弱気な言葉がもれた。
逃げだしてしまいたい。
怖いことは他人へ全部押しつけてしまいたい。
どうせ俺なんて、足手まといになるだけなんだから……。
そんな風に卑屈な思いにかられ始める。
そして今身に付けたばかりの甲冑を脱がせるようにと、伊予丸に命じようとした瞬間だった――
「平気! 護ならできる!!」
と、結菜の張り上げた声が背後から響いてきたのだ。
「えっ?」
思わず振りかえる。
その瞬間――
――ボフッ!
と、小さな何かが俺に体当たりしてきた。
「のわっ!」
ただでさえバランスの悪い甲冑姿に、不意を突かれた形となった俺。
ぐらりと体勢を崩したが、どうにかこらえると、足元に目を移した。
するとそこには頬を真っ赤に染めた茶々の姿があったのだった。
「おじちゃぁん!!」
今にも泣き出しそうな瞳だ。
でもなんて声をかけたらいいのか分からない。
そもそも泣きだしたいのは俺だって同じなんだから。
自然と視線が落ちていく。
だが、直後に視界に飛び込んできたものに、俺は目を丸くした。
「これって……」
思わず茶々の手を取る。
しかし目をこらしたのは彼女の小さくて白い手ではなく、その先にある『袖』だった。
すると彼女は俺が何に驚いているのか気付いたようだ。
小さな声でつぶやいた。
「顔の四角いおじちゃんがこれを着ろってょ」
「又次郎のおっさんか……」
そうか……。
やっぱりそうだ!
これは『赤鬼』のコレクションだ!
俺が見覚えがあったのは、港の蔵にあった『辻が花』のうちの一つだったからだ!
「……激励。こういう時こそ可愛い服きて、心だけは晴れやかに、って『赤鬼』さんが言ってた」
「又次郎のおっさんがそんなことを……」
「……気合! 護! 気持ちで負けたら駄目!」
結菜が頬を桃色に染めて、ぐいっと俺に顔を近付けてきた。
同時に茶々もまた、口を真一文字に結んで、俺をじっと見上げている。
二人の熱い視線が俺の心に痛いほど突き刺さってきた。
ああ……。
情けないよな……。俺。
織田軍が攻め込んでくるのを予感してたのに。
いざって時に弱気になっちまうなんて。
茶々を守るんだ、って心に決めてたじゃないか。
冷たくなっていた心の温度が急上昇しはじめる。
そしてじゅうぶんに身も心も熱を帯びてきたところで、俺は覚悟を決めたのだった。
よしっ!
俺も楽しい未来を考えて、心だけは晴れやかにして、敵と戦ってこよう!
俺は茶々の柔らかな髪をなでながら、彼女に告げた。
「戦が終わったら港へいこう! でっかい蔵とか珍しい船があるんだぜ!」
俺の言葉に茶々の顔がぱあっと明るくなる。
「わあ! わらわは嬉しいょ! おじちゃぁん! だいしゅき!!」
そして次に俺は結菜に向き合った。
俺は噛んでから含ませるように、ゆっくりと口を開いた。
大切にしてきた想いを打ち明けるために……。
「結菜。この戦が終わったら、俺と……」
互いの視線が絡み合うと、おのずと顔と顔が近づいていく。
あと一息だ。
きっと結菜も言葉の続きを待ってくれているに違いない。
「俺と、け……」
「ごっほーーーーん!! おいっ! この卑猥侍! なんであんたは戦場で華を咲かせる前に、恋の華を咲かせようとしてるのよ!」
「どわああああ!!」
俺は思わずその場から飛びのいた。
声の持ち主は、言うまでもない。
摩央ねえだ!
白い陣羽織と真紅の甲冑に身を包んだ彼女は、ニタニタしながら俺を見ている。
今日という今日こそ、文句を言ってやらないと気がすまない。
そう口を開きかけた瞬間だった。
先に言葉を発したのは結菜の方だった。
「……誤解。私たちは『ただの友達』です」
「なっはははは! 残念だったねー、護くぅん。でもよかったじゃない。先に恋で敗れたから、戦では敗れないわよー! なっはははは!」
「……摩央ねえだって、恋の戦に連戦連敗じゃねえか……」
「ああ? なんか言ったか? ごらぁ」
甲冑姿ですごまれると、マジで怖いからやめて欲しい。
とは言えず、俺は摩央ねえから視線をそらしながらつぶやいた。
「いえ、何でもありません。ところでどんなご用件でしょうか?」
「なんだよ、そのかしこまったしゃべり方は。気持ち悪い。……まあ、いいや。もうみんな揃って、護を待ってるんだ。早く行くぞ」
摩央ねえが強引に俺の腕をぐいっと引っ張る。
俺は彼女に引きずられるようにしながら廊下を歩きはじめた。
結局、ろくな挨拶もできずに結菜との距離が、どんどん離れていく。
とは言え、ここで抵抗するわけにもいかなし、俺は摩央ねえと歩幅を合わせて廊下を突き進んでいった。
御殿を出て桜の南門をくぐる。
そして跳ね橋を渡ったところで、摩央ねえは俺から手を離すと、立ち止まって低い声で言った。
「護、覚えておいて。恐怖とか覚悟なんて、戦場に立てば一気に吹き飛ぶものなの」
背を向けたまま、いつになく真剣な口調の摩央ねえ。
俺もまた真剣な面持ちで彼女の言葉に耳を傾けていた。
「あんたはここの大将なんだ。自分の感情のことばかり考えてたらだめだ。目の前にある勝利のことだけを考えろ。これは姉ちゃんからの命令だ。いいな?」
パンと頬を思いっきり張られたかのような、鋭い痛みが走る。
だがその言葉こそ、俺が一番欲しかったものに間違いない。
「ああ、分かった。ありがとう、摩央ねえ」
摩央ねえが、再び歩き出す。俺も彼女の背中を追っていった。
開いたままの凱旋の門をくぐり、大きな橋を渡り始めた。
そうして橋の真ん中までやってくると、凱旋丸で待機している兵たちが目に入ってきた。
もちろん彼らも俺の姿をとらえたのだろう。
――うおおおおお!!
地響きがするほどの雄叫びに辺りが熱気で包まれてく。
摩央ねえの言った通りだ、
この光景に身を投じた瞬間に、恐怖とか覚悟とか、そんなのがちっぽけに思えてならなかった。
あるのはただ一点……。
俺はそれをありったけの大声で発した。
「絶対にかあああああつ!!!」
――うおおおおおおお!!!
――勝利! 勝利! 勝利!
『勝利』の大合唱の中、俺はゆっくりと彼らの前に立った。
さあ、準備は整った!
攻めかかってこい! 織田信長!!
俺と千鬼城が相手だ!!




