第一次千鬼城の戦い ①
◇◇
冷たい雨が降りしきる中、俺は『絶望』を目の前にしていた。
頬を伝う雫は、果たして雨水なのかそれとも涙なのか。
しかし、そんなことはどうでもいい。
なぜなら水に濡れている感覚すら忘れるほどに、全神経を『視覚』と『聴覚』に集中しているからだ。
すぐ目の前にあるのは千鬼城の巨大な城門だ。
その城門に向かって叫んだ。
「そんなことできるかあああ!」
同時に一歩前に踏み出そうとしたが、複数の手によって引き止められる。
「殿! お下がりください!」
「離せ! 離せ!!」
まるで駄々をこねる幼児のように暴れた。
しかし、もはやどうにもならないのは、俺にも分かっていたんだ。
たった数歩――
『希望』と『絶望』を隔たるその距離を、俺は埋めることができない。
――ガシャンッ!!
鉄柵が落ちる無慈悲な音が、辺りの喧噪を鎮める。
その瞬間に俺の心は『絶望』の漆黒に染まった。
しかし……。
視界がとらえた光景はまったく違っていたんだ。
なぜだ……? 誰か教えてくれよ……。
なぜ格子の向こう側は、『希望』に満ち溢れているんだ……?
◇◇
居初 又次郎が連れてきた『門吉』なる人物は、薄汚れた服装の少年であった。
「門吉と申します! よろしくお願いします!」
身なりとは裏腹に、爽やかな調子で挨拶をした門吉。
居初 又次郎は、笑顔のまま彼の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「こいつは『乱どり』でとらわれた奴だったんだがな。途中で生け捕った侍が流れ矢にたおれちまってよ。路頭に迷っていたところを、俺が拾ったってわけだ! がはは!」
又次郎の物言いに、俺は眉をひそめる。
それもそうだろう。
『乱どり』とは、簡単に言えば敵地で物を盗むことだ。
食料や金品を奪い取るなら、まだ理解できる。
しかし『人』を盗んできたとなれば、立派な誘拐じゃないか。
まるで『人』を『物』のように言っている又次郎の言葉は、とうてい腑に落ちない。
だが、そんな俺の複雑な気持ちなど知らない門吉は、屈託のない笑みを浮かべて続けた。
「私は幸運でした! 居初様のような立派な御方に拾っていただいて! その居初様の御命令とあらば、一生懸命頑張らせていただきます!」
「がははは! 相変わらず殊勝な奴だ! こいつは手先が器用でな! 湖でとれた魚を調理させたら、右に出る者はいねえ! 食材と一緒に城へ持っていけ!」
「待て、待て! 門吉は『人』なんだろ!? 食材と同じように言うのは間違ってる!!」
無意識のうちに発した俺の大声に、又次郎と門吉だけではなく、その場にいた全員の目が丸くなる。
でも俺は間違ったことを言ってないし、そんなに不思議がられるいわれはない。
周囲が静まり返る中、口を尖らせた。
「しかも食材を調理してくれるんだろ!? だったら礼を尽くして城に迎えるのが筋ってもんだろ!」
そう言い終えた後、大股で門吉の前まで出る。
自然と険しい顔つきになっていたのだろうか。
俺の顔を見て表情をこわばらせる門吉に対して、俺は深々とお辞儀をしたのだった――
「こちらこそ、よろしくお願いします!!」
真っ直ぐな声が響き渡ると、直後には気まずい沈黙が流れる。
この空気からして、俺の取った行動は、戦国時代では非常識なのだろうな。
でも、本来ならばこの時代の人間ではない俺にとっては非常識なんかじゃない!
摩央ねえだって、俺がアイスを買ってきた時に言ってたじゃないか。
――誠意こそ、人の心を動かすものよ。さあ、護。姉ちゃんに誠意を見せなさい。
って……。
うん? なんかシチュエーションが全然違う気がしなくもないが……。
まあ、あの時の摩央ねえのことなんかどうでもいい!
誠意を持って頭を下げれば、きっと彼は最高の料理を作ってくれるはずだ!
そう強く信じて頭を下げ続けていた。
……が、次の瞬間。
――ザッ!
目の前の地面で音がしたかと思うと、視界の片隅に予想もしなかったものが飛び込んできたのだ。
「私の方こそ、お料理を作らせてくだされ! お願いします!」
「へっ……?」
なんと門吉が膝を地面につけて、俺に頭を下げてきたのだ。
それは言うまでもなく土下座であった。
しばらくして彼が顔を上げる。
俺たちは目と目を合わせる格好となった。
色白で整った顔は土で汚れている。
でも、とても澄んだ綺麗な瞳だ。
その瞳に吸い込まれていくと、心の中で「カチャッ」という何かがはまる音がしたのを確かに感じた。
そして奇妙な確信を得たのだ……。
――この人とは無二の親友になる。
と――
自然と口元が緩む。
すると彼も緊張が解けたのか、こわばっていた表情が少年らしい笑顔へと変わっていったのだ。
「あはは!」
「ふふふ!」
俺たちの口から、ほぼ同時に笑い声が漏れだした。
そしてそれはみるみるうちに今日のお日さまのような暖かなものへと変わっていく。
まだ又次郎や摩央ねえたちは、何が起こったか理解できていないようだ。
口も開かずにじっとこちらを見ている視線だけを感じる。
でも、俺たち二人の間には、もう既に確かな友情が芽生えていたんだ。
その証に、差し出した俺の手を握る彼の手は温かく、握る力は強かったのだから……。
「申し遅れた! 俺の名は、城尾 護だ! よろしくな!」
「はい!」
そして俺たちは肩を並べながら二の丸御殿へと向かっていったのだった――
………
……
門吉の作った料理は、それはもう最高だった。
どこで習ったのかは知らないが、繊細な味付けと、綺麗な盛り付けは、まるで一流の料亭で出される懐石料理のようだったのだ。
茶々と織田 長益も、たいそう気に入ってくれて、終始笑顔のまま饗応は終わった。
日はとうに落ち、大いに盛り上がった酒宴が解散になる頃には、すっかり夜は更けていた。
俺はようやく一息つけるようになると、城主の間と呼ばれる中奥の自室へ入った。
そして門吉を部屋へ呼び寄せたのだった――
「門吉がまいりました。お通しいたしてよろしいでしょうか?」
襖の奥から伊予丸の澄んだ声が聞こえてきた。
迷うことなく返事をする。
「うむ、通してくれ」
「かしこまりました」
俺の答えを予想していたかのように、伊予丸の言葉とともに襖がすっと開く。
するとそこには頭を低く下げた門吉の姿があった。
港で見た時と比べれば見違えるように立派なのは、ここに来た直後に彼の体を綺麗にさせて、新しい着物を手配したからだ。
元より色白のその肌は、余計に白く、夜の闇に浮きあがっているようだ。
俺は穏やかな口調で告げた。
「顔を上げて、部屋に入ってくれ。あ、伊予丸! お茶を二つ用意して欲しい」
「かしこまりました。すぐにお持ちします」
伊予丸が廊下の奥へと消えていったところで、うやうやしく部屋へと入ってくる門吉。
どうやら豪勢な部屋に入るのは初めてなんだろうな。
彼の緊張がひしひしと伝わってくる。
俺はつとめて明るく声をかけた。
「そう固くならないでくれ。俺だってこんな場所には慣れていないんだ」
「え……? でもここは城尾様のお部屋ではありませんか?」
彼がきょとんとした顔で問いかけてくると、思わず苦笑いが漏れる。
まさか「俺は未来からやってきたんだ! だからこの部屋に入るのは俺も初めてなんだ!」なんて言えるはずもない。
そんなことが万が一にも他に漏れたら、俺はたちまち曲者扱いされてしまうだろう。
当面は誰にも俺の素性を知られてはならないと、既に心に決めていた。
だから俺は適当にごまかすことにしたのだった。
「いやあ、普段は趣味の部屋にいることが多いのだよ!」
「趣味でございますか? もしよろしければ、城尾様の趣味をお聞かせ願いませんでしょうか」
口調こそ硬いが、気兼ねなく問いかけてくるあたり、彼もかなり俺に対して信頼を置いてくれているのだと思う。
なぜかツンと鼻の奥に走った痛みをこらえながら、素直に答えたのだった。
「俺の趣味は『模型作り』なんだ!」
「もけい? はて……? それはいったいなんでしょう?」
どうやら『模型』がなんなのか門吉には分からないらしい。
だったら説明するより、実際に見せてあげた方が早そうだな。
俺は素早く周囲を見回した。
何か模型作りに適したものはないか……。
「うん、これでやってみようか!」
目に入ったのは白紙の束と、墨と筆。
俺はまず紙にさらさらと筆を走らせた。
その様子を門吉は不思議そうに眺めている。
「いったい何をされておられるのですか?」
「まあ、見てれば分かるって! 百聞は一見にしかずさ!」
「さようでございますか……」
和紙で模型を作るなんて、結構贅沢だな。
などと考えながら、手元はほぼ無意識で動いていく。
紙を切り、折り曲げ、そして組み立てる……。
それを数回繰り返しているうちに、門吉にも俺がいったい何を作っているか分かったのだろう。
みるみるうちに目が輝いてきた。
そうしてわずかな時間で完成した――
「わあ! すごいです! 丸子船ですよね!?」
「ああ、そうだ! どうだ? 上手くできてるかい?」
「はい! すごいです!」
何度も首を縦に振りながら、俺が即興で作った船の模型を見つめている。
そのキラキラと輝く瞳を見ていると、なんだか気恥ずかしくなってしまう。
俺は少しだけ視線をそらして言った。
「もし門吉がよかったら、一緒に作ってみるか?」
「えっ!? よろしいのですか!?」
弾むような声色だ。
俺は彼の方に向き直ると、笑顔で答えたのだった。
「ああ! もちろんだ! 俺も一緒に模型作りできる友が見つかって嬉しいよ!」
と――
………
……
その後、俺たちは様々な模型を紙で一緒に作った。
蔵、魚、人、馬や牛、そして最後は簡単なお城――
手を動かしている間は、よく口も動かしたんだ。
中でも門吉の生い立ちについての話が印象的だった。
彼はわずか2歳の時に『乱どり』にあってとらわれの身となってしまったらしい。
だから元の家族のことは全く覚えていないそうだ。
唯一覚えていることについて、彼はこう言った。
「たった一度だけ握ったおっかあの手です」
「お母さんの手……」
「はい。とても優しくて、温かかったのを、今でもよく覚えております」
「そうか……」
その後は又次郎の言った通りだった。
彼のもとで奉公しているうちに、自然と炊事や船の修繕などを覚えていったらしい。
又次郎は門吉にとても良くしてくれており、周囲も仲良くしてくれているとのこと。
「だから私はたいへんに幸せ者なんです!」
そう言い切って目を輝かせる門吉。
しかし俺の心の中は複雑だった。
もし俺が彼と同じ立場だったら、彼のように穏やかな表情で、嬉々としてその生い立ちを語れるだろうか。
両親と顔を合わせるのが普通。
友達と学校へいくのが普通。
勉強したり、趣味の模型作りに没頭したりするのが普通。
そして淡い恋心を抱いて悶々とするのが普通。
壮絶な半生を送っておきながら何でもないことのように振舞う門吉を前にすれば、そんな『普通』がとても贅沢な事であるのがよく理解できる。
でも、彼は自分のことを『幸せ者』と断言していた。
あの声色と表情からして、強がりや嘘ではないはずだ。
だから俺は分からなくなってしまったのだ。
果たして『幸せ』とは何なのか。
『希望』や『絶望』とは、いったい何なのだろうか――
答えなんて出るはずもない疑問に頭を巡らせていると、門吉が二枚の小さな紙を目の前でひらひらさせてきた。
「城尾様。この余った紙で何か作れませんでしょうか? 捨ててしまうのはもったいないと存じます」
その透き通った声に、はっとした俺は、顎に手を当ててしばらく考えこんだ。
そしてびびっと電気のように走った一つの考えを口にしたのだった。
「鶴……。折り鶴はどうかな!?」
「鶴……でございますか?」
門吉は折り鶴を知らないのだろう。
不思議そうに俺と四方の紙きれを交互に見比べている。
それもそうか。
折り紙は元より『たしなみ』として武家や貴族の間で広まっていたそうだ。
ただしそれは書状や物を包むためのものであり、折り鶴などの『遊戯』としての折り紙ではない。
遊戯としての折り紙が庶民にも広まったのは、今からずっと先の江戸時代中期と言われている。
だから彼が「折り鶴」と聞いて、首をかしげるのは当たり前のことだ。
俺は彼の手から一枚だけ紙を抜き取ると、手早く鶴を折った。
「おお! まさに鶴でございます! 城尾様は何でも作れてしまうのですね!」
「なんでも、ってのは言い過ぎだよ。さあ、折り方を教えてあげるから、門吉もやってごらん」
「はい! お願いします!」
二人で一体となって一羽の鶴を折る。
それがすごく心地良かった。
今日出会ったばかりとは思えない、神秘的な既知感も、不思議と驚きは覚えなかった。
これからもずっと友達でいたい。
心からそう思い、無意識のうちに言葉が口から出てきた。
「門吉。この城で暮らさないか?」
しかし彼は穏やかな表情のまま、首を横に振った。
「私は居初様にお仕えする身でございます。一生をかけて御恩を返さねば、あの世で罰が当たってしまいます」
「そうか……」
その話はそれっきりで終えた。
なぜなら俺は安心しきっていたからだ。
居初又次郎は、千鬼城の港をこれからも拠点としてくれるはずだ。
ならばおのずと門吉も千鬼城の領地の中で暮らすことになる。
だから、これからもこうして一緒に模型を作ったり、話しをしたりできるのだ、と。
「できた! 私にも作れました! 城尾様!」
彼の白いてのひらの上にちょこんと小ぶりの折り鶴が乗せられている。
手先が器用な門吉らしく、繊細で美しい形をした鶴だ。
堂々と凛々しくたたずむその姿は、彼の生き様そのもののように感じられる。
俺はそれを手に取って、代わりに俺が作った鶴を乗せた。
「折り鶴を送り合うことは、『友情』を意味しているんだ。これからもずっと仲良くしてくれ」
そう言い終えた直後。
彼の瞳はみるみるうちに涙でうるんでいった。
それを彼はごしごしと袖で拭うと、晴れやかな表情で答えてくれたのだった。
「はい! これからも仲良くしてくださいませ!」
と――
こうして俺にとっての戦国時代の初日は幕を閉じた。
未だに右も左も分かっていない。
そしてこれからどんな運命が待ち受けているかなんて思いもつかない。
でも確かに言えることがある。
それは……。
――親友がいるから、大丈夫だ!
ということ。
たった一人の友ができただけで、なぜこんなにも未来が明るく感じられるのだろうか。
ワクワクが止まらずに、胸が高鳴り続けている。
「また明日、一緒に模型作りをしたいなあ」
小さな折り鶴へ願いをかけると、それを枕元に置いた。
そして静かに目を閉じたのだった――
………
……
翌朝――
まだ空が白み始めたばかりの頃のことだ。
――ドタドタドタッ!!
慌ただしく廊下を駆ける音で、俺は目を覚ました。
そして体を起こしたところで、襖の外からじいの大声が耳をつんざいたのだった。
「敵襲でございます!! 敵襲!!」
俺は素早く着物を整えると、襖をバンと勢い良く開ける。
すると足元には顔を真っ青にしたじいと、簡素な甲冑に身を包んだ伊予丸の二人がひざまずいていた。
だが、実を言うと、この『敵襲』を予感していた。
だから自分でも驚くほど冷静にじいへ問いかけた。
「敵は何者だ?」
じいは急いで顔を上げると、険しい表情で告げてきた。
「敵は『織田』!! 織田信長殿の軍勢でございます!!」
と。
これが俺と千鬼城にとっての試練の始まりであることは、疑いようもなかったのだった――
いつも読んでいただき、まことにありがとうございます。
明日は幕間を挟みます。
いよいよ千鬼城の縄張りを公開いたします。
これからもよろしくお願いいたします。




