顔がいい
ルームメイトからメールが来た。
曰く、『今日は帰ってくるな。』
何度か目をしばたたかせて深くため息をついた。自分を取り巻く空気の温度が変化したことに気がついたらしい部下が声をかけて来たが、なんでもないと答え、ジャケットを羽織り、タイムカードを押した。
誰もいないエレベーターの中で革のキーケースを弄びながら、さてと考えるが一晩潰すとなると存外難しいものだ。
薄暗い地下の社用のパーキングでは、打ち上げられた巨鯨のように愛車が自分を待っていた。
ドアを開くとルームライトの柔らかい光が車内を照らした。クリーム色の大きな革のシートに身を任せ、エンジンをかけた。
ダッシュボードのコンソールに光が灯り、のっそりとオイルと空気の力によって、体を持ち上げ、目を覚ました巨鯨は水の上を滑るように初夏の帰路の流れに混じった。
金曜の夜にしては悪くない流れに身を任せて、軽くアクセルペダルに右足を乗せて、ハンドルに手を添えていると、大きな車体はそれをもてあますことなく、舞踏会に馴れた伯爵夫人のように、宵闇のビジネス街を抜ける路上で優雅に身を踊らせてくれた。
エンジン音や振動の伝わらない車内は自分の好みの音楽が静かに流れている。
まあ、分不相応な相手だが自分と仕事の取り繕った仮面の切り替えにも重要なパートナーである。
程よく肩の力が抜け、周囲に注意を向ける余裕ができると、高速道路を示す明るい緑色の看板が目に入った。
ウィンカーレバーに手を乗せようとした時、左胸に振動が伝わった。
ナビゲーションの画面にハンズフリー通話のアイコンと電話番号が浮かび、仕方がなく、人差し指でそれに触れた。
「寺田さん?」
「どうした?」
「もういい。」
重い溜息と沈んだ声にこちらもつられて溜息がまろび落ちた。
「そうか。なにか買ってきて欲しいものはあるか?」
しばらく、逡巡したような沈黙の後にどこにいるのかと尋ねられた。
「車の中だ。高速に出て時間を潰そうかと思っていた。」
「……付き合う。」
首を一度、回すとこわばった筋が軋む音が響いた。口から出そうな空気を無理に胃の腑に押し込めて、6秒カウントした。
「2、30分で着く。」
「待ってる。」
通話が切れた。目の前に続く車列のテールライトが目にしみた気がして何度か目をしばたたかせた。
途中に渋滞につかまり、10分ほど遅くなったが自宅のある低層マンションに着いた。
地方の親戚が資産運用の一環として一棟買いした物件は、流行りのタワーではなく、石造りの低層マンションで庭園があるなんとも鷹揚な設計だった。
ハザードをつけて停車すると、人影が駆け寄ってきた。
ドアロックを外すと、スパイスの効いた花の香りとともにルームメイトが滑り込んできた。手にしていた不細工な猫の顔が縫いこまれたクラッチバッグをバックシートに投げ捨て、エナメルのバレエシューズを脱ぎ捨てた。
「シートベルト。」
クラシカルローズに塗られた唇から舌打ちが漏れ、不器用に音を立ててベルトを止めたルームメイトはシートをスライドさせて、ダッシュボードに素足を載せた。
「なに?ちゃんとお風呂は済ませたから。臭うわけないじゃん。」
視線に気がついたようで、苛立たしく組み替えた足首のロードクロサイトのアンクレットが揺れた。
ハザードランプからウィンカーに切り替えて、走り出させた。
近場のインターチェンジから高速道路に合流するとそのまま流れに任せることにした。
この間、ルームメイトは一度も口を開くことなく、腕組みをして、ときおり足を組み替えるだけだった。
コンクリートの継ぎ目を乗り越える音が聞こえてくるも振動までは伝わらない。自分は右ひじをドアにかけて、手を軽くハンドルに添えていた。
目の端でルームメイトの顔が向くのが見えた。
「聴かないの?」
「どう聴いたって、吉屋さんには怒られるだけだろう。」
「『思ってたのと違う。』、『ちょっとタイプが違うんだよね。』」
「だから聴いていない。」
「だったら、家までついてくんなって話だよ。わかりにくくってすみませんね。」
「自分に謝られても知らないぞ。」
「ムカつく。」
吉屋さんの唸り声を無視しながら、軽自動車を追い抜くために追い越し車線に入ると、後方から投擲された槍のようなスポーツカーが張り付いてきた。
さっさと軽自動車を追い抜くと走行車線に戻るとバックファイヤの音を立てて、鉄の塊感が溢れ出るガンメタリックのスポーツカーが駆け抜けた。
「追っかけれよ。」
「そんなつもりはない。」
「くっさ。それより、腹空いてない?」
首を捻って考えると、確かにそうかもしれない。うなずくと助手席の吉屋さんはすぐにスマートフォンに語りかけて、とあるサービスエリアを指定してきた。
22時を回ったサービスエリアはさすがに駐車場に空きが目立った。やや離れたところに停めて表に出ると湿気を含んだ夜気が顔をしっとりと冷たく撫でた。
車外に出た吉屋さんはというと、レースのついたショートパンツから素足を伸ばし、脱ぎ捨てていた赤いバレエシューズを立ったままで履き直していた。
そして上はノースリーブシャツの上にボレロ、片手にはクラッチバックという、いかにも寒そうな様子だった。
自分が見ていることに気がついた吉屋さんは鼻にしわを寄せて睨み上げてきた。
「ジャケットを貸すなんていうなよ。蹴るからな。」
「服のチョイスを間違えたんじゃないか?」
気温の考慮した何気ない言葉は吉屋さんの表情を落とさせるのに十分だった。
「ああ、なるほど、なるほどね。でも、もう、そういうのめどい。決まりごとが多いわよ。だよな。」
溢れた不満ののち、綺麗な鼻筋にしわを寄せた彼女は語尾を言い直した。
「寒いだろう、はやく入ろう。」
素直についてきた吉屋さんは駆け足で自分を追い抜いて、サービスエリアの遅くまで営業しているフードコートの中に入り、食券の券売機の前に立った。
「おごる。なんでも言って。」
しばらく考えたが、醤油ラーメンと答えると彼女は生姜焼き定食とともに手早く食券を購入して、自分に席取りを頼んできた。
「よくはいるな。」
「コンパの飯、我慢してたんだよ。ドリンクだってさ。」
「飲んでもいいぞ。」
「カンベン。ただでさえ、寺田さんの車は酔いやすいんだから。」
「そうかな?」
「船のように揺れるんだよ?わたしは船酔いしやすいタチだから。」
からりとした男口調がほつれて、吉屋さんが隠し通そうとしている育ちの痕跡を無視して、自分はあたりを見回した。
なんとも言えないような表情で手早く掻っ込めるような食事を選んでいる職業運転手たちは義務的に食べ終わると居残ることもなく、さっさと出て行った。
吉屋さんの手元にあった四角いプラスチックのLEDが赤く光った。自分たちは立ち上がって注文の品を取りにカウンターに向かった。
席に着くと、吉屋さんは明るい色みのロングヘアをシュシュでくくった。フードコートの照明に彼女の左耳につけられているアメジストのピアスが淡い紫の光を反射した。
無言で速いペースで胃に収める食事は暖かくどこか懐かしさを感じさせた。
「こんなに美味しいのに、つまらなさそうに食べる人が多いね。」
「吉屋さんがそう見えているだけじゃないのか?」
小さな唇から真珠のような歯を見せて豚肉を噛みちぎった吉屋さんは首をひねった。得心がいかなかったらしい。
「自分はうまそうに食べているか?」
「いや。仕方がなさそう。」
「実際そうだ。おいしいがもっとメンタルを整えてから食べたい。きっともっとうまく感じるだろうな。」
「悪かったね。」
その後も黙々と食べ終えた自分は吉屋さんの分とともにカウンターに持ってゆくために二人分の食べ終えた食器をトレイにまとめようとした。
吉屋さんの食器は綺麗に食べられていて、ほんの少し汚れた箸先の割り箸はテーブルの置かれた紙ナプキンで拭われていた。
吉屋さんは自分がカウンターにゆく間にクラッチバックから取り出した小さなシリコーンのカップとトラベル用の歯ブラシセットを手にトイレに向かった。
夜の空気がほおを逆撫でし、車に戻ろうかと思いはじめたころ、吉屋さんが戻ってきた。
彼女はふところに近寄り、胸元に顔を寄せてきた。すぐに自分を見上げたその顔は上唇を引き上げて、眉間にしわを作った。
「臭うか?」
「ラーメンが臭う。」
「コーヒーでも飲んでごまかすか?」
吉屋さんの顔がまるで臭いものを見つけた猫のようになった。
「そのうち慣れるからいいよ。で、もう少しゆくんで…?」
不自然に途切らせた言葉に無理やり疑問符を乗せてきた。自分は頷いて、愛車のロックを解除した。吉屋さんは足早にドアを開いて乗り込み、自分も回り込んで運転席側にゆこうとした時に、背後から声をかけられた。
「室長?」
振り向くとそこには昨年まで部下だった男が女性づれで立っていた。
「久しぶりだな。どうしてこんなところに?」
「今日、俺、代休だったんで。彼女のところに。」
「ああ、なるほど。じゃあ、これから戻るのか。」
「ええ。この連休は大阪に連れてゆこうかと。」
「なかなかいい代休の使い方をしているな。」
「タイミング良かったです。あの、室長、お連れさんがいらっしゃるんですか?」
彼の連れの目線が露骨に車内の吉屋さんに向けられていた。うつむいた吉屋さんはスマートフォンを注視していた。
「自分の姪だ。」
「あっ…そう、なんですね。」
「ああ。」
視線を感じ、目を向けると吉屋さんがこちらを見ていた。自分と彼、彼女と吉屋さんの視線が交錯し、吉屋さんは微笑んで会釈をした。
「寒いだろう。じゃあ。」
「ええ。失礼しました。」
二人と別れ、改めて車内に戻るとエンジンをかけた。短時間だったためにサスペンションは沈むことがなく、そのまま、ハンドルを切って合流車線の方向に車のノーズを向けた。
「会社の人だよね?」
「ああ、去年まで部下で、今は大阪で仕事している。すまんな。」
「謝ることはないさ。それよりも誤解されて困るんじゃない?姪って言い訳してたけど、寺田さんとは似ているところないし。」
「多分大丈夫だろう。実物も似ていない。まあ、本物の姪と吉屋さんは似ても似つかないけどな。」
「キレイ?」
「いや、顔がいいのは吉屋さんの方だ。姪はなんていうか、子供っぽい顔をしてる。」
「……」
ソロピアノのジャズボサにため息が混じった。
ツィっと吉屋さんの右の足の第2指がウィンドウに触れて円を描いた。
吉屋さんは子供の頃、クラシックバレエを習っていたが、第2指が長いギリシア型の足趾と足の甲が繊細な造りだったため、トゥシューズでもルルヴェ〜爪先立ち〜が不安定で、高校受験を機にやめてしまったと話していた。
彼女の素足を見て、ふと、オフで出会う前のそんな他愛のないやりとりを思い出した。
「あたしみたいのに、顔がいい、なんていうもんじゃないよ。」
アンクレットのロードクロサイトとダッシュボードが触れる音がした。
「すまない。よくわからないんだが。」
「そうだったな。寺田さんは、あんまりそういうことに興味がないんだっけ。」
前のトラックのブレーキランプが点灯した。それに合わせてアクセルペダルからブレーキペダルに右足を載せ替えた。デジタルのメーターがどんどん低速を表示した。
前方のトラックが右にウィンカーを点滅させて追い抜き車線へと移った。その合間で先ほど自分たちを追い抜いていったはずのスポーツカーが若干遅れて車線変更して、トラックの前に塞がった。
ブレーキペダルから足を離したが、アクセルペダルへは戻さずに前方の2台からさらに車間距離を取った。
「気にしなくっていい。いつものように変なこと言ったと思って。」
「怒らせた?」
「いや。ちょっと過敏になっただけ。駐車場で寺田さんの部下の女の目をシャットアウトするつもりでコンパの参加者のチェックしてたら、友達経由で知ったんだけど、お持ち帰りした女がそんなことを呟いていただけ。『顔は良かったのに、もったいない。』って。笑っちゃうよね。向こうからしたら、持ち帰ったことになってたらしいよ。」
「すまなかった。」
「だから、いいって。ちょっと繊細がすぎただけだって。それより姪っ子ちゃん、紹介してくんない?」
「小学時代から付き合ってる彼氏がいる未成年だが。」
「フザケンナ。」
車窓から映るトラックとスポーツカーは加減速を繰り返して、近くにいると不安感しかない。ハンドルを握り直して、アクセルペダルをベタ踏みにした。加速に伴いハンドリングも重くなってゆく。シートにもたれかかっている身体にも重力がかかってきた。
「ど、どうしたの?」
「前が煽られていて危ないから抜く。」
「あっ……お、おう。」
吉屋さんは足を下ろして、倒し加減のシートの背もたれを修正して、座り直した。愛車はゆっくりと加速が乗り、走行車線の二台を抜き去った。
吉屋さんはシートの合間から顔を出して振り返って後ろを恐ろしげに覗き込みながら、不安そうな声を出した。
「動画撮って、警察に電話かけようか?」
「動画はともかく、電話で見かけたくらいは言ってみたほうがいい。結構しつこい。」
頷いた吉屋さんは警察へ報告を済ませた。それを確認した自分はまたオーディオの音量をあげた。
「緊張した。」
「ああ、またどこかで降りて休もうか?」
「うん。そうだね。」
近場のパーキングエリアは古びたトイレと暗い照明に薄ぼんやりと浮かび上がる自動販売機だけの殺風景な場所だった。
自分たちは降りて、夜の空気を吸いながら、日を超えるのを待った。虫の音に混じって甲高い鳥の鳴き声がパーキングエリアの奥の森からかすかに響いた。
「ともかく、姪御さんには会ってみたいかも。」
「うん。」
「長続きする秘訣を知りたい。」
「確かに。いつも、すぐにルームシェアを解消するから待ってろと言われているからなあ。」
「返す言葉がない。そもそも男とルームシェアしている段階で信じられないとダチにも言われるからな。」
「自分に言われてもとしか。」
締めたドアにもたれかかって缶コーヒーをあおった。
「男を無条件で嫌うやつが多いんだ。思うところが多いんだ。あと、信用できない。」
吉屋さんはそう答えて、人一人分ほど離れて横に並んで、車にもたれかかってきた。
軽い彼女でも寄りかかるとやわらかいハイロドニューマティックサスペンションは反応して、車体が傾いた。
空になった缶を持て余しながら、伏目のまま彼女を見た。
だらりと下げた左手には小さなお茶のペットボトルが握られていた。
素足に履かれたシンデレラと名付けられた真紅のバレエシューズは時計の針が12時を過ぎても輝きを失わなかった。
「寺田さんがそうだってわけじゃない。だけど、わかるだろ。」
顔を上げると、吉屋さんがシュシュを外し忘れていたことに今更になって気がついた。『真実の愛を守り抜く』ための石をつけた左の耳が赤かった。
「なんとなく。」
「寺田さんはそれでいいよ。っていうかさぁ、なんでヘテロなのに、私とつるんでるわけ?」
「クラッチバックの中のスマートフォンを取り出して、SNSで全世界に発信した自分と吉屋さんのやりとりをいちから読み直して、うちに来たときを思い出せばいい。」
自分はそう言って空の缶を握りつぶした。そして地面に置いてローファーの底でさらに踏み潰した。
鈍い音がして、スチールの塊と化した空き缶を手にして、ゴミ箱まで捨てに行った。
戻ってくると、吉屋さんが夜目にも青ざめた表情をしていた。
「お、怒っちゃった?ご、ごめんなさい。わたし、寺田さんを傷つけてしまった?」
そう言ったあと、深いため息をまたついた。それから、街灯のところまで下がり、自分の表情が吉屋さんによく見える位置で深々と頭を下げた。
「大丈夫。こんなことで怒っていたら、とっくにルームシェアを解消している。謝るのはこちらの方だ。時折やる癖みたいなもんなんだ。うん、こんなところでやるには不適切なアクションだったな。すまなかった。」
「そ、そうなんだ。」
「缶のゴミはかさばるだろう。だから潰すんだ。」
「な、なるほど。」
「なんとなくわかると言っておきながら、すまない。」
漆のように滑らかな黒に包まれた流体型のボディは、自分を抱くように腕を組んだ吉屋さんが好んで着る品のある甘い色彩の洋服を浮かび上がらせていた。
彼女は顎を上げて自分を見下ろした。
「何度もあやまんなくっていい。過剰に繊細ぶっているのはこっちだ。」
それでも、自分はそこから動く気は無かった。
吉屋さんは言葉を継いだ。
「覚えているよ。本当にびっくりだったよ。こっちは寺田さんのことを理解のある年配のおばさんだと思っていたし、寺田さんは……」
「吉屋さんのことは悩み多い青年だと思っていたよ。それでも一年ほどのやりとりの積み重ねで悪い子ではないと思ったし、急に住む場所を出されそうになったとヘルプが出たから、まあ、少しの間置いてやってもいいかくらいの気持ちでルームシェアを申し出たんだ。」
「あって二の句が継げなかったね。」
吉屋さんは組んでいた腕を下ろして両足を揃えて、さらに車にもたれかかった。
「結果的には良かったと思う。下手に同性でヘテロの子とシェアするよりきっと気楽だから。でも、ウチ…自分がいる事で寺田さんの邪魔になってないかなって思わないでもないんだ。例えば今日みたいに部下の人と会っちゃったりとか。」
「そっちか。」
「えっ。」
「いや。自分からするとそんなにもパートナーが欲しいもんかと思うことがある。単に吉屋さんが肉食なだけかも知れんが、自分はそれほど一人でいることが嫌いじゃない。」
遠目でも煩悶するように眉が寄る様子がよく見えた。
自分から見て、吉屋さんより奥手の道路でヘッドライトが通り過ぎる様子に、ふと、傍目から見てこの状況はなんだろうと自問した。
「そろそろ、移動しようか。寒くなってきたし。」
「えっ? あっ、そう、そうだな。乗ってよ。」
慌てた様子で身を起こして吉屋さんは自分の車のように声をかけてきて、助手席へと回り込んだ。自分はゆっくりと歩み寄って乗車した。
エアコンが静かに振動しながら温風を吹き出していた。
ボサノバの女王と呼ばれたコケティッシュな女性アーティストが歌い終わり、楽しげに笑い声を漏らし、次の曲へと移った。
大型のトレーラーが自分たちの車を抜き去り、その風でゆったりと横揺れがした。
「これが苦手なんだよ。波にあおられる船みたいじゃん。」
「ああ、なるほど。そう言われるとそうかも知れない。」
「で、さっきなんだけど。」
「うん。」
「多分、承認欲求?もあると思う。けど、それだけじゃないとも思う。」
「そうか。」
「寺田さんは?」
「承認されたいという気持ちはどうなんだろう。よくわからないな。そもそも焦ってどうにかなる年は過ぎたし。」
「いや、まだまだだろ?」
「そういう人に限って、誰も紹介してくれない。そもそも紹介されたことがない。」
「知り合いで紹介できるような女なんかいないって。」
吉屋さんは思いっきり笑い声をあげて答えた。
「確かに寺田さんに女を紹介するって思い浮ばねぇ。変な笑いが出る。どうしてなんだろ?」
「自分が聞きたい。」
つばきを飛ばす勢いでさらに笑い出した吉屋さんは腹を抱えた。彼女は喘息のような苦しげな呼吸になるまで笑いが止まらなかった。
「でも寺田さんはそれでもいいんでしょ?」
「まあね。」
「あたし…ウチ、自分…はぁ。もういいや。めどい……あたしはゆるふあでロングで明るい色の今の髪型が好き。お洋服もちょっとクラシカルで品があって、甘くて、柔らかいラインの出るものが好き。スカートも好き。靴はヒールがあるものやこのバレエシューズのようなのが好き。いわゆる女の子っぽいのが好き。身を包んでいるだけでテンションが上がる。でも、それが需要がないのも知ってる。だから求めちゃうのかな。」
「アルコールが入っていないのにずいぶんと語るな。」
「いま寺田さんのことを思いっきり笑っちゃったからね。おあいこってやつ。」
「お互い需要がなさすぎるな。」
笑い疲れたように吉屋さんはシートを少し倒して包まれるようにして身を任せた。そして左手を額に当てて、そのまま髪に滑らせた。
サービスエリアで付けっ放しだったシュシュに気がつき、ゆっくりとほどいて両手で髪を拡げた。明るい花の香りが広がった。
そして吉屋さんは自分のつまらなさそうな表情を浮かべている横顔に目を向けた。
「なんだ?」
「ううん。ただ、お互い、顔はいいのになって思った。」
「吉屋さんはいいのを認めるけど、自分は違うだろ。」
「寺田さんは、いい顔してるよ。男にしてはね。」
特に返事が思い浮かばない自分はフロントウィンドウを見つめていた。
延々と続くオレンジ色の街灯に誘導されるように車は進む。目的地も決めないまま、ただ、走るのも久しぶりの気がした。
「あっ、寺田さん。」
「なんだ。」
「いま、にやけてるよ。」
また吉屋さんは笑い出した。




