03 - 三回目 / 夢に道標は必要なのか
「――おはよう。いい夢は見れたかしら?」
――なのに、また、朝は来る。
以前と色違いのエプロンを着た、しかし、同じ言葉をかける姉の存在によって。
「な、ん、で?」
「今日は起こしに来たわ。とっても穏やかな顔だったから、さぞかし良い夢が見れたのよね」
「う、うそだ、だって……」
「言ったでしょう? あなたらしい、でもあなたでない、あなたが見たいって」
自分でも、わかるぐらいに、視界が震える。
眼の前の、微笑んでいる、姉に似たなにか。それが、怖くてたまらない。
「あなたはわたしの、新しい弟。本当の弟とは違う、決して死なない、何度でもやり直せる蝶の夢なの」
「蝶の、夢……?」
……聞いたことがある。蝶の飛ぶ姿を見て、自分が蝶なのか、蝶が自分なのか、問いかけた男の話を。
(でも、僕は、違う)
――夢と呼ばれた蝶は、では、いつ現実に還ることができるのか。
その言葉で、私は、悟ってしまった。
死も、眠りも、同一のものだ。
自らが選ぶことも、逃げることも、受け入れることも、代わりはない。
だってここは、夢の中なのだから。
ゆえに、私は……姉の望むこの世界から、逃げ出すことはできない。
――そう。姉が望む、私からは。
「なら、さ」
「うん?」
変わらぬ笑みを貼りつけた、人形のように美しい姉の姿に、私も微笑み返す。
ゆっくりと布団をめくる手に。
血がにじむような力を、こめながら。
「姉さんが、こうなったら、どうなるの?」
――そうして私は、姉を殺し、孤独な夜を迎えた。
(静かだ……)
テレビの音もなく、外の車の音も鳴らない、気味の悪い部屋。
記憶にあるこの部屋は、こんな、静寂だけが満ちたものではなかったのに。
(外、が、あるのか?)
この部屋の外が、本当に存在するのか。
だが、その想像に背中が震え、自分自身を抱きしめる。
――これから、どうすればいい?
全てを知る姉は、今、リビングで横たわっている。問いかけても、もう、答えは返ってこない。
ずっと、一緒に過ごしてきた、過保護な姉。干渉をしすぎたため、僕を、間接的に殺してしまった姉。
――しかし今は、私が、直接的に手を下した。
(あ、あ、あぁぁぁ……!)
家族。姉弟。血縁。記憶。温もり。そんな言葉が脳内に広がり、自分の心を責め立てる。
(悪くない、僕は、私は、悪いのは……!)
自問自答して、誰かに問いかけたくもなるけれど。――問いかけた相手が、姉も私も、救えるとは、想えない。
(……そう、な、ら)
記憶に従い、机に向かう。その引き出しから、昔に買った、アーミーナイフを取り出す。見栄を張って、少しだけ高いお金を出して手に入れた、お気に入りのもの。
だから。
(これなら、できる)
一気に。
――紅い衝撃を、喉元に、突き立てて。
姉を殺した罪悪感に耐えられず。
自らも死を選び、早めの消灯時間を迎えた。
――互いが死んだ、なら。
――観測する者は、消えたはずだから。
――消えた、はず?
(……なぜ、そんなことを、考えている?)
自分の目覚めと、夢のような思考に、怯えを感じる耳に。
「――おはよう。いい夢は見れたかしら?」
どうして、その言葉は、当たり前のように響くのか。
それは、子の成長を見守る母親のような笑顔。
僕がくびり殺したはずの姉は、何事もなかったように。
目覚めの時間に、存在する。
――いつもと同じ、あの日と同じ、朝食の臭いを漂わせて。