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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

WeissRitter

作者: 雨天音

ボクは猫である。名前はヴァイス、由来は白猫だから。

 そこ、単純って言わないで。結構気にいっているんだから、本人は。いや人じゃないけどね。ついでにただの猫でもない。いわゆる使い魔、魔女猫です。

 生まれた場所も親の顔も覚えていないけれど、たいして不自由は感じていない。御主人様に恵まれているから。彼女はこの独逸という国には珍しい黒髪に黒目で、先の魔女狩りを掻い潜った手腕から魔力量の方も察せられる。

 彼女はボクの親である先代の使い魔から生まれたてのボクを預かり、長い魔法排除の時代を息を顰めて生き延びた。その辺り、子猫だったボクの記憶は曖昧なのだけれど。 

 はっきり覚えているのは、魔女狩りが一応の終息を見せた、雪の積もる冬の頃。幾度も軍が押し入り、森中の寒村へ攻撃を重ねたせいで焦土と化していた。不毛の地に襤褸を纏って、煤だらけの顔で山向こうの炎―其処から彼女は逃げてきたらしい―を泣きながら見ていた御主人様の姿は、今も鮮明に思い出せる。

本来はつややかな髪は鳥の巣のようにぼさぼさで、噛みしめた唇から血が一筋垂れていたことも。火炎が小さくなって夜も明けた頃、彼女の裸足の足を温めようと身を摺り寄せたボクを見て、昏く絶望に染まっていた彼女の瞳が、日の出と共に少しずつ光を取り戻したことも。ゆっくりと撫でてくれるあかぎれた少女の小さな手が、壊れ物を扱うように優しく、丁寧でまるで慈しむようだったことも。覚えているんだ。

「ヴァイス、どこ?」

 おっと。木の上で考え事をしていると、主人がボクを呼ぶ声。

「ヴァイスー?いないの?」

 肩に着く程度で切った黒髪を揺らしてボクの姿を探す少女が愛らしく、小動物か親を探す子猫のような動作を見守っていたいと思うけれど、ずっと待たせるのも忍びない。魔女狩りが終息してから、数年と経っていないのだし。あまり外に長く居させるのは危険だろう。

 そう思い、主の足元に持ち前の俊敏さでしなやかに降り立つ。うん、我ながら決まった。

 尻尾をピンと立て、にゃあと愛らしい声で鳴けば彼女の視線はボクに移り、次の瞬間には花のように微笑んで―

「あら、ヴァイス。おでこに葉っぱを乗せても、あなたは変化できないわよ?」

 なんと。

 気取って着地したが、それ以前に身だしなみへの配慮が足りなかったらしい。細かな枯葉の屑は身を震わせれば落ちるものの、毛にからみついたものまでは取れない。手、もとい前足で外そうと奮闘する様を楽しげに眺めていた主だが、ややあって「フフ、じっとなさい」と言いボクを抱え上げた。そして茎と絡んだ毛をうまく外そうと試みてくれるが、うまくいかない。というかむしられる、むしられる。痛いです、御主人様。

 そう思っていると、ボクの意図を汲んでか奮闘を休止し、その手でパチン、と指を鳴らした。途端、葉が崩れ、自然と落ちる。

「腐食を進めたの」

 解説しつつ、細かな屑を払ってくれる彼女の瞳はほんのり、赤く色づいていた。

女性たち魔女と認定される理由の一つに、外見がある。御主人様のように黒髪黒目というのは西洋では珍しく、新人の使い魔に不気味だとか、見ているだけで気が重いとか揶揄されることも少なくない。そういう奴らには、さりげなく右ストレートでひっかき傷をつけてやるけれど。

それに加えて、魔力を扱うと彼女の瞳は、夕日のように赤くなる。それは、行使する術の度合いによっては血に染まったように見えるほどで。同じ魔女たちですら、その毒々しい紅には悲鳴を上げたらしい。

だから彼女は人前に出ることを恐れ、森に籠って薬草の研究をひたすらしている。稼ぎは作った胃薬、頭痛薬、吐き気止めなどを村の診療所に納品と引き換えに、農作物や食料を貰う。所謂、物々交換って奴だ。

「今日、村に納めるぶんの薬を準備できたの。悪いけれどグラウと御使い、お願いね」

畏まりました、という意を込めて尻尾を数度振れば、花が咲くように笑んで「よろしくね」と首をくすぐってくれた。ぐむ、快感である。

 しかし、今は昼過ぎ。山を下りて、ふもとの村へ荷物を届けてまた戻れば、日が暮れてしまう。急がねばなるまいと、荷馬車に繋がれた御主人の使い魔仲間で、灰色の毛並の馬に駆け寄る。

「よろしく、グラウ」

「おや、ヴァイス。手伝ってくれるのか」

「ああ、御主人様の指名で、な」

 ピン、と尾を立てて答えるとブルル、と吹き出すグラウ。

「なんだ、なにか可笑しいか?」

「いいや?うれしそうに使役されるお前は、やっぱり変わり者だと。それだけさ」

 ゆっくりと、積荷がガラス瓶に入った薬が多いだけに慎重に歩を進める馬車。それを見送り、手を振ってくれる御主人様に尻尾で答えながら問えば、ひきつった笑いと共に返された。その言葉に、不愉快だという意思表示のためボクは爪を立てる。

「おおう、怖いね。ボクの麗しい毛並を傷つけないでおくれよ」

「五月蠅い、灰かぶりみたいな色の癖に」

「カボチャの馬車を引くのも、王子様を運ぶのもボクの役目じゃあ、ないからねえ。うちの御主人様を助け出すプリンスがいるかどうかは、知らないけれど」

「王子様なんていなくても、ボクが、守るさ」

「子猫に毛が生えた程度の新米使い魔が、アホを言う」

 他愛もない悪口の遣り取りは、使い魔同士のコミュニケーションと言っても過言ではない。ボクらは根本的に悪意から生成された存在で、好意や善意をあからさまに示せるのは、創造主の魔女相手くらいだ。

 ところで、同じ使い魔でもボクとグラウの生成方法はだいぶ違う。ボクは普通の猫のように、雄の使い魔と雌の使い魔が番って生まれた、純粋な肉体を持つモノ。けれど死んだボクの親や、グラウや他に数人(匹?)いる使い魔は皆、もとは普通のペットや家畜だったらしい。ただし、魔女として焼かれた女性たちに飼われていた、という接続詞が付くが。それが先の魔女狩りで、『魔女に飼われていたから穢れている』、『その穢れを祓う為』として浄化の炎―まあ、火刑に処された。

 その怨念、呪詛の塊を逃亡途中だった御主人様が見掛け、自分の配下とする代わりに肉体を与えたという。それは復元ではなく、彼ら彼女らの記憶の焼き直しとでも言うのか、実態の曖昧な触れられる幽霊とでもいうべき儚い存在だ。

 そんな中でもグラウは、特別肉体に固執しているせいか実体化がしっかりしていて、今現在のように荷車を引けるほどだったりする。それでも完全というわけにはいかないらしく、生前は抜けるような白さだった毛並は今は薄汚いねずみ色をしている。まるで燃え滓のようだと、たびたび彼は自嘲した。

「それでも、見た目の美しさが多少損なわれてもまたこうして、人のために働けるのはボクの喜びだ。御主人様には感謝してもしきれないね」

「ヒトに殺されたのに、人のために働くのを喜びとするの?マゾヒストだね、君って」

 鼻で笑ったところで、皮肉屋の馬面は揺らがなかった。種族的な顔立ちを、揺らがせよ「彼女は人であってヒトではない……っていうのは、実際どうでもいいんだけれどね。だって、彼女は、」


『ごめんなさい』

『あなたたちの御主人様を奪ってしまって、ヒトを狂わせてしまって、ごめんなさい』

『本物の魔女である私たちが、ヒトを畏れさせて、殺し合わせてしまったの』


「泣いて、謝ってくれた。骨の残骸に縋りつく、暗い怒りに囚われたボクらが本物の悪霊にならなかったのは、彼女の涙があったからだ。無辜の動物の命すらも散らす愚かな人間たちと違って彼女は、ボクらの意志を汲んでくれた。心があると、知っていてくれた。それは、あんな因習が始まる前、人間たちも普通に持っていた感情だったから」

 彼らの元主人も持っていた、動物も個と、命と認める心は従うに値するのだと、歯を剥き出して馬は嘶いた。それは今の主人を誇っているように思え、自然、ボクの尻尾もピンと立った。



 結局、村に着いたのは夕方だった。遅れの責任を押し付け合いながら荷物を運ぶボクらは所詮、村民から見ればじゃれ合う畜生同士で苦笑されるか、下手すれば黙れと石を投げられる。

「一端、休戦だな」

「ああ……」

 溜息をつき、軽やかに草地に降り立つ。村に入ってすぐの池、そのほとりに居を構える診療所の主を探すためだ。

 塀に上って窓から覗くと、中にはいない。とすれば裏庭の畑だろうと歩を進めれば、果たしてそこにひげ面の老人が鍬を振り下ろしていた。

「……ん、なんでぇ、薬師さまの御使いか。遅いから今日は来ねえのかと思っちまったよお」

 鍬を土地に突き刺して作業を中断し、振り返った老人に間延びした口調で言われ、申し訳ないと頭を垂れる。内心だけで駄馬に向かって毒づいていると、「気にするでねえ」と乱暴に頭を撫でられた。節くれだった、皺も多い男の手は御主人様の白魚のようなそれとは違うが、ひとつだけ、その温かさは共通しているといえよう。

「薬師様にも事情があるだろうさ。それに、こっちはお恵みを受けている側さあ、文句なんて言うわけねえよ」

 言いながら、ボクを抱き上げて老人は表に回る。そこには、近所の子供に尾を引っ張られ迷惑そうな顔(ボクや御主人様にしか分からないだろう、些細な変化だけれど)のグラウがいた。

「こんれ、坊主ども。御使いの方をいじめたらあかんぞ。というか、動物だからっていじめたら、あかん」

「いじめてねえよお」

「そうだあ、せんせえ。おらたち、御使いさまと遊んでただけだあ」

「おめえらは遊んでるつもりだども、御使いさまからしてみれば、尾っぽ引かれるんは、おめえらが髪さ引っ張られるのと同じだべ。わかるか?」

「え、そうなん?」

「髪さ引っ張られるのは、いやだあな」

「「御使いさま、ごめんなせえ!」」

 声をそろえて謝る少年たちを胡乱げに見つめ、ややあって馬は短く鼻を鳴らした。そして、膝をついて荷車の中身を取りやすいよう動く。

「……お許しくださったようだ。おめえら、今度はお礼さ言うだ」

「あい。御使いさま、ありがとうごぜえます!」

「ごぜえます!あと、今度は背中に乗せてくだせえ!」

「こらっ!」

 反省しろ、と叱る老人はしかし微笑んでいて、迫力などは欠片もない。そのせいか、数秒後には診療所前には笑い声が三人分、合唱していた。

 呆れたようにグラウが再度、鼻を鳴らしたのを合図にそれは止んだが、ゆうに三分はそうしていたろう。村に着いた頃には傾いていた夕日は、その姿をほとんど山向こうに隠していた。

「ああ、こりゃいかん。御使いさまを薬師さまに、はよう返さんと。おめえたち、荷物さ運ぶのを手伝ってくれ」

「「あーい」」

 素直に応じ、むしろどこか楽しげに薬瓶の入った木箱を仲良く運ぶ少年たち。それを老人の肩の上から眺めつつ、ボクが彼らのような、健康な人間の肉体を持っていたらと夢想した。

 グラウの皮肉はいつものことなのに、予想外に堪えていたのか。ボクが人間であれば、御主人様の王子様であれたのかとか、こうやって薬を届けるのに時間を無為に使うこともなく、さっさと診療所に運んで彼女のもとに戻れたのにとか、そんな妄想が頭を駆け巡る。

 この村は王都からも離れ、領主の目も届きにくい寒村だ。それだけ色々な面で恵まれていないということであり、その欠損のひとつである医療を、本来国に報告すべき薬師、すなわち『魔女』容疑のある者に頼らなければいけないほどだ。その環境があるから彼女はあの山で生活できるのだし、文句を言うつもりはない。けれど。

「ああ、そうだ御使いさま。薬師さまにこれ、渡してくんろ」

 薬と入れ替えに食糧や生活用品を幾つか積んだ荷車にボクを乗せた老人が、思い出したように慌てて懐からしわくちゃの手紙を取り出す。

「またお茶に来てくだせえと、薬師さまのお話は勉強になるかんなあ」

「おらも薬師さまに会いたい!」

「おらもー!」

 子供たちに負けぬ位きらきらと、目を輝かせて言う老人は早逝した母親が薬師で、残された文献をもとにこの寂れた村で診療所を開いていた。見よう見まねで薬を煎じ、民間療法程度を流布している老体を捕まえて魔女狩りなどと恰好がつかないからか、魔女狩りの手に彼が捕えられることはなかったようだが。

それを知ってか知らずか、山の向こうから逃げてきた、本物の魔女である御主人様。いや、本物かどうかはどうでもよかった、老人と村にとっては、病へのより正確な対策知識を持つなら天使でも悪魔でもよかったのだ。彼女と使い魔たちを受け入れ匿う代わりに、老人は知識を、村人は薬を欲した。

「絶対に、渡してくだせえ」

 懇願のかたちをとった命令。

 これを渡さなければ、つまり彼女が村に利益を与えなければ、さもなくば。そういう意志を無意識にだろうが臭わせた、目。

ゆっくりと、歩き出したグラウ。振り返れば老人と少年たちが手を振っていて、けれど尻尾で振りかえす気にはなれない。代わりに一声、にゃあと鳴いた。

「……猫が猫の鳴きまねか。滑稽だな」

「仕方ない。なんと言っていいか、分からなかった」

「お前なら絶対、あいつらをひっかくくらいすると思ったが。特にあの老人の眼、我らが御主人様への―というよりは彼女の知識か―執着が滲み出ていた」

「ああ。不快極まりない。極まりないが……ボクにはどうしようもないだろう?」

 おや、と呟く、馬の声は低い。いや、もともとアルトの音域ではあるものの、今は地を這うそれだ。

「ボクの、先の言葉で凹んだか。君の御主人様への想いはその程度かい?だとしたら、少々買いかぶりすぎていたようだ」

 本日何度目か分からないブルル、バフウという鼻息に、ボクは威嚇するでもなく爪を立てる。ちくりとする程度の、意味としては抗議だ。

「見限る前に、まあ聞けよ。ボクなりに考えただけさ。君が人に、今は御主人様に使われて喜ぶように、御主人様もなんだかんだ言ってうれしいんだよ。人の役に立つのが。人と、関わるのが」

 脳裏に浮かぶのは、出立するボクらを見送る彼女の晴れやかな笑顔。

「それに、彼らに一方的に利用され、搾取されるならまだしも、安全と食糧を買えているんだ。多少好色な目をするくらい見逃してやろう。代わりにこっちも、御主人様を守る駒として、存分に使わせてもらうだけだ。度が過ぎるようなら、ボクら使い魔で御主人様に気付かれないように、話をつければいいだけだし」

「……お前、」

 呆れたような、溜息。

「人間みたいな考え方するね」

「猫の身で、愛する彼女を守る方法を考えた結果さ」

「ならまあ、責任を感じるけど。君が納得しているなら、いいんじゃない?」

 ボクは御主人様に使ってもらえるならなんでもいい、と嘯く皮肉屋の背中に、親愛をこめてボクは腹をこすりつけた。

 本当のことを言えば、グラウに語ったほどボクは偽悪的になれるわけでもない。ただ、老人と彼女の手のぬくもりが同じだったから。彼女という魔女と人間は、教会やグラウたちが言うほどに違うわけじゃないと、思いたかったから。『薬師さまはすげえなあ』と御主人様を讃える老人の言葉やボクらを撫でてくれる優しい態度が偽物じゃないと、信じたかっただけだ。それでも完全に彼らを信用できないのは、ボクの弱さで。だから理由付けするように、計算高いふりをして彼らとの共存を『利用』という言葉に置き換えた。

 あくびをして、小さく鳴く。

「はやく帰って、御主人様と寝たいなあ」

「君は良いね、一番のちびだからそうやって、添い寝してもらえる。甘ちゃんともいえるけれど」

「なんとでもいいなよ、湯たんぽ代わりだって御主人様は喜んでくれるもん」

 言い合いつつ、目線を上げれば遠目に見える木造小屋。その前に立つ、闇に溶け込む髪色の少女が、白い手を大きく振る。ボクとグラウも、それぞれの尾を振ることで返事をした。




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