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Little World 小さな残酷で美しい世界  作者: 中津川 由樹
2/10

小人の天使

樹海の先に広がる荒野に優璃は呆然と立ち尽くした。


干からびた地面には所々に岩が転がり、草花が申し訳程度にへばりつくようにして咲いている。谷底なのか、遠くには大きな壁のような崖が連なり、濃い影を地面に投げかけている。


「は…まじ…何、これ……うそぉ…。」


身体から力が抜けてその場にへたり込んだ。


青く澄んだ空に浮かぶ灼熱の太陽は気持ち傾き始め、力無く萎えた手首から桃色の腕時計が意味もなく午後3時のアラームを知らせた。

途方に暮れ、座り込んだまま、優璃はぼんやりと放り出された自分の腕と時計と鞄を見つめた。


つい三時間前まで、優璃は学校に居た。


いつも通りの土曜日で、春にしては暑く、少しばかり寝坊して慌てて学校へ向かい、友達と話をして、笑って、眠たい退屈な授業を受け、半日で帰れるからと親友の美加とカラオケに行くはずだったのだ。

教師に呼ばれた美加の代わりに図書室へ辞書を返しに行って、そこから記憶があやふやだった。


図書室にいたことは間違いない。


それから帰ったのか、カラオケに行ったのか、思い出せない。


これは夢かな、幻を見てるのかな、と微かに震える指先で時計を触った。


つい先週買ったばかりの時計は規則正しく秒針を回す。

流行りのデジタル時計ではなく、ポップなデザインの腕時計は、見かけに反して旧式のネジ巻き時計なのに完全防水防塵の最新式だ。秒針も表示も旧式のソレなのにストップウォッチもアラームも自動調整もネジ切れのエラー音もマイクロチップコンピュータが知らせてくれる。


陸上部のエースである美加に付き合ったスポーツショップで衝動買いした品だった。

散りばめられたラインストーンに桃の花が時計板に広がり、桃の実を模したカットストーンが可愛らしく、一目で気に入った品だった。


ぽた、と頬から滴った汗の雫がプラスチックのカバーに当たって跳ねた。


夢のような気がする、と優璃は無理やり思い込もうと唇をきゅうと結んだ。


しかし、一体いつ眠ったのか。

図書室だろうか、それとも家に帰ってベッドで寝たんだろうか。


指先でゆっくりと雫を拭った。

また汗が垂れて、生ぬるい水滴が手の甲で光った。それをそっと掬い、唇に当てる。

すうと唇から口に流れた雫は塩辛く、苦い。

舌先がもっと水を、と乾いた唇を舐めた。


余りにリアルな感触と味だった。


唐突に携帯電話の存在を思い出し、鞄の中をかき回して引っ張り出した。


美加に電話をかけ、友達にかけ、家にも家族の携帯電話にもかけ、アドレスブックの片っ端からかけまくる。

圏外のアナウンスを知らせる電子音声が幾度も続き、初めて優璃は、夢じゃないかも、と思った。


ひやりとした違う汗が流れ、ぞっとしてパニックを起こしそうになる頭に、いやいやこれは夢だ夢に決まってる、と言い聞かせて慌てて立ち上がった。


スカートを乱暴に叩き、鞄をぎゅっと握りしめ、疲れている事も忘れて再び歩き出した。

それはすぐに早歩きになり、次第に早足になり、知らぬ間に全速力で荒野をかけていた。


「うぅあああ!わああああ、あああ、わあああああああ!」


混乱と得体の知れない恐怖に優璃の喉から意味不明な絶叫が迸る。

後ろから何かが迫るような、何かに飲み込まれるような強烈な焦燥感に苛まれ、走りに走り、駆けるに駆けた。


しかし、既に満身創痍の身。


幾分も走らない内に息が切れ、前のめりになってへなへなとよろめきながら倒れこみ、地面に手をついて大の字に寝込んだ。

ぜいぜいとみっともなく息を吐き、真夏日の雲一つない青空と太陽を眺め、眩しさにゆっくりと瞼を閉じた。


どうして、どこ、何が、何故。


ぐるぐると目が回り、不安を掻き立てるような言葉が優璃の心をぎゅうとしめつける。

怖くて怖くて堪らないのに、震えることさえ出来ないほど体が重く痺れている。頭が金槌で叩かれたように痛い。


何だっけ、真夏日になる、熱射、いや熱中症?とか。ああ、もうどっちでも同じじゃん。


急速に虚脱感に包まれた優璃は、もうこのまま寝ちゃお、きっと起きたら元どおりに決まってる、と荒い息を吐いた。

沸騰しそうなほどに暑過ぎて、もう何かを考えることも億劫なほど草臥れていた。



ふと、瞼の赤い光が遮られた。



雲かなあ、とぼんやりと薄く目を開くと、小さい顔が偉く強張った表情でじっとこちらを覗き込んでいる。


蜂蜜のような深い琥珀色の瞳に強いウェーブのかかった漆黒の髪を後ろへなでつけ、秀でた額に一房垂れた前髪が揺れている。

きりりとした眉に真一文に閉ざされた口、日に焼けた滑らかな浅黒い頬は、いつかテレビでみた美しい子供の天使かギリシャ像そのものだ。

力強く輝くその右目の片隅にはぽちりと印象的な泣き黒子がある。


ああ、お迎えだ、なんだあ、私死んだんだ、と優璃はほうと息を吐いた。


恐怖と混乱が引いて、たまゆら安心感に身を浸した。


だとしたら、ここは天国かあ、天国て実は暑いんだな、美加に教えてあげなくちゃ、あの子暑いのダメだし。


優璃はもう一ミリも動かせない汗だくの身体に人懐こい親友を思った。


「あの、大丈夫ですか?」


男の声だった。


天使のような子どもの愛くるしい声ではない。変声期を終えた魅力的な男性の声だ。


あまりの不自然さにぎょっとして優璃は目を見開いた。パチパチと瞬きをして、薄ぼんやりとした視界がクリアになる。

よく見ると確かに子どもの顔ではない。どちらかというと、20代くらいの青年で、信じられないほど美しく整った顔をしている。

健康そうなチョコレート色の体や腕には随分逞しい筋肉はついているが、何と言っても全身が小さい。


幾ら屈んでいるとはいえ、どう見積もっても優璃の胸元ほどしかない体躯に、深緑色の奇妙な制服に似たツナギのような服を着ている。

「ぁ…ごほっ!」


驚きと疑問に声をあげようとした優璃は酷くむせて咳き込んだ。


ヒリヒリと喉が痛む。喉だけではない。身体中が軋む。起き上がろうとして腕を曲げても、力が入らない。

困惑し、咳き込みながらジタバタともがく体にそっと天使の様な小さい男は焦った様に手を延ばした。

微妙に震えた指先がそっと優璃の肩に置かれる。

「ああ、どうか、どうかそのままで。お身体がこちらに馴染んでおられないのですね。今、部下に食べ物と休めるところを用意させておりますので、ご安心下さい。すぐ迎えが参りますので。さ、水です。どうぞ。」


口元に革袋を差し出され、水、の言葉に遠慮も考えもなしに袋から伸びる細い管を咥えた。


なんて、甘い。


冷たくはないが、本当に美味しい。


こんな甘くて、沁みるような水は生まれて初めて飲んだかも。


夢中で水を飲み干し、息をするのを忘れた優璃は盛大に噎せた。

反射的に起き上がり、背を曲げて咳き込む優璃の背中を躊躇うように撫ぜる手は、優璃の掌よりも二周りは小さいだろうか。

一見、足も腕も肩も間違いなく子供のそれなのに、よく見ると成人した大人のものだった。


ようやく落ち着いてそれの奇妙さにじわじわと気がついた時、思考より先に言葉が口をついた。


「あんた…なに?」


子供のような男は怪訝そうに眉を寄せて青ざめた優璃をキョトンと見つめると、すぐにふっと花が綻ぶように微笑んだ。


顔が整っているからか、動かなければ人形か絵画か、でなければ彫刻だと思いそうになる。


「人を見るのは初めてなのですね。私はリリベルテュオン王国ターヌ地区辺境警備隊隊長を務めております、ディアムルド・べー・クーロウ・アベンティスと申します。長いので、どうぞディアムルドとお呼び下さい。近しいものは皆そう呼びます。」

「は…え、なに?」


ぽかんと口を開けた優璃は耳慣れない言葉に眉を顰めた。


ディアム?りり…なんとか王国?


歴史の授業では習ったことも聞いたこともない。


ディアムルドと名乗った男は、しばし苦笑しながら首を傾げ、ふと納得した顔で頷いた。


「無理もありません。御身は現世は初めてのご様子。次第に何もかもお分かりなるでしょう。まずはお身体を休めねばなりません。ああ、丁度馬が来ました。」


困惑顔の優璃がディアムルドが指を向けた方へ顔を向けると、何やら大きな物がもうもうと砂煙をあげて地表を飛んでいる。


ソレを認識した優璃は再び目を見開いた。


見かけは多分、馬なのだろう。

だが、立派な2本の角が生え、長い体毛をふさふさと揺らし、その体躯の2倍はあろうかという翼は普通、馬にはない。

その後ろには荷馬車のようなものをがらがらと音も高くに引いている。


近づきつつある怪しげなその生き物に優璃は座ったまま後退りして青ざめた。


「な、な、なになになに!?アレなに!」

「ボロッセルという種の馬です。重い荷も軽々と引き、忠実で賢く、空も駆けます。さあ、どうぞ、お乗り下さい。村までご案内いたします。」

パニック状態の優璃の前にボロい木製の荷台が停車した。荷台にはクッションやら絨毯やらが所狭しと敷かれ、熱く砂埃の舞う地面よりは快適そうだった。その先に繋がれたボロッセルという馬は不思議そうに首を曲げて優璃をじっと見つめた。

大きな茶色の目に間抜けな自分の顔を見つけ、優璃は完全に正常な考えを放り出した。


あー、確かに動物牧場にいた馬っぽい、かも知れないなあ。


口を半開きのまま、小学校で行った遠足を思い出す。


ふわふわの白い兎に小さな可愛い黄色のヒヨコたち、それに優しく賢そうな斑模様の茶白色のポニー。


目の前の状態を無視しようと脳が半分くらい記憶を遡った所で、ぐいと綱を引かれたボロッセルは興味を失ったように大人しく草を食みだした。


「よう、遅れちまってわるかったなァ。魔神様をお乗せするってェとみんな敷物やら何やら自分ちのを使えって五月蝿くってよう。」

「おい、ビゼ、言葉遣いに気を付けろ。魔神様の御前だぞ。何と無礼な。」


ぴょんと荷台から飛び降りた見事な赤毛の少年は、やっぱり声だけが大人の声だった。


ディアムルドに比べて背丈は少し高いが身体は細く、それでも優璃の肩に頭が届くかどうかだ。そばかすだらけの顔にはへらへらと人懐こそうな笑顔が浮かんでいる。

続いて降り立った真っ黒な肌の少年はがっちりとした身体をしていて、腕も足もとても太かったが、身長は一番低く、ビゼと呼ばれた赤毛の少年の肩ほどしかない。

太い眉を寄せてしかめ面をして、きっちりと着込んだ制服も窮屈そうだ。


「ちぇっ、お堅いなァ、グルーは。へいへい、礼儀ただァしくね」

「どこが正しくしてるんだ。全く、まずそのだらしがない襟元を正せ。何の為の軍服だと思ってるんだ。」

「わかった、わかった。直せァいんだろ、たく、あっついのによう。」

「口答えするな、このへっぽこ兵士が。大体遅れたのだってお前がティーラさんにべらべらと話していたのが原因であってだな、」

「おいらのせいかい、それは違うね。グルーがミロ婆さんに捕まっちまったのが一番さ。婆さんとこによるのは寄せっておいら言ったじゃねェか。」

「何だと。年寄りを気遣うのは当然じゃないか。そもそもお前はなあ!」


降りた途端にわいわいと口喧嘩を始めてしまった二人を前に、優璃はぽかんとした顔のまま眺めた。


なんか、やっぱ夢かも。天使とかつの生えた馬とかあり得ないし…。


「…ターヌ地区辺境警備隊、整列!」「ひょえっ」「はっ」「わっえっ?」


突然の大声に跳び上がった三人は考えるよりも先に一列に並んでしまった。


並んでから、あれ、私違うじゃんと優璃は首を傾げる。


そんな優璃に驚いたのか、それとも自分たちの身長差に漸く気がついたのか、ぎょっとしたように制服を着た三人は優璃を見上げた。


ぽっかりと口を開いたビゼが驚嘆の声をあげる。


「いやー、伝説に違わぬデカさですねェ。」

「ばか、失礼すぎだ。」


がつっとグルーに頭を殴られたビゼが唸り声をあげてしゃがみ込む。

懲りずにふざける二人を横目に、ディアムルドは丁寧に片膝を折って優璃の前に頭を垂れた。

慌てて後ろの二人も頭を垂れ、辺りが静かになった。


唐突な光景に思わず優璃は体を縮める。


「気高い我らが魔神様。どうか愚かな我々の無礼をお許しください。このものたちに悪気はないのです。」

「え、はあ、いや、別に私は。え、てゆうか、まじんとかって何?私?」

「無論、御身のことでございます。我々民人は尊き御身を魔神様とお呼びさせていただき、篤き忠誠と信仰を持ってお仕えする所存にございます。何はともあれ、御身は非常にお疲れのご様子。何卒我が村ターヌにおいで下さいませ。」


「さ、ささ、どうぞどうぞ!ビゼめが村までご案内いたしますよォ。」


叩かれたことを気にかける様子もなくへらへらと笑ってすっくと立ち上がったビゼに手を取られ、有無を言わせずに荷台に押しやられた優璃はクッションに埋れつつ、ぎゅうとカバンを抱き締めた。


なんか、間違ってる。


めっちゃなんか間違ってる。

というより、なんかに間違えられている?


考えないと、と思うのに、暑さと混乱と疲労困憊の身体はぐったりと力無くふかふかのクッションに沈み、眩暈に陥ったような思考は千々に散ってゆく。


ふわりと鼻についた薬草のような香水のような涼しげな香りに、どっと疲れが出た優璃はあっという間にことんと眠りに落ちていった。

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