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王太子に足りなかったもの

作者: 紡里
掲載日:2026/06/21

「とうっ!」

 勇ましいかけ声と共に、頭に衝撃が走った。


 振り返ると妹の婚約者が、音の鳴るハンマーを振り下ろしていた。

 その後ろで、妹が「さすが、わたくしのエミール」と手を叩いて喜んでいる。


 エミールからハンマーを取り上げる。僕は自分の手のひらに打ち付けピコピコと鳴らしながら、「さて、どういうことか聞かせてもらおうか?」と二人を見下ろした。


「まあまあ、みなさんお座りになって。せっかくですからお茶にしましょう」

 僕の婚約者がおっとりとそう言った。



 初夏の風が爽やかに通っていく。

 我が家にはガゼボなどないので、大きめのパラソルの下にテーブルを用意した。

 メイドがオレンジを搾った果実水を用意し、マリエッタが持って来てくれたお菓子が並ぶ。


「マリエッタ様のお菓子、とても楽しみだわ」

「リリア、少しは遠慮しなさい。僕たち婚約者の親睦の……」

「それなら、わたくしたち親戚になるのですもの。参加する資格はあると思います!」

「リリア様、光栄ですわ。今日はパンナコッタにしてみましたの。エミール様もよかったら召し上がってね」

「は、はい! 涼しげで、見るからに美味しそうです」

「まあ、嬉しいわ」

「お兄様が先に言わないといけないのではなくて?」

「おお、強力なライバル出現だ」

 くすくすとマリエッタが笑う。目が細くなり慈愛に満ちた表情に、しみじみと見入ってしまった。


 リリアが半分ほどパンナコッタを食べたところで、ハッと手を止めた。

「お兄様がマリエッタ様を泣かせたと聞きしましたわ。紳士としてあるまじきことです」

「ああ、それで天誅なのかい」

「当然です」

「まあ、わたくしがロレンツォ様に泣かされてしまいましたの?」

「違うのですか?」

「そうですねぇ。どのことをおっしゃっておられるのかしら?」

 マリエッタは自分の頬に手を当てて、思わせぶりな笑みを浮かべた。

「そんなに何度もですか?」

 リリアはスプーンを握った手で、テーブルを叩いた。身内だけとはいえ、行儀が悪いぞ。


「マリエッタ。妹をからかうのはやめてください。またピコピコされてしまうではないですか。

 もしかして、男爵令嬢に付きまとわれていた話かな?」

 仕方ない。さっさと本題を聞いた方が良さそうだ。


「そうです! こちらの初等部まで噂が回ってきましてよ。本当かどうか野次馬根性で訊いてくる人もいるくらいです。我が家の品位に関わります」

「それならば暴力に走る前に、僕に確認すべきだったね」

「今、確認していますわ。さ、正直におっしゃい」

「それ母上の口真似だろう?」

「そんなことは、今、関係ないでしょう!」

 まだ子どもなのに、日に日に知恵をつけ、扱いづらくなっていくな。


「はあ。彼女のことなら、もう終わったよ」

 ため息交じりに、やれやれと疲れたふうを装った。

「ということは、関係がありましたのね?」

「そうじゃない。彼女は見目の良い男性に手当たり次第粉をかけているんだ。

 最近は王太子にまで手を伸ばしたから、僕など見向きもされなくなったよ。

 これで安心かい?」

 マリエッタが「ご自分でおっしゃいますのね」と笑う。


「ちっとも安心じゃありませんわー! この国の将来が心配になってきました」

 リリアがまともなことを言うので、マリエッタと微笑みを交わす。おちびさんがずいぶん成長したなと、親のように感慨深い。


「あんな露骨な色仕掛けくらい、簡単に躱せるだろう。仮にも王太子なのだから」

「そうですわよね。王太子殿下の婚約者である公爵令嬢も、相手にしていませんわ」

 マリエッタも僕に同意してくれる。


「だ、だから僕嫌だって言ったのに……お義兄さま、ごめんなさい」

 主犯格の妹は気にしていないが、命令された婚約者の方がおろおろしている。

「大丈夫、わかってるから。けれど、エミールもリリアのおねだりを断れるようにならないとな。

 それと、お義兄さまはまだ早いぞ」


「ロレンツォ様は、マリエッタ様からのお願いを断れるのですか?」

 おっと、義弟から手ひどい反撃だ。

「……いや。それは、まあ、その時によるかな」


「隙あり!」

 妹がいつの間にかハンマーを取り返し、僕の額を攻撃した。ピコッ。

「痛っ」

「ふふん」

「リリア、叩きたいだけだろ」

 大げさに額をさすってみせると、エミールが羨ましそうに見てくる。

「リリア、僕を叩いてもいいよ?」

「え、エミールに嫌われたら困るわ」

 急にモジモジし始めて……こちらが恥ずかしくなるじゃないか。


「……おい、お兄様はいいのか」

「いいに決まってます。お兄様ですもの」




 そんな呑気な会話をしていたことを、後日懐かしく思い出す。


 その後すぐに王太子が男爵令嬢に引っかかり、半年後の夜会で一方的に婚約破棄を宣言。

 公爵家が激怒して、辺境伯家と手を組み、状況は混乱を極めていくことになる。


 王太子を廃籍し幽閉、男爵家の取り潰しで、ようやく一件落着といったところか。

 国王の権力はかなり縮小し、王太子には王弟の子どもが立つ予定だ。

 公爵令嬢は、新しい王太子の有力な婚約者候補らしい。


 僕は新聞でそれらの状況を読みながら思う。

 元王太子には、ハンマーでピコンと叩いてくれる可愛い義弟がいなかったのだろう――と。


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― 新着の感想 ―
かわいい。二人とも5、6歳くらいかな。 貴族のお子さんがた教育が行き届いて、大人びた子が多いから、もうちょっと下かな。 「マリエッタお姉様を困らせたら、許しませんわ!」って、ふんすしてるんだろうな。 …
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