王太子に足りなかったもの
「とうっ!」
勇ましいかけ声と共に、頭に衝撃が走った。
振り返ると妹の婚約者が、音の鳴るハンマーを振り下ろしていた。
その後ろで、妹が「さすが、わたくしのエミール」と手を叩いて喜んでいる。
エミールからハンマーを取り上げる。僕は自分の手のひらに打ち付けピコピコと鳴らしながら、「さて、どういうことか聞かせてもらおうか?」と二人を見下ろした。
「まあまあ、みなさんお座りになって。せっかくですからお茶にしましょう」
僕の婚約者がおっとりとそう言った。
初夏の風が爽やかに通っていく。
我が家にはガゼボなどないので、大きめのパラソルの下にテーブルを用意した。
メイドがオレンジを搾った果実水を用意し、マリエッタが持って来てくれたお菓子が並ぶ。
「マリエッタ様のお菓子、とても楽しみだわ」
「リリア、少しは遠慮しなさい。僕たち婚約者の親睦の……」
「それなら、わたくしたち親戚になるのですもの。参加する資格はあると思います!」
「リリア様、光栄ですわ。今日はパンナコッタにしてみましたの。エミール様もよかったら召し上がってね」
「は、はい! 涼しげで、見るからに美味しそうです」
「まあ、嬉しいわ」
「お兄様が先に言わないといけないのではなくて?」
「おお、強力なライバル出現だ」
くすくすとマリエッタが笑う。目が細くなり慈愛に満ちた表情に、しみじみと見入ってしまった。
リリアが半分ほどパンナコッタを食べたところで、ハッと手を止めた。
「お兄様がマリエッタ様を泣かせたと聞きしましたわ。紳士としてあるまじきことです」
「ああ、それで天誅なのかい」
「当然です」
「まあ、わたくしがロレンツォ様に泣かされてしまいましたの?」
「違うのですか?」
「そうですねぇ。どのことをおっしゃっておられるのかしら?」
マリエッタは自分の頬に手を当てて、思わせぶりな笑みを浮かべた。
「そんなに何度もですか?」
リリアはスプーンを握った手で、テーブルを叩いた。身内だけとはいえ、行儀が悪いぞ。
「マリエッタ。妹をからかうのはやめてください。またピコピコされてしまうではないですか。
もしかして、男爵令嬢に付きまとわれていた話かな?」
仕方ない。さっさと本題を聞いた方が良さそうだ。
「そうです! こちらの初等部まで噂が回ってきましてよ。本当かどうか野次馬根性で訊いてくる人もいるくらいです。我が家の品位に関わります」
「それならば暴力に走る前に、僕に確認すべきだったね」
「今、確認していますわ。さ、正直におっしゃい」
「それ母上の口真似だろう?」
「そんなことは、今、関係ないでしょう!」
まだ子どもなのに、日に日に知恵をつけ、扱いづらくなっていくな。
「はあ。彼女のことなら、もう終わったよ」
ため息交じりに、やれやれと疲れたふうを装った。
「ということは、関係がありましたのね?」
「そうじゃない。彼女は見目の良い男性に手当たり次第粉をかけているんだ。
最近は王太子にまで手を伸ばしたから、僕など見向きもされなくなったよ。
これで安心かい?」
マリエッタが「ご自分でおっしゃいますのね」と笑う。
「ちっとも安心じゃありませんわー! この国の将来が心配になってきました」
リリアがまともなことを言うので、マリエッタと微笑みを交わす。おちびさんがずいぶん成長したなと、親のように感慨深い。
「あんな露骨な色仕掛けくらい、簡単に躱せるだろう。仮にも王太子なのだから」
「そうですわよね。王太子殿下の婚約者である公爵令嬢も、相手にしていませんわ」
マリエッタも僕に同意してくれる。
「だ、だから僕嫌だって言ったのに……お義兄さま、ごめんなさい」
主犯格の妹は気にしていないが、命令された婚約者の方がおろおろしている。
「大丈夫、わかってるから。けれど、エミールもリリアのおねだりを断れるようにならないとな。
それと、お義兄さまはまだ早いぞ」
「ロレンツォ様は、マリエッタ様からのお願いを断れるのですか?」
おっと、義弟から手ひどい反撃だ。
「……いや。それは、まあ、その時によるかな」
「隙あり!」
妹がいつの間にかハンマーを取り返し、僕の額を攻撃した。ピコッ。
「痛っ」
「ふふん」
「リリア、叩きたいだけだろ」
大げさに額をさすってみせると、エミールが羨ましそうに見てくる。
「リリア、僕を叩いてもいいよ?」
「え、エミールに嫌われたら困るわ」
急にモジモジし始めて……こちらが恥ずかしくなるじゃないか。
「……おい、お兄様はいいのか」
「いいに決まってます。お兄様ですもの」
そんな呑気な会話をしていたことを、後日懐かしく思い出す。
その後すぐに王太子が男爵令嬢に引っかかり、半年後の夜会で一方的に婚約破棄を宣言。
公爵家が激怒して、辺境伯家と手を組み、状況は混乱を極めていくことになる。
王太子を廃籍し幽閉、男爵家の取り潰しで、ようやく一件落着といったところか。
国王の権力はかなり縮小し、王太子には王弟の子どもが立つ予定だ。
公爵令嬢は、新しい王太子の有力な婚約者候補らしい。
僕は新聞でそれらの状況を読みながら思う。
元王太子には、ハンマーでピコンと叩いてくれる可愛い義弟がいなかったのだろう――と。




