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「あーーー…終わった…!」
後ろにひっくり返りそうなほど背もたれに体重をかけて、思わず口に出す。
漸くエラーを吐かなくなったプログラム。
従順さに愛おしさすら感じながら、ほっと一息つく。
設計から構築まで数ヶ月掛かった、酷く手の掛かる仕事だった。
原因不明のエラーもバグはもちろんあるが、それでも大抵の場合、指示通りにならないのは上手くコードを書けないこちらが悪いのだ。
与えた指示しか実行しない、失敗の原因を探る余地がある、というのは、私にとっては酷く気楽だった。
「(それに比べて、対人はなぁ…)」
予期せぬリアクションやレスポンスが多すぎる。
処世術としての他人との距離の取り方や、上手い他人のあしらい方は身につけた。どんな場面でどんな言葉を返し、どんな反応をすれば相手が喜ぶのかも。
それでも恋人くらい、自分の思うように生きたいのに。
「(……嫉妬だの執着だの、鬱陶しい)」
恋人だからこそ、生身の感情をぶつけても許されるとでも思うのだろうか。
私は、他人の感情に振り回されるなんてまっぴらだ。
一息、が溜息に変化するのを感じながら、スマホをタップする。
一番上に出てくるメッセージの通知。
客先のシステム管理の担当者の名前だった。
ただの仕事上の繋がりだけのはずなのに、やたら雑談やアプローチの多い男。
今後も保守だのアップデートだので何かと関わる相手だと思うと無碍にも出来ず、押し切られる形で、今日はこれから彼を交えたチームで飲み会だった。
「(この間だって、こいつが電話してこなきゃ……)」
あの日から、彼女から連絡はない。
もともと気まぐれに連絡を入れるのは私からで、向こうから来たことはほとんどないのだけれど。
それでもなんとなく、あの日以降――
……いや、いつかはきっと、自分の無責任さのせいで泣かせていたのだろうけれど。
「あー…面倒くさい」
呟いてから、メッセージアイコンをタップする。
飲み会の会場の詳細と
《田島さんと飲めるの楽しみにしてますね!》
という一文。
「……私は楽しみでもなんでもないんですけどね」
そんなことをぼやきながら、思い浮かべてしまうのは、美咲の顔だった。
***
夜の駅前は、帰宅ラッシュの人であふれていた。
授業帰り、イヤホンで音楽を流しながら人混みを縫うように歩いていたとき——
ふと、見覚えのある後ろ姿が視界の端に入った。
肩までの髪、スーツの上からでも分かるすらりとした姿勢。
見間違えるはずがない。
「……遥さん」
数メートル先を、男性と並んで歩いていた。
仕事終わりなのだろう、どちらもスーツ姿だった。
けれど、その距離が妙に近くて、話すたびに男性が嬉しそうに笑うのが遠目にも分かった。
「(彼氏……?それとも……)」
胸の奥がざわつく。
思わず足が止まって、でも声は出なかった。
「っ……」
視線を逸らして、駅の出口とは反対方向へ歩き出す。
冷たい風が吹き付けるのに、顔が酷く熱い。
足早に家へ帰る途中、何度もスマホを確認してしまう。
通知はない。
***
アパートの部屋は、やけに静かだった。
コートを脱ぎながら、ぼんやり天井を見上げる。
「(新しい“遊び相手”、かな)」
そう思ったら、少しだけ笑えてきた。
それがいつもの遥さんだって、分かってるのに。
今さら何に傷ついているんだろう。
湯を沸かして、カップスープを飲みながらスマホを手に取る。
画面は相変わらず無反応。
“私の代わり”なんて、きっといくらだっている。
***
夜、日付が変わる少し前。
ようやく通知が鳴った。
画面に浮かぶ名前を見た瞬間、心臓が跳ねる。
《今から会える?》
しばらく動けなかった。
どうして、なんで。
遥さんの真意が分からない。
何度も読んで、削除しようとして、結局できなくて。
返したメッセージは、たった一行。
《行きます》




