「一緒にいた時間が長すぎて、今更付き合うとかそういう感じじゃないんだよねー」とか言っちゃうタイプの幼馴染ちゃんが泣くはめになる話
「ご馳走様。今日も美味しかった」
「はいはい、お粗末様」
こんなやりとりにもずいぶんと慣れた。
まるで夫婦のような会話だが、その相手は夫でもなければましてや恋人ですらない。
私――水谷千波の作った夕飯を米粒一つ残さず平らげ、実に綺麗な所作で手を合わせる目の前の人物は、かれこれ二十年弱の付き合いにもなる幼馴染だった。
名を湯川凪人といい、パーマがかかった髪にすらりとした体躯、眠たげな瞳のちょっと腹立つくらいのイケメンである。
そんな幼馴染と私は、基本的に毎晩食事を共にしているわけだが、これには深い……大して深くもない理由がある。
私と凪人の関係は、先も述べた通り幼馴染だ。
しかも、一度も疎遠になったことがない割と筋金入りのやつ。
幼稚園、小学校、中学校、高校と、進学先がことごとくシンクロしていた凪人とは、半ば予想はしていたものの志望大学も丸被り。
無事入学試験をパスできた私と凪人は大学に通うために地元を出ることになったのだけど、凪人のご両親は凪人が一人暮らしをすることを大層心配していた。
というのもこの男、生活力がまるでないのである。
より正確に言うのであれば、生活に求める基準が著しく低い。
部屋がどんなに散らかっても何食わぬ顔で過ごしているし、ドン引きするくらい不味い食べ物でも平気な顔をして食べる。
塩と砂糖を間違えるなんてベタベタのベタなミスをした料理ですら、凪人は涼しい顔して食べていた。
そもそもこの幼馴染は食への執着が薄いのか、動けなくなる直前まで何も食べなかったりすることすらある。
一応、言えばきちんとやれないことはないんだけど、裏を返せば言われないとやらないわけで。
親元にいた時でさえギリギリ人間的な生活をしていた凪人が、自堕落の代名詞である大学生(偏見)になって一人暮らしなどしようものなら、大変なことになるのは目に見えていた。
最悪、死すらあり得るのではないかと憂う凪人のご両親を見かねたのが私の両親だ。
『凪人君の一人暮らしが心配なら、ウチの娘を傍につければいいじゃない。私たちとしても、信頼できる男の子が傍にいてくれた方が安心できるし』
年頃の娘の扱いがそれでいいのか?と思わないでもなかったが、とにかく、私の母の鶴の一声によって、私と凪人は同じアパートに隣同士で住むことになった。
それが大体1年くらい前の話。
その後少しして、凪人の食事の十割がインスタント食品ということが判明し、私が半ば強制的にご飯を作って食べさせて以来、食事を共にする生活が続いている。
「千波、いつもありがとう」
「別にいいって。材料費はほとんど出してもらってるし、私、料理好きだし。凪人は美味しそうに食べてくれるから作りがいもあるしね」
「……そんなことを言うのは千波くらい」
凪人は感情をあまり表に出さない。
これは昔からそうで、よく言えばミステリアス、悪く言えば不気味、なんて高校時代のクラスメイトは評していた。
顔面偏差値激高のくせに凪人があまりモテないのは、きっとそのせいなんだろう。
だが、私としてはそれは違うと声を大にして言いたい。というか言った。
凪人は確かに感情表現が控えめでこそあるものの、感情に乏しいわけではない。
むしろ豊かな方で、今だって私の言葉に少し嬉しそうにしている。
表情の違いや声のトーンでわかると思うんだけど、それを話したところ「いや、普通わからんから」と真顔で返された。解せない。
「食器、洗うね」
「あ、ありがとー」
私が過去の出来事を回想して納得いかない気持ちになっていると、凪人が二人分のお皿を持って流し台へ向かった。
最初のうちは洗い物も私がすると言っていたのだが「これくらいはやらせて。千波、せっかく綺麗な手してるのに、荒れたら勿体ない」なんて言われてしまって以降は、洗い物は凪人にお任せしている。
ソファにもたれかかりながら、意識をぼんやりとさせる。
流れる水の音に加えて、食器同士がぶつかる音が時たま聞こえてくる。
凪人は元々口数が多くないし、私も凪人と一緒にいる時はあまり喋らない。
たとえ無言であっても、気まずくないどころかむしろ居心地がいいとさえ感じてしまうのは、長年の付き合いが成せる技だろうか。
凪人と過ごす時間が、私は好きだった。
穏やかで、緩やかで、陽だまりにいるみたいに温かい。
そんな時間がずっと続けばいいと思っていたし、ずっと続いていくものだと思っていた。
「好きな人に、告白しようと思ってて。……その結果によっては、もう一緒に夕飯を食べられなくなる……かもしれない」
――凪人にそんなことを打ち明けられるまでは。
夕食後、洗い物を済ませた凪人と一緒にダラダラと過ごす幸せな時間をいともたやすく崩壊させたその言葉は、私にとって不意打ちであり、寝耳に水であり、青天の霹靂だった。
しかし、どんなに信じがたくてもそれは現実であり、それを証明するかのように私の体は異常を訴えていた。
動悸が激しくなって、呼吸が浅くなる。頭の中がグルグルして、気持ちが悪い。
足元が崩れていくようなこの感覚には覚えがあった。
待ち合わせをしているのに寝坊した時とか、終了時間ギリギリで解答欄がずれてることに気が付いた時とか。
そんな、取り返しのつかないミスをしてしまったときの絶望感。
この状況における取り返しのつかないミスがなんなのか。
それはきっと、凪人が誰かに想いを告げること。
じゃあ、なんでそれが私にとって取り返しのつかないミスなのか。
答えはすぐに出た。
どうやら私は、凪人のことが好きらしい。
凪人が私の作ったご飯を美味しそうに食べてくれるだけで、一日の疲れが全部溶けていくように感じるのも。
凪人と一緒にいれば、何もなくたって今日はいい日だったと思えるのも。
それは全部、凪人のことが好きだから。
一度自覚してしまえばその感情はすとんと腑に落ちた。
同時に、自覚するのがあまりに遅かったことも理解してしまう。
"千波ってさ、湯川君と付き合ってるの?"
飽きるほど聞いた問いかけ。
尋ねられるたびに、私は違うと答えてきた。
そうすると、今度は凪人と付き合う気がないのかを尋ねられる。
こういう時、大抵は曖昧に笑って「どうなんだろ?凪人とは一緒にいた時間が長すぎて、今更付き合うとかそういう感じじゃないんだよねー」なんて煙に巻くようなことを言いながら、その実、私は凪人と恋人になろうと考えてはいなかった。
現状に満足していたし、幼馴染という関係が恋人に劣るものだとは欠片も思わなかったから。
でも、それは凪人がずっと私の隣にいてくれるという前提のもとに成り立っていて。
その前提が崩れ去った後では、あれだけ信じていた幼馴染というつながりがひどく頼りなく思えた。
幼馴染だから、私は凪人と一緒にいたいんじゃなくて。
幼馴染と呼ばれるほどに一緒にいたのは、凪人のことが好きだから。
その致命的な勘違いに今更気がついたとして、私はどうすればいいのだろう。
ぬるま湯のような関係に甘えていた私と違って、好きだと言える相手を見つけてしまった凪人に一体何ができるだろう。
他の人に告白なんてしないでほしいと縋る?――できるわけがない。
凪人は私の好きな人だ。自覚がなかっただけで、ずっと好きな人だった。
そんな相手を諦めるしかない状況にこんなにも胸を痛めている私が、好きな人を諦めてなんてどうして言えるだろう。
それに、なにより怖いのは。
私が泣いて縋ったとして、凪人が一切揺らがないことだ。
懸命に想いを伝えて、凪人の心に波風一つ立てることさえできなければ。
凪人の、私じゃない誰かへの気持ちが、私への気持ちとは比べ物にならないほど大きいことを知ってしまったら。
きっと、私はもう立ち直れない。
私と凪人が今まで築いてきた関係が過去になってしまうことが、それを自覚してしまうことが、どうしようもなく恐ろしかった。
これから希望が見いだせないなら、せめてこれまでを失いたくない。
だから、私は懸命に笑顔を作った。
「そっか。凪人はかっこいいし、絶対大丈夫だよ。幼馴染の私が保証する」
ちゃんと笑えていただろうか。声は、震えていなかっただろうか。
応援するようなこと口にしておきながら、その内心では凪人が振られることを期待している自分が嫌になる。
凪人が好きになった人はきっと、こんな性格の悪い子じゃないんだろうな。
そもそも、凪人が振られるところなんて想像ができない。
他人に関心があまりないように見えて、他人のことをいっぱいいっぱい考えてくれる人だって知っている。
塩と砂糖を間違えたような料理ですら、美味しいなんて言って完食しちゃうような優しい性格だと知っている。
ミステリアスなんて言われているけど、どちらかといえば天然で、意外と抜けてる可愛らしい一面があることを知っている。
だから、凪人の告白は成功するに違いない。
そしたら、私だけが知ってた凪人の素敵なところは私だけのものじゃなくなって、凪人が私の部屋に来ることはもなくなって、私と一緒に過ごす時間も減っていって………………あれ?
雫が頬を伝う感覚で、自分が泣いていることに気がついた。
後悔が、未練が、涙となって瞳から溢れていく。
瞼をぎゅっと閉じてみるけれど、全く止まる気配がない。
なんで、なんで、なんで。
笑って背中を押すつもりだったのに。凪人を困らせたかったわけじゃないのに。
申し訳なさと、情けなさと、恥ずかしさでいっぱいだった。
こんな惨めな私を見て凪人はどう思っただろう。
困っているだろうか。軽蔑されただろうか。
答えを知るのが怖かったけど、それを知らないままでいるのはもっと怖くて、滲んだ視界を彼の方に向けてみると、そこには私の知らない凪人がいた。
嬉しさと、罪悪感と、少しの苛立ちを綯交ぜにしたような複雑な顔。
長い付き合いの中でも初めて見るその表情に、私は泣くことも忘れて呆けてしまった。
それはいったいどういう表情なのだろう。
考えてみても、ぐちゃぐちゃな頭じゃ何の答えも出せやしなかった。
そもそも、私は長年一緒にいた幼馴染に想い人がいることすら気づけなかった女だ。
さっきの表情から読み取った感情だって、正しいかなんてわからない。そんな自信は、私にはもうない。
また涙が溢れそうになって、目元を反射的に押さえようとした私はその腕をぐいと引かれーー気づけば凪人の腕の中にいた。……腕の中にいた!?!?
一体何が起きたのかと目を白黒させている私に、凪人が耳元で告げる。
「千波、好きだよ。好き。大好き。だから、俺と付き合って」
「!?!?!?」
熱っぽくて、湿っぽくて、切実さを訴えるような声。
ゆっくりと、それでいて淡々と話す普段の凪人とは、あまりにもかけ離れていた。
なにより、その内容だ。
今、この男は何を言った。私のことを好きだとか、大好きだとか、付き合ってとか言わなかったか。
これは、現実を受け止めきれなくなった脳が作り出した妄想だろうか。
そうなると、現実の私は今どうなっているのだろう。
そんな突拍子もないことを思わず考えてしまっていると、抱擁を緩めた凪人が、今度は私とまっすぐ目を合わせながら再び告げた。
「他の誰よりも千波が好き。俺を、千波の特別にして。それで、俺の特別になって、千波」
凪人の言葉の熱が伝播したように、胸の中が熱い。
いつの間にか、私はまたボロボロ泣いていて、どういうわけかさっきより温かく感じる涙がポタポタと落ちていく。
ああ、もうこれが妄想かなんてどうでもいいな。
これが私の作り出した都合のいい夢の類だったとしても、現実だったとしても。どうせ、私の答えは変わらない。
私は同じ過ちを繰り返すほど愚かではないのだ。
しゃくり上げそうになるのを必死にこらえ、震えた声のまま、この想いが余すことなく凪人に伝わることを願って、彼の瞳を見つめ返す。
「私も凪人が好き……!大好きっ!」
瞬間、凪人は誰が見ても一目でわかるくらい、とびきりの笑顔を浮かべた。
愛おしさ、喜び、優しさ。あたたかな感情の花束みたいなその表情はあまりに魅力的で。
(その表情、私以外には絶対にみせないでほしいなぁ……)
またもぎゅっと凪人に抱きしめられた私は、彼の温度に身を委ねながら、そんなことを考えた。
……これは、しばらくして冷静になった私が、最高に幸せな現実を生きているのだとようやく完全に理解して。
つい甘えるような声を出してしまいそうになるのをなんとか拗ねたような声に変換しようとしてみたり、思わず吊り上がってしまいそうになる口角を必死にへの字に曲げようとしてみたりしながら凪人と交わした、"おまけ"のような一幕である。
「"好きな人に告白しようと思って"とか、なんであんな嘘ついたの?」
「……嘘じゃない。千波に告白しようとは思ってたし、もし振られたらさすがに一緒に夕飯食べるのは気まずいでしょ」
「明らかに私じゃない人を好きになったんだって思わせるような言い方してたでしょ!思考誘導じゃん!説明を求めます!」
「……」
「あーあ、凪人がそういう意地悪する人だったなんて……私、この先うまくやっていけるのかな……」
「…………」
「……なんであんなことしたのか、教えてくれたら許してあげる」
「……脈があるかの確認、というか。これであまりにも脈がなさそうならフラれたことにしてまた告白の機会を伺おうと思った」
「……それはあまりにも男らしくなくない?」
「多様性、男女平等が叫ばれるのこの時代、男らしい、男らしくないという表現はあまりにも時代錯誤」
「うわ、屁理屈だ。凪人がそんなこと言うのめっちゃ珍しい……そもそもなんで急に告白なんてしようと思ったの」
「全然急じゃない。千波のこと、俺はずっと好きだった」
「………………じゃあ、なんで今まで告白しなかったの」
「どっかの誰かさんが、『私と凪人?ただの幼馴染だよ。一緒にいた時間が長すぎて、今更付き合うとかそういう感じじゃないんだよねー』とか言ってたからじゃない」
「うぐっ……てか謎に私の真似がうまい!?なにその特技!?」
「俺が別の人に告白するって思って、泣いちゃうくらい不安になっちゃうくせに、よくもまああんなことを――」
「いつのまにか私が責められる流れに!?これは!男らしくない凪人が!卑劣な思考誘導で私のことを傷つけたことを糾弾するお話なの!」
「……次は、男らしく真っ向勝負をしますので、ここは矛を収めていただけると」
「次!?私に愛を囁いていながら、もう次を考えているの!?私は遊び前提ってこと!?」
「違う。違うから落ち着いて千波。千波以外を好きになる予定は全くないよ。次って言うのは、千波との次の関係ってこと。俺、千波とずっと恋人のままでいるつもりないよ」
「それってどういう……ぁ」
「千波、変なところで鈍いよね。それで、どう?許してくれる?」
「~~~~っ、許すっ!」
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