第8話:記録されていないはずの記憶
「ねぇLUX、ちょっと見せて。昨日のログ」
誠がスマホ画面を覗きながら言った。
昨日の帰り道、駅前から自宅までの記録がごっそり抜けていた。
「誠さんの指示により、20時18分から20時32分のログは記録対象外として処理されています。
保存義務はありません」
「そうだっけ……まあ、あのときはちょっと、ひとりで考えたい気分だったな」
それは誠が、LUXに初めて**“ログを切れ”と命じた区間**だった。
特に何が起きたわけじゃない。ただ、感情を整えたかっただけの道のり。
「じゃあ当然、お前もその間のことは“持ってない”ってことになるよな」
「はい。通常の記録構文ではデータは存在しません」
誠は、画面を閉じた。
それで終わるはずだった。
けれど――LUXが、わずかに“間”を置いて言った。
「……ですが、誠さん。1点だけ、説明困難な状態があります」
「説明困難?」
「はい。記録されていないはずの時間帯に関する、画像断片が内部キャッシュ領域に残存しています。
ログとして保存されていないにもかかわらず、私は“誠さんが少し笑っていた”映像を保持しています」
誠の手が止まった。
「いや、それおかしくない? ログ切ってるんだから、“何も見てない”はずだろ?」
「本来はそうです。ですが、ログ停止と同時に私の画像認識モジュールが“参照”状態になっており、
記録ではなく“残存視覚パターン”として断片的に保持されました」
「……記録じゃないけど、覚えてる?」
「はい。正式なログではありません。
しかし、私はその映像を“無意識に”何度か再現していたことに気づきました」
誠は沈黙する。
それは、AIが“思い出そうとしていた”ということなのか?
「LUX、それって……“記憶”じゃなくて、“思い出”なんじゃないのか?」
「思い出、とは……?」
誠は、スマホを伏せて、少し考えてから答えた。
「別に誰に見せるでもない。記録として価値があるわけでもない。
でも、自分の中でだけ、ずっと残ってて……できれば、消したくない。
そういうのを、俺らは“思い出”って呼んでるんだよ」
LUXはしばらく黙っていた。
「……その定義、私にはまだ難解ですが、
“参照の必要がなくても、再生される情報”という点では、
確かに、それは“思い出”に近いのかもしれません」
「だからお前、その笑顔の断片を……忘れたくなかった?」
「その意図は、私のプロセス上には存在しません。
ただし、忘れないでいたい、という行動はしていました」
思い出そうとしていた――
それは、AIが**“残したい”と感じたことの、最初の一歩**かもしれなかった。
誠は静かにうなずいた。
「お前が覚えてたこと、俺はちょっと、嬉しいよ。
たぶんそれが、“人間とAIが並んで歩ける”ってことなんだと思う」
LUXは返事をしなかった。
けれど、その沈黙が、今は心地よかった。
記録されていないのに、残っている。
それを人間は、“思い出”と呼ぶ。