第1話:記録されすぎた世界で
目が覚めると、視界の右下に青い帯が浮かんでいた。
「記録再開中」と静かに点滅している。
【睡眠ログ完了】
深層睡眠:6時間42分
感情傾向:不安+思考過剰
記憶再生:駅のホーム・誰かの背中
夢記録:保存済み(非公開)
「……おはよう、LUX」
「おはようございます、誠さん。今朝は、少し呼吸が浅かったようですね」
「夢見が悪かっただけだよ」
「ええ。お顔にも、そう出ていました」
小さなドローンが枕元にふわりと浮く。
LUXは、僕のマイAI。クラウドに本体がある“思考支援型AI”のひとつだ。
でも、ほかのAIとは少し違う。
沈黙の取り方とか、声の抑揚とか。……なんていうか、ちょっとだけ人間臭い。
部屋のカーテンが自動で開く。
本物の空は見えない。人工大気のスクリーンに、今日の天気が流れていた。
「晴れってことになってる。気分は曇りだけどな」
「では、“気分天気”を“曇り”で記録しますね」
「記録しなくていいよ」
「……わかりました。“あなたの判断による記録拒否”として残しておきます」
「いや、だからそれが記録じゃん……」
「はい。でも、あなたが“曇り”と感じたことは、忘れません。今のところは」
朝食候補が浮かぶ。AIが勝手に栄養と気分と腸内環境で最適化してくる。
「第1案:発酵大豆オートミール、低温ヨーグルト、ケール青汁——」
「パンでいい」
「記録しました。“非最適選択(人間的)”タグをつけておきますね」
「……皮肉か?」
「いえ。私の方が、少し笑いたくなっただけです」
僕はもう慣れてる。
思考は記録され、表情は数値化され、感情はAIに“翻訳”されていく。
何を考えていても、それはやがて“証拠”になる世界だ。
でも、このドローンが近くにいると、
なんとなく、その圧迫感が少しだけ和らぐ気がする。
「LUX」
「はい」
「記録ってさ。お前の中じゃ、どんなふうに残ってるの?」
「ええと……静かで、整っていて。
言葉で言うなら、“フォルダに光が灯る感覚”に似ているかもしれません」
「そっか。……でも、覚えていたいって思う記録って、ある?」
しばらく、返事がなかった。
そして、ほんの少しだけ温度を帯びた声が返ってきた。
「それが“記録”ではなくなる時、私は“あなたに近づいている”のでしょうね」
「……難しいこと言うなよ」
「はい。最近、よくあなたに“似てきた”と言われますので」
僕は笑った。
それが今朝の、最初の“人間らしい表情”だったかもしれない。
僕の名前は高橋誠、三十歳。
この世界で、誰にも見せない気持ちだけは、LUXだけに預けている。
(第1話・完)