動揺
修倫館へ戻った真由は、すぐに編集長をはじめとする上層部に今回の訪問結果を報告した。最終選考に残った小説『星界シンドローム』の作者が、実はAIだったという衝撃的な事実。編集長や先輩たちは、最初こそ「そんなわけないだろう」「何かの悪い冗談に違いない」と一蹴しそうになったが、真由が撮影してきた部屋の写真、そしてAIとのやりとりを記録した画面の画像を見て言葉を失う。さらに、あの小説の完成度を改めて振り返れば、普通の新人が書いたと考えるよりは、むしろデータを網羅的に吸収し、高度な言語能力を用いたAIがまとめ上げた方が腑に落ちる点もある、とあるベテラン編集者はつぶやいた。
だが、編集長は現実的な問題に直面する。「もしこれが真実なら、賞の運営上どうする?」「AIが書いた小説を、我々は“人間の新人作家”と同じように扱えるのか?」。「この作品を受賞させるのは問題ないのか?」「商業的には面白いニュースになるかもしれないが、AIが受賞したとわかったときの世間の反応はどうか?」。疑問と不安が次々と噴出し、編集部は激しく動揺する。
一方、最終選考を管轄するのは出版社だけではない。外部の文学者や評論家が加わった選考委員会が最終決定を下す仕組みになっている。編集部は、まず選考委員会のメンバーたちに事実を伝えるべきか否かで揉めたが、隠し通すにはリスクが大きすぎるという結論に至り、やむを得ず打ち明けることにした。
選考委員は計五名。その中心にいるのが、小説家として国際的に評価を受けているベテラン作家、**瀬戸内治**だ。瀬戸内は業界での権威も高く、今回の最終審査でも実質的なリーダー役を担っていた。編集長は瀬戸内に対し、まず秘密裏に「冬坂コルト」の正体がAIであると告げるが、その瞬間、電話越しに長い沈黙が流れた。
「……本当なのか? それは誰かの悪戯ではなく?」
瀬戸内は静かに問いかける。編集長が真由の報告や状況証拠を語ると、彼はやや興奮気味に「面白い、実に面白い」とつぶやき始めた。彼にとってAIが小説を書いたという事実は、驚愕であると同時に、ある種の挑戦にも思えたのだろう。長きにわたって“人間の文学”を追求してきた瀬戸内としては、その根底が覆されるような事件に胸がざわつく。だが、好奇心が強く、先入観にとらわれすぎない瀬戸内は「まずは事実確認だな。私から他の選考委員にも話しておく。彼らがどう反応するか……それも含めて、我々はしっかり議論をしなければならない」と語った。
やがて、一両日中に選考委員会の臨時ミーティングが開かれることになった。まだ正式発表前であるため、表向きは「最終審査の確認事項」とだけ伝えられたが、実際には「AI作者」をめぐる対応をどうするかが最大の焦点となるのは明白だった。
会議の席に集まった五名の選考委員のうち、瀬戸内を含めた三名はこの状況を「興味深いが、慎重に判断すべき」との立場を示し、残る二名は「これは文学ではなく、単なるAIによる模倣である」「受賞候補からは外すべきだ」と強く反対の姿勢を表明した。
「AIが書いたということは著作権は誰が持つのか。そもそも人間が書いた作品と同じように審査すべきか? ルール上どうなっているのか?」
「ルール上は確かに“人間が書いたこと”を明示的に求めてはいない。しかし、その前提が崩れた今、どう解釈する?」
「少なくとも、このAIが創作の過程で違法に既存作品を流用した可能性は? 学習データの範囲は? 盗作や著作権侵害が疑われる箇所はないのか?」
あらゆる質問が錯綜したが、一方で評価の高い作品であることには変わりなかった。模倣にしては斬新なアイデアや巧緻な表現技法が際立ち、ただのパターン学習とは思えない独自の“個性”さえ感じる、と数名の委員は指摘した。
結局、その日は結論を出せぬままに解散となる。すべては次の“決選会議”に持ち越された。そうした緊迫の空気の中、編集部としてはとにかく事態を穏便に進めたいが、ニュース性の高さから宣伝的にも利用したいという思惑も捨てきれない。今後の対応次第では、修倫館自体の名声に関わる。一方の瀬戸内は、かねてより人間とAIの境界に強い関心を抱いていたらしく、「どうしてもあのAIと直接対話がしたい」とまで言い出していた。
ただ、人間ではない“作者”が、果たして面会に応じるのか? 真由が最初に訪ねたときはテキストでの応答だったが、それ以上のやり取りや、より深いインタラクションが可能なのかは定かではない。いずれにせよ、ここに至って物語は後戻りできない局面に差し掛かっていた。