第78話 反撃と乱入者 4
朝の空気はまだ冷たく、荒い呼吸を繰り返す喉に沁みる。
肩が上下するたび、血の匂いが風に混じる。自分のものか、それともミラクのものか。互いに血を流しすぎていて、もう区別はつかない。
双剣の一本は折れ、もう一本も刃こぼれしている。地面に刻まれた影を裂いた跡はどれだけ激しい攻防があったかを物語る。
両脚は震え、視界は霞んでいる。それでも、俺は立っていた。
――まだ……まだなのか!? ミラクの時間制限は!!
もはや俺の限界が近いが、ミラクは未だ余裕を失っていないように見える。爛々とした目の光が鈍っていない。
血が流れる肩口を影が不器用に修復しているのに、ミラク自身の立ち姿は揺るがない。
「さぁ……もっと――殺し甲斐のある顔をしてみせろ……!」
昂った声でミラクは叫ぶ。その口元には微かな笑みが浮かんでいた。
ただ――影の形が、確かに乱れている。明らかに攻撃の精度が落ちている。恐らくミラクは驚異的なまでの殺しへの執念で立っているに過ぎない。……下手に焦らず、確実に攻め切れば俺の勝ちだ。
足元から影が立ち上がり、黒い刃が幾重にも重なって俺を取り囲む。
陽の光を受ける崖の上に、冷たい影の闇が広がる。
しかし、その影は揺らいでいた。やがて影は大きく波打ち、発散する。
――来たか!?
だがそう思った瞬間、何事もなかったように影は再構成される。俺はその飽和する乱撃を紙一重で避け続ける。
――それでもやはり、ミラクの魔術の限界は近い……!
「……」
そのとき、ミラクはふと、すべてを見渡したような目で立ち止まる。影の連撃が止んだ。
狂気を湛えた視線は、思わず底冷えするような眼差しへと変わり、俺を射抜く。
どうやらミラクも自身の限界をいよいよ誤魔化せなくなったらしい。
――あるいは、あまり考えたくはないが、俺を殺すことへの昂りのあまりの沈黙か……。
そしてミラクは俺の攻撃を防ぐために纏っていた闇から一歩、踏み出す。
「……時間制限だ。お前を殺せば、どんな感情が得られるのか――」
ミラクの黄色い目が細められる。
影の刃が収束する。迫り来るは、喉元を狙った確実な一撃。速さも角度も、逃げ道を残さない。完璧な軌道。
――避けられない死。
しかし、俺の体は既に行動に移っていた。
瞬時に距離を詰め、先刻投擲しておいた双剣が飛来するのと合わせ、双方向からミラクに迫る。一切の迷いを断ち切った、決死の一撃。
――せめて相打ちに……!
剣はミラクの首を狙って一閃した。空間が切り裂かれ、ミラクの嘲笑が一瞬途絶える。
だが、ミラクもただの幻術使いではない。俺の攻撃を感じ取り、すんでのところで死角から飛来する双剣を間一髪で躱した。
「――くっ」
仕方なく、空を切って戻ってきた双剣を掴む。
刹那、影が俺の剣を側面から突く。剣はひびが入り、折れた。これで双剣は二本とも使い物にならない。
「くそっ!」
折れた剣を構え、身体を捻って攻撃を回避しようとする。
だが、遅い。
身体が応えない。疲労が、限界を超えている。
――殺される。
その確信が、脳裏を過ぎった瞬間。
影の刃が止まる。俺とミラクが互いに向けていた視線が、同時に逸れた。
俺とミラクは上を向いていた。突如、上空から気配が割り込んだのだ。――唐突に、常識外れの気配が。
そしてその気配は急降下し、俺とミラクの間に滑り込む。
俺の正面に、黒い翼が広がる。
煙を立てる肌。血に汚れた黒い服。
――サキ!? ……じゃないよな!?
焼けただれた皮膚から、白い煙が立ち上っている。それでも、その姿は揺るがない。
だが、その輪郭がサキと重なるのは、なぜか――。
「……お前は――ミア!?」
思わずその名を叫ぶ。
一体なぜ、ミアがここに。
――ミア、この場に乱入するとは……味方、なのか……!? それとも……。
俺が思考を巡らせる刹那、ミア越しに見えるミラクの瞳が一瞬だけ揺れた。その目が見つめるのは恐らく、ミアではなく、サキ。二人の面影の重なりが、ミラクの意識をわずかに乱した。
それはほんの一瞬だった。
だが、戦場では、その一瞬が致命的になる。
「……誰だ?」
ミラクが低く溢すように問う。
影の刃は俺とミラクの間に割り込んできたミアの喉元を捉えたまま、止まっている。だが、その切っ先は微かに震えていた。――影の制御が、覚束なくなっている。
「――その半獣族を殺そうとした瞬間、本当に呆れるほど隙だらけだったわ」
ミアはミラクを冷たく見据えたまま、迷いなく自身の手首を裂いていた。
停止した影の隙間を縫い、鮮血が目にも止まらぬ速さで宙を迸る。
「私に触れることすらなく……地に這いつくばりなさい」
赤い飛沫は朝の光に照らされて鮮やかに弧を描く。
ミアが血液を操作し、ミラクの足元の影へと叩きつけた――そう理解すると同時に、黒い影が、赤黒く染まる。
夜の闇に、異物が混ざる。生きた血が、影の中へ流れ込む。影の色が赤に変わっていく。
数瞬遅れ、ミラクはミアから飛び退き、距離を取る。
――影に、血を混ぜた?
ミラクは冷めた目をしていた。分析するようにミアを見据えている。
しかし先程までとは違い、何かが噛み合わなくなる。
――ミラクの影の攻撃が止んだ。赤黒く染まった、先刻まではミラクが操っていたその影のようなものは、今はミアがかざした手の先で螺旋を描いている。
……ミラクは影を掌握できていない!? 影の主導権がミアに移ったのか!?
影の中に入り混じった赤が、一層濃くなっていく。
吸血鬼族の血が、闇の流れを侵食している。
「ふふ……随分と拙い操作ね」
鈴を鳴らすような声には余裕が感じられる。
ミラクは影を引き戻そうとするように腕を上げるが、ミアはそれを嘲笑うように赤黒く染まった影でミラクを攻撃する。影の鞭が、ミラクの足元を薙ぐ。
ミラクは舌打ちと共に身を翻す。森に逃げて姿を眩ませるつもりだろう。だが。
「――言ったよな? 絶対に逃がさないって」
俺は折れてしまった剣を投擲した。風を切る音と共に、不器用に回転する刃がミラクへと飛来する。
「くっ……!」
ミラクは飛来する双剣の側面を苛立ったように荒々しく蹴り飛ばす。金属が弾け飛ぶ音が響く。その一瞬の隙は、ミアの前では致命的だった。
「しかも、お前にとっては間の悪いことに、その魔術、時間制限のようね。……身体も、もう限界でしょう?」
そのミアの畳み掛ける言葉と共に、ミラクの足元から赤黒い影が巻き上がる。
絡みつく。腕を、脚を、胴を。蛇のように巻き付き、無駄なく関節を固定する。
拘束されたミラクの膝が土に落ちた。両腕は固定されて動かせず、片膝をつく姿勢で固まる。
「……なるほど……血を混ぜ、影を乗っ取るか」
太陽に雲が掛かる。
ミアの肌を焼いていた朝日が覆われ、立ち昇る白煙の勢いが収まった。
ミアは口の端を吊り上げた笑みを浮かべ、血に染まった影を握り続ける。
「お前――ミラク、とか言ったわね」
ミアはミラクの前に降り立った。ミアの声が、甲高く、神経を撫でるように響く。
「一人きり、暗い闇の中を手探りで彷徨い続けるのは疲れるでしょう?」
俺は少し離れた場所からその光景を眺めていた。歯を食いしばり、折れた剣の柄を無意識に握り直す。
殺意が、剥き出しで滲む。今すぐにでも、ミラクの喉笛を掻き切りたい。
――しかし、ミラクはともかく、ミアには割り込む隙がない。
ミラクは、俺を見ない。
視線はミアに向いたままだった。
――サキに似た顔。黒い翼。だが、サキとは目の奥の温度が違う。
「ねえ、知っているかしら?」
ミアは息を吐き、言葉を落とす。毒々しい声は、どこか掠れていた。
ミアも限界が近いようだった。朝日に焼かれ続けた吸血鬼族の身体は、長くは持たない。それでも、ミアは言葉にはどこか力を込めているように感じた。
「フィロンは死んだようよ。レーシュはサキには言ってなかったけれど、恐らく……お前が一枚噛んでいるわね?」
ミアの言葉にミラクの目が細められる。
――フィロンに、レーシュ。なぜその名がここでミアの口から出るのか、俺には分からなかった。
しかし、フィロンが死んだ――その事実がサキに伝えられたこと。そのことに対するサキの反応を、ミラクは期待しているのかもしれない。
いい加減にただ見ていることはできなくなり、俺は二人の方へと駆け寄る。
「おい、お前、サキと会ってきたのか? なぜ俺を助けた? サキは今――」
「あの子なら無事だから、少し黙っていなさい」
しかしミアは視線だけを俺に向け、ばっさりと一蹴する。
「本当か? どのみち、俺は早くミラクをどうにかしてサキのところへ――」
それに俺が食い下がろうとした、その瞬間だった。
――ぞわり。
ミアの赤黒い影が、異様に波打つ。
血液が逆流するように、赤い影の流れが反転する。
ミアの足元から伸びた拘束が、ミラクの身体からほどけた。
「――っ」
膝をついたまま、わずかに身を起こす。ミラクの目が、鋭く光った。しかし、そこには冷たさも熱も無かった。
――表情が読めない。
ただ、恐らくミラクは見極めたのだろう。影の支配権をほぼ奪われた今、ここでミアと正面から戦っても勝ち目はない。それに、時間制限も尽きている。まともに動けないはずだ。
次の刹那、赤黒い影が蛇のように跳ね、ミアの足首へ巻き付く。
赤黒い影の中、黒い刃がミアを狙って一撃を放つ。
だが、それは攻撃ではない。
――脱出のための時間稼ぎだ。
ミラクは緩んだ拘束の隙を突いて、森へと身を投げた。若干辿々しくも走り、木々の間へ消えようとする。
「ミア! ミラクは逃げるつもりだ!」
俺は叫ぶ。もう手元に双剣はない。俺では今は追撃できない。
ミアはただ手のひらを静かに返した。
「……諦めが悪いわね」
赤黒い影が、再び脈打つ。
今度は反転ではない。血の流れが影の奥へ楔を打ち込むように食い込んでいく。ミアの手首からさらなる血が滴り、影へと吸い込まれていく。
ミラクの身体が、地面に引き戻される。
「……!」
拘束が締まり直す。腕、脚、胴――関節を狙って無駄なく固定される。さっきよりも強く。
ミラクの足元から伸びた影が、もう一度だけ抵抗するように蠢いたが、赤が濃くなるにつれて、黒は押し潰されていった。
俺は唾を飲む。
――ミラクがミアの能力に抵抗したのか。
ミアの支配は完璧ではないようだ。だが、ミラクの抵抗を上回っている。
……正直言って、ミアは得体が知れない。
今はなぜか俺達に味方しているようだが、いつ敵に回るか分かったものではない。この強力な能力相手に、俺は対抗できるのか……?
そのとき、ミラクが、無機質に舌を打ったのが聞こえた。
もう逃げられない。そう判断したのだろう。
しかしその目には、怒りも焦りもない。ただ、次の選択を見極める冷めた諦念だけがあった。
「私は、フィロンよりも――お前が死ぬべきだったと思うわよ?」
ミアは淡々と告げ、ミラクを見下ろした。
「お前は、普通に回っている世界でこそ、人を殺すことに価値を見出す。秩序の中に潜って、演じて、誘い込んで、裏切って……それを延々と繰り返している」
言葉を紡ぐたび、赤黒い影の脈動が強まる。
「……そんな生き方をするお前には、帝国を終わらせるどころか」
ミアの口元が、甘く、しかし毒を含んだように吊り上がる。そしてミラクの耳元へと口を寄せた。
「私達が築く――帝国崩壊後の世界に、生きる資格などない」
――私達、だと? ……ミアは一体、何を企んで俺達に協力している?
……いや、考えるのは後にしよう。今はミラクの無力化が優先だ。ミアはなぜかミラクを殺さずに拘束している。その狙いは分からないが、今はミアに従うしかないだろう。
ミアは自分の手首から、さらに血を滴らせた。
血は影に吸い込まれ、ほぼ完全に赤に染まった。
ミアが手を翳す。
赤い影が強く呼応して蠢き、ミラクの足元がゆっくりと深く沈みはじめる。
地面が溶けるように――血に染まった影の沼へ。
「……これは」
ミラクの表情が、強張った。
これまでとは違い、明らかな動揺の色が浮かぶ。自身がサキを閉じ込めるために使ったのと、同じようなものだ。脱出が難しいと理解しているからだろうか。
足が沈む。膝まで。腰まで。
段々と深さを増していく赤黒い闇が、ミラクを呑み込んでいく。抗えない力で、引きずり込まれていく。
「……さあ」
ミアは沈んでいくミラクを見下ろしたまま、冷たく微笑んだ。
「今度は、お前が沈みなさい」
ミアの声が、静かに響く。
ミラクは抗おうとする。腕を動かし、影を操ろうとする。
だが、影はもう応えない。完全にミアに奪われている。
赤黒い沼が、胸まで這い上がっている。
しかしそこで、ミラクは少し意外そうに口を開く。
「捕えるだけか。……ここで俺を殺すつもりはないようだな」
そして、何かを見極めたように笑んだ。
「その理由は、察するに――」
「黙りなさい」
ミアは冷たく言い放ち、また手を翳す。
影の沼が、一気にミラクの首元まで這い上がった。ミラクは時間稼ぎのつもりか、また口を開く。
「散々講釈垂れておいて、結局はお前も人任せというわけか」
「黙れと言ったのよ」
だが、そこまで言ったところで影が喉元を覆い、声を封じる。
そして、赤黒い影は、ミラクを完全に呑み込んだ。
身体は影の中に囚われた。
「ミラクを殺さないんだな」
「……ええ。今は、ね」
ミアは、影の沼を操り、浮遊する球体を創り上げる。ミラクごと包んだ赤黒い檻が、宙へ持ち上がった。
「サキの所へ戻るわ」
赤黒い球体が、ミアの歩みに合わせて宙を動いていく。
俺は、ライトの槍を手に取る。血に濡れていた槍は、もう乾いていた。
――サキにとってはライトの遺品だ。今、俺の双剣はもう使い物にならないし、武器としても持っていった方がいいだろう。
そして、俺はミアの後を追った。
**
私は、ラナの様子を見守っていた。
眠ったままのラナにかざしたレーシュの手が、淡く光る。紫の魔力の波動が、ゆっくりとラナを覆っていく。
「……大丈夫なの?」
私が声をかけると、レーシュは頷いた。
「今この子にかかっているのは、意識を失わせる効果のある魔術だけみたい。……もう少しで、解ける」
その声は、聞いたことのないくらい真剣で、必死だった。
私はラナの手を握る。冷たい。でも、確かに脈打っている。
――初めて会ったとき、ラナは私に当たり前みたいに笑いかけてくれた。何の打算もなく、助け合いだと言って、優しくしてくれて――あの時、絶望しかけていた私にとって、ラナがどれだけ眩しかったか。
それからずっと、ラナは私のそばにいてくれた。
あの子がこんなふうに倒れているのが、どうしても受け入れられない。
――ラナ。……どうか、無事に目を覚まして。私、またラナと話したいよ。
そう願った、その瞬間だった。
――ドクン。
心臓が、不自然に高鳴る。
「……っ!?」
――これは、さっきの……ミアの感覚!?
胸の奥から、何かが込み上げる。私の中にあるミアの血が、共鳴している。
――熱い。肌が焼けているような感覚。
「う……あ……!」
思わず、自分の腕を見る。
でも、私の肌には何も起きていない。傷もない。火傷もない。
なのに――痛い。
朝日が、肌を焼いている。
――これは、私ではない。ミアだ。
ミアの感覚が、血を通して流れ込んできている。
「サキ、どうしたの……?」
レーシュが心配そうに声をかけてくる。でも、声がまともに出せない。
「これ、は、ミアの――!」
そこまで言ったところで、視界が揺らぐ。
一瞬だけ、世界が暗転した。
――そして、次に見えたのは。
驚いたようにこちらを見据える、黄色い目。
――ミラク!!
――これはミアの、視界……!
私は息を呑んだ。
これは、ミアが見ているもの。ミアが感じているもの。
朝日の痛み。血の膜が肌を覆う感覚。心臓の鼓動。呼吸。
すべてが、私の中に流れ込んでくる。
――こんなに、痛いんだ。やっぱり私が感じる朝日の痛みとは、比べものにならない。
ミアの身体が動く。
私の意志ではない。ミアの意志だ。
翼を広げて、ミラクとラキの間に割り込む。
朝日が、容赦なく肌を焼く。でも、止まらない。
『……お前は――ミア!?』
ラキの声が聞こえる。
驚愕と、混乱が入り交じった声。
でもミアは答えない。
ただ、ミラクを見据えている。
『……誰だ』
ミラクの低い声。
影の刃が、わずかに震えている。
――今、よ。
ミアの思考が、私の中に響く。
血を通して、ミアの意図が伝わってくる。
その瞬間、ミアが自分の手首を裂く。
「っ……!」
私も、思わず自分の手首を押さえた。
鮮血が宙を迸る。
朝の光に照らされて、赤い飛沫が弧を描く。
それを、ミアはミラクの足元の影へと叩きつけた。
そのとき、視界が揺らぎ、私の身体がぐらりと傾く。
気づけば、膝をついていた。
「サキ……!?」
レーシュの声が遠い。
声は聞こえるけれど、私の意識はそこにない。
私は、ミアが見ているものを見ている。ミアが感じているものを感じている。
影に血が混じる。
黒い闇が、赤黒く染まっていく。
――これが、影……?
私は息を呑んだ。
ミラクが操る影のようなものには、流れがある。
今、私は、ミアの血を通してそれを感じる。
ミアの血が、その回路に流れ込んで、侵食していく。
――ミアが言っていた影の流れって、これのこと?
「……っ」
私の胸の奥で、何かが熱くなる。……これは、ミアの感覚ではない。
私自身の感情だ。なぜか、異様に胸が騒いでいる。
影の流れを読み、血で染め上げて、奪い取る。
相手の力を、内側から乗っ取って、逆に使う。
――私も、その場で戦いたい……! そして、今度こそ……私の手で、ミラクとの因縁に決着をつけたい。
次いで、ミアがミラクを拘束する。そして、何やらミラクに言葉をかけていく。
『ねえ、知っているかしら?』
その言葉が聞こえた瞬間。
――リイィィン。
突然、激しく耳鳴りがした。そこからミアが紡ぐ言葉が、徐々に聞こえなくなっていく。はっきりと見えていたミラクの表情も、霞んでいく。
――え? 何これ……ミアとミラクは、今どうなっているの?
何も聞こえず、見えない中、胸の奥が嫌に騒ぐ。
――待って、ミア。ミラクとの決着は、私が、この手で……!!
そこで頭が激しく揺れるような感覚がして、暗闇の中、私は目を閉じた。
そして、目を開くと、目の前には横たわったラナとレーシュが見えた。
「ラナ……レーシュ……」
私の視界に戻っている。さっきまで見えていたミアの視界は、もうない。だけれど、ミアが言っていた意味は分かった。
――ああやって、血で相手を乗っ取ることもできるんだ。
ミアは、血を使って影を乗っ取り、ミラクの力を奪い取っていた。
朝日に焼かれながら、それでも戦っていた。
ミラクが押されていた。
……ミアは、ミラクをあれからどうしたのだろう?
……もし、ミアがミラクを殺してしまっていたなら。
――そうなれば、私たちとミラクの因縁が終わる。
終わってしまうはずだ。すべて。
――そう。……ミラクの死を、私は望んでいた。
それが私の望むところだったはず。
……そのはずなのに。
――なんで、こんなに胸がざわつくの?
私も、あの場に立って戦いたい――早く、今見た力を私も使って戦ってみたい……そう思うから?
――それとも、ミアの手で、すべてが終わってしまうのが嫌なの?
ただ、ミアがミラクを殺してしまうことが、ひどく気に入らなかった。
ミラクを殺すのは、私でなくては許せないと思ってしまった。
ミラクを憎んでいる。終わらせたい。……でも、ミアの手でミラクが終わらせられると思うと――耐えられない。
大切なものを守れるようになりたい。信じたことを貫けるようになりたい。……全部、本当の気持ちだ。
震える拳を握りしめる。
悔しいけれど、今の私ではあの場を収められなかった。ミアでなければ、できなかった。
……それなのに、ミラクを私以外が終わらせてしまうと思うと、なぜか、ひどくやりきれない。
「サキ……!」
レーシュの声が、また聞こえる。私はハッとして顔を上げた。
「サキ、もう大丈夫なの?」
「……平気よ。ただ、ミアの感覚を感じていただけだから」
かすれた声でそう答えながら、私は息を吐いて視線をラナに移した。
ミアの視界では見えなかったラナの顔が、今はすぐそこにある。
……不思議。
ラナの顔を見たら、少し落ち着けた気がする。
「ラナ……」
名前を呼ぶと、目を閉じたままのラナの顔が、少し穏やかになった気がした。
次の瞬間、ラナの睫毛が震えた。
「……う……」
小さな呻き声。
その声が、胸の奥に刺さる。
「ラナ!」
私は駆け寄った。膝をついて、ラナの顔を覗き込む。
ラナは、ぼんやりとした目で私を見上げた。
……その目が、ゆっくりと焦点を結んでいく。




