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第77話 反撃と乱入者 3

「あたしは……あなた達に嫌われて当然だし……殺されたとしても……仕方ないのかもしれない」

 

 レーシュは私と目を合わせて言った。普段の彼女よりはいくらか流暢な話し方だった。

 私は彼女の上に馬乗りになって胸ぐらを掴んだまま、その言葉を聞いていた。

 胸の中では、怒りと混乱が重たく渦巻いている。

 レーシュは私達を洗脳し、記憶と意思を奪った薬を作った。その結果として、私達に人を殺させた。

 私はソニアを許した。ソニアのことは、少し気に入っていたこともあったから。

 

 でも、レーシュは……。

 私は木陰で意識を失ったままのラナに目を向ける。今は、レーシュのことはとても許せそうにない。

 それに、ソニアは私達を洗脳したくなかったみたいだったけれど、レーシュは違った。

 

 ……止まらない。やむに止まない殺意をレーシュに向ける。

 

「でも」

 

 レーシュは私から目を逸らさないまま、また口を開く。

 

「それでも、あたしは……フィロンの想いを、伝えたかった」


 ――フィロン。

 その名前を聞いて、私は再び黒く染まっていく感情に呑まれそうになる。

 レーシュの目に写った私は、今にも全てを破壊し尽くしてしまいそうな顔をしていた。


「……」


 喉の奥まで、怒りがせり上がる。

 それは、暗殺部隊の連中やミラクに対する怒りだけではない。


 ……私自身への怒りもある。

 ついさっきまで、私はミラクの影に沈められて、なす術もなく囚われていた。意識のないラナを森の中で一人にしてしまっていた。ラキは今も、たった一人でミラクと戦っているはずだ。

 

 ――もっと、強くなりたい。

 ラナやラキを守れるように。大切な人を失わないように。自分の信じることを貫けるように。……ミラクへの気持ちを、定められるように。

 

 だけれど強くなりたいという意志とは裏腹に、怒りは衝動的に私の体を突き動かす。

 私はレーシュの胸ぐらをさらに強く掴んだ。


「よく、私の前でその名を出せたものね」


 しかし、レーシュは目を逸らさない。

 紫の瞳が、逃げない。


 ――怒りに、呑まれてしまいそう。

 感情のままにレーシュを殴ってしまえば、少しだけ楽になるかもしれない。この怒りをぶつけてしまえば、胸の奥の重たいものが少しは軽くなるかもしれない。

 でも、それは……レーシュから逃げたような気がして、なんだか癪だ。

 感情に任せて、向き合うべきことから逃げてしまっているような気がする。

 

「勝手だけれど……聞いて、ほしい。……お願い」


 レーシュが言う。

 私はラナを見る。木陰で、まだ動かない。


 ラナをこんな状態にした元凶の薬を作ったのは、こいつだ。


 ……でも、今ここで殴って、レーシュを殺してしまったとして。

 

 ――それで、一体何になるっていうのよ?


「……」

 

 私は奥歯を噛みしめたまま、吐き捨てる。


「……一度だけ」


 レーシュが瞬きをする。


「一度だけ、話を聞くわ」


 自分でも驚くほど、声が冷たかった。

 それでも、胸の奥はまだ煮えたぎっている。


 レーシュは、深く息を吸った。

 私を真っ直ぐに見据えたまま、口を開く。


「まず……フィロンは……死んだ」


 レーシュの涙が頬を伝う。


「そう」


 口から出たのはそれだけだった。

 ――フィロンは、死んだ。

 私はその事実に、大きく驚きはしなかった。なぜなら、最後に見たとき、フィロンはサリィと対峙していたから。

 

「フィロンは死の直前、あたしに言った」


 レーシュは話を続ける。

 

「『僕は間違っていた』って」

 

 私は、何も言えなかった。


 ――あいつが、間違いを認めた?


 それは簡単には信じられない。

 あいつは帝国を滅ぼすために反乱を首謀した。そのために長い時間を費やしたはず。

 簡単に間違いを認めるなんて、あいつの性格的にも考えにくい。


「『でも、この最後の選択だけは、僕が自分と向き合って選んだものだ』って……そう言っていた」


 ――信じられない。


 フィロンがそんなことを言うなんて。

 あいつは、笑顔を貼り付けて適当なことを言って人を巻き込むのが上手かった。……だから、信じられない。

 

 あいつは自分の正しさを信じていたはずだ。私達を洗脳してまで、自分の目的を果たそうとしたんだから。狂信していたと言ってもいい。

 それなのに、死の間際になって「間違っていた」だなんて。


「……都合がよすぎるわ」


 私は吐き捨てた。


「死ぬ直前に改心したから許せって? あいつが私達にしたことは消えない。ラナを……私達を、あんな目に遭わせて」


「……そう、だよね」


 レーシュは俯く。


「でも……」


「でも、何よ?」


「……フィロンは、最期に心から過ちを悔いて、あなたにせめてもの償いをすることを望んでいた。サリィと対峙して、ずっと囚われていた過去に、区切りをつけて……」


 ――サリィ。


 その名前に、私は言葉を止める。

 サリィとの対峙。そこで何があったのかは分からない。

 だけれど、フィロンは辛くても苦しくても一つひとつを飲み込んで、現実を受け止めた――少なくともレーシュは、そう信じているみたいに見える。

 

「……サリィと、何があったの?」


「フィロンは……最後に、お兄さんの本当の考えに気がついて、お兄さんとフィロン自身を分離することができたの。……そして、本当の自分の気持ちに気づいた」


 私は唇を噛む。


 本当の自分の気持ち――か。


 私は、ミラクに対する、本当の自分の気持ちが何なのかは分からない。

 

 ――でも、フィロンは最後に、見るべきことを見たんだ。自分の気持ちに向き合って受け止めて、決断したんだ。

 ……私には、今はまだそれは――。

 

 ――いや、違う。

 

 私は思考を振り切るように首を振る。

 フィロンは私達を利用した。私達の意思を奪った。

 死の間際に何を悟ろうと、それで帳消しになるわけがない。


 だけど――。


 フィロンはもう死んでいる。レーシュがその思いを託されて、ここにいる。

 そして、私たちはまだ生きている。

 ……それだけは、確かなことだ。

 

「その、最後の選択って……何なのよ?」


 私は、レーシュを睨みつけたまま聞いた。

 少なくとも、それだけは聞いておかないといけないような気がした。


「サキ……あなた達を、助けること。……そして、帝国を壊すこと」


「……」


 ――帝国を、壊すこと。

 その言葉が頭の中で繰り返される。それを誰よりも強く望み、長い年月をかけて実行したフィロンは、死んだ。

 誰よりもその未来を望んでいながら、その未来を歩くことは、もうフィロンにはできない。


 ……私は、今のままの帝国で何も知らずに生きていた頃には戻れないと思った。

 

 だから私は、帝国を変えたいと思った。


 ……――だけれど、フィロンを、私は……。

 

 フィロンの最後の想い。レーシュの決意。

 それらが、胸の奥で何かを揺さぶる。

 

「『勝手だけれど、この償いを繋いで欲しい』……フィロンはそう言って……死んだ。あたしは、フィロンの思いをあなた達に繋ぐためにここに来た」

 

 レーシュが顔を上げる。紫の瞳に、涙と決意が滲んでいた。

 

「フィロンも……サキに、夢を見ていた。……多分だけれど、死んだお兄さんと重ねていた。……だから」

 

 その声が、震えながらも強くなる。

 

「……そんなサキが、ミラクなんかに囚われたままなんて……あたしは、絶対に嫌だ。あたし自身の意思としても、あなた達を助けたい」

 

 私は、レーシュを見下ろしたまま動けなかった。

 

 ――……私に、夢を見ていた?

 フィロンも、ミアも、そしてレーシュも。

 私に、何を見ているのか。

 

 それはきっと、私ではない誰かの面影。

 フィロンなら、今レーシュが言った死んだ兄。ミアなら、私の亡き母セレスティア。

 死んでいった誰かから繋いできた思いの始まり。

 ――皆、私がそれを継ぐことを望んでいる。


「……っ」

 

 私は拳を握りしめる。

 レーシュを殴りたい衝動と、強くあるためにはその言葉を受け止めなければいけないという思いが交錯する。

 

 その時だった。

 

「サキ」

 

 ミアの声が、冷たく響いた。

 私が振り返ると、ミアは木陰に立っていた。日光に直接当たるのは避けているが、それでも朝の光は容赦なくミアの肌をじりじりと蝕んでいる。

 

「お前が今ここで、協力を申し出たレーシュを殴ろうが許そうが、それはお前の自由よ」

 

 ミアは淡々と言う。

 

「でも、そうやって過去に縛られて立ち止まっていては、大切なものを取り溢すわ。……ライトは、決して無傷なわけではないのよ」

 

 その言葉に続き、ミアの視線は、木陰で寝ているラナへと向く。

 

 ――そう。あの薬を作ったのはレーシュなのだから、レーシュなら、意識のないままのラナを診れる。

 それに、ライトは生きているかもしれないけれど、ミアの話によると心臓を突かれている。深刻な傷を負った鬼族の血は肉を求め、錯乱状態になっているかもしれないとさっきレーシュが言っていた。

 

 それなのに私は、ここでレーシュを殴っている場合なの……?


 レーシュがじっと私を見ている。

 

「……何をしても、信じては、もらえないかもしれないけれど」


 そう言った瞬間、レーシュは小刀を取り出し、躊躇いなく自身の腕を深く切り付けた。


「な、何して……!?」

 

 鮮血が溢れ出る。傷口からどくどくと血が流れ、土の上に赤い染みを広げていく。


「サキ……そしてミア様……あなた達の傷、この血で癒して」


 差し出されたレーシュの腕。

 溢れ出る血潮から、濃密な匂いが立ち上る。

 

「っ……!」

 

 私は息を呑んだ。

 少なからず損傷を負い、渇き切った身体。

 そして――眼前に差し出された、血。

 否応にもレーシュの意図を理解してしまう。でも。

 

 ――なんで、こんなに、唆られて……。


 衝動が、欲望が、私の思考を少しずつ蝕んでいく。

 

 私は、大切なものを守る強さが欲しい。信じたことを貫く強さが欲しい。血に負けたりなんか、したくない。

 何よりこいつに借りなんて作りたくない。レーシュの、思い通りになんて――。

 

 ――だけれど、そんな理性なんて、次の瞬間には消え去っていた。

 

 気づけば、私はレーシュの腕を掴み、牙を立てていた。

 熱い血が、口の中に流れ込む。


 ――ああ。

 

 身体中に力が満ちていく。傷が癒えていく。鼓動が高鳴って、少し胸焼けがして、何だか背徳的な気分になる。

 

 渇きが、満たされていく。


 抗いたかった。レーシュの思い通りになんて、なりたくなかった。

 それなのに、渇きを潤さずにはいられない。血を貪ることを止められない。

 ……抗いようがない本能に身を任せることを、心地よく感じてしまう。

 

 ――そんなことないって、思いたいのに……!

 

「私に血を捧げようとは、殊勝な心掛けね」

 

 少しだけ弾んだミアの声が聞こえる。

 ミアもレーシュのもう片方の腕に牙を立てていた。

 

 レーシュは、少し痛みに顔を顰めながらも、何も言わずに私達に血を与え続けている。


 傷が癒えるほど、本能の飢えが少しずつ鎮まっていく。

 

 ――理性が、少しずつ戻ってくる。


「……!」

 

 はっと我にかえり、私はレーシュから飛び退いた。

 

 ミアは一頻り満足といった様子でレーシュから離れた。

 ミアの焼けただれた肌が、まだ完全ではないけれど血を得てかなり元通りになっている。

 

 レーシュの腕には、深い傷跡が二つ残っていた。

 だけれど傷口の血はもう固まり始めている。吸血鬼族に血を吸われた跡は、治りが早い。

 

 私は唇を拭い、レーシュを睨みつけた。

 

 ――嵌められた。

 

 血を吸ってしまった。

 レーシュは最初からこれを狙っていたんだ。

 血を差し出せば、私が強く出られなくなると思って――。


「……ひとまず、私に協力したいというのは、分かったわ」


 血を吸ったことで身体は回復したけれど、不快に脈打つ心臓と、また衝動に呑まれてしまった自分に腹が立つ。

 信じたことを貫くどころか、信じることすらまだ定められていない。その弱さを突きつけられたみたいで、私は苦々しく息を吐く。

 

「でも、レーシュ。……あんたのことは、まだ……信用はできない……!」

 

 レーシュは起き上がり、俯いたまま頷いた。

 

「……うん。それでも、いい」


「ただ、かなり体が楽になった。私、早くラキを助けに行かないと……」

 

 私は視線を逸らし、近くに倒れているラナを見る。ラナはまだ意識がない。

 ラキのところに行くにしても、このまま放置することはできない。

 

「ラナ……」

 

 私が呟くと、レーシュがおもむろに立ち上がって、ラナに近づく。私もラナに駆け寄った。レーシュはラナの額に手を翳し、目を細める。

 

「……ミラクに干渉されて、かなり(ほど)かれているみたい」

 

「え?」

 

「だから……今なら、あの子にかかっている魔術をすべて解くことができるかもしれない」


 そういえばミラクはラナを治すと言っていた。本当にラナの洗脳を解いていたんだ。

 

 私は一瞬、躊躇した。だが、ラナの安全を優先すべきだと判断する。

 

「……あんたを信じて、ラナを任せろと?」

 

「……うん」

 

 レーシュはラナの傍に膝をつき、手を翳す。

 薄紫の波動が微かに揺らめいた。


「ラナ……!」


 私は思わず身を乗り出し、ラナの手を握る。


「……全く、仕方のない子ね」

 

 その様子を見ていると、ミアがため息混じりに口を開く。

 

「その子を、レーシュだけに任せられないんでしょう? ……それならサキ、お前はここでその子を見ていなさい」

 

 ミアは、ミラクとラキが消えていった森の奥を見つめる。

 

「私が、ラキの支援に行くわ」

 

「待って、ミア。あんた、朝日で身体が……。行って、何ができるっていうのよ?」

 

 私が言うと、ミアは自分の腕を見下ろした。

 焼けただれた肌から、白い煙が立ち上っている。

 

「確かに、このままでは長くは持たないわね」

 

 ミアは自分の手首を噛み、血を滲ませる。

 その血を、自分の肌に塗りつけていく。

 

「何を……?」

 

「血の膜よ。完璧ではないけれど、少しは朝日を和らげられるわ」

 

 血が薄い膜となって、ミアの肌を覆っていく。

 それでも煙は止まらないが、勢いは少し弱まった。

 

「ミラクが影を操るのを見ていた。精密だったけれど、手に入れたばかりの力だったわ」

 

 ミアの目が、冷たく光る。

 

「あれなら、私の血で()()()()()はずよ」

 

「どういうこと?」

 

 私はその言葉の意味が分からなかった。けれどミアは、それ以上は説明しない。

 

「ミラクを殺さずに、生け捕りで連れて来る。……そしてお前の目の前に、跪かせてあげる」


 ただ一方的な宣言だけを告げ、血の膜を纏ったミアは、朝日の中へと踏み出す。

 半吸血鬼の私でも、血が前よりも強くなったせいか、朝日でさえ肌が焼けるように痛い。それなのに、完全な吸血鬼族であるミアは血を纏っているとはいえ、もっと痛いはずなのに、戦うことをまったく躊躇っていない。


 ――ミア。

 あなたは強い。私も、もっと強くなりたい。信じたものを貫き通せるように。……あいつへの気持ちを、決められるように。もっと……。


 そう思った、その瞬間だった。


 ミアが、くるりと振り向く。


 ――え?

 

 ミアの視線が、私を捉える。


「……血が近いせいかしら。あなたの心の騒めきが、私の血も少し騒がせるのよね」

 

 まるで、今の私の思いを読み取ったかのように。

 

「……サキ。そういう顔も、するのね」

 

 ――遠い記憶の中にいる、セレスティア(あのこ)みたいな表情(かお)を、と。ミアは小さく呟いた。

 

 次いで、軽やかに距離を詰めてくる。焼けた皮膚の匂いと、濃い血の匂いが近づいた。


「ちょっと、何を――」


 言い終える前に、頬にミアの指が触れる。

 気がつけばミアの不敵な笑みが眼前にあった。逃げようとして、逃げられなかった。


 息ができなくて、目を見開く。

 数巡遅れて、ミアの唇が覆い被さるように私の口を塞いでいるからだと理解した。


「……ん……っ!?」


 熱いものが、口の中に流れ込む。

 血だ。ミアの血。

 そう思うのと同時に、喉が、反射的にそれを飲み込む。


 喉の奥に、熱くて甘い血が落ちて行く。


「んむっ……」


 ミアは指先で私の喉に触れていた。私の喉が動いたのを確認してから、ミアは離れる。

 口元に、薄く笑みが浮かんでいた。


 ……吸血鬼族の血だからか、血を飲みすぎたせいか、少し変な気分。


「ミ、ミア! い、いきなり何するのよ!?」


「私の血を飲ませたのよ。……これで私が何をするか、少しは分かるようになるでしょう」


「どういうことよ!? それ……」


 ミアはなんてことないように言った。でも私は意味がよく分からなくて、食い下がる。


 私が詰め寄ると、ミアは呆れたように短く息を吐く。


「……お前に、強くなりたいという意志があるのなら――」


 ミアは、私の言葉を遮るように人差し指を私の唇に当てた。言い聞かせるような声音で続ける。


「私がこれからすることを、血を通して感じなさい」


 ――ドクン

 そのとき、心臓が、不自然に高鳴る。


 ……!?


 ミアと合わせた目が痛み、一瞬だけ世界が暗転した。

 ……そして、次に見えたのは――呆然と立つ、私だった。

 皮膚の焼ける匂い。血の膜。朝日の痛み。

 これは……ミアの感覚?

 ……感覚を、共有しているの?


 もう一度瞬くと、目の前にいるミアが見える。私の視界に戻っていた。


「……()()流れを、覚えるのよ」


 それだけ言うと、ミアはまた朝日の中――森の奥へと踏み出した。


「だからそれ、どういうことなのよ……!?」


 叫んだけれど、もうミアは答えない。私はただ、走り去るミアの背中を見ていることしかできなかった。


 口の中に、ミアの血の味が残っている。

 立ち尽くす中、ミアの血が、私の中で混ざり、溶け合っていくのを感じていた。

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