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第72話 癒えない傷 1

 朝靄が満ちる白い景色に、一つの影が立ち尽くす。無尽蔵に蠢く闇を纏ったその存在は、文字通り、影そのものにしか見えなかった。

 影は、要塞から離れていくライトの背をじっと見つめている。


 ライトが草を踏む足音が、そして揺れる木々の葉音が、森の奥深くへと影を誘うほどに、影の――ミラクの高揚は、ますます高まっていく。

 建国の英雄を殺した瞬間、自分がどんな感情を抱くのか。その想像だけで、ミラクの心臓は異常なほど高鳴った。

 もう人間らしい躊躇いなど、彼の中には存在しない。

 


 何より、ライトを殺して得られるものは、殺しに伴う刹那的な熱だけではない。


 ――もうすぐだ。もうすぐで、すべてが手に入る。

 その先にあるものが欲しくて堪らずに、焦がれるように手を広げながら、ミラクは腕を伸ばす。

 だが、すぐに引く。

 身を焼くような衝動に駆られながらも、ミラクは熱く溢れる吐息を押し殺して、気配を潜める。

 

 ――もう少しだ。要塞から十分に離れてから……。

 ミラクは自身を突き動かす熱を必死に抑え込んだ。手が届きそうだからこそ、焦って台無しにしてはならない。今度こそ、必ず手に入れてみせる。


 濃くなる霧に、唇が歪む。

 そして影は、傍で意識を失い座り込んでいた少女を抱え、朝靄の中へと溶け込んだ。


 **


 霧の道を、ライト一人の足音が踏み鳴らす。

 しかし、背後に気配があることをライトはずっと感じ取っていた。


 敵意は感じず、殺気もない。だから振り返ることはしなかった。


 ――ただ、誰かいることは確かだ。


 そう理解はしていた。しかし、槍を構えようともしない。たとえ敵であったとしても、どのような者であろうと斬り捨てることなど容易いのだ。


 森の奥へ進むほどに、霧が、徐々に深まっていく。

 その中で、微かな声が聞こえた。呻き声にも泣き声にも聞こえる子供の声だった。


 戦場近辺の森の中に似つかわしくないその異様な声に、ライトは、ようやく立ち止まる。


「……誰だ」


 返事はない。

 代わりに、霧の奥から、髪を二つに結った一人の少女の影が見えた。頭を抑え、覆うようにして歩いている。


 戦場には不釣り合いな薄い寝衣を羽織ったまま、霧の中に影は揺れる。

 その足取りは覚束ないが、薄らと光る赤い瞳は、確かにこちらを見ていた。ただ、瞳の焦点はどこか定まっていない。


「……子供?」


 警戒よりも先に、困惑が滲む。実体が掴めない不自然な気配は、ゆっくりとだがライトの方に歩いてくる。


 次の瞬間だった。


 霧が脈打ち、少女の輪郭が揺らぐ。

 肌の色が変わる。

 髪が綻び、伸び、揺れ、形を変える。霧の中で、蠢く影の形だけが見えていた。


 やがてその姿が完成した瞬間、ライトは呼吸を忘れた。


 白く、神秘的に輝く、額に生えた、一本の角。

 無機質で透明な肌を彩る、赤い瞳。

 ――風に靡く、若かりし頃の自分と同じ、緑髪。


 見違うことはない。記憶の奥底に封じ込め、目を逸らし続けていた存在。欲に翻弄された過去と、その果ての過ちの記憶――それを、全身で証明する存在。


「――サ……リィ……?」


 目の前に立っていたのは、かつて少女だった頃の、サリィの姿だった。


 ――起こり得ない。頭では理解している。これは幻だ。敵の策だ。

 それでも、喉の奥に込み上げるものを押し込めた声が、震える。封じ込めたはずの記憶が、堰を切ったように溢れ出す。

 自分が、彼女に何をしてきたのか。どんな過ちを犯したのか。


 

 これから殺す存在の感情の乱れに、霧の向こう、見えない木の影で、誰かが嗤った。


 **


 連戦の傷は、まだ完全には修復されていない。全身から血が滲み、呼吸のたびに痛みが走る。


 だが、その痛みすら、今は心地良い。

 ラナを先に手に入れ、一人のライトに付け入る隙……。

 英雄を惑わすには、術者一人では足りない。現実と幻の境界に、誰かを立たせることが――幻術の媒体となる存在が必要だった。

 幻として映し出される少女時代のサリィと同じ年代の少女。

 ――俺はそれに、ラナを選んだ。何故か。幻術で惑わせたライトを殺すことで戦争は終わり、そしてライトの死にラナが利用されたと知れば、サキは――……。


「……はは」


 こうも上手くいくとは。

 低い笑いが、喉の奥で弾ける。


『ラナを解放すれば、この戦争は止められる。俺には、そのための策がある』

 

 冷えた笑みが浮かぶ。……言葉に偽りはない。


 ライトに見せる幻の媒体。都に辿り着いたばかりの頃のサリィと同じ年代の、無垢な少女。

 サキに守られ、正しい選択の結果として、そこにいた存在。

 他の者では、意味がない。ラナをこの幻術の媒体に使うことが、あいつの傷跡を抉る最善の方法だ。


 ラナは暗殺部隊の洗脳薬の影響下にあった。「狐の涙」などと称されたそれは、殲獣の体液から作られたものだという。

 ミラクは掌を見つめた。黒く染まった冷たい指先が、微かに震える。

 殲獣の力を宿した幻術。それは強力だが、同じ殲獣由来の「狐の涙」とは互いに干渉し合う。洗脳されたままのラナでは、媒体として機能しない。ライトに幻術を使う上で、それは命取りだ。

 だから、ラナの洗脳を解く必要があった。

 そしてその口実として、サキ達に「ラナを解放すれば戦争を止められる」と告げた。そう、嘘ではない。

 ライトを殺せば、帝国は決着を焦るだろう。


 そして今、少女の頃のサリィの姿を纏わされたラナは、幻術のみの精神干渉を受けてライトの前に立っている。


 ミラクは期待のあまり、胸の奥が甘く痺れるのを感じていた。サキの名を呼びそうになる衝動を飲み込む。


「……」


 ――これから始まる惨劇の結果に……サキ――お前は、何を以って俺に応える?


「――さあ、始めよう」


 虚空に響くミラクの声は樹々の騒めきに溶け、ライトの耳には届かない。

 


 緑の髪が、若草の色に溶け込む。その真ん中で、朝日のような赤い目が細まる。

 そして。

 

『……お父さん』


 在りし日のサリィの姿は、アリアに似た蠱惑的な笑みを浮かべ、ライトに呪いの言葉を吐いた。

 かつて、その声では一度も呼ばれることのなかった呼び名を。

 ライトにとって、認め難い二重の真実を秘めて。

 

 

 **


 

 **

 


 宝物庫。

 ミラクの気配は、すでに影とともに消えていた。残されたのは、新たな問いと、胸に絡みつく呪縛の言葉。……そして、ラナの洗脳を解くための薬。


 ミラクはなぜ、ラナの洗脳を解こうとするのか? それが戦争を終わらせることに、どう繋がる?

 考えても、思考はぐるぐると同じところを回るばかりだ。答えが見えない。


「……サキ」


 ラキに名を呼ばれて、はっと我に返り、目の前に立つラキの姿を捉える。その表情は強張っているのに、瞳は揺れていて、今にも崩れそうなのを、必死に抑えているように見えた。


「大丈夫か?」


 ラキは不安げな声で言う。それでも掛けてくれた言葉は、私への心配だった。


「……私は、大丈夫。するべきことは、見失っていない」


 深く息を吐く。ラキだって、平静な気持ちではいられないはずなのに。ミラクがラナを気にかけていたこと。その意味の分からない不気味さを、ラキも同じように感じているはずなのに。


 ……ラキはいつも、私の心をあるべき場所に導いてくれる。そんな、暖かい言葉をくれる。


 私は……ラキに、ちゃんと返せてる?


「ラキこそ、大丈夫なの?」


 胸が締め付けられ、思わずラキの両肩を掴んで問いかけた。

 ラキが纏う空気が揺らぐ。出会ったばかりの頃のような鋭い雰囲気は、いつもの少しだけ不器用で優しいそれに変わる。


「……ああ」


「……ごめん。大丈夫なわけ、ないわよね」


 ラキの短い返事の奥にあるものが、胸に刺さる。

 無理をしているのが分かって、言葉に詰まってしまう。

 そんな私の視線を振り切るように、ラキは顔を逸らした。


「……いいよ、今は。サキがそう言ってくれるだけで」

 

 ぶっきらぼうな言い方だった。

 だけれど、ラキの言葉は本心から出ているものだと分かってしまった。ラキは、私のことを心配してくれている。

 それだけで、どれだけ救われているか。

 なのに私は、その優しさにただ寄りかかっているだけ。

 ……これでは、駄目だ。

 守られてばかりなんて、本来あるべき姿とは逆だ。


「……私、ラキに心配かけてばかりね」

 

 でも、ラキが隣にいてくれるなら。ラキが信じてくれるなら。

 それなら……私は、うじうじなんてしてはいられない。私がラキの前に立って、進まないと。


「ここで話していたって仕方ないわね。ラキ、ラナのところへ行こう」


 私がそう言うと、ラキは小さく頷いた。

 しかし直後、思い出したようにラキは口を開く。

 

「ユリアナのことは、どうする?」

 

「……!」

 

 そうだ。私たちはソニアに、ユリアナのことを頼まれている。ユリアナもまだ、この城のどこかにいるはず。

 しかし、今、最優先すべきはラナだ。ユリアナのことは元々、もし見つけたらという条件だった。今この城を探し回っている余裕はない。

 

「今はいいわ。ラナのところへ行きましょう」

「ああ、その方がいい」

 

 ラキも同じ判断のようだった。

 ミラクが渡した薬のことも完全には信じられないけれど、まずはラナの様子を見よう。それから考えればいい。

 私たちは、宝物庫を出た。


 城の廊下は静まり返っている。

 月明かりが、石造りの床を淡く照らしていた。


「……サキ」


 歩きながら、ラキが口を開く。


「何?」

「さっきのミラクの言葉だが……」

「……」


 私は、黙って歩き続ける。


『いずれ、答えを変える時が来る』

 

 私が黙ったままなのを見かねてか、ラキはその言葉を繰り返した。


「どういう意味だと思う?」


「……分かるのは、ミラクは、何か企んでいるということだけね」


 私は、正直に答える。

 

「まあ、今の段階ではそうだな」


 ラキも同意する。

 そしてラキは、言葉を選ぶように間を置く。


「……」


 私は、拳を握りしめる。考え込んで下を向くラキの顔が、ミラクと重なって見えた。

 ……ミラクの言葉が、頭から離れない。


 ――『いずれ、答えを変える時が来る』?


 何かするつもりなのかもしれない。私の精神を根底から揺さぶるような、何かを。

 ……一体、何を企んでいるの?


「サキさ、宝物庫で、言っていたよな。『すべてが終わるまで、ミラクの命は奪わない』って」


「……え?」


 思わず、立ち止まる。

 

「……ああ、言ったわね」


 そう言った。ラナのために。

 そして、私自身のために。

 向き合うべきことから逃げて、目を背け続けて、その後悔を背負い続ける。それは、ライトが犯した過ち。

 そこから生まれた帝国で繰り返された、悲劇の連鎖。

 それならば、その連鎖は私で断ち切る。……断ち切らなければ、いけないんだ。何より、私は目を背けたまま生きていくなんて、きっと耐えられないから。


「でも、それは――」


「分かってる」


 ラキは、私の言葉を遮る。


「サキが、ラナのために決めたことだ。それを否定するつもりはない。目を逸らさないことはサキ自身のためにもなるはずだ」


「……」


「ただ改めて忠告しておく」


 ラキは私の目の前に歩いてきて、直近で視線を射抜く。


「ミラクを信じるべきではない。少しの期待も寄せるべきではないんだ」


「……私だって、あいつを信じてなんかいない」


 ラキは、小さく息を吐く。


「それなら、ミラクに対してどう思っているんだ?」


 私は、言葉に詰まる。


 ――確かに、私はミラクを信じているわけではない。でも、ミラクに少しの期待もしていないと言えば、たぶんそれは間違いだ。


「ただ……理解したいの。あいつがなぜあんなことをするのか」


 言葉が、うまく出てこない。


「決して、ミラクに夢を見ているわけではない」


 ラキは、何か言いかけて、口をつぐんだ。

 しばらく、沈黙が続く。


「そうか。……余計なことを聞いたな」


 先に口を開いたのはラキだった。


「……ラキ」


「今のお前が、間違っているとは思わない」


 ラキは、歩き出す。


「ただ――ミラクは()()を壊そうとしている。サキの意思を捻じ曲げるほどの何かを。……そのためなら、奴は手段を選ばない。……警戒をし過ぎることはない」


 振り返らずに、言う。


「……無論、俺もミラクの行いを見逃すつもりはない」


「……」


 私は、ラキの背中を見つめる。

 胸が、締め付けられる。


 ――ラキは、不安なんだ。

 

 ラキは、恐れている。ミラクに何もかもを壊されることを。

 ……そして、その不安はきっと、当たっている。

 私とラキ。愚かなのは、私のほう。


 ……改めて考えてみると、私って本当に自分勝手ね。ラキに見捨てられたら、私はもうどうしていいか分からなくなるのに。隣にいてくれるのは、ラキなのに。

 それなのに、ミラクのことばかり気にしている。


 ……ラキに甘えて、ひどいことをしている。

 

 ……だめだ。守るべきものを、向き合うべきものを、見極めなくては。


「……ごめん」


 私は、小さく呟く。

 でも、返事は返ってこなかった。

 ああ、そうか。私は間違えてしまったのかもしれない。ここは、隣にいて私を心配してくれることを、ラキに感謝するべきだったのかもしれない。


 **


 城を出てから、どれくらい経っただろう。

 私たちは基地に向かって慎重に森の中を進んでいた。

 夜明け前の森は、静かだった。木々の間から、わずかに光が差し込み始めているけれど、まだ森は仄暗い。


「……もうすぐ、朝ね」


 私は、空を見上げて目を細める。陽の光に当たると肌がひりひりして、私は木の影に入った。


「ああ」


 ラキは光の中に立ったまま、同じように空を見上げた。


「長い夜だった」

「……本当にね」


 それからしばらく、私たちは、黙って歩き続けた。

 さっきのラキとの会話を思い出す。


『ミラクを信じるべきではない。少しの期待も寄せるべきではないんだ』


 ……そうよね、ラキ。ミラクは、私を裏切った。ニーナを殺した。ラキを傷つけた。ラナに何かしようとしている。

 当然、許せるはずがない。


 でも――。

 あいつと旅をしていた日々。ミラクと旅をしていた頃、二人で野営をした夜。焚き火の前で、ミラクは空を見上げていた。私は、その横顔ばかり見ていた。そして、あいつに裏切られた、あの嵐の夜。ミラクに見下ろされながら、冷たい大河に沈んでいく記憶。……砦で再会した時の、戸惑い。


 なぜ? どうして?

 その問いは、今も答えを持たない。

 まだ、癒えない傷跡となって胸に残っている記憶。

 それでも――いや、だからこそ、ミラクに、会いたいと願ってしまう。……傷ついてもいいから、ミラクとまた話がしたいと願ってしまう。納得のいく答えを得られることを、願ってしまう。

 そんな答えなんて、在るはずがないのに……。


 冷たい朝、森の中を歩いていると、ミラクとの旅が脳裏に蘇る。あいつは早起きで、早朝から宿を出てしまうことが多かったから。

 そのせいか、無意識に彷徨う視線はミラクの影を探す。

 あの頃、私はミラクの横顔ばかり見て話していた。ミラクは、私のことを見ようとはしなかったから。

 でも、今だったらミラクは……。


「……サキ」

 

 ふとラキが、声をかける。


「……何?」


「お前がどんな選択をしようと、俺の気持ちはきっと変わらないんだと思う」


 ……いつもは心に温かく響くラキの言葉に、罪の香りを感じるのはなぜだろう?

 髪の奥から覗く鋭い瞳が、ミラクの横顔と重なる。ミラクと違うのは、ラキの目は私の目を見てくれているということ。……ラキは私を見てくれている。

 喉の奥が詰まる。……それなのにっ、私は、ラキをミラクに重ねて――。


「……ただ、何度でも言うが、忘れるなよ」


 黙ったままの私にため息をついてから続いたラキの声は、真剣だった。


「ミラクは、決してお前の期待に応えない」


「……」


「あいつを選べば、サキは後悔する。……しないはずがない」


 その言葉が、どこか悲しげに響いた。木々の間を、冷たい風が吹き抜ける。


「……分かってるってば」


 私は、小さく答える。


「分かってる、はずなの」


「……いや、分かってないんだと思う」

 

 ラキは静かに言った。

 

「お前は今、俺を見ているのか?」

 

 鼓動が跳ねる。その言葉の重さに、私はすぐには言葉を返せなかった。


 胸焼けがして火照る頬を、風が冷ましていく。

 しばらくの沈黙の末に意を決して口を開きかけたそのとき、ラキが、急に立ち止まる。


「ラキ? どうしたの?」


「……影が、おかしい」


 ラキは、周囲を見回しながら答えた。


「影?」


 ラキは、木々を見上げ、地面の影と照らし合わせた。


「周りの、木々の影が……」


 ラキの視線を追うと、影が不自然に蠢いているのが分かった。

 朝日の位置と、合わない動き。まるで生き物のように、ゆらゆらと揺れている。


「……まさか」


 私は、息を呑む。背筋に、冷たいものが走る。寒気と重圧に、まるで森全体が闇に呑まれたかのような錯覚を覚えた。

 風が、吹く。木々が揺れる音だけが響く、静寂。


 そして――影が、一つに集まった。

 

「待っていた」


 低く、そして微かに高揚した声が、森の静寂を裂いた。

 空き地の反対側、木々の影の中から、ミラクが姿を現す。

 あまりにも闇と同化していて、いつからそこにいたのか、分からない。木漏れ日の下で影を纏ったその姿は、宝物庫で見たよりもさらに異質に見えた。


「ミラク……!」

「なぜここに……!? 先回りしたのか!?」


 一体なぜ、ミラクが基地の近くにいるのか。

 ――……ラキの言う通り、先回りされた? ……何のために?

 次々と浮かぶ疑問に、手が震える。槍を構えながら、不安が胸を締め付ける。


「お前が、ここを通ることは分かっていた」


 ミラクは、ゆっくりと歩み寄る。


「サキ、俺がやる」


 ラキが、私の前に立つ。

 その目は血走っていた。無理もない。ミラクがここにいる――その事実は、ミラクがラナに危害を加えた可能性を示唆する。私だって、ミラクへの不信感と怒りが積もる。


「だめ。ラキが下がって」


 でも、私は努めて冷静に言った。ラキを傷つけさせるわけにはいかないからだ。

 それに、ミラクと戦うのは、私でなければならない。私自身の過去と、ここで決着をつけなければ。

 胸の奥で、不安と決意が激しくぶつかり合う。


 しかしミラクは、そんな私達のやり取りを目を細めて眺めて、重く口を開いた。その視線は、殺気立つラキを一瞥する。


「……お前も、今からここで起こる惨劇の目撃者として想定した。だが――」


 重苦しく沈むような声から一転、ミラクは冷たく言い放つ。


「割り込むな。これは、俺とサキの話だ」


 ラキは、剣を構えたまま黙っている。

 その沈黙が、張り詰めた空気を更に重くする。


「サキ」


 ミラクは、ラキを無視して、私に語りかける。

 その声は、どこか懐かしさすら感じさせる響きを持っていた。


「話したいことがある。……お前も、そうだろう?」


 ――。


 ミラクは、私を見つめる。

 憎しみと、でも何か別の感情が混ざった目で。


 さっきの、ラキとの会話を思い出す。


 ――『ミラクは、お前の期待に応えない』。

 分かっているんだ。そんなことは知っている。

 

 ……でも、目を逸らせない……。傷ついてもいいから、ミラクとまた話したいと思ってしまう。許せないはずなのに、殺してしまいたいほど憎かったはずなのに……なぜ、知りたいと思ってしまうの?


 ……ラキの言う通り、私は本当は分かっていないのかもしれない。

 

 ……私が守るべきは、ラキとラナ。

 それなら、向き合うべきは、もちろん隣にいてくれるラキとラナ。


 それなら、私にとってミラクは――……何?


 ミラクは――私にとって……――そう。……乗り越えなければならない、過去だ。


 分からないからこそ、向き合って、知らなければいけないんだ。


 私はラキの前に出て、血で生成した槍をミラクに向けながら口を開く。


「……そうね、ミラク。私たち、話さなければならないことがあるわ」

 

 ただ私はミラクと話があるという事実だけは、認めざるを得なかった。



お読みくださって本当にありがとうございます。

サキ達視点の話が久しぶりになってしまったので、前回のサキ達視点の回のリンクを貼らせていただきます。

第62話 新たな問いと、呪縛の言葉 後 https://ncode.syosetu.com/n2706jn/78/


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